オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

日曜日の散歩

2010-10-31 | Weblog
10/31(日) 心配された台風は何処かに去った様子。だが、台風一過の秋晴れとは望むべくもなかった。久し振りにゴルフクラブを振り(何しろコースに出る日が迫ってきたのだ)、散歩となった。

ゴルフ練習場から8時過ぎに戻り、メダカの餌やり。着替えをして、歩き始めた。ここのところ、天候不順や田舎へ行ったりで歩いてなかった。

清水池公園から円融寺を目指す。途中、向原の五叉路に碑文谷「鬼子母神十羅刹女堂」を見つけて立ち寄る。江戸期に創建された日蓮宗の寺だそうだが、この敷地内に「法界塚」なる古の塚があった。一説には5~6世紀の古墳時代のものとか・・・諸説あるようだが、詳しくは改めて。

                     

ここで、午前中に会う予定の友人のYさんに電話を入れる。氏の都合次第で散歩コースを定め、散歩帰りに会おうと云う算段。指定の時刻は一時間後となった。そのまま「林試の森公園」を目指して歩き始めたが、小糠雨となった。 

林試の森は、生憎の天気の所為か散歩やジョキング姿もまばら。公園をは半周して、学芸大学駅方面へ向かう。何時のまにや、木漏れ日が差してきた。           

この公園の木々は大きい「沙羅双樹」の木がある。縞百日紅の大樹ありと、木の名前を読み、樹勢を見て歩くだけでも面白い。流石に林試の森だけのことがある。
何年か前、ヤンゴンの寺院にて沙羅双樹(この下で、釈迦が悟りを開いたと伝えられる)の葉の先の形がパコダの尖塔の形になったと聞かされたことなどを思い出した。

10時半過ぎ、駅前の喫茶店にてYさんと会いコナ・コーヒーを受け取る。ハワイに本社があるチョコレート会社勤務のS氏にコナコーヒーを頼んだことなどすっかり忘れていた。が、Yさんが、先日ゴルフを一緒して預かってきてくれた。

コナ・コーヒーは美味い。値段がめちゃくちゃに高いが、それだけの価値があるコーヒーだと思う。(今回は、会社に在庫があったとかで頂戴してしまった)

今日は、散歩とコナ・コーヒーに乾杯!        
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築地市場

2010-10-30 | Weblog

10/30(土) 台風の襲来とかだが、スタッフが何名か出社している。締め切りを控えた(オーバーか?)仕事を抱えて追い込みの作業中。気の毒であるが、仕事のコントロールが出来ていない以上致し方なしか・・・。

先を読んだ仕事の段取り、進め方が必定であるが、それが出来ない。零細会社の悲しさでもある。これでは、何時まで経っても明るい未来が見えてこない。

そう云う私も、web版の原稿に着手するつもり出社したが手つかづでいる。

築地に行った。何時ものように奈加野の店主の後を付いて廻る。店で使い切れないと言うので、鰤の半身を店主と分け合うことにした。それに筋子を購った。
前回は味噌漬にしたので、今回は醤油漬けにする。さて、上手く行くか・・・。他には欲しいものなし。(台風の影響で品薄とのこと)

                       

ヤッチャ場の方を覗くと「四方竹」があった。これも1kgほど購った。実は、場外市場の店先で見かけたが、100g158円とあった。
場外に有ると云うことは、場内市場にあるはずと睨んでいた。こちらは、1kg1400円也。

地元の高知の日曜市で買うより断然安いのだ・・・。何だか釈然としない、えてして地元で買うと高いことは侭あることだが。

ブリは刺身、カマ焼・照り焼き・アラ煮となるか。そろそろ再スタートする予定の弁当のお菜と、出番は有るだろう。

台風で青森のリンゴを心配していたが、何とかコースが外れそうだ。急な零下でリンゴが相当痛めつけられているとも聞く。ここの所、弘前に縁が深いので気になっている。岩木山の麓に広がる林檎園はどうなっているのやら・・・。

