たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

根上がりの松

2017-04-16 15:22:39 | 巨樹、巨木



愛知県知立市八橋町五輪




幹回り2.7m、根回り15m、枝張り東西15m、南北12m、一番太い根回り1.5m、推定樹齢600年



この前の道が鎌倉街道のようです。この近くに、おいらは、10か月ほど滞在したことがあります。

でも、この辺りは、今回初めて来ました。



、徳川家康(元康)は、桶狭間の戦いに行く時,このあたりの近くの神社、寺で宿泊したのでしょうか?

少し離れたところに、知立神社がありますけど、ちょうどそのころには、さらに南にある重原というところに

移っています。(重原城はこの当時、松平が支配)そちらは、可能性はありますけどちょいと遠いので、

候補から外れるかもしれません。

元康は、知立から、知多半島の阿久比城にいる、母親にひそかに会いに行ってるとのこと。

馬を使ってのことですので、移動にはそれほど時間はかからないようです。片道1時間ぐらいでしょうか?



そのことが、おいらにはどうもひっかかるのです。

敵の陣地にわざわざ出向いてるということと、この時点では今川勢は、圧勝するとの流れなんですよね。

すでに、この時、元康と織田信長は、裏で通じていたんじゃないかなどと考えたくなるんですよ。

まあ、裏付けるものは何もないので空想の世界ではあります。




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雲上の桜

2017-04-09 06:02:28 | 



揖斐郡池田町の毘沙門院にあります。 (岐阜県揖斐郡池田町池野112



推定樹齢500年、幹周3.67m、樹高10m、

満開時に花をつけた枝が入道雲のように見えるところから、「雲上の桜」と命名されたそうです。




ベニシダレザクラとのことですけど、これが、原種なのか園芸品種なのかはわかりません。

花の咲く時期は、ソメイヨシノより少し早いようです


満開を少し過ぎたというところでしょうか。



樹齢500年といわれますけど、その迫力は十分あります

すぐ近くに、広い駐車場があるので車で行っても大丈夫です。
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瀬名姫

2017-04-02 13:07:47 | Weblog
瀬名姫(築山殿)は1542年頃に、今川氏の重臣である関口親永(せきぐちちかなが)という武将の娘として生まれました。

「瀬名氏」とは、もともとは今川氏の出とのこと。

静岡県静岡市葵区瀬名の地名から「瀬名」と名乗ったそうです

瀬名姫の母親は、今川義元の妹と言われますけど、

始め今川義元の側室となり、後にその養妹となるとの説もあります


その、瀬名姫が、松平元信(後の徳川家康ですが、16歳の時に元服し、「松平元信」その後「元康」と

改名しているのですけど、それがいつなのかがどうもよくわかりません、あしからず)

と結婚することになったのですけど、

松平元信は、人質という立場、身分的には不釣り合いな結婚ですね


そして若い2人の間には、永禄2年(1559年)3月6日に嫡男・信康、(この時、家康は17歳ぐらい)

翌・永禄3年(1560年)6月4日に長女・亀姫が生まれます

しかし、桶狭間の戦いが起き、今川義元は殺害され、松平元康(家康)は、岡崎城に入ってしまった

瀬名姫とその子供たちは今川の人質となったことになります

その後、人質交換で岡崎に行くのですけど、

瀬名姫は岡崎城には入れず(家康の母・於大の方が岡崎城に入ることを許さなかったといわれます)

岡崎城の外れにある菅生川のほとりの惣持尼寺(惣持尼寺は昭和2年に別の場所へ移転)で、幽閉同然の生活を強いられたとのこと。

惣持尼寺があった場所は、おそらくここ「西岸寺」
のあたりとのことです






国道1号線から見た、岡崎城方面、この奥が城です。さくらはまだ、数輪の開花状態です

でも駐車場は、観光バスが何台も止めてありました



1579年、瀬名姫(築山殿)は家康の命令によって殺害されます

原因は、いろいろ説がありますけどわからないというのが現状のようです

さらに、生きていたという説もあります。






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