たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

鵜沼西町4号墳

2017-06-26 14:16:53 | 東山道
東山道を探していて、おそらくこのあたりを通っていたのだろうと思う付近にある

小さな山のようなものが、何なのかずっと疑問でした。

画像です




通り過ぎて東から




さらに南から



こちらのHPに載っていました
各務ヶ原市のHPでしょうか。

結果、古墳でした。正式名は、「鵜沼西町4号墳」とのこと。


4号墳の位置は、こちら

古墳の上に登ると





前回、歩いた愛宕山、そして双子山が見えます







この辺りは、古墳だらけのようです。しかし、現存している古墳は、ごくわずかです。

地図に位置を書き込んでみます。


7号墳まであったようです。


鵜沼西町1号墳(衣装塚古墳)は、前方後円墳が、削られたかもしれないとのことですけど、残っています

横から見ると

4世紀末~5世紀前半に築造されたと考えられるそうです。

3号墳(一輪山古墳)は、三角縁神獣鏡が、出土した古墳ですけど、現在はありません。

そのあたりの画像です

ウィキペディアより引用です

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一輪山古墳から出土した銅鏡は、三角縁波文帯四神二獣鏡と呼ばれ

3世紀後半に、中国において製作されたといわれる三角縁神獣鏡と呼ばれる鏡。

この鏡と同じ鋳型から製作された鏡が島根県松江市新庄町八日山1号墳から1面出土している

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ひょっとすると、一輪山古墳は、3世紀後半若しくは,4世紀前半のものかもしれませんね。

4号墳は、どうなんだろう?

このあたりの地形は、西、北、東を山に囲まれて南が木曽川、そして、平野。

これって、風水じゃない?

3世紀に風水があったかどうかは知りませんけど、暮らすにはいい地形かもしれませんね

木材が豊富で、魚も取れる、水も豊富で、稲もできる。

各務ヶ原という地名は、どこからきたのでしょう?

各務=鏡と思うのですけど


この一輪山古墳にあった「三角縁波文帯四神二獣鏡」からなのでしょうか?

謎です。









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守屋神社

2016-09-04 10:52:16 | 東山道





地図です

諏訪湖の南、守屋山を隔てて諏訪大社の裏側にあります

神仏戦争で蘇我氏に敗れた物部守屋の一族がたどり着いたこの地で

開山したと言う伝説が伝わっているそうです



この神社の前を通る国道152号が古東山道(古道)そのものか、それに沿った道と思われます

そしてさらに、中央構造線にも沿っているようです




階段を登り到着です

しかし、建物の奥を覗くとさらに、裏側に階段が見えるんです




裏に回りましょう



なんと、まあいい雰囲気の本殿~♪




この雰囲気いいなぁ。。。



この、守屋という呼び方、諏訪神社上社の神官の守矢家と同じ読みですね、でも、別のものだそうです。

諏訪神社上社の近くに「神長官守矢史料館」というところがあるのですが、今回は時間の都合で

行けませんでした。

このあと、杖突峠(つえつきとうげ)で、蕎麦食べて諏訪大社前宮に寄ります。



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神坂峠遺跡

2016-07-09 07:44:49 | 東山道
7日の気温35度・・・あ”つ”い”

と言うことで、標高1585mの東山道神坂峠に出かけました

前回は、遺跡のあった場所がわからなかったのですけど、何のことはない

駐車場の反対側でした 
 地図です



以下引用です

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東山道神坂峠
此の峠は標高一,五八五メートルあり古くは信濃坂とよばれました。
昭和四十二・四十三年に発掘調査が行われ、剣・鏡などを形どった滑石製の模造品や玉類、鉄製品などが発見されました。
これらは旅人が旅の安全を祈り荒ぶる峠の神に弊として供えたものとされています。
このように神坂峠は東山道の要衝にあたり古墳時代から中世に及ぶ峠祭祀の実感をうかがう代表的な遺跡として重要です。
阿智村教育委員会

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さすが、標高1585m。 気温21度です。。。





一番高いところ。このあたりで、祈祷したのでしょうか?



 

駐車場には、平日ということで、車は一台もありません。

でも、登るときと降りるときに一台ずつすれちがいましたね。

峠は、途中通行止めになっているので、長野県側には車ではいけません

まだ、時間があったので、引き返して、馬籠を通り

清内路峠を越えて反対側である長野県阿智村にある神坂神社に向かいます

神社の左側が東山道です




いつ見てもほれぼれする杉の巨木






この山の頂上が神坂峠かな?

