オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

お休み前の大判振る舞い・・・

2015-03-31 | Weblog

3/31(火) 今日の弁当が最後とは云わぬが、明日からゴールデンウィーク明けまで休養となる。私の胃と腸の休養のために、麗しの弁当を犠牲にしようと云う分けだ。そんなことから、今朝の弁当は大いに気張った。つもり・・・・。

それじゃなんだい?と訊かれても困るが。何しろ昨夜帰宅前に駅前のスーパーで食材を仕入、22時半の帰宅後に仕込みまでしてしまった。これが間違いの元だったかな・・・、酔ってるもんだから似たような煮物を作っちまった。

先ずは「カツ煮」(最近登板過多だが)、そして「チキンの香草焼き風」(これはチーズを挟んで焼きたかったが、在庫切れ)。「チンジャオロース」に「ブリ照り焼き」、野菜は煮物主体で「南瓜とサトイモ煮」「大根・人参と鶏肉の煮物」、付け合わせにアスパラ・シメジ・タマネギ・エノキのソテー、最後に定番の「卵焼き」。以上である。

どうせ弁当箱に収まりきらんと、最初から判っちゃいるが最後の晩餐ならぬ、ランチだ。賑やかに仕舞いたいよ・・・・。因みに、皿に載っているのは全部残り物だ。この残りものを私が喰っちゃったら、こりゃ胃と腸が疲れるのが頷けよう?弁当休みを作るのも、ご理解頂けよう?

                           

休養前とはいえ、弁当に七品は多かった。と、反省する。何しろ、朝も五時前に起きての準備態勢だったからね。後悔先に立たず、親の意見と茄子の花は、千に一つの無駄がなし。関係ねぇか・・・。

                     

                           満艦飾弁当だぜ!

  -情報誌動き出す・・・-

今朝は渋谷の某社にて、情報誌12号の企画打ち合わせがあった。愈々動き出したが、昨年に比べるとスタートが遅い。その分、編集作業に負担が掛かる。なる早で取材アポを取らなくてはならぬ。とは云え、企画案の最終決定が出るのは午後になる。それまで時間がある・・・。

渋谷・道玄坂から目黒川沿いまで歩いて20分程度か。丁度桜も満開を迎え、後は散り行くばかりだ。打ち合わせに同行した、TOKIO&FUJIKRAの両君も時間があるという。『それじゃ、彼の有名な目黒川沿いの桜を愛でるか』と、旧山手通りから西郷山公園を経て目黒川に下りた。FUJIKURA曰く、「フジTVのドラマの舞台になってたんで知ってますが、来るのは初めてです」と。そんなドラマがあったとは、その所為で花見の名所になっていたとは、知らぬが仏だぜ・・・。

                            

                              花筏が・・・

平日の午前十時半だと云うに、両岸を歩く人出の多さ・・・・。シニアが圧倒的なのは云うまでもないが。昼間っから暇な人が多いね~と思いながら、桜吹雪を浴びながら中目黒駅に向かった。

どのBLOGも、誰のFACE BOOKも桜、桜・桜サクラにさくらと、食傷だろうが・・・。一応、今年の中目(都会では、中目黒と言わず、ナカメなんだ)の桜をアップします。ごめん、ゴメン・・・・。

                    

中目黒からメトロに乗って、人形町に戻ったのだが・・・。途中で携帯が鳴る、EBISUI君からだ。今日でサラリーマン生活から足を洗い、晴れて自由人となるのだ。昼にランチを一緒に摂ろうと約束をしていたのだ。軽いものがいいと云うので、蕎麦の「花吉辰」に入った。

春野菜の天麩羅と蕎麦を食しながらビール、『長い間ご苦労様だったね。でも過ぎてしまえばアッという間だろう。津田沼の独身寮時代が、ついこの前のことのように思えるのだが…』なんて、年寄りが言うようなことを云い?懐かしんだ。「若手のホープと言われながら、いつの間にやこんな齢。ホープだなんて、言われていたのにな~」と、EBIは呟いた。

ご苦労様と云えば・・・。昨夜、御徒町の居酒屋で上野通機時代に一緒に仕事をしたSAKAIDA&TATENO両氏の退職を労う会があった。当時のメンバー二十数名が集って、バカ飲みをした。バカ飲みといっても、飲み放題の居酒屋だ。幾ら飲んでも酔わないような酒だった。イモ焼酎のロック中心に飲んだが・・・『なにこれ?本当に芋焼酎かい?』なんて言うような酒だった・・・。

今日で去る者は去り、明日からは新人を迎える。一夜明ければ、世の中が変わるか・・・。おいらの場合いは、弁当と暫しオサラバだが、その気になれば何時でも再開だ。サラリーマンが会社を辞めるとそうはいかん、ましてや皆さん満期満了だからね…、それぞれに感慨深いものがあるだろう・・・。

桜とともに、其々のあたらしい人生か・・・・・。変わり栄えがしねえのは、俺だけか・・・。

 

 

 

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満開だそうな!

