およその年代を表にしてみると、何か分かるかもしれないと思い作ってみました。
年代については、やや誤差があることをお許し願います。
年代については
菊理比売姫は誰?その2で少し触れています。参考にしてください。
表のピンクになっているところの、286年~290年の間が、白山比咩神社から白山を越えて美濃、尾張
に行った時期と思います。
290年には崇神天皇が崩御していますので、サホヒコはそれから奈良を包囲しようと行動に移したのではないでしょうか。
ですので、290年~294年の間は、サタヒコ達は岡山を中心に四国、九州を廻り
鉄を供給することで、同盟する地域を築いていったと思います。
その期間は、白山越えのルートを通って美濃へ行くには時間が無かったかもしれません。
296年頃にサタヒコの妻である、アジサハヒメが亡くなっています。(水色)
この時には、サタヒコの母親は50歳ぐらい。当時ではかなりの高齢でしょう。
もし存命ならば、そしてサタヒコが美濃に行っていたならば次の事が当てはまるように思います。
ウィキペディアより引用します
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菊理比売姫(くくりひめのみこと)
日本神話においては、『古事記』や『日本書紀』正伝には登場せず、『日本書紀』の異伝(第十の一書)に一度だけ出てくるのみである
神産みで伊弉冉尊(いざなみ)に逢いに黄泉を訪問した伊奘諾尊(いざなぎ)は、伊弉冉尊の変わり果てた姿を見て逃げ出した。しかし泉津平坂(黄泉比良坂)で追いつかれ、伊弉冉尊と口論になる。
そこに泉守道者が現れ、伊弉冉尊の言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」と言った。
つづいてあらわれた菊理媛神が何かを言うと、伊奘諾尊はそれ(泉守道者と菊理媛神が申し上げた事)を褒め、帰って行った、とある。
菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていない
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もう一つ
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その妻(=伊弉冉尊)と泉平坂(よもつひらさか)で相争うとき、伊奘諾尊が言われるのに、「私が始め悲しみ慕ったのは、私が弱かったからだ」と。
このとき泉守道者(よもつちもりびと)が申し上げていうのに、「伊弉冉尊からのお言葉があります。『私はあなたと、すでに国を生みました。なぜにこの上、生むことを求めるのでしょうか。私はこの国に留まりますので、ご一緒には還れません』とおっしゃっております」と。
このとき菊理媛神が、申し上げられることがあった。伊奘諾尊はこれをお聞きになり、ほめられた。そして、その場を去られた。
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以上で、思いもかけず長くなりましたが、菊理比売姫は誰?についてある程度掘り下げることが出来た
のかもしれないと思っています。
間違っていることもあると思いますけど、分かり次第訂正していきたいと考えます。
とりあえず、このシリーズを終わります。