宏さんの原稿もそろそろUPする頃だが・・・、明日の午後には読めるかな。

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鮎の甘露煮

2010-10-28 | Weblog

10/28(木) 朝から雨となり今日も寒そうだ。寒さの所為で体動かすのが億劫になっている。朝の運動も何もしないで風呂に入る。風呂に浸かりながら・・・ここの所、昼は連日隣の蕎麦屋で済ませている・・・久々に弁当を持っていくか、となった。

時間もないので出来合いの物で弁当の用意。先日、田舎の従兄弟から鮎を頂戴し「甘露煮」を作り置いた。これと、やはり田舎で見かけて買った「バナナピーマン」なるものと江リンギを軽く炒めた。それに土佐天と冷凍シューマイをお菜とした。 

                  
    
作夜の残りご飯に「ネギ味噌」(蕎麦屋からの戴きもの)を載せて簡単・手抜き弁当が出来上がった。

                        

「バナナピーマン」はシシトウと云うよりは万願寺唐辛子のような大きさである。色は薄いグリーン。説明書きには、生食が出来るあったが、今日は軽く炒めた。未だ味見をしていない初物である。

                       

田舎に行って面白いのは、旬の一時しか出回らないものや時には変わったものが手にはいること。写真はないが、「四方竹」という今の短い時期に生える筍{根本が四角)を入手してきた。小さい筍だが美味い。火曜日、これを煮て会社に持参した。これに、土佐ではニロギ(ヒイラギの葉のような小魚)と呼ぶ平たい干物とウルメを焼いて山賊の酒盛りとなった。

お祭に続き酒ばかり飲んでいるようだが、スタッフは懸命に働いている。酒を飲んでいるのはオヤジばかりなり。

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田舎にて

2010-10-26 | Weblog

10/22(金) 午前中のANAにて高知へと帰省する。午後、母の入院するリハビリ病院へと向かう。この病院に転院して10日余り経ったか、丁度入浴介助を受けてベッドに戻る時であった。一月前の入院時や時折聞いてきた電話の声に比べると随分と元気になっていた。

ギブスが取れるまでには、未だ一月余りも要するそうだが、リハビリも始まったことだし徐々に快復に向かうのを待つしかないだろう。

夕方、田舎の家に着くと暇な父が待ち構えていた。伯父も加わり先ずは一杯となった。何時もの光景であるが、従兄弟が持って来た鮎焼(一番脂が乗っている)を肴にビール・酒である。翌日は、一日畑にて蜜柑畑の草刈や野菜の種まきの予定。

23日(土)予定どおり8時頃から畑へ向かう。その前に朝食の用意を済ませたが、最近は親父も食が細くなったようだ。

一月前に草刈をした畑は、草もあまり伸びていない。午前中に粗方草刈が終わった。草を刈った後の畑をよくよく見ると、見慣れぬ糞がある。パチンコ玉ぐらいの丸い糞、兎にしては大きい。若しや鹿か?しかし、鹿がこんな処まで下りてくるのか?そう云えば、何本かの小さな蜜柑の木が切り取ったように枝が無くなっている。鹿に齧られたか!

                     

昼、妹の連れ合いで同級生のHirokatuに訊くと、鹿が沢山いるとのこと。これまでのハクビシンに加えて鹿か。空にはカラスに山鳩、地には鹿・ハクビシン加えて猿までが跋扈するようになった・・・。熊や猪・鹿・猿の話題は日本中でことかかなくなったが、我が故郷も同じことだった。

豊かになると云うことは、人間ばかりではなく動物も種を繁栄させ、美味しいものを楽に手に入れようとするようだ。夜間、畑には人の姿はなく、栗・柿・枇杷・ソルダム・無花果・蜜柑と季節ごとに果物がある。動物が頂戴しにくるのは致し方なしか・・・。

小さな畑に絹サヤ、ソラマメなどの手が要らぬ蔓科野菜のタネを播いた。明日は雨の予報だし丁度良い。

畑の隅に大好きなコスモスが咲いていた。 

畑仕事を終えて、三十八歳にして河岸へと度ったAkiraの墓に参る。伯父も最近訪れていないのか、枯れた葉が散らばっていた。掃除道具と榊を採って再び墓に登。
考えても詮無いことだが、あいつが生きていたらどんな暮らしをしていたのかと思ってしまう。


夜は、東京から持参した肉とシューマイで夕食の用意。親父と二人での食事。

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疲れ抜けず

2010-10-21 | Weblog
10/21(木) 依然として昨日までの疲れが取れない。祭りの後の片付けはスタッフのAOKI&AKAGIに任せたままとなった。

昼、屋台で出した「牛モツ煮込み」が残ったので社員が食すと云う。米が残っているので急遽一升を炊いた。ホカホカのご飯で「モツ丼」や「モツ煮」の食事となった。築地場外にある牛モツ専門店に負けぬ味だと思っているが・・・?