2015-03-30 | Weblog

3/30(月) 東京の桜も満開になったと、朝のニュースで流れていた。昨日の午後、佐賀から羽田空港に戻った。恵比寿駅からメトロに乗り、東横線に乗り換える中目黒駅に着くと小雨が降っていた。雨となったが、ホームから目黒川沿いの桜並木へと向かうだろう人波は途切れない・・・。

中目黒駅を中心に、目黒川の上・下流沿いの桜並木はすっかり有名になった。ここ数年、桜のシーズンになると人、ひと人が群れが狭い川沿いの道を歩む。ゆっくりと花見の気分に浸るのは最早無理だ。束の間、電車の窓越しに覗きこんでは、今年は未だか、もう咲いたなと、季節の到来を確認する。

偶さか中目黒に降り立っても、川沿いの桜道は百メートルも歩くだけのことだ。直ぐに安酒場の暖簾を潜って、ビールや焼酎・ハイボールを口に運ぶ。誰か隣に居れば、毎度お馴染みの話に頷きながら、川面に伸びた桜の一枝なりをライトアップの淡い光の中で眺めるだけだ。さぁて、今年はどうなるのだろうか・・・。

先週金曜日の朝は、弁当を二人分作ってから羽田空港に向かった。長女は、週明けの月曜日から病棟勤務になるようで出勤時間が早くなるそうだ。そう云う意味では、私の四月からの弁当休みが二日早くなり、この日が長期休暇の前の最後の弁当となりそうだ。彼女好みに、ちょっとボリューム感のある弁当にした。

                

トンカツとチンジャオロースー、豚小間&茄子・キャベツの味噌炒め、小松菜&シメジの卵とじであった。ご飯は、前夜の残り飯があったので「炒飯」となった。ボリューム感は満点である。

        

 

以上の弁当を作り終え、朝風呂に浸かってから羽田空港へと向かった。ご丁寧にコートまで着ていったのだ・・・。

福岡空港で、遥々と函館からやってくるライターのHASHIMOTO氏と落ち合う予定でいた。処が、羽田の待ち合わせコーナーで氏から声を掛けられた。乗り継ぎ便のために、一旦待機ロービーに入ったとのこと。

空港は、春休みの所為か家族連れでごった返し、飛行機も満席であった。便は遅れた。福岡空港に降り立った私達は、タクシーで市内に在る出版社、「石風社」に向かい、FUKUMOTO社長を訪ねた。今回の旅のひとつ目の目的である。

「地球市民の会」創設者の、故・古賀武夫さんの物語を出版してもらうのが石風社である。代表のFUKUMOTOさんにライターを紹介するのと、スケジュールなどの確認のために訪問した。打ち合わせの方はトントンと進み、懸案していた在庫管理の方も簡単にクリアできた。入稿の時期が1ヶ月ほど早まることになったが、これはライターさんに委ねるしかない。

夕方前、私達は佐賀駅に降り立った。博多から佐賀まで、特急電車で四十分ほどであった。敢えて云うなら、酒を飲んでいる間もないぐらいの時間である。

この夜は、七時から「寄ん処」で地球市民の会・理事の方との懇談となっていた。「寄ん処」は、佐賀に行くと必ず立ち寄る店である。会の会員で、ボランティアスタッフとして協力を下さる、NAKAMIZO女将が切り盛りする小体な居酒屋なのだ。

理事の一人、NISHIMURAさんが六時前にホテルまで来てくれた。が、時間を間違えて早く来てしまったとのことだ。震災応援の酒「絆伝心」をお土産に頂いた。七時まで待つのも無駄だと、早めに店に入ることにした。

そんなことで、我等三人は早々と飲み始めた。この夜は、生ビールを一杯だけにした。棚に並んだ焼酎の中に、旨いのがあったので焼酎ロックでとおした(ハイボールより、長丁場ではこっちの方が良さそうだ)。

