たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

猿田彦その 14 高師小僧

2021-11-30 05:59:30 | 歴史
サホヒコ、サタヒコ達は、どれくらい御津神社に滞在したか分かりませんけど、その後、砥鹿神社奥宮へ

移動したのでしょう。

豊川河口付近には、高師小僧という褐鉄鉱が産出します

現在は、見つけることが出来ないそうですけど、当時、サタヒコ達はこれを利用して製鉄を行ったのだろうか?

情報が何もないので、お手上げです。彼らは、この地から諏訪に向かいますけど、なぜ諏訪なのか

鉄が関係しているようですけど、それ以上はわからない。


神話はありますけど、それは、後から作られたように思います。

豊川河口付近の地図です。5m海面を上げてあります。

高師とあるところは、高師小僧が採れるところです。

少し南に位置するので彼らは、行かなかったかもしれませんね。

あまり、この地区のことを詳しく調べているわけではありませんので、レイラインはわかりません。

彼らがどれくらいこの地にとどまったのかもわかりませんけど、それほど長くはないと思います。



余談ですけど、愛知県以外から来られた人は、この地域の名前に「豊」が付くところが多いので

混乱すると言われます。豊橋、豊川、豊田とこれってもしかすると、

オトヨ(乎止与命)」の「トヨ」から来ているのでしょうか?

オトヨ=サタヒコです。
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水耕栽培その後

2021-11-29 07:52:21 | 植物
だいぶ日にちが経ってしまいました。

まず、撫子はどうなったか?これは以前の画像です


今日の様子は


花芽はまだ確認できません。光が弱いので花が付くか分かりません。様子見です。

根が緑色なのは、肥料の影響でしょう。


次に、ラセンイの、以前の画像です


そして、今日の状態は


画像では分かりにくいですけど、根の量がかなり増えています。

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猿田彦その 13 御津神社(みとじんじゃ)、御舳玉神社(おへたまじんじゃ)

2021-11-28 15:00:52 | 歴史
御津町商工会のHPより引用します
御津神社より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
御祭神は伊勢より船にて渡来せられ、船の着いたところを船津といい、お供の神として磯宮かじとり大神、船津大神、お舳玉大神が隋従せられました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


御舳玉神社より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上陸なされた所に船津社がありこれは今の船津橋附近ですが、磯宮社は御津北部保育園の北隣にその旧跡を存じております。この2社は後に移されて御津神社境内になりますが御舳玉神社は茂松村の氏神様として現在地に御鎮座となりました。創立はほぼ御津神社と同じころと思われます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これから想像すると、磯宮かじとり大神、船津大神は、サホヒコの息子、

つまり、事代主神、建御名方神となり、お舳玉大神は、サタヒコと考えられます。

サタヒコも同時に船で、来たように書かれていますけど、もしそうならば、合流した場所が話として残っている可能性がありますけど、それは今のところ確認できません。

さらに、そうならば到着した場所はこの御津ではなく、豊川河口付近が適当な場所になると推測します

それから、御舳玉神社の御祭神は住吉大神ですけど、これは、後になってのことで、最初は

「御舳玉大明神」らしいです。そしてこの神社は場所が別です。

「舳玉」とは何だろう?  「舳」「へ」と読むそうです。船の前部のこと。

「玉」は、石の美しく貴いもの。すぐれているものなどですけど、思い当たることは

スクナヒコナ(猿田彦の別名)の乗る船は、「天之羅摩船」(あめのかがみのふね)と言います。

いろいろな説がありますけど、この船には「かがみ」のような艶のある木が使われていたという話があります。

久しぶりの妄想ですけど、この光り輝く木で出来た船に乗ってきた神様と言う意味かもしれません。

何の木だったっけ?  ちょっと待ってくださいよ・・・・探したけど分からない・・・

後ほど・・・

住吉大神は、サタヒコが御津神社についたときには、まだ、生まれていません。

以上の理由から、御舳玉神社は、サタヒコのとどまった場所ではありますが、神社になったのは、

サタヒコが、猿投神社にやって来た頃の晩年と推測します。

本人が、この場所に再びやってきてそこに、この「御舳玉神社」を建てたのかもしれませんね。。。




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これすごくない?

