たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

本宮山 その1

2021-06-13 05:16:53 | レイライン
愛知県犬山市にある標高292.8m の山で、頂上には、大縣神社の奥宮があります。



大縣神社のhpはこちら





頂上の奥宮です




そのすぐ裏には


携帯のgoogle地図ですが、少し誤差があります




レイラインを調べるときに、どこを基準にしたらいいか分からないのです。

何か参考になる事が分かるかもしれないと思い、出かけました。

平日の午後ですけど、10人ぐらいの人に出会いました。意外と多いのに驚き。

久しぶりに頂上に行ったら、ベンチが設置されています。




東谷山が見えます。

少し下ると、北の景色がよく見えるようになっています。

矢印が、東之宮古墳の場所です。



以前、書いていますけど、ここ大縣神社の祭神は、彦坐王の息子である、

朝廷別命(みかどわけのみこと)=少彦名=佐田彦=猿田彦=乎止与命 と推測します。

妻は、東之宮古墳の埋葬者の娘でしょう。そして、娘が玉姫。

おそらく、妻は 真敷刀俾(マシキトベ)、その父親(東之宮古墳の埋葬者)は、尾張大印岐 

そして、玉姫=宮簀媛(ミヤズヒメ) と推測します。(自分でも驚いています)


今までの流れで、
大国恵比須神社が、大縣神社にあることも納得です。

話が少しそれました。

山頂からのレイラインがいくつかあるのですが、それについての何か手掛かりが無いものかと
出かけましたけど、なかなか分からないですね。

それと、以前から気になっているのですが、途中の鳥居から東に向かう道があるのです


地図には載っていません。今回は、体力が無いので行くことは断念です。

おそらく、この道が最初のものと思われるのです。

東之宮古墳付近からこの大縣神社に来る当時の道を推測してみます。


古代の道は、川に沿ってあるのが普通です。

新郷瀬川(しんごうせがわ)と言う川が入鹿池より犬山城まで流れていますけど、
元々は入鹿池の余剰の水の放水路として1934年に造られた人工河川とのことです。

東之宮古墳と、大縣神社の間には川が見当たりません。

古代にはあったかもしれません。しかし、木曽川が氾濫するとその位置がたびたび変わったかもしれません。

そのような場合は、山と平地の境目に道が出来たのではないかと推測します。

東之宮古墳と大縣神社奥宮の間にある古墳を調べてみました。

水色がそれにあたる古墳です。

妙感寺古墳は、4世紀後半~5世紀前半のもの。

永洞古墳は、8世紀のもの

長見古墳は時代が分かりません

白山神社古墳
 犬山市羽黒の白山神社境内にあります。径15mの円墳で、六世紀終わり頃

尾張富士大宮浅間神社 古墳ではありませんが、参考までに

入鹿村古墳
屯倉に関係する人物のものと思われるとのこと。時代はいつの頃でしょう?
5世紀頃でしょうか?

郷中古墳 時代が分かりません。しかし、ここから旧妙見宮奥之院付近を通って
内津神社を抜け、春日井の高蔵神社に行ったのだろうと推測します。
それについては後程・・・出来ればですけど・・・

入鹿池の周りには、現在確認できる古墳が25基ほどあるそうです。

池の中にはもっと多くの古墳が眠っているのでしょうね。

ですから、最初の道は入鹿池の方面より大縣神社に向かったものと思います。

鳥居横の謎の古道を散策してみたいですね。でも、あの鳥居まで行くには結構きついなぁ・・・




   PS 入鹿池は、寛永10年(1633年) に 築造完了した人口の池です。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新型コロナウィルスワクチン... | トップ | 本宮山その2 青塚古墳までの道 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

レイライン」カテゴリの最新記事