たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

門原神明神社のスギ

2021-10-04 18:51:28 | 巨樹、巨木
久しぶりの巨木巡りです。



かなり以前に、この杉を訪問しています。



このブログには記事が無いのでだいぶ前ですね。



樹高 36m
目通り幹囲 6.6m

樹齢はおいらが見るところかなりのものでしょう。400~600年かな?

ただし、合体木の可能性もあります。そうするともう少し若いかな?



鳥居は少し小さめです



ここを通り越して、国道156に出ようと思っていたのですけど、どうも通行止めのようなので

引き返しました・・・

最初ここを訪れた時、すごい山奥の印象があったけど、今回はそんな気がしない・・・

山奥に慣れたのだろうか?



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若狹姫神社

2020-11-05 05:22:01 | 巨樹、巨木





若狭姫神社は、元正天皇養老5年(721)2月10日、上社の若狭彦神社より分祀。





若狭姫神社の千年杉。



幹周/6. 0m、樹高/30m、樹齢/約500年。



久しぶりの巨木です。

樹齢500年とは思えない。1000年でも通るほどの大きさです。

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大湫神明神社の大杉が大雨の影響で倒れたようです

2020-07-12 18:16:44 | 巨樹、巨木
岐阜県瑞浪市の大湫神明神社の大杉が大雨の影響で倒れたようです


地図です



湫神明社は何度も訪問しています。

一番最初に見た大杉なんです。

元に戻せないか?・・・・無理だろうね・・・ お別れした巨木は、これで何本目だろう。 さみしいね。
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井戸神社のカツラ

2018-05-28 08:10:12 | 巨樹、巨木



久しぶりの巨木です。以前から行きたかったところに行ってきました。



場所は、滋賀県犬上郡多賀町大字向之倉字東反尻63番地 井戸神社




行き止まりに、車を止め少しだけ歩きます




現れました




後ろから






樹の奥にある神社


もっと写真を撮ったのですけど、残ってない・・・なんで?

気を取り直して



根基に水源があります。湧水でしょう。

以前は、この水たまりがコバルトブルーできれいだったと

それが見たくて訪れたのですけど、残念ながらあまりきれいとは言えず・・・

でも、静かで心落ち着くところです

カツラは、ある時期キャラメルのようなにおいがすると言います

いつなのか調べたら、主に落葉した葉から香るので、秋とのこと。

秋になったら、どこかのカツラに逢いに行きましょうか。。。





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根上がりの松

2017-04-16 15:22:39 | 巨樹、巨木



愛知県知立市八橋町五輪




幹回り2.7m、根回り15m、枝張り東西15m、南北12m、一番太い根回り1.5m、推定樹齢600年



この前の道が鎌倉街道のようです。この近くに、おいらは、10か月ほど滞在したことがあります。

でも、この辺りは、今回初めて来ました。



、徳川家康(元康)は、桶狭間の戦いに行く時,このあたりの近くの神社、寺で宿泊したのでしょうか?

少し離れたところに、知立神社がありますけど、ちょうどそのころには、さらに南にある重原というところに

移っています。(重原城はこの当時、松平が支配)そちらは、可能性はありますけどちょいと遠いので、

候補から外れるかもしれません。

元康は、知立から、知多半島の阿久比城にいる、母親にひそかに会いに行ってるとのこと。

馬を使ってのことですので、移動にはそれほど時間はかからないようです。片道1時間ぐらいでしょうか?



そのことが、おいらにはどうもひっかかるのです。

敵の陣地にわざわざ出向いてるということと、この時点では今川勢は、圧勝するとの流れなんですよね。

すでに、この時、元康と織田信長は、裏で通じていたんじゃないかなどと考えたくなるんですよ。

まあ、裏付けるものは何もないので空想の世界ではあります。




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那比新宮神社の杉

2015-08-09 05:34:19 | 巨樹、巨木

那比新宮神社 (岐阜県郡上市八幡町那比)



天暦元年(947)、藤原高光によって創建されたとのことです



このところ、猛暑が続きます

でも、ここまで来ると暑さは感じません


本殿です

久しぶりの巨樹めぐりです


向かって左の杉が一番大きいです



幹周/7.95m、樹高/30m



樹齢はわかりませんけど、かなりのものでしょうね



境内には大きな岩があります



ひょっとすると、磐座(いわくら)?