連日の飯炊きで、弁当オヤジならぬ飯炊きオヤジとなってしまった。新米、炊き立てのオニギリの味は格別である。家から持参した一升炊きの電気釜は会社に置いていくことにした。また、飯炊きオヤジをやろう。

                         
             
   
お祭には色んな方が来て下さったが、後輩のokada君が昨年に引き続き顔を出さない。「行きます」と云うメールは来るが、姿見えず。くれば来たで、虐められると心配しているのかな? 

そう云えば、来客を祭りに案内中、ふと前方の上空を見ると建設中の「スカイタワー?」だとか云う電波塔が屋台の先、空中に浮かんでいた。こんな処から見えるのかと、社内に戻って珍しげに話すと、皆知っていた。知らぬはオヤジばかりなりか。(下の写真の先に見える尖がったのがそうです)

                                                    

明日は、入院中の母の見舞いと蜜柑畑の草刈で帰省する。母もリハビリに入り、少し元気が出たようなのでひと安心した。
二月一度の帰省予定が、母の入院で毎月となった。これも致し方なしと云うところか。
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祭り

2010-10-20 | Weblog

10/20(水) 昨日から椙の森・寶田恵比寿神社の祭り(通称ベッタラ市)が始まった。土・日から屋台の出し物の準備を始め、帰宅してからも食材の用意と気忙しい時が続いた。お陰で、疲れ気味。挙句の果てに、今夜は以前勤めた会社の或る会の宴会である。

そうは云うが、すべて好んでのこと。愉しく、面白く受け止めよう。お陰で昨日はお客さんが大勢見えてくれた。祭りも盛り上がるというものだ。

連日、米を四升づつ炊き、五目すし(土佐風の田舎ちらし)やオムスビ作り、牛煮込み・安納芋を蒸かしたりと席を暖める余裕がない。当社のや屋台に御客さまを案内しても極力アルコールは控え目にした。

                            
     
                               寶田神社

何と云っても幻と冠詞がつく「森伊蔵」一杯2000円、「村尾」1500円と、高額な値を付けて見たがプレミアム焼酎ながら流石に売れ行きは芳しくなかった。最も屋台の方はスタッフに一任し、私は社内で飯炊き・飯作りに専念している。
                         
時折、お客さまを案内して行くと、屋台が並ぶ通りは夕方には身動きが取れないほどの混雑だった。
今日は雨の心配もあったが、何とか持ちそうだ。大いに盛り上がってほしい。

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喰いしんぼう

2010-10-18 | Weblog
10/18(月) 土曜・日曜とお祭(ベッタラ市)で使う出しもの「牛モツ煮込み」を煮込み始めた。日曜日、八丁味噌を漸く探しあてて牛モツを煮込むとひと味違ってきた。

昨夜は遅い時間になったが、土佐の田舎五目すし用の具を作り始めた。家人の助っ人を当てにしていたが、生憎郷里での法事に出かけて帰ってこない。夜中かまでかかって人参・椎茸・蓮根・筍を刻み大きな鍋で煮た。これで、ひと安心。後は当日の仕事となる。

仕事と云えば、本来の仕事もこれくらい豆にやれば相当に業績がupするだろう・・・・。

作夜の帰宅は19時前、それから晩飯の用意を始めた。長女・長男と三人での夕食だが、前夜に「鮎飯」と「鰹のタタキ」を作ると宣言してあった。

鮎は今年最後の漁で従兄弟が捕ったものが3・4日前に届いた。夏の鮎と違って体も大きくなって、腹のあたりが婚姻色の朱鷺色に、脂ものり旨そうだ。
鰹は土曜日、祭りの買出し前に築地の場内市場で買ったもの。半身残っているからと知り合いの魚屋に言われて買った。土曜日に少し食したが美味かった。