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内々(うつつ)神社

2016-06-04 18:56:21 | 東山道



所在地 愛知県春日井市内津町上町24


鳥居を過ぎて、少し行くと、すべらずの松があります


松とさるすべりの共生木だそうで、受験や人生ですべることのないように願いを込めてあるそうです


少し、訪れるのが遅かったか・・・へへ;





社殿や、庭園もすばらしいですけど、今回は最初のころの信仰の場所である、奥の院に行こうと

やってきました。


本殿の裏に回ると


何でしょう?○○奥の宮七丁?○のところは「従提」?わかりません



岩があちこちにあり、注連縄が張ってあります


古代の祈祷した場所でしょうか?

奥の院は、ここより700mほど奥のようです




やってきました


登って行きましょうか


階段を登ります



岩の割れ目にあるようです




下を見ると・・・なんでこのような場所にあるのか?


階段を降りて、さらに奥に行くと


こちらにも祠があります



不思議な空間です


さて、この内々神社の主祭神は、 建稲種命、日本武尊、宮簀媛 とあります

ウィキペディアより引用します

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

創建年代については不詳であるが、延喜式に記載された式内社である。

東国の平定を終えた日本武尊が内津峠に差し掛かった時、

早馬で駆けてきた従者の久米八腹(くめのやはら)から副将軍である建稲種命が駿河の海で水死した

との報告を受けた。

それを聞いた日本武尊は「ああ現哉々々(うつつかな)」と嘆き、

その霊を祀ったのが内々神社の始まりという。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宮簀媛は、日本武尊の后です。

そして、建稲種命は、宮簀媛の兄です。

日本武尊の東征の際、副将軍で、帰路水軍を率いていたが、海に落ち水死


宮簀媛(ミヤズヒメ)が、お祀りしてあるのは、
氷上姉御神社

現在の氷上姉御神社の場所より南西の方向に数百メートル離れたところに、

以前の神社と住まいがあったようです


おそらく、日本武尊はそこに向かっていたのではないでしょうか。

それと、すでにこの時代に馬がいたのですね。



内々神社の場所は、東山道からは外れています

どのようなルートか調べたら、江戸時代に下街道(したかいどう)と呼ばれていた道のようです

大井(恵那市)から中山道をそれて、釜戸(瑞浪市)‐高山(土岐市)‐池田(多治見市)‐

勝川(春日井市)を経て名古屋へ至る街道です。国道19号がそれに沿っています




こちらが詳しいので参考にさせてもらいました


以前、鬼板といって、古代の製鉄に使う材料(と思いますけど)がある、春日井市大泉寺町の御嶽神社に、行った事があるのですけど、その前の道が下街道ですね。

でも、今画像を見るとあれって本当に鬼板なんだろうか?さざれ石かも?・・・

当時の道としては非常に重要だったと思います
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加治田城

2016-04-18 05:46:48 | 東山道

地図ですhttp://maps.gsi.go.jp/#16/35.497976/136.993396/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0


築城主 佐藤忠能、佐藤忠康

築城年 1558年 - 1570年

主な城主 佐藤氏、斎藤氏、森氏

廃城年 1583年


堂洞合戦のとき織田信長に内通したほうです

くわしくはこちら



松井屋酒造資料館の前を東に進むと清水寺の入り口の標識があります

そこを、左折すると60mぐらいで、右手に公園の駐車場があります

そこに車をとめて、歩いて登り始めます。100mぐらいで清水寺

先ほど来た、松井屋酒造資料館の前の道が、東山道飛騨支路ではないかと思うのです

そして、堂洞城、夕田茶臼山古墳のあたりを古道(古東山道)が通っていてのではないかと推測します

そして、夕田茶臼山古墳は、岐阜県美濃市大矢田にある、喪山天神社から見た冬至の日の出の方角と

ピタリ一致します。



話を、もどしましょうか
山門です


10分ぐらいで



城跡のほうに進みます



沢があります





近道を登り








途中、眺めの良い場所がありました


名古屋駅の高層ビル群が見えます(真ん中のくぼんだところ、画像では良くわかりませんね。)

猿ばみ城は、確認できます(右の山)


到着~♪  約30分ぐらい(やや急いで登りました)



眺めはいいですけど、木々に邪魔されてよくわかりません



すこし、もどって良い場所を探します



堂洞城は、トンネルの入り口から少し右奥のようですね

トンネルの真上あたりが、人質に出された城主の娘、八重緑が磔にされた所のようです



上の画像は、このあたりよりやや東で撮った画像です



猿ばみ城も見えます。 小牧城は?

