たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

これってヤバくない?

2013-01-31 13:24:17 | Weblog
ニュースから引用

**************

米空軍が、近くB2戦略爆撃機を、グアムを拠点に展開させることが29日、分かった。

B2はレーダーに探知されにくいステルス機で、核爆弾も搭載可能。

米軍の核戦力の一翼をなしており、抑止力を顕示することで、

3回目の核実験実施を予告した北朝鮮をけん制する狙いがあるとみられる。 

*******************

北朝鮮は、ミサイル発射実験の成功の後に、アメリカを名指しで「標的にする」と言ったんで

それに対する行動でしょう。

というより、口実が出来たぞ、というような気がするのはおいらだけだろうか?

これで、核実験したらかなりの確率で、爆撃をするんじゃないだろうか?

中国に対するけん制も同時に出来るんじゃぁ?

なにやら、最近きな臭い話が多いなぁ。


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伊久良河宮 天神神社

2013-01-27 05:30:33 | 神社

伊勢神宮の内宮本殿の絵を描いていていろいろ調べていたら、「元伊勢」という言葉に出くわした

近くにあるところをさがして行ってきました


伊久良河宮 天神神社    岐阜県瑞穂市居倉  地図



ごく普通の神社のようですが、なかなか立派な拝殿があります



さらに、奥に行くと、御船代石(みふなしろいし)といって、

天照大神の神輿を安置した跡とも伝えられる石があります。




さて、元伊勢とはどういうことかと調べました。

元伊勢は、三重県伊勢市にある伊勢神宮が、

今あるところにできる以前に一時的に天照大御神が祀られた神社・場所なのだそうです。



伊勢内宮に祀られているのが、天照大御神です。

崇神天皇の時代までは皇居内に祀られていたのですが、この時代疫病が流行り、

その状態を畏怖した同天皇が皇女である豊鋤入姫命に託して倭国笠縫邑に移したのに始まり、

更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、垂仁天皇の第4皇女倭姫命がこれを引き継いで、

およそ90年をかけて現在地に遷座したと伝わっているそうです。

『古事記』にはあまり書かれておらず、『日本書紀』で簡略に、

『皇太神宮儀式帳』にやや詳しく、『倭姫命世記』により詳述されているとあります



いろいろ調べてみると、『倭姫命世記』に書かれている場所はどうも誇張されているみたい。

おいらは、学者じゃないんで詳しくは分かりませんけど、『皇太神宮儀式帳』も少し誇張が

あるという資料も見かけます。

今回訪問した、伊久良河宮 天神神社は両方に書かれているんで信憑性がやや高い?


なぜ、元伊勢を転々としなければならなかったのかも、さまざまな説があるようです

大物主大神という人がいて、その方が、崇神天皇より勢力が強く、そのため追い出されたとか

大物主大神という人は、大国主命と同一人物かもしれないといわれる説もあります

人物ではなく、集団とも言われます。



元伊勢は、侵略された場所だとかいろいろあるようですが、おいらが、これかなと思うのは


「「すず」という、古代より製鉄の原料を求めての旅というもの。


「すず」とはなんぞやというと、沼沢や湿原に生える葦・薦(こも)・茅(かや)