HASHIMOTO氏をメンバーに引き合わせ、懇談が始まった。H氏は胃全摘の身ながら遅くまで頑張って話を聴いている。佐賀入りは、ライターを交えた第一回の打ち合わせ(打ち合わせらしきことは、な~んもせなんだが)と、プレ取材である。そういう意味では、古賀武夫さんの逝去・生誕の「武桜会」が開かれる時期に来たのは良かったと云えよう。

余りにもいっぺんに大勢の人に会うので、ライターの方は大変だ。ICレコーダを廻しているとはいえ、整理をするだけでも一苦労だろう。

翌、土曜日の午前から午後にかけては、古賀さんの一族(兄・姉)と顔合わせての取材であった。長兄と長女のお二人は八十歳越えておられたが、矍鑠としてお元気。七人兄弟だが、兄一人は亡くなれている。この日、千葉在住の弟さんを除き兄二人、姉二人と亡兄の奥さん、古賀さんの未亡人YOUKOさんが集まられた。

古いアルバムを捲りながら、古賀家の歴史や武夫さんの子供時代が、それぞぞれの歴史と重なりながら語られた。家に、家族に、ひとり一人に、其々の歴史が有ると、改めて実感をする。

皆さんからの話を聞き終えて、ホテルに戻る。途中、OONO事務局長の案内で古賀さんが眠る墓に詣でた。黄檗宗の「仏心寺」と云う、由緒の有るお寺でだそうだ。黒御影石に「和」と篆刻された未だ新しい墓石であった。ここに、ご両親などと一緒に眠っている。

この夜、19時から「武桜会」が地球平和道場(古賀空手道場・英語道場)で開かれる。その前に市内の繁華街を少し歩くことにした、が・・・。黄昏時のアーケード街は、既に大半の店がシャッターを下ろしていた。ライターのH氏曰く「函館の街と変わらない、淋しさですね」であった。これじゃ買い物も間々ならぬ、デパートに向かった。なんと、土曜日というに七時前にシャッターが下りていた。後で訊くと、六時半でお仕舞だとのことである。佐賀に行かれる方は、努々油断なさらぬように・・・。

そして、19時からの武桜会に出た。この会は、19時スタートで日付が変わる24時までつづくそうだ。入れ替わり立ち代わりで、来れる時間に、帰りたい時に帰る。出入り自由の会だと云う。基本的に、飲み物、食べ物は各自が持参し、会費は500円である。ここでも、ライターのH氏は忙しい、あっちのテーブル、こっちのコーナーと参加したメンバーから、古賀さんとの関わりなど話を聴いてまわった。

              

結局私達は、午前零時のお開きの時間まで居残った。最後まで残った面々で記念写真となった。が、命を取られるとういう写真に私は入らない。代わって命を頂くために写真を撮ったが・・・・、ピンボケや!これじゃ命は貰えぬ。

                     

 

日曜日。この日も翌日も取材が有るライター氏を残し、昼の便で帰京する。そのために私は十時前に佐賀を発ち、福岡へ向かった。暖かい、私のコートが邪魔だ。佐賀も福岡も、桜は満開の様相だ。

彼方に見える山桜が、薄茶に白を刷いたように浮かんで見える。到着した福岡空港は、相変わらず家族連れで混雑していた。搭乗前のひと時、生ビールで一人乾杯、前日の古賀武夫さんの生誕日を祝い。『よくぞ、あんたのような面白くて破天荒な男が生まれたもんだ』と。

 

で、今朝の弁当となるが。今日作るのは、家人一人分である。四月からは弁当が休みに入るのだ。今日と明日、何が何でも作らねば・・・。

結構なお手抜き弁当であったが、一応弁当らしきものをなんとか作った。

「茄子・シメジの味噌炒め(どうもこれの出番が多い)」と「卵焼き」、出来合の「ブリ照り焼き&炙り明太子(これは昨日空港で買った)」、それに刻みキャベツ・三つ葉であった。ちょっと手抜き過ぎたか・・・。

               

 

 

 

 

 

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出来合の品で・・・

2015-03-26 | Weblog

3/26(木) 今朝の弁当は冷凍の出来合の品が多い。昨晩帰宅して家人と言葉を交わすと、「明日は忙しくて、ゆっくり食事を摂る時間がないので、軽めにしてよ」との仰せがあった。昨日の弁当は油物でコッテリ系だったので・・・・。

そんな要望もあり、今朝は軽めにいくこととした。家人はシンプルなものを好み、長女はズッシリとしたのが好みなのだ。この中間ラインを上手くすり抜けて、双方の満足度が高いものを考えるのが遊び人の知恵だろうが、そんなことに余り頓着しないのが身勝手OYAJI流なのだ。