そんなことは考えてなかったので、方向がわからない

とりあえず、地図で調べてみます



右の線が、加治田城と名古屋駅を結ぶ線

左が、加治田城と小牧城を結ぶ線です

すると、こうなります



この画像では、小牧城は見えませんけど

少し東に行けば見えるかもしれませんね。未確認ですけど・・・

城主の佐藤忠能は、ここから小牧城が出来るのを、ずっと見ていたのかもしれませんね


コメント (2)
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日吉神社、津神社、若江神社

2015-12-20 05:17:09 | 東山道
まず、日吉神社です。岐阜県安八郡神戸町にあります

HPより引用します

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

弘仁8年(817年)、伝教大師(最澄)が東国へ天台宗の布教に東山道を通られた折、神戸の地に立ち寄られた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということは、ここを東山道が通っていたとのことでしょうか?

早速、出かけました





すばらしいですね。でも、東山道がどこを通っていたかはわかりませんねぇ。

これより、東に向かうと上磯古墳群、そして宗慶大塚古墳があります。

こんな具合ですね



宗慶大塚古墳のレイラインをもう一度調べると、

あれ?南宮大社より少しずれています・・・なんで?

訂正しておきましょう・・・

でもですね、冬至の日の出を見ると驚きです



尾張戸神社直撃~♪

黄色の線がそうです。赤は今日の日の出ですね。

このあたりは、見晴らしが良いので建築物が無ければ、ひょっとすると東谷山が見えるかもしれません。

偶然ではないと思います。。。

さて、さらに東へと向かうと、津神社があります







円墳の上に建てられているそうです

ウィキペディアはこちら


延喜式神名帳に載っています。



ここから、北に行くと若江神社があります

ウィキペデイアです

こちらも、延喜式神名帳に載っています。

そして、そこに行く途中ですけど、西開田先道というところがあります。

東山道のことを「せんどう」(仙道、先道、山道)と呼ぶそうですが、

ここはまさにその場所ではないでしょうか?

東山道の場所を特定することは出来ませんけど、これまでの地点をつなぐ付近を通っていたと推測します

ただし、古東山道(古道)については、別のルートだと思います

東山道というのは、古道のバイパスのようなもので、古道のように地形から受ける要素よりも

人為的要素、たとえば神社の場所などから推測するとヒントがあるような気がします・





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岩滝毘沙門堂

2015-10-11 04:52:59 | 東山道
岩滝毘沙門堂というところに行ってきました

地図です



入り口です。ここの東300mには伊吹の滝不動明王があり、そこに車を止められます

少し入ると



そして





古墳があるのです

法花寺古墳です



やまももの大きな木もあります



ヤマモモというのは、ふつう高さは六メートルから十九メートルだそうですけど、

このヤマモモは、高さがおよそ二二メートルもあり、背が非常に高いです

周りを木に囲まれて暗いのでここまで伸びたのでしょうか?


