たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

トマト

2021-06-22 13:35:14 | 植物
中玉トマトと、ミニトマト鉢植の出荷の最中です



ようやく大きさにボリュームが、出てきました。

実がついているけど、鉢としてまだ出荷できなものはおいらの口に入ります。。。

特に美味しい品種なのでうれしいね。

これから、当分の間トマト食べ放題です。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本宮山 その3 田縣神社

2021-06-17 11:07:11 | レイライン


こちら、田縣神社のHPです



日曜日の訪問ですけど、大勢の人が参拝に来ておられます。

皆さん、生まれたばかりの赤ちゃんを連れての参拝です。

子宝安産の神様なんですね。



祭神は、御歳神(ミトシノカミ)と、玉姫命(タマヒメノミコト)

今までの流れを正しいとすると、玉姫命は朝廷別王の娘で宮簀媛(みやずひめ)です。

御歳神は誰だろう? 人物ではなく抽象的な神様でしょうか?  分かりません・・・

田縣神社のHPから引用します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
御歳神と玉姫命
 御歳神(ミトシノカミ)は素戔嗚尊(スサノオノミコオ)の孫で、大歳神(オオトシノカミ)の子。農業をつかさどる神様で五穀豊穣の守護神です。
 玉姫命(タマヒメノミコト)は尾張地方開拓の祖神である大荒田命(オオアラタノミコト)の王女。尾張氏の健稲種命(タケイナダネノミコト)の妃。二男四女の子宝に恵まれたが、夫亡き後は故郷荒田の里(現鎮座地)に帰り、父を助け開拓に励み、子女教育に勉められ、その功績を称え、後に合祀しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

御歳神を、朝廷別命とすると、「大歳神」は彦坐王になり、素戔嗚尊(スサノオノミコオ)は、開化天皇と言うことになります。

PS   ↑
  間違ってます  
大歳神=朝廷別命=サタヒコ=猿田彦 で、素戔嗚尊(スサノオノミコオ)は、彦坐王、
御歳神は、猿田彦の子になります。


玉姫命=宮簀媛(みやずひめ)とすると、その夫である「健稲種命」は、「景行天皇」と推測します。

で、彼は死んだのではなく、他の女性の所に行ったのでしょう。

なんせ、景行天皇は子供が   80人   ほどいるのだそうです・・・

一説によると、「 10人の妻。側女も多く、80人もの子どもに恵まれた 」とのこと。

子孫繁栄にはもってこいですね・・・


気を取り直して、、、レイラインを見てみましょうか。


本殿から



大縣神社奥社を通ります


先日調べた、大縣神社奥社直撃ですね。。。




本殿です。

本殿の左側には


建物に行ってみましょう。


ご神体です


非常にご立派なご神体です。日本一! 

さらに奥には


こういうことをする人物は・・・やはり朝廷別王だと思うのです。

以前から書いてますけど、彼は「おちゃめ」なのです。。。

流れから感じると、すごくユニークな人物のように推測します。

そして、呼び名の多さにも驚きます。

当時の人は、呼び名が多いのでしょうか?

それぞれの呼び名が有名だから記録に残っているだけかもしれませんけど・・・

朝廷別王=サタヒコ=猿田彦=少彦名=オトヨ まだまだ他にもそれらしき候補がたくさんあります。

話は少し横道にそれますけど、ちょいと妄想をしてみたいと思います。


少彦名は、海の向こうの常世の国からガガイモの実の船でやって来た小人神。

御伽草子の一寸法師などのルーツとも言われています。

明るくユーモラスでいたずら者、豊かな知識と技術をもつ知恵者。

こう言われます。一寸法師が、剣としているのは、「針」ですよね。

朝廷別王の係わる場所や人物に「針」と言う呼び名が使われることがあります。

針綱神社、針名神社、小針、大針、

尾張神社の住所は、愛知県小牧市小針2丁目

大縣神社の近くにも


名古屋にある、「平針」と言う地名もそうでしょうね。

どういう意味で「針」を使っているのか分かりませんけど、一寸法師が、剣として使っている

「針」から来ているのかもしれないなと思うのです。

尾張も最初は、小針(こばり、おはり?)と呼んだかも?