2021-11-28 07:17:26 | Weblog
はじめ何が面白いのかわからなかった・・・


よく見ると・・・

こちらの記事です「インフィニティキューブテーブル」
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猿田彦その 12 サホヒコと合流

2021-11-27 06:09:43 | 歴史
伊勢を追い出され、熱田の港を目指したサホヒコですけど、風に流され三河湾に入っていきます。

そこでたどり着いたところが、御津神社


御津神社から見た三河本宮山


お互い狼煙を上げれば位置が分かりますね。

それから、サタヒコは本宮山を下り、豊川にたどり着きます。

再び、カヌーを作り三河湾に出て、海岸沿いに御津神社にたどり着いたのではないでしょうか。




当時の海岸線予想 海面を5m上げた図です




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猿田彦その 11 本宮山

2021-11-25 05:54:21 | 歴史
本宮山の頂上付近には、国見岩があります。このあたりです。



サタヒコは、ここから、伊勢津彦=サホヒコ=大国主を探したのではないでしょうか。

山頂で、狼煙を上げたのでしょう。


国見岩は「昔、大己貴命がこの岩山に神霊を留め、この岩上から国見をして、“穂の国”を造ったといわれる」場所とのこと。

そこの近くに、岩戸神社があり、そこの祭神は、 大己貴命です。

大己貴命=大国主神ですので、=伊勢津彦=サホヒコ(この関係はおいらしか言ってないかも)。

レイラインを調べるとそうなります













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猿田彦その 10 矢作川から砥鹿神社奥宮

2021-11-24 06:21:16 | 歴史
矢作川を下るには、カヌーのようなものを作りそれで下ったと思います。

その後のルートは、最初,海に出たのかなと思いましたけど、そうでは無く、見晴らしの良い山頂を

選んだのではないかと探したら、「石座神社」(いわくらじんじゃ)が、本宮山の近くにありました。

主祭神は火明之命。これで決まりですね。。。

矢作川から乙川を遡るとここに来ます。

ここで一泊した後に、現在の「くらがり渓谷」から本宮山の山頂を目指したのだと思います。


以前書いた「石座神社」では、「御船町」と言う所で船を作ったのではないかと書いています。

ここには、「御船川」と言う川も流れています。この川を下ったのだろうか?

ならば、猿投山の北側を通ったことになります。

調べると、御船町には白鬚草生息地というところがありました。

「白鬚」・・・サタヒコのことです。

白鬚神社の祭神は、猿田彦です。そこから名前が付いたのでしょうか?

ならば、サタヒコが猿投神社に来てからのことになります。彼の晩年ですね。

ですから、御船川は候補から外した方がいいようですね。

気になったので、出かけましたけど、仕事終わってから出かけたので到着した時はすでに

真っ暗・・・案内の看板だけ見て帰りました・・・

白鬚草生息地のすぐ近くには、お舟石と言う大きな岩があるようです。以下、場所です




大目神社より猿投山の北側を東に向かうと、飯野川に出ます。それを下るとやはり矢作川に出ます。

御船川が、矢作川と合流する少し上流で、これも合流します。

今回、この飯野川沿いを車で走ってきました。すでに暗かったので景色は見られませんでしたね。

今の時期、紅葉がきれいなのでしょうけど・・・

とりあえず、このルートも候補の一つとしておきたいですね。

なので、船を作った場所は、候補として、飯野川、籠川(広沢川が籠川になります)

の付近でしょう。そこから矢作川を下ったと思います。
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猿田彦その9 高蔵神社から矢作川

2021-11-22 17:50:20 | 歴史
その7で書いたように、サタヒコは、サホヒコ(伊勢津彦)と合流するために、春日井の高蔵神社

から、三河の本宮山を目指して出かけます。



高蔵神社からは、水野川をさかのぼり、その後、地図には名前がありませんけど、深川神社までの

細い川沿いに進んだと思います。

それから、またしても名前のない川ですけどそれを遡り、大目神社にたどり着きます。

そこからは、赤津川を遡り猿投神社東の宮を通り、今度は広沢川を下ります。

そして、矢作川に出ます。

地図の距離では31kmぐらいですけど、実際はもっとあり40kmぐらいかもしれません。

急いでいたとしても、1日では行けないでしょう。山の頂上で見晴らしの良い「猿投神社東の宮」

付近で一泊したかもしれません。

レイラインもあります


これが何時測量されたものか分かりませんけど、おそらくサタヒコの晩年、つまり

猿投神社に住むようになってからと考えるのが適当かと思います。



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猿田彦その8 美濃から尾張の高蔵神社までの道

2021-11-19 13:59:08 | 歴史
当時の道は、ほとんど川沿いに進みます。

なので、川の流れが、今と同じ流れならばわりと容易く見つけることが出来るのですけど

流れが変わっているところは、頭を悩ませますね。

とりあえず、地図に主な場所を落とし込んでみました。



琴塚古墳は、景行天皇の妻なので時代が少し新しいですけど、そのすぐ近くを川が流れていますので

参考のため載せました。村神神社に近いです。


石亀神社も時代が違いますけど、東山道がその前を通っています。

すぐ近くに、一輪山古墳があります。そちらを載せればよかったですね。


村上神社から、石亀神社までは、境川がありますけど、現在は「新境川」になっていますので

少し流れが今と違うと思います。船山北古墳群と言う所があるので、その近くを通ったのでしょう。

木曽川を渡って、犬山に行きますけど、現在の犬山城付近は、昔は、「渡し」ではなく「渡り」と言って、川の水位が低い時には岩が出ていて、歩いて渡れたそうです。

現在の、ライン大橋のある所です。今でも水位が低いと岩が見えますよ。

大縣神社までは、川がありません。新郷瀬川と言う川は、1934年に造られた人工河川です。

こちら参考にどうぞ。

旧妙見宮奥之院とは、内津神社の奥宮と思います。

入鹿池から東に向け川沿いに行けるようですけど、まだ行ったことがありません・・・

内津神社からは、春日井市 都市緑化植物園まで、川沿いに道があります。

この道は何度か通りました。

以上が、おいらの想像する当時の道です。






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猿田彦 その7

2021-11-18 12:45:12 | 歴史
サホヒコは、「垂仁天皇の頃に謀反を起こす」とされていますけど、「嘘」です。

実際は逆で、伊勢に居たサホヒコ(伊勢津彦)は大和朝廷に攻め込まれ、伊勢から追い出されます。

281年頃です。サタヒコ31歳ぐらい、彦坐王51歳ぐらい。

サホヒコは、船で伊勢を離れます。

その時、サホヒコは熱田神宮に向かおうとしていたのかもしれません。←PSこれ間違いです。
この時点では、まだ熱田神宮はありません。春日井の製鉄の場所を知られないようにわざと
三河に向かったと推測します。

ですが、風が強くてやや南に流され、たどり着いたところが、「御津神社(みとじんじゃ)」

一方、サタヒコは、高座神社付近に居ましたが、サホヒコと合流するために三河の本宮山に行きます。

詳しくはこちらでどうぞ。



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明日は月食ですね

2021-11-18 06:23:26 | Weblog
明日、11月19日(金)の夕方、部分月食が起こるそうです。

直径で月の97.8%が欠けるほぼ「皆既月食」に近いとのこと。

食の最大時は、18時2分だそうです。

天気はどうなのでしょう?