さて、毘沙門堂入り口の画像ですけどここが、古東山道かもしれないと思うのです



この近くには、古宮遺跡といって1万5000年前の遺跡も発掘されているようです

ここから、北西へ行くと兎走山の頂上付近に鍋坂古墳というのがあるそうです

地図です

この、古墳を通る山道が東山道といわれます

千鳥橋付近から、国道156号付近にあります

昨日、行ってみようと出かけたのですけど、

車を止めるところを探しただけで日が暮れてしまいました・・・

でも、そこから山の麓あたりの道を通り毘沙門堂付近にまで行きました

民家が多くあり古い道もあるのですけど、東山道らしきところはわかりませんでした

岩滝からさらに東に進むと、蘇原伊吹町、蘇原飛鳥町付近を通りテクノプラザというところに行きます

地図です

そこに古墳があります

船山古墳です






さらに







古東山道は、おそらくこの付近を通り村国神社方面に行くと思います

ただ、伊波乃西神社付近から、直接山越えをする道もあるようです

それが、古道かどうかはわかりませんでした

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ながら川ふれあいの森

2015-10-03 10:52:25 | 東山道

ながら川ふれあいの森

少しだけ、遊歩道を歩いてきました

こんな感じです




途中、このような場所があります



それほど古くは無く、昭和はじめごろのものらしいです

でも、ここに来る途中には、数箇所神社があります

地図です

古道のような気もしますけど・・・

方県津神社(かたがたつじんじゃ)から

ここの遊歩道を通ると、伊波乃西神社付近に通じるのです

そして、伊波乃西神社の少し下流には東山道の長良古津の渡しがあったようです



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伊波乃西神社

2015-09-21 06:08:01 | 東山道


ここへは、もう何度か訪れています。

地図です




祭神  日子坐王

摂末社祭神  瓜入日子王 (やつりいりひこのみこ)

現社殿の西北100mに祭神日子坐王命の御陵とされる古墳跡があり、

元はこの古墳の地に神社があったそうです。

明治8年宮内省より御陵墓と認定されたため現地に遷宮されたとのこと。

鳥居のすぐ左側の画像です



本殿



神社から、数十メートル西に行くと、階段があります



ここが、日子坐命御墓といわれるところです


土が流失したそうで、現在は、高さ2.4m、幅1.8mの岩があります





おいらには、磐座(いわくら)のように見えるのですけど


レイラインを調べましたけど、近くを通るところはありましたけど、たぶん、どこも無いようです

古代の人の測量技術はかなり正確だと思います


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美濃観音寺山古墳

2015-09-06 14:43:28 | 東山道
美濃観音寺山古墳は、おそらくすでに消滅しているのではないのでしょうか?

場所を探したのですけどなかなかわからず、ようやく探し当てました

こちらに、そのほかのことも詳しく書かれています



ゴルフ場の中なんで、現地には行けません

このあたりだと思います

この付近から撮った画像です



そして、この道290号線が、古東山道飛騨支路(この名称はいまいちですね。この地方の古道とでも言っておきましょうか)じゃないのかなと思うのです

当時の長良川の様子がわからないので、どのあたりで長良川を渡るのか、いろいろと考えていました。

このあたりで、一番古い古墳がこの観音寺山古墳なのでおそらく、

この付近で長良川を渡るのではないのでしょうか。

ただし、ここより下流でも水量に応じて渡る場所はいくつかあると思います。

たとえば、塚原遺跡付近とか

話を戻します


この美濃観音寺古墳は、時代が、弥生時代後半から古墳時代前半とかなり古いようです

200年~250年といったところでしょうか(訂正します、300年前半と推測します)

そこから、北西に行くと、大矢田神社があります









階段を登っていきますけど、なかなか雰囲気の良いところです








ウィキペディアによると、創建は孝霊天皇の時代とのこと

いつごろでしょう?

紀元50年ごろでしょうか?このころの天皇の年齢どころか、

その人物が存在していたかもわからないみたいです。






後でわかったのですけど、大矢田神社の境外摂社に喪山天神社というところがあります

大矢田神社の主祭神は、建速須佐之男命、天若日子命ですが、

その天若日子の廟所(霊を祭った場所)が、喪山天神社とのこと

地図です

ここは、まだ訪問していません

美濃観音寺山古墳から西の場所です

秋分のレイラインを入れてみます



少し外れますけど、なぜ?

もともとは、もう少し広かったかも?

PS うっかりしていました・・・古墳の位置が特定できていませんね・・・←あふぉ

他ごとをやっていたので、特定できたと勘違いしました

ひょっとすると、場所が特定できないかなとあれこれやってます。




伝説があるようです。ウィキペディアを参照

ところが、美濃の喪山は、もう一箇所岐阜県不破郡垂井町にもあるようです。

地図です

おもしろそうですね。

今度は、この2箇所も訪問してみようかと思います。。。










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村国神社

2015-06-21 12:02:54 | 東山道
村国神社

飛鳥時代、天火明命と御子石凝老命を祭神として村国氏が創建したと伝えられる。

後に村国志我麻呂が村国男依(むらくにのおより)を合祀

村国志我麻呂は、村国男依の子のようです

岐阜県各務原市各務おがせ町3丁目46番地の1

二の鳥居から見た一の鳥居


二の鳥居

その左には、村国座があります





この奥に奥の院があるようですが、行きそびれました・・・

さて、この「村国男依(むらくにのおより)」という人が興味深いです

672年の壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)に属して戦った一番の功労者のようです

いろいろ調べていると、愛知県江南市の音楽寺、(当初は大乗院と称した)