で、今朝の弁当メニューと云えば「冷凍の秋刀魚焼き」、更に冷凍の出来合品「肉団子の黒酢餡かけ」と「冷凍ウインナー」。焼いて、茹でて、お仕舞というお手軽さだ。

                     

然し、これだけじゃ面白くない。そこでサラダ系は「パスタ&野菜(人参・ジャガイモ・アスパラ・レタス・ゆで卵)」と、少しは手を掛けることにした。まあこれとて、茹でてオリーブ油や塩胡椒等で味付けをするだけのことだが。最後は定番の「卵焼き」で完了となった。

                           

たったこれだけの菜でも、弁当箱に収めるのには一苦労する。押し合いへし合いさせて、なんとか押し込んだ。ご飯の上に「明太子」をのっけて、一丁出来上がりだ・・・。

                      

 

量は抑えて作ったつもりだが、それでもたっぷりと余る。そこで、炊き立て熱々のご飯を友に朝飯を頂くことになるのだ・・・。これと、夜遅い帰宅での飯がよくない・・・ヨネ?しかし、これがいちばん旨いのよ!。だけど、こんな生活とも数日でお別れだ・・・・。四月から、なが~い弁当休暇に入る。

 

昨夜は21時過ぎに居酒屋「ちょっぷく」に向かった。夕方に連絡を貰った友人のHOSOKAWAが、福岡から戻り羽田空港から人形町まで直行で来ると云う。「一杯やりたね~」そんな電話だったが、福岡を発つのが19時ごろの予定だとか。『随分遅いな~』とはいったが、この前メンタイコを貰っているし、彼とは大学一年生の下宿で一緒になって以来の付き合いだからな・・・、『待ってるよ』と応えたのだ。

昨日は風があって寒かった。その寒風の中を背を丸めて〝ちょっぷく”のガラス戸を開けた。店は中々の盛況ぶりで、オーナー店長のYAMAちゃんのご機嫌も上々だ。寒かったので、レント(黒糖焼酎)の湯割りでスタートした。が、これが薄い。これじゃYAMAちゃんの人情以下だぜ!と文句を垂れた。

二杯目は、YAMAちゃんにチケットを渡して持ってきて貰う。散々に文句を垂れた効果か、今度はW程度の味になっていた。が、それでも『薄いんじゃなぃ~』と言ってみる。と、「冗談じゃない」とった。HOSOKAWAは未だ着かない、三杯目は芋焼酎に切り替えた。これもYAMAちゃんに持ってきて貰う。

誰かに貰ったのか、試供品なのか調理場の下からボトルを取りだして、チーフのヨっちゃんが注いでいる。このお湯割りも濃~い、どうやらYAMAちゃへの教育が効いたようだ・・・?。暫くしてチーフが「ARIさん、お酒のまないかな・・・」と、日本酒を持ってきてくれた。誰かのオーダを間違えて注いだのだろう、有難く頂戴した。

入店して45分が経過、体が十分に温もった頃、HOSOKAWAが着いた。彼は福岡のTV局のアドバイザーだとかで、今週から始まる新番組の関係で毎週のように福岡に入っている。最近のTV業界の状況や、新番組の見通しなど訊き、雑談をしてお開きにした。22時30分であった。

店を出る時にHOSOがいった一言「最近は、こう云う店で飲むのがいちばん落ち着くよな。この店は好きだよ」であった。仰るとおりだぜ!特に古からの友人と飲む酒は、気取らない店がいいな・・・・。

今夜も古くからの友人と言っていいだろう(30年の付き合いだから)、資材部門で一緒だった先輩、同僚、後輩との酒が待っている。話題は、松山で胃癌の手術を待つKATUTA君のことが主体になるかな・・・・。お見舞い、或いは激励に行こうと云うことになりそうだ・・・。

明日から日曜日まで、福岡~佐賀への旅となる。福岡市の出版社「石風社」のFUKUMOTO代表に会い、夜は佐賀で地球市民の会メンバーとの懇談。翌日は取材と「古賀武夫・生誕祭」である。ライターの橋本和喜氏が一緒だ。HOSOKAWAが金曜日に福岡入りすれば、FUKUMOTOさんを紹介することになった。

 

 

 

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掻揚げ&肉じゃが

2015-03-25 | Weblog

3/25(水) 今朝は五時前に目覚めてしまった。面白くもない仕事の夢を見ていたが、現在の仕事ではなく過去のサラリーマン時代のことであった。とはいえ、面白くもない夢は願い下げだ。