鮎も鰹も少々焼いてからが調理のしどころ。作り方は企業秘密で詳細は省くが、土佐の新米、柚子酢ともマッチして上々の出来上がりとなった。鮎飯に三匹入れるつもだったが、鮎が大きくなり、飯盒からはみ出し二匹で由とした。

                         

食い物ついでにもう一つ食いしん坊話。
過日、友人のAkimoto(海老屋本店主)氏から「松茸」(国内産)が届いた。貧乏なオヤジのことを慮ってか、普段口に出来ない代物を送ってくれたようだ。それも盛沢山に。ありがたく、敬意を表しつつ頂戴する。

                         

今年は松茸が豊作と報じられているが、これだけ立派な代物は見たことがない。(汗顔・赤面するばかり也)
焼き物・吸い物・炊き込み御飯と十二分に堪能させていただいた。歯触り、香り、姿、満点でございました。

美味しいものは心を潤おわし、舌と脳みそを喜ばせる。そして体を肥やして下さる。我が減量作戦の成就や如何に?当分は・・・お預け!・・・ワンワン。
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森のイスキヤⅡ

2010-10-16 | Weblog

10月16日(土) ここのところ慌ただしい日がつづいている。落ち着いてblogをupする余裕がなかった。今日は、来週に控えたお祭(べったら市)の準備でオールドボーイ達と築地に用品類の買出し。その後は、会社にて出し物の試作。

さて、どんなものが出来上がるやら・・・。お祭りの屋台の場所も決まったが、狭い。去年と同じような場所だが、もう少しスペースが欲しいところ。
19日(火)20(水)と慌ただしいのは致し方なし、皆さんが楽しんでくれればいいのだが。


「森のイスキヤ」に佐藤初女さんを訪ねて、早や一週間が経った。段々と記憶がぼやけてくるが、昨日カメラマンの杉田君が撮った写真が届き記憶を新たにしてくれた。

春にお会いした時よりお元気なご様子。食事の合い間に、10年前に取材したPR誌をお見せした。席を変えてじっくりとお読みになる。読み終えてインタビューの場に戻り「これは誰が書きましたか」と仰る。そして「私が考えていたことが、とってもよく書かれています」とのこと。

勿論、ライターは今・此処でインタビュー中の宏さんである。少し照れていたか。
以前のとおり、初女さんの挙措、話しかたはゆったりしているが無駄がない。デザートに出た蒸栗の剥きかたが実に美しい。(食事の時にご飯をよそいに行かれたが、実に丁寧で無駄な動きがなかった。多分、カメラマンのためにわざわざこの動きをされたように思える)

                            

私なりに、初女さんのことを一言で表現するなれば「丁寧に、丁寧に生きておられる人」となろうか。その丁寧さは半端ではない。森羅万象、いきとし生けるものすべてに対してそうである。そう云う方に出会い、接して貰える機会を得るのは仕事冥利に尽きる。

甘えてすっかり遅くなった。私達が車に移動すると、スタッフの女性たちが全員傘をさして見送って下さった。雨の中、あの教会の鐘が打ち鳴らされ、森へ空へと響いた。
初女さんは、明け放された扉の向う、玄関の板の間に正座しておられた。

清々しい思いで「森のイスキア」を辞去した。

余談だが、宏さんがイタリヤ半島の小島、イスキア島を訪れたのは10年前の取材の後のことである。今、またこうしてここを訪れるのも、何かの糸で繋がっていると云うことか・・・。

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森のイスキヤ

2010-10-13 | Weblog
10月9日土曜日、岩木山の麓の木村秋則さんの林檎園で色付いたリンゴを観た後「森のイスキヤ」に向かった。生憎と雨が降り出した。

岩木山の麓、嶽温泉から湯段温泉へと一直線の下りの道が続く。途中にある湿原には春、水芭蕉が咲き雪解けの水が流れていた。今は萱や水芭蕉の茎が生い茂っていた。雨のなか水辺の散歩道から岩木山を撮る。桜の小木が早や色付いている。

