たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

大宮諏訪神社へ帰りましょうか。。。

2022-06-06 13:18:45 | 大宮諏訪神社
垂仁天皇がまだ美濃に来ていなければ、サタヒコ達はそちらに行き、母親と会ってきているでしょう。

すでに来ているならば、美濃に行くようなことは無かったでしょう。

これは調べようが無いのでどちらなのかわかりません。

いずれにせよ、来た道を帰ることになります。でも、今度は徒歩です。

当時の環境では、一日に、10kmほどしか進めないそうです。

道があったのかそれさえも分かりません。でも、今までおいらが調べた限りでも,

やはり一日に10kmが、適当と思います。

宿泊地のなごりが無いか調べてみました。


青色が川です。左端が犬山です。 そこから約10kmぐらいに白髭神社があります。

そこが1日目の宿泊場所でしょう。

2日目が、金山城のある所です。適当な神社は見つかりません。城跡がそれなのかもしれません。

製鉄の神様の、「金山彦神」と同じ「金山」です。

後の時代に、製鉄の技術者がこの地に来たのでしょう。

この後、30kmぐらいが、適当な場所が見つかりません。黄色のラインです。

丸山ダム付近に南宮神社と言う所がありますけど、時代が違います。

でも、名前がそれらしいですね。3日目です。

4日目が分からないです。

5日目が、白山神社。 「創祀未詳なれども、嘉応二年再建の棟札あり」とのこと。

 ここにしておきましょう・・・へへ。

6日目は、妙見神社、白山神社のある所ですね。

7日目は、神坂峠山頂です。神坂神社まで行っているかもしれません。

8日目は、昼神温泉近くの「白髭神社」 この近くには、阿智神社があります。

  阿智神社は、出雲系諏訪族に対抗する天孫系氏族の尖兵が駐留していた場所なのです。

つまり、後の時代ですけど、サタヒコ達の敵なのです。

なので、白髭神社の由緒などはわかりません。かろうじて名前だけが残っているのではないかと思い

候補に挙げておきます。

9日目は、天竜川に出るところにある「阿知原諏訪神社」

ここは5年ほど前に訪問したことがあります。地形的に見てもここが宿泊地の可能性が高いでしょう。

10日目に、大宮諏訪神社に到着です。

おつかれさま。。。










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サタヒコ達は何処へ向かったのか?

2022-06-06 05:09:26 | 大宮諏訪神社
妙見神社から、犬山まではおよそ60kmです。

木曽川の上流は流れが速いと思います。時速10kmでも6時間で移動可能です。

その日のうちに到着できるでしょう。

その時のことは、こちらに書いています
猿田彦その 17 大宮諏訪神社はなぜその場所なのか

やはり、その後向かったのは春日井と思います。

春日井の何処なのか?製鉄をしていたと思われる白山神社ではないかと推測します。




春日井の高蔵神社に行く途中の祠  その2
に書いています。

そこでは、彦坐王の墓は、春日井の高蔵神社に行く途中の祠 ではないかと書いていますけど、

そうではなく、この白山神社ではないかと思うようになりました。

なぜなら、製鉄をしていた場所という理由がありますけど、それよりも、レイラインを測量する時間の余裕など無かったと思うのです。

さらに、墓を作ったのはサタヒコではなく、彦坐王の周りにいた製鉄の技術者たちでしょう。

その後、サタヒコ達は残っていた技術者たちを連れて大宮諏訪神社に帰っていったと思います。

これから15年ほどの間、この地には誰もいなくなったかもしれません。

この時点で、美濃には何も起きていなければ、そちらにも行きサタヒコの母親にも合っているでしょう。

サホヒコも、おそらく同じように行動していると思います。


彦坐王の棺が、途中の祠に移動したのは、伊勢に行く直前、犬山で船を作っている時ではないでしょうか。



三種の神器は、鏡と勾玉、そして天叢雲剣ですね。

おいらが思うには、鏡は丹波で作られ出雲大社に行き、そこで倭姫により

大国主(サホヒコ)の御霊を宿した(適当な表現が分かりません・・・)

勾玉には、丹波で、アジサハヒメ(あめのうずめ)の御霊を宿します。

天叢雲剣は、これも丹波で作り犬山までもってきています。

サタヒコは、倭姫を連れ、春日井の白山神社に行き、倭姫により彦坐王の御霊を天叢雲剣に宿します。

その後、レイラインを測量して途中の祠の場所に棺を移動。

東谷山頂に古墳ができたらそちらに棺を移動。

ここまでがサタヒコの仕事でしょう。

その時の、天叢雲剣が現在、熱田神宮にある剣と思うのです。



いろいろと調べていると、

天目一箇神とイシコリドメの子孫が鏡と形代(レプリカ)の剣を作ったという説もあるようです。

形代の剣はどのように出来たのかは分かりませんけど、天目一箇神が、鏡と剣を作ったということは

今までの流れから考えると、かなり確立の高いことだと思います。




ヤマトタケルは架空の人物であり、東方遠征も架空の話と思います。

ちなみに、犬山の東之宮古墳のある場所は、「白山平」と言います。

白山神社は、この地名からついた名前ではないかと思うのです。

その逆かもしれません。どちらかでしょう。

サタヒコの関係する地名は「白」が付きますからね。。。
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妙見神社に行ってきました

2022-06-05 04:43:25 | 大宮諏訪神社

先週ですけどね

もう一度地図を見てみましょうか


正面に見えるのは、白山神社です。妙見神社はこの左側です。


これは、古墳ではないでしょうか?その中に祠があります。


1816年なので、ずいぶんと後になってからの神社の創建ですね。
しかもなぜ、妙見菩薩なのでしょうか?


