大垣の神社をあれこれ探していたら、不思議な神社を見つけました。
詳しいことは
こちらを参考にさせてもらいました
冬至の日に祭礼が執行されるようです。
神社の駐車場に到着~♪ 普通の鳥居とは少し違いますね
反対の南の方を見ると
冬至の日の出は、画像右端あたりかな?木にさえぎられて見えません
奥へ進みます
しめ縄をまいた岩がいくつもあります
これ以上は奥に行けません
これが本殿でしょう。この向きが冬至の日の出の方向と思われます。
神社からは冬至の日の出の方向は木にさえぎられて見えませんので
少し離れた見晴らしのいいところで、その方向を見てみます
画像の右寄り、屋根と屋根の間付近が冬至の日の出場所のようです。
何もわかりませんね・・・
それでは、レイラインを調べてみましょうか
参考にさせて頂いたHPにも書いてありましたけど、白鳥塚古墳からのレイラインがあります。
ということは、大碓命墓からのレイラインです。
まず、大碓命墓の場所です
マーカーをなるべく正確な位置に合わせて・・・
行ったことがあるので、かなり正確と思います。
そして、
ほぼ、ピッタリ!
こちらも、数メートルの誤差があるようですけどほぼピッタリ。
全体です
ちなみに、大碓命墓からこの朝鳥明神までの距離は65kmです。
とても目視できる距離ではありません。
それでも、誤差がほとんどない測量をしているということを認めないと、この測量集団のことを理解できないでしょう。
何人で測量しているのだろう?
ふと、しめ縄をまいた岩の数だろうか?7~8くらいあっただろうか?
それが、この集団の人数?
そもそも、大碓命(オオウス)の墓と言うのが怪しいですね。
大碓命については、ウィキペディアを参照。
おいらは、ヤマトタケル(日本武尊/倭建命、小碓命)も、大碓命も実在しないと思います。
大碓命の墓がある、猿投神社の「猿」は猿田彦の「猿」でしょう。
もっと言えば、猿田彦の呼び名は「佐田彦」(さたひこ)から来ているとも言われます。
さたひこの(さ)は、ウェブで検索すると、
「サの神」と出てきますけど、
ヘブライ語では、 「前に進め」と言う意味だそうです。(
日ユ同祖論ある程度信じてます)
さて、それはともあれ、大国主=伊勢津彦=狭穂彦(さほひこ)ですが、何かお気づきになりませんか?
そう、「さほひこ」と「さたひこ」「ほ」と「た」の違いだけ・・・
「さ穂彦」と「さ田彦」がある程度、本来の意味に近いのでは?
どちらも、稲に関係します。二人は、母親は違いますけど、父親は同じ「彦坐王」です。
父親が名付けたのかもしれません。もしくは、朝廷別王が、さ穂彦にあやかってつけたのかもしれません。
猿投神社の主祭神は、大碓命。
大碓命が主祭神とされたのは近世以降で、
それ以前は猿田彦命、吉備武彦、気入彦命、佐伯命、頬那芸神、大伴武日命など諸説があったようです。
おいらは、大碓命=猿田彦=帝別王と思います。
さらに、
「すくなびこな」も、朝廷別王でしょう。
大縣神社をウィキペディアで調べると、主祭神が少彦名命(すくなひこなのみこと)とする説があるようです。
やはり!ですね。。。
いろいろと書いているうちにずいぶんと長くなってしまいました。
いったん、終了しましょうか。
次では、さらに、レイラインの意味するところを検討したいと思います。