の根に、鉄鉱石成分が付着しどんどん成長し、中が空洞になると同時に小さな塊が残り、

振ると音がするようになるそうです。

ここから、「すず(鈴)」といわれるようになったそうです。


現代でも、神社などで鈴を鳴らすのは、この「すず」がたくさんとれるように、

と祈った名残りだそうです。


この 「すず」は、土器を焼くくらいの温度で精錬されたそうで、

縄文時代からすでにこれを使う簡易な製鉄が行われていた可能性がある とのことです。

ここまで調べると、前に書いた「オオクニヌシノミコト」と、関連が出てきます

そのことについては、少し整理して次回に書きたいと思います・・・出来ればですが・・・



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オオクニヌシノミコト

2013-01-12 13:08:23 | Weblog
前回、神事のところで書いた、オオクニヌシノミコトのことを

あれこれ調べています

なにぶんにも、抽象的なことしか書いてないので大変です



まず、

ヤマタノオロチ伝説から話を
進めましょうか。簡単なあらすじはここでお願いします


高天原を追放された須佐之男命は、出雲国の肥河(島根県斐伊川[1])の上流の鳥髪(現・奥出雲町鳥上)に降り立った。




『古事記』には
須佐之男命が十拳剣(とつかのつるぎ)で蛇(おろち)を切り刻むと肥河は血に染まって流れた。そしてその尾をお斬りになったとき、刀の刃が毀れた奇妙に思い割ってご覧になると、都牟刈之太刀(つむがりのたち)があったとされているそうです。




この太刀をとり、不思議なものだとお思いになり天照大御神に申し上げた。

別名、「天叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)」です。



この出雲の地が気に入った須佐之男命は、奇稲田姫と住み、その後、多くの子どもが誕生。

これが、日本での最初の結婚とされ、縁結びの神様とされているという説があります


その子とか、その7世とも、その7世の孫とも言われている人が、大国主命(おおくにぬしのみこと)だそうです。
(『日本書紀』本文によるとスサノオの息子。また『古事記』、『日本書紀』の一書や『新撰姓氏録』によると、スサノオの六世の孫、また『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされている。)


ようやく、ここで、大国主命がわかりました。

でも、その祖先の須佐之男命(スサノヲ)は、天照大神の弟という重要な神とされています。

そして、須佐之男命は天照大神が天の岩屋に隠れてしまった元凶です。




須佐之男命は、本当に天照大神の弟か?

あきらかに扱いが違うように思います。

本当の、兄弟ではないかもしれない



これも、いろいろ調べると、さまざまな説が・・・


これなんか如何でしょう?

 須佐族というのは新羅系帰化人の集団。先住の海人族を駆逐して出雲の砂鉄地帯を占領し、韓鍛冶系鉄の文化を背景に勢力を増強した


話が少し飛びますけど

ヤマタノオロチ伝説ですが、いろいろな解釈がこれもあるようです。

おいらが、面白いなという説は、大蛇は川の氾濫でそれを治水工事を行ったことで

治めたというもの


もうひとつは、上流に製鉄をする集団がいてそこを責めたという話。
日刀保たたらという場所と、須佐之男命が降り立った場所は同じところのようです
後からの、こじ付けかもしれませんけど

この時代の製鉄技術を少し調べる必要があるようです



話を元に戻しましょう

スサノオの息子である大国主(オホナムチ)が、スクナビコナと協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え、葦原中国の国作りを完成させたといわれる(日本書紀)。

葦原中国とは、地上の人間が住む世界。おそらく、出雲地方のことでしょう。

天上界には高天原、

地中には黄泉(死者の世界のこと。古事記では黄泉國と表記される。)があったとされています。



さて、

高天原を治めていた天照大神(アマテラスオオミカミ)が、「葦原中国(あしはらのなかつくに)は我が子が統治すべき」とお思いになりました。

これが、国譲りです。詳しくはこちら。

ようやく、つながりましたね。

大和朝廷であろう、天照大神と、大国主神(大国主命のこと『古事記』『日本書紀』ではすべて大国主神と記す)は、別の系列と考えると納得いきますね


これも、いろいろな説があるようです

出雲族と大和族との勢力争いで、結果、大和族の勝利となったわけのようです。

これが、国譲りと言われるものですが

天照大神は、最初は交渉人を送っています

結果としては、おそらく武力で征服したのでしょう

その後、大国主神は、殺されたとも追放されたとも言われますが

その代償に出雲大社が造られたとされています。


引用です
***********

大国主神は「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げる。その代わり、私の住む所として、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい。私の百八十神たちは、事代主神に従って天津神に背かないだろう」と言った。

************

それは、古代出雲の時代には96mの天空の神殿であったそうです。

             ↑
 
       どうやって作ったんだろう?