もしそうなら、神社創建以前から信仰の地だったかもしれません






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つかえばつかうほど森が再生されるワリバシ

2015-01-17 07:20:35 | 巨樹、巨木

そういえば、割り箸は森林破壊の元凶だという話を聞きましたよね。

でも、国産の場合はそうでもないみたいです。

あるところで、「つかえばつかうほど森が再生されるワリバシ」という言葉に出くわした

ワリバシカンパニー(通称「ワリカン」)だそうです・・・


使えば使うほど森が元気になる「間伐材」でできていますとのこと。

巨木を見に山の中に入っていくことが時々あります

そのときに思うのは、せっかく植林をしてあるのにそのまま放置されているなと思うことが

よくあります

その手入れとは、「間伐」なんですね。

ほかの、ワリバシ屋さんも同じ事をいっておられます

こちらから引用します。

**************
 植林された杉や桧は、年々の成長に伴い木々の間隔が狭くなってしまいます。そのままにしておくと、陽光が入らなくなり、ひ弱な木になってしまい、将来立派な丸太(原木)を育成する為には、過密になる木々の一部を計画的に伐る作業が必要です。
 その作業の事を「間伐」と言い、その際伐採された木材の事を「間伐材」と言います。

***************

木材は、外国から輸入したほうが、安かったから日本の森は残ってるのでしょうか?

でも、せっかく植林してもそのままではなんかもったいないと思うし

それと、杉などの根が浅い場所にしか張らない木は大雨のときに崩れやすく

災害の元になるといわれます

ニュースなどでは、そこまで踏み込んだ報道はされてないように思います。


そのような山崩れなどの修復にもこのまま放置された植林山では良くないのではないでしょうか。

その一歩として、国産のわりばしでも使いましょうか。

中国産は、薬品がかけられているとの話も聞きますからね。。。





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口神路白山神社の六本ヒノキ

2014-06-29 09:08:50 | 巨樹、巨木

今まで、何度か近くには来ましたけどわからなかった場所です


岐阜県郡上市大和町神路口神路(くちかんじ)





幹周650cm 樹高35m     樹齢600年



六本ヒノキといわれますが、実際は9本に分かれています

なかなかの迫力です



銀杏も、なかなかのもの

何本かまとめて大きく見せてある銀杏が時々ありますが、これはまさしく1本です


白山神社なんで泰澄大師と関係があるようです

こちらです


**************
泰澄大師について、ウィキペディアより引用します

大宝2年(702年)文武天皇から鎮護国家の法師に任じられ、その後養老元年(717年)越前国の白山にのぼり妙理大菩薩を感得した[1]。養老3年からは越前国を離れ、各地にて仏教の布教活動を行う[1]。養老6年元正天皇の病気平癒を祈願し、その功により神融禅師(じんゆうぜんじ)の号を賜った

***************


よくわかりませんが、養老6年元正天皇の病気平癒を祈願の帰りに神社を建てたのでしょうか?

その地は、ここではなく「あがたもり」に建てられたとあります

さて、そこはどこなんでしょうかね?

いろいろ調べましたけど、わかりませんでした。









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古子の紅梅

2014-04-20 09:44:53 | 巨樹、巨木

岐阜県下呂市小坂町長瀬古子







樹齢700年
ワイヤーで引っ張ってあります
気になるのは、横の水路です
昔は、ここから水を吸っていたのでしょう
今は、コンクリートで出来ていますんで水分の補給は出来ているのでしょうか?











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寺尾ヶ原千本桜公園

2014-04-06 05:05:35 | 巨樹、巨木
巨樹ではありませんけど、桜を見に行ってきました



場所は関市武芸川町谷口字寺尾というところ

山奥にもかかわらず、大勢の人が訪れていました




約2000本もの桜並木が県道沿い2kmにわたり咲いています

今の季節、この地域は桜三昧ですね

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久津八幡宮の夫婦スギ

2014-03-30 04:37:06 | 巨樹、巨木

久しぶりの巨樹

3度目の訪問です

下呂の桜の場所を探しに行ってきましたが、ついでに寄りました

岐阜県下呂市萩原町上呂
久津八幡宮









樹齢は、1,200年

近くで見ると、相当大きいです

向かって左の杉は上部が無く少し寂しいです

でも、手入れがいいのでしょう、まだまだ長生きしそうです


近くの、宮谷神明神社というところにも夫婦杉があるんで行こうとしましたが、時間の都合で断念。

次回にしましょう

桜の巨樹の場所も特定できましたんで、行きたいですね。

でも、いつごろ咲くんだろう?





