たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

伊勢神宮内宮のレイライン

2018-10-10 13:57:19 | 神社

「伊勢神宮内宮のレイライン」で、検索しても、いろいろ本を読んでもそのものズバリと書かれているものは

今の所、見当たりません。

どなたか、分ってるという方は教えてください。


半年ぐらい前に、「日の出日の入りマップ」でなんとなく調べていたらこんな感じで発見!


飯野高宮神山神社( 三重県松阪市山添町4)

ここの本殿から、冬至の日の入を調べると



本殿からは景色が見られないので、櫛田川まで移動。



この方向です

どこを通ると思われますか?



驚きますね。内宮です。

しかも、アップすると・・・





もったいぶってる






正殿。。。「八咫鏡」(ヤタノカガミ)のあるところですよね。。。





現在の正殿の位置ですね。

この発見、おいらが最初?


ちなみに、地球の歳差運動は、星には関係するけど

太陽による冬至や夏至の位置にはあまり関係がないそうです。

おいら、そちらの知識はほとんどないのでそうしておきます。



おいらの書いてる天日別命、倭姫命シリーズ、インチキくさいと思ってる人、少し考えを改めます?(笑)


直接見られないのに、この精度には、驚きです。

どういう技術なのでしょう?

おいらは、以前、星を使っているのかもと書きましたけど、どうなのでしょうね?

船で航海する時の技術でしょうか?

いつまでなのか分りませんけど、この技術は知らないうちに消え去っています。

ほかにも、こういうことはたくさんあるのかもしれませんね。

我々が知らないだけで・・・
コメント

天日別命,倭姫命 伊勢に向かうその9,斎宮の場所

2018-10-07 08:07:51 | 神社

まず、斎宮とは何かと言うことですけど、ウィキペディアより引用すると

「古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に奉仕した斎王の御所」

ということです。

斎王は誰かと言うと,明和町のホームページより引用します


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

初代が、豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)父: 崇神天皇 母: 遠津年魚眼妙媛

                   垂仁天皇の異母姉妹
                
                垂仁天皇とともに皇位継承者の候補にあげられた豊城入彦の同母妹。

                 宮中に祀られていた天照大神を大和笠縫邑で祀る。

                 崇神58年ごろ、老衰により退下。

次に、倭姫命(やまとひめ)父: 垂仁天皇 母: 丹波道主王の女、日葉酢媛命。

             垂仁天皇皇女。

             豊鍬入姫命より、御杖代の役目を引き継ぎ、

             天照大神の鎮座される地を求めて各地を巡幸し、伊勢に至った斎王。

             ヤマトタケルノミコトの叔母にあたり、
       
             東征に赴く途中、伊勢神宮を訪ねたヤマトタケルに草薙剣を手渡した。

そして、五百野皇女(いおの)父: 景行天皇  母: 三尾氏磐城別の妹、水歯郎媛
  
               ヤマトタケルノミコトの姉。別名、久須姫(くすひめ)

                明和斎宮へ来た最初の斎王といわれる。

伊和志真皇女(いわしま)  『斎宮記』、『二所太神宮例文』に名前のみ記されているが、

              実在した斎王かどうかは確認できない。



稚足姫皇女(わかたらしひめ)父: 雄略天皇 母: 葛城圓大臣の女、韓姫  

              雄略天皇の皇女。

              別名:栲幡皇女(たくはたのひめみこ)
      
              清寧天皇の同母兄妹。

              湯人の廬城部連武彦との関係を疑われ、身の潔白を証明するため自殺。

              無罪とわかる。


清寧・顕宗・仁賢・武烈天皇の時代、斎王の記録なし


斎宮跡の場所です






道を一本間違えてしまいました・・・

斎宮跡の場所を通り越してうろうろしていたようです。



さて、当時の海岸線はどこなのだろう?

