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御津神社

2019-05-16 06:35:40 | 美濃、尾張、三河の神社とレイライン

御津神社(みとじんじゃ)



祭神 大国主命

愛知県豊川市御津町広石祓田70




引用します
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 創建は不明。『延喜式』では三河二六座の一つの「式内社」、

『神名帳』には「正三位御津大明神」とある。

伝承によれば、祭神は御舳玉・磯宮楫取・船津各大神等の随従で船津へ着いたとされています。

豊川市教育委員会

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祭神である大国主命ご本人が、船でここに来られたんですね。

まるで、誰かを、大国主命に仕立てているように思われます。



一の鳥居をくぐると、船の形をした石積みがあります





古代には、海岸線がこの近くまで来ており、神社の東を流れている御津川を遡ってきて

たどり着いたところがこの神社か、あるいはこの船の形をした石積みのあたりが

海岸線だったかもしれません。





階段を上がり、二の鳥居の手前を左に進むと

よくわかりませんね


船津社跡

これは、右側





さらに階段を登ると



広い境内


本殿です



左側には磯宮神社



そして右側は


その奥にも



本宮山がはっきりと見えます



神社入り口付近には楠の巨木があります


樹齢 1,000年

相当大きい巨木です







ここから少し離れたところに御舳玉神社があります。



これで、御舳玉・磯宮・船津の神社がそろいました。




砥鹿神社HPより引用します

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「但馬続風土記」によれば、

神代大己貴命は国土を開拓し、諸国を巡幸されて 但馬国朝来郡赤淵宮にお移りになって、

更に東方三河国に向かわれたとあり

社伝にはその後命は「本茂山(ほのしげやま)」(本宮山)に留まって、

この山を永く神霊を止め置く所「止所(とが)の地」とされたとある。

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大己貴命=大国主命と言わています

但馬国朝来郡赤淵宮とありますけど、時代が合わないような気がするのですけど。

しかし、「但馬」は、古くは丹波の一部であったようです。

但馬=たんぱと読めますね。

さらには、赤淵宮とされる赤淵神社の近くにある養父神社(やぶじんじゃ)には、

丹波道主命が祭られています。

彦坐王=丹波道主命ということで話を進めます

彦坐王は、丹波の久美浜で 朝廷別王の母である、川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)を

妻にした後、養父神社付近にとどまった時期があるようです。


以上のことから、この御津神社に上陸した祭神である「大国主命」は、

その後、砥鹿神社に移動したと考えてもいいと思います。

そして、朝廷別王は、本宮山山頂からこの「大国主命」を探し

合流しようとしたのではないかと推測します。



もしかすると、この「大国主命」と、朝廷別王は養父神社で、一緒に過ごしていたのではないでしょうか?

どれくらいの年月、その養父神社付近に滞在したかは不明ですが、

朝廷別王はそこで生まれた可能性がありますね。

まだ生まれていなくても、その母である川上摩須郎女とは面識があることになります。



それから、朝廷別王は、この「大国主命」が、伊勢から船で三河の地に来ることを知っていたかのようにも感じます。

いかがでしょうか?

次回は、この「大国主命」がどういう人なのか、検討してみたいと思います。
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