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弁天桜と垂洞(たるぼら)のシダレモミ

2013-04-28 09:23:48 | 巨樹、巨木
先週、近くを通ったので久しぶりに弁天桜を見に行こうと出かけました

地図です

驚きました・・・花が咲いてないし、葉も出てない。

ひょっとすると、枯れてる?

樹齢500年なので、寿命?

そういえば、去年か一昨年に来たときにもそう思ったような気がします

もし、枯れたのなら非常に残念です

2009年にはまだ元気でしたけど残念です

気を取り直して、その先にある垂洞(たるぼら)のシダレモミに向かいます

その途中で、東白川村の花でもある”みつばつつじ”がきれいに咲いています




細い道を進むと、たどり着きます


少し見えにくいですけど、説明板です



それほど、大きな木ではありませんが、なんでこのように枝が垂れ下がるのでしょうね



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木祖村の桜

2013-04-21 05:31:10 | 巨樹、巨木
昨年、さがした桜を見に行こうと出かけました

場所はこちら



まさかの、つぼみ・・・




菅のエドヒガンもご覧の通り



さらに、奥へ行こうとしたらなんと、雪がどんどん降ってきた

なんで?

積もると危険なんで引き返しました

帰宅途中の東白川村のさくらです



このあたりは、まだ咲いてるね

弁天桜

この近くです
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天徳寺のさくら

2013-04-03 14:43:56 | 巨樹、巨木


旧中仙道沿いにあります

馬籠のすぐ近く

エドヒガン

3月30日の画像です



樹齢はわかりませんが、150年とも言われます

まあ、それくらいと思います

これより、さらに標高の高いところはまだ咲いていませんでした


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草薙の剣

2013-01-03 15:09:46 | 巨樹、巨木


名古屋の熱田神宮に行ってきました


くすのきは、材や葉からは樟脳(しょうのう)が採取される。
材のままでも芳香が強く、虫害を防ぐ。

とのことです

熱田神宮のご神体は、草薙の剣

以下引用です

****************

『古事記』には
須佐之男命が十拳剣(とつかのつるぎ)で蛇(やまたのおろちのこと)を切り刻むと肥河は血に染まって流れた。

そしてその尾をお斬りになったとき、刀の刃が毀れた

奇妙に思い割ってご覧になると、都牟刈之太刀(つむがりのたち)があったとされているそうです。


この太刀をとり、不思議なものだとお思いになり天照大御神に申し上げた。

********************

これが、草薙の剣(この名前は、後のヤマトタケルの時代になってからこう呼ばれています)

別名、「天叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)」です。

これは、誰も見てはいけないことになっているらしいのですが

江戸時代に一度、熱田神宮の宮司たちが夜、密かに、この御神体を見たという記録があるそうです。

以下引用です

******************

五尺(約1m50cm)ほどの木の箱に収められており、その中に石の箱があったということです。

しかも、その石の箱の中に、さらに樟(くす)の木で造られた箱があって、

その中にご神体の剣が入っていたということです。

*********************

くすのきで、刀の金属以外の部分が虫に食べられるのを防いだのでしょう。

おそらく、いろいろなものを保存するのに使われたのであちこちに植えられていたのでしょうね

この近くにも、くすのきの巨木は数本あります


さて、この剣、どんなものなんだろう?

大方の説は、十拳剣(とつかのつるぎ)は、青銅製で

都牟刈之太刀(つむがりのたち)は、鉄製であったとされています。

何処まで進歩した鉄製の太刀かはいろいろな説があるようです

鍛造されたものという説が

あります。

すると、十拳剣は、鋳造かもしれませんね

ならば、すでにこの時代の製鉄の技術はかなり進んでいたと見ることが出来ます

インドでは、驚くことにウーツ鋼というすごいものが古代に作られているそうです

なんだか、技術というのは場所により、時間をかなり行ったり来たりしてるようでおもしろいです。


このように、製鉄の技術が進んでいたとすると、ヤマタノオロチは、製鉄をする集団

もしくは、そのために伐採された森林の保水力が無く、氾濫した川のことかもしれません。

実際、ヤマタノオロチの場所は砂鉄があるところとされています。




この太刀をスサノオは神剣として天照大神に献上した

とありますが、本当はどうでしょう?

製鉄をする手段を手に入れたならば、何本も作れるわけですから、

ひょっとすると、スサノオがアマテラスオオミカミに対して脅しをかけたかもしれないなどと

勝手に想像してます。



前回、書きかけたオオクニヌシについても、いろいろと調べています

なにぶんにも、古いことなので・・・(笑)

いろいろな説があるようです









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