以前、熱田神宮の海岸線を調べたとき、現在の海面より4m前後高くした地理とよく似ているなぁと

いうことを思い出しました。

少々荒っぽいですけど、5m海面を上げてみます




祓川(はらいがわ)という、櫛田川の分流が近くを通ります。

ウィキペディアより引用します

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この川は平安時代以前は櫛田川の河道の本道だったが、1082年(永保2年)7月の大洪水や地震により、

現在の櫛田可動堰付近より下流にあった水田や村落が押し流されて現在の櫛田川の河道が

形成されてしまい、それまで本川だった祓川は派川となったという

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ですから、天日別命そして、倭姫命の時代は、祓川から上流に行ったと推測されます。

その河口付近に湊があってもおかしくはないですね。

その場所が、斎宮になったとおいらは考えます。

斎宮跡から西に向かい、祓川に行くとそこには「漕代」と言う地名があります。




そこから、船を漕いで出発したのでしょうか?

斎宮から、飯野高宮神山神社まで4.5kmほど。




途中、伊勢庭神社と言う所がありますね。まだここには行っていませんけど、推測するには

高速道路のサービスエリアのような所でしょうか?

倭姫命のトイレ休憩の場所・・・←おいっ!



祓川の意味を調べると、祓川(はらえがわ) 神仏に参拝するとき、身を清めるために禊みそぎする川。」

そして、櫛田川の名前の由来は、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

古来、倭姫命が天照大神の鎮座地を求めて諸国を巡行の際、

この地で櫛を落とされたことからこの名がついたとされる。

これにならい歴代の斎王は、群行の際、櫛をこの川に捨て、神に仕える決心をしたという。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上のことから、斎宮から飯野高宮神山神社に神事のために

斎王が通ったと考えていいのじゃないでしょうか。

では、なぜ飯野高宮神山神社に通ったのかは次回で考えたいと思います。




コメント

天日別命,倭姫命 伊勢に向かうその8飯野高宮神山神社(いいのたかみやこうやまじんじゃ)

2018-10-01 12:33:12 | 神社

天日別命とその部隊は櫛田川を上った飯野高宮神山神社付近に陣を築いたと思います




三重県松阪市山添町4






標高30m



倭姫命世記によると、垂仁天皇22年に倭姫命が「飯野ノ高宮」で4年間天照大神をお祀りしたそうです


踏切があるのです!


御祭神
猿田彦命,天鈿女命








帰るときに気が付いたのですけど、ここにも山神様がいらっしゃいます



しかも、10柱




なぜこの場所に陣を築いたのか?

櫛田川をさかのぼっていくと




グーグル地図張れないので画像を貼り付けます



丹生水銀鉱に行くには櫛田川をさかのぼったと思われます。

おそらく、かなりの大部隊で丹生水銀鉱に向かったのではないでしょうか?


途中、紀師神社があります。





中継地点でしょうか?





こうして、天日別命とその部隊は、丹生水銀鉱を伊勢津彦神から奪い取ったと思われます。

こちら参考になるかわかりませんけど







コメント

天日別命,倭姫命 伊勢に向かうその7神館神社、加良比乃神社、そして川併(かわい)神社

2018-09-30 17:47:15 | 神社

今回は、何処が天日別命の滞在先かなかなかわかりませんでした

まずは

神館神社(かんたちじんじゃ)
三重県津市半田1733





標高3.9m  少し低いですね。





倭姫命が大和・伊勢を巡幸した時、ここに休憩所として館が建てられたとのこと






次に行ったのは

加良比乃神社



標高6.8m

倭姫命が、4年間滞在したと言われます

ここには、たどり着けませんでした・・・見えているけども行けない・・・






川併(かわい)神社


標高20m

ここは、駐車スペースが無く周りをウロウロしただけ・・・

標高的には、一押しですけど川からの距離がありすぎるので違うと思っていたのです



対岸にも、川併神社がありますね。時代が新しくなり受け継いで別れたのではないでしょうか




今回は、特定できないなと思いつつ川を渡った所、あることに気が付きました。

河原からは近いんじゃないか?

あとで、グーグルの地図の写真で調べると



近いです

実際には250mほどでした

ということは、本命はここ川併神社と思われます。






コメント

天日別命,倭姫命 伊勢に向かうその6 酒井神社

2018-09-12 07:15:20 | 神社




この3カ所で、最初に行ったのは、横道下神社

三重県鈴鹿市徳田町2107

標高 4m



大正6年にこの地に近くから移転してきているようです。


次に向かったのは、服織神社(はたおりじんじゃ、はとりじんじゃ)

三重県鈴鹿市御薗町2019

標高20.7m



村の一番奥と言う感じの場所。車止められないので画像はありません。


最後に行ったのは、酒井神社

三重県鈴鹿市郡山町1759

標高 26.3m



天智天皇治下10年(871)創祀とのこと

時代が新しいですね・・・

赤郷2号墳 まで850mほどなので、ここが本命かと思っていたのですけど・・・

とにかく行ってみましょう。


駐車場のすぐ前に鳥居があります




その横にも鳥居があり



りっぱな本殿ですね



そこから、小道がありましたので行ってみます




すると、





なんと、さきほど行った服織神社は、元はここにあったのです。




さらに、


どういう神様でしょうか?  山神様もいらっしゃいます

ひょっとすると、ここに祀られている神様は、今ある本殿よりも前からあるのじゃないのか?

天日別命の時代の神様ではないだろうか?

そう思えてきました。

とても心地の良い場所です。



鎮守の森と言うのは、このような所のことを言うのかなと思いつつ、しばしこの場所でのんびりしました。



倭姫命の足跡があります

布気皇館太神社(ふけこうたつだいじんじゃ)

三重県亀山市布気町1663

垂仁天皇18年の創始




忍山神社(おしやまじんじゃ)

三重県亀山市野村町4-4-65


どちらも、倭姫命が立ち寄ったと言われますけど、旧地があるらしく場所は不明です。



















コメント

天日別命と倭姫命 伊勢に向かうその5 赤郷遺跡

2018-09-11 07:25:07 | 神社
赤郷遺跡

こちらに詳しい発掘の結果が書かれています


三重県鈴鹿市秋永町字赤郷 1823 番

赤郷2号墳    標高 10.5m



ここの発掘により、弥生時代後期ないしは古墳時代前期における集落の存在が明らかとなったとのこと。





時代が、天日別命の伊勢侵攻と同じですね。



しかも、三角縁神獣鏡が出てきたそうです!

川の近くですね。おいらの推理は、なかなかいい線行ってるんじゃないだろうか?←自画自賛


神社ですけど、候補が3カ所ほどあります


それについては、次回に書きたいと思います

倭姫命は、ここに立ち寄ったのでしょうかね?

資料は、何もありません。





コメント

天日別命と倭姫命 伊勢に向かうその4鬼田神社(きたじんじゃ)

2018-09-10 07:46:44 | 神社

天日別命の向かった次の候補地は、鬼田神社

三重県鈴鹿市木田町2365

由緒不詳

主祭神 《主》大山津見神,《配》大雀命,豊宇気毘売神

標高 25.7m



なんで「鬼」の字が出てくるのだろう?

どうも、川の北なのでそれが、鬼田と書いて「きた」と読むらしい・・・

地名は木田ですね


倭姫命の足跡はここにもありません

近くには、伊勢国分寺跡もあり古くから栄えた場所でしょう





長い参道








川神社の飛地境内社として存在と言われますが、地形的にみると逆のように感じます。

その、川神社の場所は、鈴鹿川の対岸




標高13m








横にはもう一つ



山神様


そういえば、以前訪問したところでも山神様は見かけました。

何か関係でもあるのでしょうか?