見てみましょうか。


たぶん、白い所が雲と思います。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
国立天文台では東京都にある三鷹キャンパスから、このほぼ皆既と言える「部分月食」をライブ配信します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とのことです。

こちらですね。

https://www.youtube.com/watch?v=mwrKHHRLxkk


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猿田彦 その6 高蔵神社

2021-11-17 15:33:42 | 歴史
サホヒコは、250年ごろ生誕。 

266年頃伊勢に行きます。サホヒコ16歳、彦坐王36歳ぐらい。

おそらくその前に、サタヒコは生まれているでしょう。

その後、いつ頃かは分かりませんけど、彦坐王は愛知県春日井市の高蔵神社付近に移動します。

270年代のことと推測します。

なぜそこに行ったかは、分かりません。

高蔵神社付近は、鉄鉱石もしくは砂鉄が産出します。

それを利用して、製鉄をすることが目的と考えましたけど、

美濃の金生山を通り過ぎていることを考えると、彦坐王は製鉄とは無関係か、ほんの小規模の製鉄しか行っていなかったかもしれません。

むしろ、伊勢との交易をするために、現在の熱田神宮付近を拠点としようとしたのかもしれません。

春日井の高蔵神社から庄内川を下ると、熱田神宮近くに出ます。





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猿田彦その5 結神社(むすぶじんじゃ)画像です

2021-11-16 06:04:28 | 歴史
入り口は、南側。


本殿は一段と高い所にあります










入り口の東側です。すでにここから低くなっています。


東を見ると、右の山が、金華山。左の山との間が方々津神社のあたりと思います。


駐車場から西を見たところ


美濃路(昔の鎌倉街道)が、神社の前を通っていることは、後で知りました。  残念。

地図を見ていたら、方々津神社から、鳥羽川と言う川が流れています。

それが、伊自良川と合流して結神社近くで、長良川と合流しています。

当時の流れは、現在と違うかもしれませんけど、この川沿いに移動したと考えられます。

それはそうと、ここは、縁結びのパワースポットとして有名らしい!

そういえば、若い女性の方がいらっしゃいました。

そんなところに、おいらのような「じじい」が訪問するのは場違い?




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猿田彦 その4 結大明神 

2021-11-15 11:03:27 | 歴史
サタヒコが生まれ育った「方々津神社」付近からは、当時の海までいくらか距離があると思います。

長良川を船で下るには問題はありませんけど、遡ることはできません。

ですから、海に面したどこかの河口付近に、船を係留するための港があると思います。

そこから、徒歩で方々津神社方面に移動したと考えるのが適当かと思います。

そうすると、長良川を渡らない右岸にあるのでは。

当時の地形を探ってみましょうか。いつものように海面を上げてみます。

今回は、河口付近なので少し高めの設定、6m上昇の地図を見てみましょう。


「結神社(結大明神)」と書いたところが、その条件に合う場所かと思うのです。





こちらから引用させていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「結神社」は明治37年までは現在の西方280メートルの位置に位置しており、「結大明神」と呼ばれる大きな神社でした。

元の境内は今の3倍の敷地があったと言われており、参道は美濃路(昔の鎌倉街道)に通じていました。江戸時代は参勤交代や歌人、商人や歴史人が通行した記録もたくさん残っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



右上の駐車場と書いてある所は、標高6.3m。

現在の結神社は、8.9m。

元の場所は、現在、川との境ぐらいなので少し低いですけど、少し東では9.4m。

幅が300mほどの半島のような地形と、想像できます。

そういえば、猿投神社から見つかったと言われる古地図がありましたね。

それにわかっている場所を書き込んでみましょうか


どうでしょう?


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猿田彦 その3

2021-11-14 21:06:39 | 歴史
彦坐王が、伊勢からいつごろ帰ったかは分かりません。

おそらく、何度も往復していると思います。

人や物も行き来しているでしょう。

そのために、中継基地を作るのですけど、出発場所を、美濃の金華山付近に変更しなければなりません。

以前は、伊久良河宮付近が出発地点と考えていましたけれど、今までの調べでは、

伊久良河宮は、サタヒコの息子である「神大根王=迦邇米雷王(かにめいかずちのみこ)」が、住んだ

所と考えますので、中継地点から外します。


いろいろと書きたいことがたくさんありますけど、仕事が忙しくてなかなか書けません。

短いですけど、これからも少しづつ書きますのでお楽しみに。。。

新しい場所発見しましたよ!



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