たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

神功皇后

2021-02-23 11:14:47 | レイライン

神坂神社の祭神に書いてありますけど、山代之大筒木真若王(やましろのおおつつきまわかのみこ)と言う人物は、

朝廷別王の可能性が高いと思います。

神功皇后の曽祖父になります。

その神功皇后の夫が仲哀天皇です。おいらこの時代のことはほとんど知りませんので、

あまり多くのことを書きませんけど、いろいろ調べていて驚いたことがあります。

おいらがよく参考にさせて頂いている、「水石亭主さん」のブログで、

古墳から見た大和の古代 その22に書かれていることです。

内容は、「「日本書紀」の編纂者は、建前としては仲哀天皇の子を応神天皇とせざるを得ないが、事実はそうでないとほのめかしている」というところ。

こんな感じ


これが事実だとすると、この時点で、崇神天皇の血筋は絶たれて、彦坐王の血筋に代わったことになります。

この血筋は、現在まで続いているそうです。

でも、今まで彦坐王とそのファミリーのことは隠されるような扱いを受けています。

日本書紀を編集した時代においては、朝廷はそのような事実を知らなかったということでしょうか。

しかし、日本書紀を編集した人物はそのことを知っていたということになります。

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天宇受賣命(あめのうずめのみこと)

2021-02-18 13:37:28 | レイライン
天宇受賣命(あめのうずめのみこと)とはどのような人か?

いろいろと分析されているようです。こちらが詳しいでしょうか

レイラインがあれば、何かわかるかもしれませんね。

まず、千代神社 (滋賀県彦根市)を調べます。



本当は、訪問してから記事を書きたかったのですけど、コロナの影響で自粛してます。


御祭神  天宇受賣命  

配祀神  猿田彦命 大物主命

岩戸隠れと、天孫降臨を見ると、崇神天皇側の人物のように書かれていますけど、

千代神社の祭神、配祀神はみな彦坐王側の人物です。

さて、レイラインは

いつもお世話になっている日の出日の入りマップです

今回、高座神社の位置がはっきりしたので、あらためて白髭神社のレイラインを見ます

今年、2021年の春分の日の日没です



前にも書きましたけど、春分の日と秋分の日は年によって日にちが変わります。

春分の瞬間は、毎年約6時間ずつ遅くなっていくそうです。4年でおよそ元の位置に帰るようです。

レイラインの測量者たちは、どのようにして測量をしているのか分かりません

ですから、4年の中で一番適当なラインを探します


古墳の位置か、それより少し上の場所と思います。何か特別な場所があったのかもしれません。

それとも、1700年前は少し場所が違うかもしれません。専門家ではないのでこれくらいにしておきます。


千代神社は


元々の場所は違うようです。姫袋古墳と言う場所の近くかもしれません。


ところが、もう一つのレイラインらしきものがあるのです。

なんと、小浜市の白髭神社からの冬至の日の出のラインがあるのです。




少し誤差があります

この誤差をどう解釈したらいいのか?偶然?正確な測定をする時間がなかった?

分かりません。

この、小浜市の白髭神社からのレイラインが意味があるものなら、天宇受賣命は若狭と関係がある人なのかもしれません。


日本書紀より
「汝 なむぢ は 是 これ 目 め の人 ひと に勝 か ちたる者 かみ なり。往 ゆ きて問ふべし」

これは、猿田彦は誰なのか聞いてこいと命ぜられたときのことです。

以下説明です
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「天孫降臨」の際、天孫ニニギノミコトが天降ろうとする時に、高天原から葦原中つ国までを照らす神がいた。(猿田彦のこと)

アマテラスと高木神に、「手弱女(たおやめ)だが顔を合わせても気後れしない(面勝つ)からあなたが問いなさい」と命ぜられたアメノウズメ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このような意味だそうですけど、なんか嘘っぽいですね。

すでに、アメノウズメは、猿田彦のことを知っていて葦原中つ国までの案内を頼みに行ったのでは?

葦原中つ国とは何処?

出雲ではないでしょうか?

これは、大国主と猿田彦の勢力図です

この他に、岡山、徳島、付近にも猿田彦の勢力は伸びています。


大国主=伊勢津彦=サホヒコは、崇神天皇に伊勢を追い出されてから、このような奈良の包囲網をつくるつもりで、出雲に向かったのではないでしょうか?

現在言われている国譲りは、何かの都合で事実とは逆のストーリになっているように思います。

話がそれました。天宇受賣命について、少し妄想をしてみます

前にも書きましたけど、山代之大筒木真若王(やましろのおおつつきまわかのみこ)を

猿田彦=朝廷別王=サタヒコ=スクナヒコナとすると、その妻である

丹波能阿治佐波毘売(たにはのあじさはびめ)は、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)かもしれない。

そして、名前に「丹波」が付くのは当然「丹波」とかかわりが深いということになります。

若狭もその頃は丹波かもしれないという説もあるようです。

朝廷別王の母親は「丹波之河上之摩須郎女」です。

ここの生まれです


天宇受賣命(あめのうずめのみこと)も、ここの出身の可能性もあるわけです。

とにかく、この付近の人と考えていいのでは?

そして、その後は千代神社付近で暮らしたのでは。

丹波能阿治佐波毘売(たにはのあじさはびめ)は、神功皇后の曽祖母。

神功皇后の父である息長宿禰王は近江国を本拠地としているので場所的にも納得することが出来ます。

妄想を終わります。。。

















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高蔵神社(愛知県春日井市高座町)

2021-02-08 14:25:23 | レイライン
ついにやった!

そんな感じ。。。何がかと言うと、あきらめていた青塚古墳からの冬至の日の出のラインが判明。

地図には載っていませんけど、高座山の山頂に神社があるようなのです。

早速出かけました。

その場所です

標高 約173.8m

五所大名神社の右わきに道があります。


そこを進むと


二又を右に進みます


ここは、水晶が採れるらしいです。

少し坂を登ると、本道に接続

左下からやって来ました。左に曲がり進みます。案内板の距離は少し多めですね。

階段を登ると、


展望が広がります



到着です


あと少し頑張りましょう



祠があります

ご挨拶をしてさらに進みます



磐座でしょうか? 横から見てみましょう。


これはひょっとすると、狼煙を上げる場所?

真ん中の切れ目は排水のためでしょうか。



彦座王、朝廷別王、そしてレイラインの測量集団がここを拠点として活躍したのだと思うと

感動です。1700年余りの時間を越えて、こうしてあらためて歴史を感じることが出来ることは

本当にうれしい。。。

おいらにとっては、国宝級の場所ですね。



すぐ後ろは、フェンスがあり自衛隊の施設です


携帯で場所を確認




レイラインを見てみましょう

全体です


高蔵神社を見ましょう


青塚古墳の場所を調整しました

古墳のこの場所で、測定したのでしょうか?

後方の円の部分ではないようです

それとも、誤差でしょうか?でも、ほんの10数メートルです。

青塚古墳と高蔵神社の距離は、およそ12.7km

今までの多くのレイラインを見てきました。それらの検証で、青塚古墳は朝廷別王(=猿田彦=スクナヒコナ)

そして、白鳥塚古墳は父親の彦坐王と決定していいのではないでしょうか。


















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