コメント

天日別命と倭姫命伊勢に向かうその3、移田神社(いだじんじゃ)

2018-09-09 07:45:02 | 神社


天日別命が、次にたどり着いたのは、ここ「移田神社」と思われます。

倭姫命の足跡はありません




急な階段を登ってたどり着きます。







横から見た本殿



駐車場はこの右手なので、実際はここから入りました



三重県三重郡朝日町埋縄980




標高 22.5m

東を見ると

これで納得しました



1800年前は海であったであろう場所でしょう




創祀年代は不詳

明治四十一年に井後神社に合祀され、その後、平成十一年に返還し、井後神社から独立、旧地に再建

ですから、建物は新しいです

祭神    建速須佐之男命、天照大御神、応神天皇、大山祇神。

移田神社の本来の祭神は 「埴安姫神」



天照大御神と応神天皇は近隣の神社の合祀による祭神とのこと


参考までに移後神社の画像もご覧ください



移後神社は、現在の地よりやや離れた場所から移転してきているようです。



こちらも、急な階段を登ります

もう一か所



標高は19,3m










コメント

天日別命と倭姫命伊勢に向かうその2、多度に到着

2018-09-07 08:28:02 | 神社
次に、天日別命(あめのひわけのみこと)が、船で寄ったと予想される場所は、

宇賀神社あたりと思われます














三重県桑名市多度町柚井1564

標高22.7m



祭神


宇賀乃御魂神(稲造・食物・商売繁昌の神)
大山津見神(山の神)
火之迦具土神、火之炫毘古神、火之夜芸速男神(火の神)
表筒男神、中筒男神、底筒男神(航海舟便の神)
大巳貴命、少彦名命(医薬の神)

道を登っていくと、多度山の頂上まで行けます。



頂上は、見張り場だったのでしょう

狼煙など上げたのでしょうか?



おいらは、途中であきらめました・・・

でも、このながめ



名古屋方面です

途中



いるんです。



さて、倭姫命はと言うと、野志里神社に来られているようです





標高、6.4m


この場所は、かなり以前に訪れています。

確か巨木を見に行ったのじゃないかな?

このブログには記事が無いので、それ以前の別のブログでしょう。

かなり昔・・・

近くには、多度大社があります。

一度訪れたことがありますけど、なかなか雰囲気の良いところです。


コメント

天日別命と倭姫命伊勢に向かうその1、巌神社

2018-09-06 07:05:17 | 神社








岐阜県海津市南濃町庭田字古畑629番地の1

主祭神
伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)
伊邪那美尊(いざなみのみこと)
猿田彦命(さだひこのみこと)