妙見信仰について調べると、

インドで発祥した菩薩信仰が、中国で道教の北極星・北斗七星信仰と習合し、仏教の天部の一つとして日本に伝来したものである

天体、つまり星に関係しているのは、

この古墳の被葬者は、レイラインの測量者の誰かということなのでしょうか?


内々神社の妙見宮はこちらです


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東山道 神坂峠

2022-06-04 08:01:03 | 大宮諏訪神社


ここは、もう何度か行ってます。


もしかしたら、この場所で宿泊もできたかもしれませんね。




標高 1585m 気持ちのいい風が吹いています

縄文時代からすでに人が行き来していたんだ!

じゃあ、サタヒコ達は、地元に人に案内をしてもらったかもしれませんね。

中津川方面です。今日はあまり見通しが良くないですね


駐車場には5台ほど車がありました。この場所にいらした人と少し話をしました。

なんでも、恵那山まで出かけたそうです。疲れたと言って、駐車場で座り込んでおられました。

かなりの距離のようです。おいらは行きません! へへ;

途中の、「強清水」


道が細いので、休日には行きたくありません。

この日でも、10台ぐらいとすれ違ったかな。





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妙見神社 ( 岐阜県瑞浪市釜戸町)

2022-06-02 07:34:41 | 大宮諏訪神社
天竜川から木曽川までの移動のルートを書いてみました。

大宮諏訪神社から、いったん天竜川に出ます。

天竜川から、阿知川、そして、園原川。神坂神社を経由して、東山道 神坂峠遺跡に行きます。

ここが頂上付近です。頂上付近は、当然ですけど川がありません。

少し下ると、「強清水」と言う場所があります。

そこから、川が確認できるようです。冷川ですね。そこを下ります。

地図見ていて面白いと思ったのが、「冷川」の隣に「温川」があり、二つが合わさり「湯船沢川」

になっています。「湯船」と言う名前の通り、ここから船に乗ったのでしょうか?

カヌーのような、小さい船でしょう。と言うことは、木を切るのに必要な道具があるということ。

なたの様なものでしょうか?おそらく、鉄でできていると推測します。

さて、そこからさらに下ります。

ちょうど、中央道がある場所で、「落合川」と合流します。

名前は落合川に変わります。

1.8kmぐらいで、木曽川に接続します。

ここに、目印とする場所があるんじゃないかと考えて、調べてみると、神社がありました。

白山神社と妙見神社です。



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狼煙は見えるのでしょうか?

2022-06-01 13:53:05 | 大宮諏訪神社
「 猿投神社の場所」を書きかけていますけど、こちらの、「大宮諏訪神社」を、書き始めてしまったので

「 猿投神社の場所」は後に検討することにします。


風越山から美濃と春日井に線を引いてみます

それぞれ、狼煙を上げたであろう付近の山の頂上に合わせます。

標高を調べると、美濃までは視界を遮る山が無いようです。

しかし、春日井の方は恵那山で、風越山より高い場所があります
こちらです

この場所を見てみると

標高 約1551.3mです

風越山は、 標高1,535mなので春日井の高蔵神社の磐座付近を直接は見ることが出来ないと思われます。

でも、狼煙の煙は確認できるかもしれません。

狼煙を連絡の手段として使っていたかどうかはわからないのですけど、それ以外は思いつきません。

東山道が出来たのはこの時だと思います。

険しい恵那山越えをしているということは、この時の切迫した事情が原因ではないかと推測します。



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風越山(かざこしやま)までのルート

2022-05-31 08:06:05 | 大宮諏訪神社
サタヒコ達は、この地から犬山経由で美濃、もしくは春日井に行っていると推測していますけど、

何かその手掛かりが分からないかなと思って出かけたのです。

風越山(かざこしやま)  標高1,535m を見たときに、

ここから美濃や春日井の狼煙を確認したかもしれないと思い、すぐ東を流れている野底川を上流に向かいました。

野底山森林公園 キャンプ場というところまで行きましたけど、なんか方向が違うように思えて

引き返してしまいました。

風越山の存在を知らなかったので、予備知識無しでの行動ですので行き当たりばったりです。

今パソコンを相手に、地図を見ています


すぐ近くに、白山社奥宮がありますね。「白山」と言う名前は後からつけられたと思いますけど

サタヒコに関係する場所の可能性が高いです。


尾根伝いに虚空蔵山まで行けるようです。

そこからは、川の流れがあります。下っていくと、白山社 里宮がありました。

このルートが正しいようですね。

図に書いてみました


天竜川までの川の流れです








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大宮諏訪神社

2022-05-30 14:38:40 | 大宮諏訪神社

大宮諏訪神社  長野県飯田市宮の前4164−1

今回は、猿投神社とは関係ありませんけど、休息を兼ねて出かけてきました。

二度目の訪問です。おいらの推測では、サホヒコ(=伊勢津彦)と、サタヒコ(朝廷別王)は、

以前に書いたように、砥鹿神社から天竜川に出て、そこを遡りこの地に着いたとしています。

標高は、約542.8m  かなり高いので見晴らしの良い所を選んだのかもしれません。

とにかく行ってみましょう。



車が見える左側が、駐車場です。




階段を登ります


平日だったので、人影はまばら、というか、誰も居ません。


本殿の左側には

金山大神



すぐ横からは、近くの山が見えます。

このあたりでは一番高そうです。

風越山(かざこしやま)  標高1,535m


西にも神社があります。そこには



さらに



サタヒコに関する場所が見当たらないなぁ。そう思い、駐車場に帰ってきたその時、


ありました!  

庚申信仰は、神道の猿田彦神とも結びついているとのこと。

どうも「猿」つながりが原因らしいです。

この場所の「庚申」は「猿田彦」の事だと思います。

とにかく、鳥居のすぐ近くにありました。





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