昨日は、午後に五反田の旧逓信病院に入院中の後輩、TUCHIDA君を見舞った。心配していたが、顔色はよく元気な姿に安心した。一時間ほど話をしたが、弊社で制作をさせてもらっている情報誌「ライフアシスト」のことを誉めてもらった。嬉しい限りである。

Tは、膵臓癌で一年前に大手術をした。結果は良好とのことであったが、先般肝臓への転移が発見され、今回の入院となったとのこと。治療の方針は明確(ラジオ波焼灼法)になっており、この日の夕刻に第二回の治療があるとのことだった。元気な姿にひと安心し、病院を後にした。

五時半、途中で山手線が一時ストップするというアクシデントに見舞われたが、代々木の某社の前に立った。仕事を終えて出てくるIKEGUHI氏を待った。ここから渋谷に移動し、奈加野へ。I氏の退職慰労の会食である。焼酎を飲みながら、氏の五十年に渡るサラリーマン人生のあれこれを聴いた。遅れて顔を出す予定のSHIMAKAWA君から、「仕事で出れなくなった」との連絡が入った。九時頃まで話を聞き、お開きにした。今夜も、帰りは早い。

そんな健康的な生活の所為か、五時前に目覚め、そのまま台所に向かったのである。

今日のメニューは全く考えていなかった。台所の食材を眺めながらメニューを決めて行った。先ずは「掻揚げ」が決定、次いで「肉じゃが」となった。三品目は、「茄子と挽肉の味噌炒め」にした。妹が送ってきた文旦(私の畑のものだが)の荷物に、茄子が入っていたのでこれを使う為である。煮茄子、揚げ茄子なども好きだが、弁当には嵩張りすぎる。

                        

最後、定番の「卵焼き」である。これがないと、弁当が締まらない気がするのだ。

                    

掻揚げがやたらと出来上がり、捨てたいぐらいだ・・・。タマネギ・人参・牛蒡・絹ザヤの野菜と、小エビ・小貝柱が少々入った掻揚げ。次いでに冷凍の餃子まで揚げてしまった。

                      

肉じゃがの方は、糸コンニャクにタマネギ、ニンジン・ジャガイモ、豚小間であった。茄子味噌炒めはピーマンを一つ細切にして加えた。

                      

以上で、弁当二つが、早々と完成したのである。

 

 

 

 

 

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カツ煮

2015-03-24 | Weblog

3/24(火) 桜咲く、のニュースが聞かれるようになった。昨年よりチョット遅いような気がするが・・・。私の思い過ごしかも知れない。

処で今朝の弁当だが、「カツ煮」がメインメニューとなった。とは云いながら、このエビフライとトンカツは、昨晩店仕舞い直前の学大駅脇のフライ専門店「サボテン」で買ったものだ。30%引きの札に魅かれて、弁当用にと求めた。一応は手を加えて、エビもトンもカツ煮に仕上げた。

そして、チンジャオロースーの素(タレ)を使った「チンジャオロース―」が二品目。三品目は、小エビを茹で味付けをした「出汁巻卵」、四品目は「小松菜和え」となった。

                      

例によって、沢山余った菜で朝御飯を一膳頂く。これも今月までのことだ、来月からゴールデンウィーク明けまで弁当作りは休止する。少しは腹もへっこもうと云うものだ・・・と、期待しているが。

                      

先週はアウエーでの飲み会つづきだった。昨晩は久々の気分で、地元人形町の酒場で一杯やり、帰宅した。「ローカーボ」から「ちょっぷく」と、馴染の酒場で、毎度の話をして引き上げた。切り上げが早かったので、学芸大学の「サボテン」でフライを買うことになった。帰宅は22時30分と、健康時間帯でのご帰還である。

昨日の午前中は御茶ノ水の某生協本部を、WAKABAYASHI氏の案内で訪問した。お会いした理事長も常務理事も、知ってはいるが親しい訳ではない。そこで、友人のW氏にお出ましを願った。W氏は現在、自分の母親と奥さんの母親も引き取って面倒を見ている。そんな状況で、時間を作るのが難しい中を遣り繰りしてくれた。挙句に、お土産まで頂いてしまった。律儀な友人である。

午後は、中野の某社で社長されているISHIKURAさんを訪問した。後輩のYの再就職の斡旋をお願いしたので、その御礼であった。Yを伴って二人での訪問。改めて一献の場を設けることにしている。ここから、目黒の某社を訪問したが・・・・、これはお詫びであった。