創立年月日不詳








鳥居の手前には




拝殿



その奥が本殿でしょうか


標高24m

ここから川の方に下ると、いくつかの神社やその跡地があるようです。

それらはおそらく、船を停泊させた湊のようなところかもしれません。


ここの南にある山の山頂には、円満寺山古墳があります。

訪問はしていません 

このあたりです


さらに、貝塚もあるようです


倭姫命は、ここには訪れていません。

岐阜を出て、愛知県の一宮を通り、津島方面に向かったと思われます。

倭姫命の伝説については、こちらが詳しく書かれているようです。


愛知県愛西市には、奥津社古墳と呼ばれる所から出たであろうとされる三角縁神獣鏡が、

発見されています。




標高を調べたら、なんとー0.5m・・・マイナスです。

津島神社まで、3,7キロほど離れています。

関係があるかもしれないですね。



コメント

倭姫命その13,そろそろ伊勢に向かいましょうか

2018-09-05 08:01:27 | 神社

なかなか、伊勢方面に出かけられないんで地元をウロウロしていたら

瑞龍寺遺跡やら象鼻山遺跡に出くわしたので、思わぬ収穫が得られました。

さらに、荒尾南遺跡というところにも出会いました。

ざんねんながら、場所はインターチェンジになっています





この荒尾南遺跡からは、3艘の船が描かれた土器が出土しています。

中央の船は82本のオールを持つ船で、船の船首と船尾は反り上がっています。

中央と船尾には2本ずつ旗があるようです。

画像は著作権があるようなので、こちら参考

時代が、彦坐王の移動時期と合うのでそのころにはすでにかなりの大きさの船があったのでしょう。


倭姫命は、倭姫命世記によると、岐阜県瑞穂市居倉(いくら)の伊久良河宮に4年間鎮座して、

そこから船で伊勢に向かうことになっています。



でも、愛知県の一宮市には倭姫命にまつわる伝説がいくつかあることから考えると、やはり

倭姫命の母親である日葉酢媛(ヒバスヒメ)が育った、金華山付近から出発したとするのが、

地形的にも考えやすいと思います。



むしろ、岐阜県瑞穂市居倉から船で伊勢に向かったのは、彦坐王の関係する部隊かと思われます。

近くには、彦坐王の子である大根王(オオネノキミ)の古墳とされる

宗慶大塚古墳(そうけおおつかこふん)があります。




大和朝廷が伊勢に進出する時に、天日別命を派遣しています。

そして、伊勢の地を支配する豪族「伊勢津彦命」を追い出してその後、

伊勢の地を統治したと言われます。

そのことは、「倭姫命その11、なぜ伊勢?」で書いています。




彦坐王は、崇神天皇との間で皇位継承争いを行ったという説があります。

(崇神天皇と彦坐王は、腹違いの兄弟で崇神天皇が兄にあたります)


もしそうなら、崇神天皇に負けたということになります。

その影響で「彦坐王」の名前が歴史にあまり出てこないのかもしれません。

とにかく、不思議な人なのです。

しかし、かなりの武力と進んだ技術集団(主に伊福部氏)を従えていたようです。



少し妄想をすると、天日別命は、伊勢津彦命を追い出して、(殺害したとの説もあります)、

しかも、その娘との間に子を授かっているようです。

それが、どうのこうのということではありません。

天日別命を、彦坐王に当てはめることにすると違和感があるのです。

彦坐王にはそれだけの時間が無いように思います。

彦坐王は、居倉の場所から東にある金華山のあたりに進み、そこで、倭姫命の母親である

日葉酢媛をもうけているのですから。

しかも、さらに愛知県春日井市あたりに進出しているのです。

この地は、鉄の産地なのです。

ですから、天日別命と言う人物は彦坐王ではないでしょう。

想像上の人物、あるいは彦坐王の子のうちの一人かもしれません。

でも、彦坐王の部隊が伊勢に行き、丹生鉱山を支配下に置いたのは間違いないでしょう。

以前にも書きましたけど、伊勢までの船旅をするにあたって、

それらしき川の河口近くに基地を作り(水の確保のため)それが、後の神社になったと考えます。

ようやく、その可能性のある所に行くことが出来ました。ふう。。。


最初は、本当かなぁ?などと思いましたけど、数を重ねるごとに、おいらの思ってること

正しいんじゃないかなと確信まではいかないけど少し思いました。


次回からは、その神社や、その周辺を紹介していきたいと思います。










コメント

瑞龍寺山頂遺跡 から象鼻山山頂を結ぶと

2018-08-04 09:13:29 | 神社
地図を見ていて、ふと気が付いた。

瑞龍寺山頂遺跡
に書いた、金神社から彦坐王の墓とされている所のラインの延長が象鼻山山頂となるのじゃ?

描いてみました


これをどう解釈するのか?


詳しく調べると、「象鼻山山頂から瑞龍寺山頂を結ぶライン」と

「象鼻山山頂から彦坐王の墓とされている所を結ぶライン」は少しずれます。


こちらが、「象鼻山山頂から瑞龍寺山頂を結ぶライン」





「象鼻山山頂から彦坐王の墓とされている所を結ぶライン」は、こんな感じ




「象鼻山山頂から瑞龍寺山頂を結ぶライン」では、金神社橿森神社(かしもりじんじゃ)の真上を通ります・

一方、「象鼻山山頂から彦坐王の墓とされている所を結ぶライン」は、50mほどずれますね

これを、誤差と考えるのか、それとも、彦坐王の墓は、単なる偶然でこの場所にあるのか?