大乗院は、村国男依が建てたとも言われるそうです。

地図です。愛知県江南市村久野町寺町73

さて、地名の村久野(むらくの)は、苗字の村国(むらくに)

そして、地図の北には小杁(おいり)という地名があります。

それは、男依(おより)から代わったものではないかと言う説があります

なんか説得力がありますね

出生の地かもしれません

一方の、岐阜県各務原市にある村国神社ですが、その近くを古東山道が通っていると考えています

というより、功労のおかげで東山道近くに神社を建てられたと考えてはどうでしょうか?

そして、祭神が御子石凝老命(石凝姥命)を調べると、ウィキペディアより

************************

日本神話に登場する神である。作鏡連(かがみづくりのむらじ)らの祖神

岩戸隠れの際に八咫鏡を作った。ちなみに日前神宮・國懸神宮(和歌山市)には八咫鏡に先立って鋳造された鏡である日像鏡・日矛鏡(ひがたのかがみ・ひぼこのかがみ)がある。日像鏡は日前神宮の神体、日矛鏡は國懸神宮の神体となっている。
天孫降臨の際瓊瓊杵尊(ににぎ)に附き従って天降るよう命じられ、天児屋命(あめのこやね)、太玉命(ふとだま)、天鈿女命(あめのうずめ)、玉祖命(たまのおや)と共に五伴緒の一人として随伴した。


イシコリドメ   この名前は、石(イシ)の鋳型を用いて鏡を鋳造することに精通した(コリ)特別の女性(トメまたはトベ)の意味である。
鋳物の神・金属加工の神として信仰されている。

*************************

各務原市(かがみがはらし)の「かがみ」はここからついたのでしょうか?

さらに、鋳物の神・金属加工の神とあります

もう一度地図を見てください

神社の南東に愛宕山があります

愛宕(あたご)の意味はいろいろありますが、「あた」とは「温、熱、暖」または、火

そこから、飴状の赤い鉄といわれます


   「ご」というのは、具  

つまり、製鉄をしていた所といわれます。

もしかすると、村国氏は製鉄もしていたのでしょうか?

それとも、すでに製鉄をしていてところに移り住んだのでしょうか?



村国神社から北へ1キロほど行くと、天狗谷遺跡があります



建物の中に窯があります



そのすぐ下に古墳があります



村国氏と関係があるのでしょうか?



すぐ南側の山


周りは、森林ですね

このあたりは、古墳時代後期から鎌倉時代にかけて、焼き物の生産地であったそうです

その技術は製鉄からも受け継がれているのでしょうかね?


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東之宮古墳

2015-06-15 13:27:59 | 東山道
東之宮古墳



愛知県犬山市にある古墳です

犬山成田山の上にあります

南側の正面からは、場所がわかりづらいので、いつもここに車を置いてそこから歩いて数分です


東之宮神社です





その左側

後ろの ブルーシートのあたりが、発掘したあとでしょうか?











木が邪魔して景色はあまりよくありません



左の山が伊木山、その手前に見える小高いところが犬山城です





右に見える山のふもとあたりに、衣裳塚古墳 、坊の塚古墳 があります。

この後、訪問してきました。

一輪山古墳というのがあるはずなのですが、何度か探しましたけどわかりませんでした・・・

もうないのでしょうかね・・・

駐車場から見た景色のほうがいいですね


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寂光院(じゃっこういん)

2015-05-23 18:38:59 | 東山道

愛知県犬山市にある真言宗智山派の寺院です



紅葉で有名なことから「もみじでら」ともよばれます



秋にはかなりの人でにぎわいます





なぜ、訪問したかというと参道からつながる自然歩道に古墳があるんで

ひょっとすると、東の宮古墳から可児へ通じる東山道かもしれないと思ったんです

自然歩道に入ります







明王山も見えます





御嶽神社・駒岳神社



継鹿尾山頂



展望東屋


木曽川と正面は伊木山です。その手前左の山の山頂が、東の宮古墳かな?