目黒の某社から依頼されている案件で、一寸した手違い、ミスが生じていた。それに関してのお詫びであった。お詫びがてら、新年度におけるセールス企画の話をしてきた。要は、内で企画を作るので一緒にやりましょう、と云う程度のジャブであるが・・・。話が終わった後、同じ会社に居るT氏に会いティータイム。

昼間、T氏から電話を貰っていたのだ。曰く「渡したい物があるけど、目黒に来る機会はないかな」と。『丁度、夕方に行くことになってるから…』と、伝えてあった。なんの用かと思いきや、仙台方面に行ってきたからと、お土産の温麺を貰った。タリーズコーヒーでお茶をして雑談。その中で、「KIYOTAさんから連絡があったけど、帯状疱疹が出来て痛がっていた。今週、東京に出てきて一杯やろうかと言ってたのに。おれじゃ無理だな」と云う話になった。

老人は色々と病気をするねぇ~、と言うのがオチであった。たしかに、KIYOTAさんの近年は軽い脳梗塞から頸椎損傷の大病と病がつづいている。四月にはゴルフに復帰すると言っていたが。さて、どうなることやら・・・。

重い温麺の箱を抱えて帰社することとなった。夕闇が迫る人形町駅を出ると、小雨が降っていた。そんな一日であった。

今夜は、渋谷「奈加野」に行く予定だ。TOKYOU・広報時代に一緒に仕事をしたIKEGUCHI氏が、今月末で完全リタイアされる。彼の「ご苦労さんでした」の一杯をやることにしている。当時、彼の配下にいた、SHIMAKAWA君にも来て貰う予定だ。三人で、ご一緒した三十年近くも前の話や、I氏の仕事人生を肴に一杯である。

 

 

 

 

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桜は未だ・・・

2015-03-23 | Weblog

3/20(金) 彼岸に入った20日(金)、朝一番の便で高知に向かった。前日の便を予約してあったのをすっかり勘違いし、この日の一番機で帰郷となった。何時もどおりに、妹夫妻が空港で迎えてくれた。有難いね~、この一言に尽きる。実家に向かう、途中の安芸市内の魚屋で地元獲れの刺身魚等、花屋でお墓や仏壇用の生花を求めた。

太平洋岸に沿った国道を生家へと向かう。桜は未だ咲いていなかった。昨年の彼岸には咲いていたのだが・・・、今年は少し遅いようだ。安田川沿いを2kmほど上った道沿いに、桜の木が十本ほどある。この内の一本だけ、満開の様相。これは山桜どそうな、他の染井吉野は未だ蕾のようだ。

午後から畑に出て草刈をすることにした。今回の帰省は短い、日曜日には帰京する予定だ。なるべく早めに作業を終えようということだ。畑は川を渡った東側に在る。川はここ二・三日の雨で増水していた。その所為で、畑の脇を流れている用水路も閉じられて水がなかった。

                    

用水路は川から引いている。増水すると、水路に石・砂利が流れ込むので取水口を閉じるのだ。これは川から水を取り入れている処はすべてそうであろう。その為に水当番が有る。

未だ三月なので、それほど草は伸びていない。先月の帰省でも下刈りをしたので草刈も楽なはずだが・・・、前日までの雨の所為で水をたっぷりと吸った草は重かった。結構な手間が掛かった。

            

              こんな草が・・・         ソルダムの樹           翌日には花が

翌、土曜日は畑に有機肥料を撒いた。樹木の根が活性化するこの時期に、今年初の栄養素の補給なのだ。昼前に隣町の資材店で骨粉入り油粕を買い、仏壇に供える果物などをスパーで買ってきたのだ。そして、残してあった文旦も収穫した。焚火をし、焼き芋をする。そんなことで一日半が終わり、日曜日の午後に帰京した。あっと云う間の帰省であったが、愉しいひと時であった。

                  

                 左の畝はジャガイモ         剪定に余念ない、HIROKATU

 

で、月曜日の弁当は簡略に「牛煮」と「オムレツ風」、「小松菜卵とじ」、出来合のシューマイと焼き鮭であった。

            

以上で、二人前の弁当である。

                       

 

 

 

 

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オムライス

2015-03-19 | Weblog

3/19(木) 今朝の弁当は「牛肉炒めプルコギ風」がメインの菜だ。今週登場予定のリストに上げてあったが、今日になって出番が訪れた次第。台所に立つと、電気釜の中に残りご飯が丼一杯程あった。この量があれば、二人分の弁当には足りる。ご飯を炊くかどうか、暫し悩む・・・。