悩みます・・・答えは出ませんね。

そもそも、橿森神社、金神社、伊奈波神社は垂仁天皇に関係があり、象鼻山山頂遺跡と瑞龍寺山頂遺跡は

大和朝廷とは無関係のはず・・・どう解釈すりゃいいのでしょうか?謎!

まったく、おいらの手には負えません・・・



毎日暑いですね。今日も38度くらいまで行きそう・・・どうしてこんな異常高温が続くのでしょう。

少し前、娘の結婚式でした。エアコンがかかっていても場所によっては熱いところがあり大変でした。

でも、いい結婚式でした。。。


コメント

像鼻山古墳群

2018-07-16 08:09:12 | 神社

象鼻山古墳群(ぞうびざんこふんぐん)

ウィキペディアより引用します

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
岐阜県養老町の南宮山の東南端に位置する象鼻山(別庄山)の山頂にある古墳群。

弥生時代後期から古墳時代後期(2世紀中頃から6世紀)に築造された約70基の古墳からなる。

墳形様式は前方後方墳・円墳・方墳。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

地図です



名神高速道路の養老サービスエリアのすぐ近くですね。



入口の近くに、車数台が駐車できます。


動物が逃げないためのゲートのようです。


途中にも古墳がたくさんあります









頂上にある第一古墳、前方後方墳です。





そこから北を眺めると



金生山が見えます(この画像ではわかりませんね・・・)

やや東を見ると



金華山が見えます。(これも、はっきりとは見えませんねぇ・・・)

肉眼ではよく見えますよ。当然、瑞龍寺山頂遺跡も見えます。

古墳の場所は以下です




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用します

1987年の東海古墳文化研究会の分布・測量調査と,1989年の養老町教育委員会・三重大学の
分布確認調査によって,これらは少なくとも前方後方墳2基,方墳17基,円墳40基,形状不明
のもの3基の計62基からなることが判明している(東海古墳文化研究会1988,養老町教育委員
会1990)。その年代の詳細は分からないが,3世紀後半~6世紀に及ぶものと推定されている
(養老町教育委員会1990)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ウィキペディアでは2世紀中頃からとありますけど、こちらの方が信憑性が高いかと思います。


1号墳についての詳しい資料は、以下の所が参考になります

養老町教育委員会
富山大学人文学部考古学研究室





瑞龍寺山頂遺跡が、2~3世紀とされていますけど、彦坐王が岐阜にやってきたのは

250年ごろと思われますので、単純に考えると金華山に居た瑞龍寺山頂遺跡に関係する

人たちが大和朝廷である彦坐王にそこを追われてこちらに来たと推測していいのじゃないかなぁ。

年代がぴたりと合います。

その人たちを、狗奴国(くなこく)の人とする説もあります。

邪馬台国と対立していた倭人の国のことです

邪馬台国=大和朝廷とすると、やはり彦坐王が武力で金華山付近を制圧したとみるのが

正しいのかもしれません

そうとうの武力であったのでしょう

余談ですけど、伊奈波神社には、總神社(供奉軍兵五百余名)と言うものが祀られているそうです。

これは何を指すのか? 妄想すると、彦坐王の妻である川上麻須郎女(かわかみますのいらつめ)

