大川小学校で大勢の子供たちと先生がなくなった
なぜ、すぐに避難しなかったのか?
子供たちは最期までどう生きたのか?
それを明らかにするために戦った親たちの記録
『生きる』
観てよかったし、映画化されてよかったと心底感じた。
なぜ裁判をせねばならなかったのか?! その気持ちがわかったからである。
「学校は・・・・場所でなくてはならぬ」
その判決文が、親たちの気持ちを救ってくれた。
自分も、2011年4月、救援物資を届けて回る途中で、大川小に寄った。
が、念が残っているようで近づくことはできなかった。
玄関にお花がたくさん供えられていたのを思い出す。
子を失った親は、そこで時間が止まっているのだ。
亡くなった子どもたち、先生方のご冥福を祈る。
NO SEAT を防ぐため 今回は 予約した
田端を後にしたのは、13時。
そこから立石まで歩いていこう。
大通りはなるべく避けて、路地を歩くのこそ面白い。
田端新町 ⇒東尾久1丁目⇒荒川5丁目⇒4丁目⇒2丁目
歩いていると、以前に食べに来た「光栄軒」に出てしまった。
デカ盛りのお店である。 あいにく月曜は休みだった。
町中華に誘われて 荒川区「光栄軒」の巻 - ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき (goo.ne.jp)
好きな路地は、 どうしても同じになるのかもしれない。
この道はいつか来た道~♪ ああ、そうだよ。
ついでに、以前にも見た、空き地を畑で利用していた「みんなの畑」もどうなっているか、
気になったので足を延ばすと
隣家は解体中だったが、しっかりと生きていた
そのまま足を東へ向ける。
ふと空を見上げると たくさんの風船が北西から東へと流れている。
どこかで何かを記念して飛ばしたのか?
小学校の卒業式だろうか? 時刻は13時50分
子どもたちの歓声が聞こえたようだった。
荒川2丁目⇒1丁目⇒
荒川区役所の背後を抜けて都電の線路に沿って歩く。
アーケード商店街が見えたので、そちらを抜けることにした。
「ジョイフル三の輪商店街」 しかし、思いのほか空き店舗が多く、
いくつかの空き店舗でパブリックスペース活用がされていた。
「なにかし堂」
⇒南千住1丁目⇒南千住5丁目⇒
南千住駅には松尾芭蕉の像があった。 ここから芭蕉は奥の細道の旅に出る。(実際は南千住駅前ではない)
行く春や 鳥啼 魚の目は泪
千住といふところにて舟をあがれば前途三千里の思ひ胸にふさがりて幻の巷に離別の涙をそそく
汐入というところ 駅からの道は団地や高層マンションでビル風がすごかった
南千住4丁目⇒8丁目⇒隅田川を渡る⇒堤通2丁目 ⇒墨田2⇒3⇒4丁目
隅田川 水神大橋
東武線の 鐘ヶ淵駅の踏切を過ぎて、まっすぐの道を進み、荒川を渡る。
風が強くて 自転車の人も押して歩く。
荒川 四つ木橋 波が逆立っていた
四つ木に入ると、「四つ木メダカの小道」が。
地下の下水管の上に自然再生の意図をもって設置された水路。
市で言えば 砂川堀の「せせらぎ水路」と同じ
四つ木1丁目⇒2丁目 ⇒東立石3丁目⇒立石1丁目ときて、4時ジャスト立石の「うちだ」へ。
40分ほど並んで入店。
その日は、立石でもう一軒。さらに、小手指の日高屋でタンメンをたべ、帰宅。
本日の歩数は22721歩 17km歩いたらしい。
しかし、記憶は途中から、ありません。
記録より記憶が残る男になりたい。