ここで言う、百八十神が、大国主神の支配していた豪族であろうといわれ、年に一度出雲の国に

詣でていたのが、現在で言う神無月のことのようです




ちなみに、オオクニヌシは小づちを持って俵の上に乗った姿が有名な大黒様、コトシロヌシは鯛と釣竿を持った恵比寿様、この二人が親子なんですね。





















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心願成就

2013-01-04 21:28:44 | 
毎年恒例になりました。

岐阜県の須原神社で、お札をいただいてきました

まだ神棚が無いので、そろそろ作りたいと思うのです

まず、その前に描いてみよう!



まだ途中です

かなり、伊勢神宮の内宮本殿を意識してなるべく同じように描いてます

なかなか難しいですね

いろいろな発見もありです

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草薙の剣

2013-01-03 15:09:46 | 巨樹、巨木


名古屋の熱田神宮に行ってきました


くすのきは、材や葉からは樟脳(しょうのう)が採取される。
材のままでも芳香が強く、虫害を防ぐ。

とのことです

熱田神宮のご神体は、草薙の剣

以下引用です

****************

『古事記』には
須佐之男命が十拳剣(とつかのつるぎ)で蛇(やまたのおろちのこと)を切り刻むと肥河は血に染まって流れた。

そしてその尾をお斬りになったとき、刀の刃が毀れた

奇妙に思い割ってご覧になると、都牟刈之太刀(つむがりのたち)があったとされているそうです。


この太刀をとり、不思議なものだとお思いになり天照大御神に申し上げた。

********************

これが、草薙の剣(この名前は、後のヤマトタケルの時代になってからこう呼ばれています)

別名、「天叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)」です。

これは、誰も見てはいけないことになっているらしいのですが

江戸時代に一度、熱田神宮の宮司たちが夜、密かに、この御神体を見たという記録があるそうです。

以下引用です

******************

五尺(約1m50cm)ほどの木の箱に収められており、その中に石の箱があったということです。

しかも、その石の箱の中に、さらに樟(くす)の木で造られた箱があって、

その中にご神体の剣が入っていたということです。

*********************

くすのきで、刀の金属以外の部分が虫に食べられるのを防いだのでしょう。

おそらく、いろいろなものを保存するのに使われたのであちこちに植えられていたのでしょうね

この近くにも、くすのきの巨木は数本あります


さて、この剣、どんなものなんだろう?

大方の説は、十拳剣(とつかのつるぎ)は、青銅製で

都牟刈之太刀(つむがりのたち)は、鉄製であったとされています。

何処まで進歩した鉄製の太刀かはいろいろな説があるようです

鍛造されたものという説が

あります。

すると、十拳剣は、鋳造かもしれませんね

ならば、すでにこの時代の製鉄の技術はかなり進んでいたと見ることが出来ます

インドでは、驚くことにウーツ鋼というすごいものが古代に作られているそうです

なんだか、技術というのは場所により、時間をかなり行ったり来たりしてるようでおもしろいです。


このように、製鉄の技術が進んでいたとすると、ヤマタノオロチは、製鉄をする集団

もしくは、そのために伐採された森林の保水力が無く、氾濫した川のことかもしれません。

実際、ヤマタノオロチの場所は砂鉄があるところとされています。




この太刀をスサノオは神剣として天照大神に献上した

とありますが、本当はどうでしょう?

製鉄をする手段を手に入れたならば、何本も作れるわけですから、

ひょっとすると、スサノオがアマテラスオオミカミに対して脅しをかけたかもしれないなどと

勝手に想像してます。



前回、書きかけたオオクニヌシについても、いろいろと調べています

なにぶんにも、古いことなので・・・(笑)

いろいろな説があるようです









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あけましておめでとうございます

2013-01-01 00:09:31 | Weblog


今年もよろしく~♪
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