といっしょに岐阜までやってきた兵の数?かも。

そう考えると、大和朝廷の兵士はもっと多いかもしれないので、

軍隊の人数は数千人と言うことになりますね。以上、妄想でした。。。

おまけです

帰り道、鉄塔がありましたんで、真下から









コメント

瑞龍寺山頂遺跡 ずいりょうじさんちょういせき

2018-06-24 15:51:04 | 神社

岐阜城のある金華山の南西に標高158mの瑞龍寺山があり、その山頂部に古墳の跡があります

地図です



金華山ドライブウエーの最終地点に車を止めると、展望台です



そこから見た瑞龍寺山




そこから、徒歩で5分で山頂に到着です。


中央に並ぶ岩の右側が第 1埋葬地で左側が第 2 埋葬地、前方後方墳とされ、時期は 100 年前後とのこと

邪馬台国と対立していた狗奴国(くなこく)の王の墓ではないかとも言われます。

狗奴国について調べても、諸説ありすぎて訳が分かりません。

これも、ぼちぼち調べていこうかな・・・



周りに樹が無ければ眺めは良いのでしょう

ドライブウエーの途中に見晴らしのいいところがあります。そこからの景色です


養老山脈の南端がわかります



東を見渡すと



このあたりを調べていて、非常に面白いことを発見しました。

ご紹介しましょう

まず、左下矢印ですが、金神社から直線を引きます


もう一方の場所は、彦坐王の墓とされている所です(実際は違います・・・断言!)
そのことについては後で。




全体を見ると



おまけ


きれいに並びます

彦坐王の墓とされている所から、冬至の日の入りを調べると


岩戸神社があります



ここは、おそらく物部の関係する神社と思われます。



もしかすると伊福部氏が建てたのかもしれません。←これ違いますね。たぶん



ですから、彦坐王の墓とされている所は、物部氏の、関係する人物の墓と思います。


おまけです

旧伊奈波神社からの冬至の日の出の先にあるのが、


琴塚古墳です。被葬者は景行天皇の后、五十琴姫命と伝えられます。





















コメント

倭姫命その12、ふたたび、おばあちゃんの居た所

2018-06-18 06:50:11 | 神社


その4で、おばあちゃんが居た所を推理しましたけど、どうも違うような・・・

調べていくと、方県津神社にある古墳は、5世紀のものとか・・・

これが本当なら、おばあちゃんの古墳じゃないね。

しかも、神社は以前別の場所にあったと。

とすると、古墳はおばあちゃんこと、川上摩須郎女命と久美浜(京都府京丹後市)から一緒に来た

伊福部氏のものかもしれません。

ならば、何処がおばあちゃんの住んでいたところなのか?

方県津神社の由緒を見てみましょう

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
由緒

日子坐王一族はこの地方に深い関係をもち農耕、治山、治水に貢献された。日子坐王の皇子丹波道主命は、崇神天皇の朝命を奉じて、丹波(山陰地方)に赴かれ四道将軍の御一人で、別名彦多都彦命(伊奈波神社)という。その奥方が当式内社方県津神社御祭神丹波之河上摩須郎女命、その御子日葉酢比売命又その御子五十瓊敷入彦命は(伊奈波神社)妃淳熨斗媛命(金神社)、その御子市隼雄命(橿森神社)及び擁烈根命(県神社)である、岐阜市内の総神社の親神様に当る。
全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彦坐王(日子坐王)=丹波道主命  と思いますので、彦多都彦命(伊奈波神社)との意味は

伊奈波神社の最初の主は彦坐王と言うことになります。現在の主祭神は、孫の五十瓊敷入彦命に

なっています。

このことについては、すでに水石亭主さんがいろいろ検討されておられますので、詳しくは

そちら参考にしていただければよろしいかと思います。


とすると、倭姫命のおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいたところは、伊奈波神社付近でしょうか?

現在の伊奈波神社は、斉藤道三が移動させたもので、それ以前は長良川のすぐ近くにありました。

地図です。中心の所がその場所です。




現在は、金華山の登山道の途中にあります。

公園の第3駐車場に車を止め、5分ほど





この上が、旧伊奈波神社です。


10分ほど、登山道を登ります



到着~♪



烏帽子岩です

神籬の場所でしょうか?


倭姫命の母の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)は、このあたりで育ったのでしょうか?








すぐ北には、長良川が見えます



駐車場近くから見た岐阜城です。




コメント