この、山と山の間を古東山道の時代には木曽川が流れていたようです
現在よりも、少し北よりになります

現場の土を見ると、川でなかったところは、真っ黒な土ですけど、
低いところは、川砂なんです

あちこち、走り回ってその昔、どこを木曽川が流れていたか調べています

古東山道は、おそらく右に見える山と木曽川の境を通っていたと推測します



話を戻しましょう

少し北には、大平山という山があり、林道も存在します

いろいろ地図を探しましたけど、載っている道がまちまちですね

わかりやすいのがこの地図かな


+のしるしの場所が大平山一号古墳の場所になっています

先ほどの、展望東屋から5分ほどでしょうか

古墳です





中の石室が、ゴミ箱になっている・・・

古墳とわからないのです

何も案内が無い

わかれば、そのようなことにはならないと思うのですけど・・・

それと、なんで大平山なのでしょうね?

継鹿尾山じゃ無いのかな?

まあ、それはおいといて・・・


どの道が、東山道なのかはわかりません

でも、古くはこの山の中を通っていたと推測します

可児に下りたところには神社があるようです



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神坂峠

2015-05-10 15:30:26 | 東山道

東山道で、一番の難所とのこと


ウィキペディアより引用します

********************

その険しい道程から東山道第一の難所として知られ、荒ぶる神の坐す峠として「神の御坂」と呼ばれた。神坂峠は、急峻で距離も長かったため、峠を越えられずに途中で死亡する者や、盗賊が出ては旅人を襲ったとの記録が、いろいろな古典に書かれている。後に、東山道(中山道)は神坂峠を避けて、木曾谷を通るようになったため、神坂峠を越える者は減少した。

********************





下の画像は、この辺りです

恵那山トンネルに入る手前の中央道が見えます







これは何?





よくわかりません





そして、



強清水




ざんねんながら、飲まないでくださいと・・・免疫力の無い人がこれを飲んでおなかを壊したのか?





すぐ脇には、正真正銘の  東山道   です




さらに、道を進めると神坂大檜の入り口に到着します



10年ほど前でしょうか、ここまで来ています

神坂大檜まで行こうと思い、次の画像のところに車を止め出かけようと

  したら・・・大雨::: わずかばかりの運の悪さを・・・・

結局、まだ訪問していません



ここまでの間、6台くらいの車と出会っています

山道にしては、多いです






もうすぐ、山頂です




これも、東山道でしょうね
1300年、もしかするとそれ以上前の道がこれなんだと思うとロマンを感じます




そして、山頂付近駐車場です

10数台の車があります

東山道の難所ということで人はいないかもしれないという思い込みは見事に崩れました

道中、山道にしては走りやすいところです

すごく用心して出かけたのに拍子抜けです
















さらに、進み園原方面に進みます






ところが、この先通行止め

引き返しました

頂上付近には、神坂峠祭祀遺跡があるのですがどこかわからず・・・

次回は、時間に余裕を持ってあちこち歩き回ろう。。。
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夕田茶臼山古墳(ユウダチャウスヤマコフン)

2015-03-08 15:20:25 | 東山道

パソコンが壊れ、急遽別のを買いました。  中古のすごく安いのですけど・・・いつも中古です。

最近は、新品でもだいぶ安くなってきてるんで、この次は新品にしようか?

仕事が忙しくなってきたので、なかなか更新ができません。

あしからず。



それでは、本題です


夕田茶臼山古墳

地図です

この先が、入り口です





かなり、古いようです

そして、整備されてる最中なのかな?



坂を上り、一分ほどで到着







なぜここに来たかというと、この付近に東山道の飛騨支路が、通っていると思われるんで

とりあえず、やってきました。

最近思うのですが、東山道といっても古東山道と、その後の東山道はかなり違う場所を通ってるように思います

そう考えると、今まで悩んでいたことがすっきりし始めました。

まだ、あれこれ模索中なんでそのことについては、まだまだ先にならないと考えがまとまらないと思います

永久にまとまらなかったりして・・・

話を戻します

とりあえず、ここから県道57号線を通って飛騨金山まで行きました。

途中、菅田というところに立ち寄りその後、下原八幡神社に行ってきました。



ちょいと、時間がなくなってきたんで今日のところはこれまでですみません。。。



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