                      

約束の時間より早いが、雨が強くなりそうなので「森のイスキヤ」を訪問。挨拶もそこそこに、周りの撮影をさせて頂く。十数年前「地球交響曲第二番」で写っていた白樺の木も大きくなった。建物正面の軒先にあった鐘も鐘楼が建った。

                       

宏さんが、カメラマンの杉田君に建物北側の階段を指して「4月、あそこに積もっていた凍った雪の雪掻きをやったんだ。昼飯をご馳走になり、何か手伝いをして行こうと云うことで始めたが、結構大変だったよ」等と言っていた。あれから五ヶ月半、こんな形で訪れることになるとは思っていなかった・・・。
そう云えば、カメラマンの杉田君は十年前「FUSION」誌の取材でも宏さんに同行していた。

外の撮影を終え、雨が強くなる前にと初女さんに入り口の立姿の写真をお願いした。玄関先で、禄な挨拶もしないままに立って貰った。何でも静に受け入れて下さる、初女さんらしい、たおやかな立ち振る舞いである。

                        

そして漸く、屋内に入った。これからインタビューとなる。が、その前に食事が出てきた。喜んで頂戴する。カメラマンの杉田が、訪問前に食事を済まそうと言ったが待たせた。こういうシーンも想定していた、これも撮影をしたかったのだ。(初女さんのスタッフから、事前に言って下さいと釘をさされてしまったが)

                                                     

一汁六菜、汁には南瓜が入っている。椎茸焼(これが美味い)、焼き魚(菊御浸し付き)、掻揚、白菜酢物、野菜煮物、香の物であった。初女さんがご飯をよそって下さる。カメラマンはすかさず撮りに動いた。因みに、デザートに新高梨と栗が供された。至福のひと時、等と言っている場合ではないが、至福であった。

食事を摂りながらポツリ・ポツリと話が動き出した・・・。(続きは、いずれまた)
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木村さんのリンゴ

2010-10-12 | Weblog

10/9(土) 津軽は雲が垂れ込めて降りそうな空模様だった。そんなこともあり、予定より早く行動を開始する。

今日は、佐藤初女さんの取材が1時からの予定。岩木山の麓、湯段温泉の別荘エリアとなる一角に「森のイスキヤ」は在り、此処で取材をさせて頂く。撮影の関係もあり、当方からご無理を申し上げた結果である。

折角弘前に来て、岩木山の麓での取材。あの奇跡のリンゴ「木村秋則」さんのリンゴ園を見て観たいではないか。6月、木村さんを取材した同行の宏さんも同じ思い出である。(正確には、初女さん取材の宏さんに私が同行)

カメラマンの杉田君が運転する車で、鰺ヶ沢街道を岩木山の麓に至る。ナビゲータは、宏さんである。6月の取材で林檎園を訪ねている。宏さんの乏しい記憶を頼りに道を進む。街道沿いは秋の花が咲き奇麗だが、秋空の下であったら最高だろう・・・。

支線道路から、車一台が入れる農道を進む。目の前は岩木山、両サイドはリンゴ畑が続く。暫く行くと木村さんのリンゴ畑が、右手に在った。「リンゴ自然栽培実証試験園」の看板が出ており、関係者以外立ち入り禁止と記されている。側道から写真を撮る。

                      

畑の一隅を指しながら、宏さん曰く「木村さんは死のうと、此処の処でロープを三つ編みにして、この道を岩木山に向かって行ったんだよ。遠くから微かにネプタ祭りの太鼓と笛の音が聞こえたそうだ」と。この場所で、木村さんから直接聞いた話である。
                        
                        岩木山を望むリンゴ園

残念ながら畑に人の姿はなく、木村さんに会うことは出来なかった。一言聞きたかったな、今年に出来栄えはいかがですか?


6月初旬、花が終りリンゴの木は未だ実を付けていないだろう。この畑にリンゴの実が稔り、色付いた姿を描き続けていた宏さんは流石に感慨深けであった。


                                             


リンゴ園を後に「森のイスキア」へと向かう。心配していた雨が降り出した。

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