伊木山にお城があったこと知りませんでした・・・
なぜか登ったことも無かったんです
駐車場が午後5時には閉まるのでなかなか行けなかったんですよね
地図です
信長公記によると、織田信長は、猿ばみ城、宇留摩城を攻めるために、両城を見下ろすことのできる
伊木山に要害(砦)を築いた。
織田勢はそこで、昼夜城をにらんで滞陣した。とあります。
伊木山は、キューピーの寝姿に似ていると言われているそうですけど、どうですか?
右の小高いところに展望所があり、キューピーの鼻といわれているそうです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/0f/85e77bfdc3ea068fb8940e8477996816.jpg)
おいらの子供のころは、大仏さんが寝ていると言ってたような気がしますけど
中央です。 頂上が、城があった場所とおもいます。
さらに左、西の部分です。 左に岐阜城が見えます
画像大きくすると
上の画像は、伊木山の南、木曽川の堤防から撮ったものです
信頼度が低いとされる「武功夜話」には、このときのことが詳しく書かれています
詳しすぎるから、創作した偽者という声もあるようですけど、この時の木下藤吉郎の足取りを
調べたら、なかなかリアルと思うのです
藤吉郎は、まず、松倉城に着陣。隊を二つに分け、伊木山へは蜂須賀衆を川伝いに進め、
自らは松倉衆を引き連れて、魔免戸口(各務原市前渡)より中之道へ進み、
宇留間城山の西方十五町の巾上(羽場)に陣を構え、宇留間城と対陣。
およそ、このようになります
この、赤い線は岐阜城と、前度不動がある山をつないだ線です。
ちょうど、扶桑緑地公園のあたりを通ります
どういうことかというと、岐阜城(とりあえずこう呼びます)からは、山に隠れて見えないということ。
伊木山に向かった蜂須賀衆は、270人、木下藤吉郎の方も280人ほどの人数。
岐阜城からは、充分確認できる距離と思います
まったくのおいらの推理ですけど、藤吉郎はあえて岐阜城から見ないように動いたように思うのです
とすると、木曽川を渡るのは扶桑緑地公園あたりからと思います
前度不動山の北には、荒井山、長平山があり伊木山に行く道中も、岐阜城からはそれらの山に
かくれたり、低い場所もけっこうあるので見えないようです。
そして、藤吉郎が布陣した、巾上(羽場)と言うところには、藪下と言う言葉が出てきます。
引用します・・・・・巾上(羽場)の大藪下の木下藤吉郎様、御陣所へ御案内・・・・・とあります。
このあたり、おそらく古い時代に木曽川の浸食のせいで、段差が出来ています
その段差の下のことを藪下と呼んだのではないでしょうか・・・勝手に想像してます。←信頼度が低い?
伊木山の北から
そして、西を見ると
段差わかるでしょうか?
わかりやすいところズームUP
ここかどうかは、わかりませんけどね。。。