先ずは菜の仕込みを先行し、ご飯を炊くかどうかは後に決断をすることにした。牛肉を取り出し、一緒に炒めるタマネギ・ピーマン・シメジを切る。箸休めの野菜系は、人参・ジャガイモ・ブロッコリで、温サラダ用に茹でる。それに、ゆで卵も一つ。

前夜のミートソースが残っていたので、これも使おうとパスタも少々茹でることにする。残り飯は、チキンライスにすることに決めたが、家人は白飯が好みだ。明太子が届いていたのでこれをお伴にするため、ご飯も炊くことにした。

             

余談だが、明太子は福岡市のTV局で顧問をし、毎月行っているHOSOKAWAが送ってきた。先日一杯やった時に、『明太子が届かないね~、旨い明太子は”稚加栄”という店だぜ。知ってるか?』と、プレッシャーを掛けておいた。日曜日だったか、彼から「住所教えろよ、稚加栄の店に来ている」と、観念したような声で電話があったのだ。折角届いたのだから、喰ってやらねばならぬ・・・。

こうして今朝も、たっぷりの菜が出来上がった。長女の弁当はチキンライスだが、仕上げに卵を載せてオムライス風にした。家人は炊き立てのご飯に、明太子が一切れ載った。

                          

弁当を詰め終えても、未だ二人分以上の菜とチキンライスが残っていた・・・。

               

 

昨夜は、上野広小路の安酒場で「剣道部OB会」があった。来月の帰省チケットの確認などをしていたらすっかり遅くなり、三十分も遅れてしまった。二十数名のメンバーが集まっていた。が、この内で一緒に汗を流したのは半分ほどしかいない。竹刀をゴルフクラブに代えてから久しいが、そのクラブからも縁がなくなった。

長いものは苦手になったか・・・、もともと性分に合わなかったのか?。今じゃ刃渡り六寸の包丁が手に馴染んでいる。往年の剣道青年も、弁当オヤジに成り下がった。後輩の一人、伸三郎が、私との付き合い年月を問うたので『三十年位か?』と云うと、そんなことはないでしょう、と云う。二人で指を折ってみると・・・。

四十余年になっていた。『それにしても、お前さんはちっとも変わらんなあ、道場で出会あったころと一緒だぜ』と、往時を懐かしんだ。

そんな夜だった。二次会はパスし、何処へも寄らずに帰宅。今週の帰宅は、連夜早い。今夜は、松山から上京するHOSHIKA君を迎え、これも三十数年前の後輩であるABE&ISHII・keiJirou君の四人で、恵比寿の居酒屋「田吾作」にて一献である。が、今夜も22時過ぎには帰宅できるだろう。恵比寿から、我が家のある駅は、たった三駅。楽だね~。

明日は、朝一番の便で帰郷する予定。今日の午後便を予約していたのを、すっかり忘れドジを踏んでしまった。帰京便も、仕事の都合で日曜日の最終便か、月曜日の朝一番に乗る予定。往復ともキャンセルとなった、大ドジで大ボケの顛末である。

 

 

 

 

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トンカツ

2015-03-18 | Weblog

3/18(水) 今朝方の夢も碌なもんじゃなかったよ。目覚めて暫く反芻していたら、いつのまにや霧消していた。そんなモヤモヤした気分を振り切るように、弁当作りに立った。

昨晩一昨晩と、三月末で退職される方の「ご苦労さま飲み会」であった。両晩とも六時ぐらいからスタート、三時間ほどでお開きになった。二次会はなし、そんなことで帰宅は22時過ぎと、何時もの安酒場巡りに比べると二時間は早い。その分、体を楽に感じるのは・・・・、歳はとりたくねぇ~な。

一昨晩は、グループ会社の監査役から顧問を経て退職をされる、労組出身の方だった。横須賀に勤務した時代からのお付き会いだが、近年疎遠だった。最近ご縁が出来た、この会社の常務さんにも同席頂いたが、三人が共通する知人・友人の名が次々とつながっていった。

世間は広いと云えども、所詮は二十数万人のグループ会社内のことだ。何処かで誰かと接点がある。この方のリタイア後のライフプランは、老母の介護と料理を覚える、であった。

昨晩は、鉄道系の広告代理店を退職される方の慰労会。慰労会ならぬ、却って相手を疲れさせているのかも・・・。その方は、趣味の音楽と小説を書くことがこれからのテーマとのこと。そのために、これから介護の仕事に就いて糧を得ると、思う処を語られた。昨年に介護資格も取って、新勤務先も既に決めてあるとのこと。その計画性とバイタリティに敬服であった。

数年ぶりに会った一昨晩の主客からは、「だいぶ齢をとりましたネ」と、言われてしまった。今月も残り少なくなったが、あと二件。リタイアされる方を労う場を予定している。皆さん相応な年令なので、二次会・三次会と流れないので助かる。哀しいかな、こっちもそう云う歳になっていた。

 

さて、弁当だ・・・。昨夜のうちに冷凍庫の豚肉を冷蔵に移しておいた。この豚肉で先ずは「トンカツ」にし、それから「カツ煮」へと進化?さすのだ。豚肉は二枚あるので、一枚だけカツ煮にすることにした。従って、「トンカツ」と「カツ煮」の二種が弁当に入る。更にサツマイモと人参・ジャガイモを、一っづつ素揚げした。

                    

他の菜は、申し上げ程度に「シューマイ」と「大根と豚肉煮」だが、シューマイは冷凍物、大根煮は昨夜の残り菜である。フライの残りパン粉・小麦粉・溶き卵にキャベツを刻み入れて「チジミ」にし、これも菜にする。

                  

以上が今朝のお仕事&遊びだが、これらを弁当に詰めるのが一苦労だ。何時もながらの小さな弁当箱に、全種を収めたい。最後はギュウギュウ詰となった。重さを図ると500g/箱だったが、果たしてこの量は多いのか少ないのか?

                  

 

 

 

 

 

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サンドイッチ

2015-03-17 | Weblog

3/17(火) 今朝は四時前に目が覚めてしまった。ラジオを点け放しで寝たのがいけなかったか・・・。四時じゃ幾らなんでも起きるには早すぎるし、本も読み終えたばかりだ。蒲団の中で弁当メニューを考えたりして、五時頃までじっと我慢の子だった。

弁当は予定どおりにサンドイッチだが、具を何にするか悩んでいた。卵の残りが少ない、胡瓜もない。結局起き抜けに、百メートル先に在るコンビニまで買い物に出掛けた。もう東の空が明るくなっていた。夜明けの早やさ、日没の遅さに、季節の移ろいを実感する。

さて、準備だ。先ずは、挽肉を取りだしてハンバーグを作ることにした。要はハンバーグサンドだ。カツサンドにしようかとも思ったが、手間が面倒だとハンバーグにした次第。

                        

後は「ポテトサラダ」に「アボガド&ツナ」これに、タマネギ・胡瓜・人参などの野菜にゆで卵が加わる。十枚切のパンをトーストし、これで準備は完了。

             

五セットのサンドイッチが完成した。さて、誰がどれだけ持って行くのか?

                   

 

 

 

 

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牛炒め

2015-03-16 | Weblog

3/16(月) 今日も暖かいが、明日はもっと陽気が良いとのこと。コート着ての、午前の外出では薄っすらと汗を掻いた。尤も、急いで訪問先を訪ねた所為もあるが。

午後は、来年から始まるそうな「マイナンバー制度」に関するセミナーを聞きに行く。会社も結構面倒なことをしなくてはならぬようだ。夜は、某社を完全リタイアする方の、慰労会をすることになっている。今週の夜は、そんなような予定で埋まったが、あれもこれも、こっちが声を掛けてのことだ。丁重に送り出さなくてはならぬ・・・何処へ?社会に?いやいや店の外へか・・・。

そんな冗談はさて置き、今朝の弁当に入ろう。今朝の目覚めは五時半頃だたろうが、起床は六時。それから一時間弱台所で遊んでいたが、大したものは作らない、作れない。

メインメニューは「牛小間炒め」、これに野菜のタマネギ・キャベツ・ピーマンを炒めて添えた。煮物は、里芋にしたが、餡かけ風の煮物になった(したんじゃない)。そして、小松菜のお浸しと、卵焼きである。毎日似たようなものばかりか・・・。

              

 

私の弁当事も、そろそろ春休みに入ろうかと思っている。四月一日からゴールデンウイーク明けまでの長期休暇を取り、次のステージに向けてのキャンプイン。遅ればせながら、失敗つづきの心身のシェイプアップを図ろうかと思っているが。どうなることやら。

昨日そんなことを告げたら、長女が「それやぁ、困ったな・・・」と言ったが・・・。自立しなさい!

                         

明日は、サンドイッチの予定だ・・・・・。

                         

 

 

 

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