以上、妄想を  おわり  ます。



























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本宮山その2 青塚古墳までの道

2021-06-14 15:25:59 | レイライン
さて、本宮山から、青塚古墳までは、どういう道があるのか、やや乱暴ですけど、現在の川をたどってみます。



本宮山から、五条川を下ると、(青色の線)萱津神社を通ります。その後、新川に合流して、海に至ります。

でも、青塚古墳は、少し距離があります。

木津用水(合瀬川)は、1650年に完成した人口の川ですけど(赤色の線)、そこからの方が近いのです。

元々なんだかの川の流れがあったのかもしれません。

それとも、当時の五条川は、青塚古墳の近くを通っていたのかもしれません。

ちなみに、織田信長が建てた、小牧山城のすぐ東には合瀬川が流れています。

その当時に、合瀬川が流れていた可能性も十分考えられますが、調べてもきちんとした資料は見つかりませんでした。


参考までに、江戸時代の地図を見つけました



この地図に、薬師川と言う名の川があります。

その川沿いに、田縣神社があります。

田縣神社については、また別の機会に調べてみようと思います。













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本宮山 その1

2021-06-13 05:16:53 | レイライン
愛知県犬山市にある標高292.8m の山で、頂上には、大縣神社の奥宮があります。



大縣神社のhpはこちら





頂上の奥宮です




そのすぐ裏には


携帯のgoogle地図ですが、少し誤差があります




レイラインを調べるときに、どこを基準にしたらいいか分からないのです。

何か参考になる事が分かるかもしれないと思い、出かけました。

平日の午後ですけど、10人ぐらいの人に出会いました。意外と多いのに驚き。

久しぶりに頂上に行ったら、ベンチが設置されています。




東谷山が見えます。

少し下ると、北の景色がよく見えるようになっています。

矢印が、東之宮古墳の場所です。



以前、書いていますけど、ここ大縣神社の祭神は、彦坐王の息子である、

朝廷別命(みかどわけのみこと)=少彦名=佐田彦=猿田彦=乎止与命 と推測します。

妻は、東之宮古墳の埋葬者の娘でしょう。そして、娘が玉姫。

おそらく、妻は 真敷刀俾(マシキトベ)、その父親(東之宮古墳の埋葬者)は、尾張大印岐 

そして、玉姫=宮簀媛(ミヤズヒメ) と推測します。(自分でも驚いています)


今までの流れで、
大国恵比須神社が、大縣神社にあることも納得です。

話が少しそれました。

山頂からのレイラインがいくつかあるのですが、それについての何か手掛かりが無いものかと
出かけましたけど、なかなか分からないですね。

それと、以前から気になっているのですが、途中の鳥居から東に向かう道があるのです


地図には載っていません。今回は、体力が無いので行くことは断念です。

おそらく、この道が最初のものと思われるのです。

東之宮古墳付近からこの大縣神社に来る当時の道を推測してみます。


古代の道は、川に沿ってあるのが普通です。

新郷瀬川(しんごうせがわ)と言う川が入鹿池より犬山城まで流れていますけど、
元々は入鹿池の余剰の水の放水路として1934年に造られた人工河川とのことです。

東之宮古墳と、大縣神社の間には川が見当たりません。

古代にはあったかもしれません。しかし、木曽川が氾濫するとその位置がたびたび変わったかもしれません。

そのような場合は、山と平地の境目に道が出来たのではないかと推測します。

東之宮古墳と大縣神社奥宮の間にある古墳を調べてみました。

水色がそれにあたる古墳です。

妙感寺古墳は、4世紀後半~5世紀前半のもの。

永洞古墳は、8世紀のもの

長見古墳は時代が分かりません

白山神社古墳
 犬山市羽黒の白山神社境内にあります。径15mの円墳で、六世紀終わり頃

尾張富士大宮浅間神社 古墳ではありませんが、参考までに

入鹿村古墳
屯倉に関係する人物のものと思われるとのこと。時代はいつの頃でしょう?
5世紀頃でしょうか?

郷中古墳 時代が分かりません。しかし、ここから旧妙見宮奥之院付近を通って
内津神社を抜け、春日井の高蔵神社に行ったのだろうと推測します。
それについては後程・・・出来ればですけど・・・

入鹿池の周りには、現在確認できる古墳が25基ほどあるそうです。

池の中にはもっと多くの古墳が眠っているのでしょうね。

ですから、最初の道は入鹿池の方面より大縣神社に向かったものと思います。

鳥居横の謎の古道を散策してみたいですね。でも、あの鳥居まで行くには結構きついなぁ・・・




   PS 入鹿池は、寛永10年(1633年) に 築造完了した人口の池です。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新型コロナウィルスワクチン打って来ました

2021-06-12 08:12:50 | Weblog
30分前に会場に到着。すると、待ち時間なし。すぐに、会場内に入り熱を測り問診票のチェック。

おいら、アレルギーがあるので心配していましたけど、問題なし。

接種です。  全然痛くありません。

利き腕である右腕にしました。次回は、反対の腕にしようかと。

2回目の方が痛いという話を聞いていたので、そうしましたけど、2回とも利き腕じゃない方でもいいのじゃないかな?

家を出る前に、コップ一杯の水を飲んでいきました。副反応が和らぐそうです。

1杯じゃ足りないかもしれないね。次回は2杯飲んでいこうかな?



接種後、数十分待機して、終了。。。

母親の時と比べたら早い!  トヨタの影響だろうか?



朝になって、少し針の跡が痛い程度です。

2回目は、3週間後の同じ時間と場所です。


誰かが言ってたけど、2回接種するとスーパーサイヤ人になった気分とか・・・

分からんでもないなぁ。。。

オリンピック たぶん成功するよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする