たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

諏訪大社上宮本宮

2016-09-25 13:26:09 | 神社
前宮から、車で数分


本殿です


本殿にはこれ以上近づけません。ご祈祷をお願いすれば中に入れるのでしょうか?


御柱



ケヤキでしょうか、かなりの巨木です



失われたイスラエルの10支族というのが、気になっていたので少し調べてました。

 北イスラエルは、10支族

ルベン族
シメオン族
イサカル族
ゼブルン族
ガド族
アセル族
ダン族
ナフタリ族
マナセ族
エフライム族



 南イスラエルは2支族

ユダ族
ベニヤン族、

そして、レビ族。このレビ族は祭祀を司る専門職で、支族には数えないとのこと

シンボルマークがありました


そういえば、諏訪大社にも神紋というのがたしかあったような

ありました梶の葉とか

イスラエルのシンボルマークの中に似たのがありません?


さて、

北イスラエルは、紀元前722年アッシリアにより滅ぼされたとのこと

ここで、ふと思ったのです

皇紀っていつから?

西暦2016年(本年)は、神武天皇即位紀元2676年に当たる。とのこと

BC、660年が始まり。

つながりが、何かあるんじゃないかと調べたら、やはりいろいろと出てきました



こちら参考にさせてもらいました

初代天皇である神武天皇が即位したとされる年はB.C.660年。

一方、南イスラエルも、滅亡する危機に立たされていたとき、

イザヤという預言者が、東の国々に救いがあるとして、自らもBC.690年ごろ、レビ族の部隊とともに

船で東に向かったとされます

そのとき、高天原で、島々に移り住む準備をしていたとのこと

その、高天原とは琉球ではないかとのこと

イザナギ、イザナミは、このイザヤの名前から出来たのではないかとのこと

さらに、日本列島をイスラエルの経度に合わせて、支族のいた場所をコピーしたようです

こちらに詳しく書かれておられます

南イスラエルは九州の場所になるのでしょうか

そうすると、諏訪は?



やはり、アシェルでしょうか?

弥生時代は、この時代から始まるようです


引用です
・・・・・・・・・・・・・・

紀元前660年は伝統的な土器様式などに基づく編年によれば縄文時代晩期、

2003年以降に国立歴史民俗博物館の研究グループなどが提示している

放射性炭素年代測定に基づく編年によれば弥生時代前期にあたる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

少しは、疑問なところもありますけど、ほぼ神話と重なってしまいます

それよりも、神話がただの作り事ではなく史実に沿っているとも思われます

日本の始まりが、BC、660年というのが信憑性があるんじゃないかと思うと

なにか、うれしいですね。。。


建御名方神の神話も、ひょっとしたら実話に基づいてのことかもしれないと

以前否定した自分の意見を反省しております・・・


イザヤはなぜ東に日本があることを知っていたのでしょう?

もともと、祖先は日本列島からあちらに渡ったという説を聞いたことがあります

どんどん話のスケールが大きくなってしまいました。このへんで、やめときましょう。。。
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尖石縄文考古館

2016-09-19 06:39:13 | Weblog
長野県茅野市にある、尖石縄文考古館です。

地図です

縄文のビーナス



後ろから






仮面の女神  これを、最初画像で見たときは、宇宙人かと思いました


男性ではなく女神だから女性・・・どうしてわかるのかって?

これ、裸なんです・・・だから・・・現地で確認してくだされ。



土器の大きさに驚き


美しさに驚き


縄文時代、人の寿命は短くて、長く生きても30歳くらいとのこと


そして、武器が出てこないとか



今からおよそ7000年前から5000年前には、気候最適と呼ばれる時期だそうです。

縄文時代の全盛期で、海面が現在よりも2,3m~4mほど高かったとのこと。

ということは、温暖化で暖かかったということでしょうか?



縄文の人たちの美意識には驚きます


先日の、結婚式での太鼓に感動したので、歴史を調べてみました。

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和太鼓は、縄文時代には既に情報伝達の手段として利用されていたといわれており、日本における太鼓の歴史は非常に古い。日本神話の天岩戸の場面でも桶を伏せて音を鳴らしたと伝えられている。長野県茅野市にある尖石遺跡では、皮を張って太鼓として使用されていたのではないかと推定される土器も出土している。

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尖石遺跡の名前ですね。尖石縄文考古館から、歩いて5分くらいのところにあります

これが、尖石。  石器を研いだのではないかとの説明です。  


注連縄の下の部分でしょうか?




尖石縄文考古館と、尖石の間には、住居跡があります。




縄文人が住んでいた日本に弥生の渡来人が移り住んできたとのことですけど、

どうやら、支配されたのではなく融合したようです。

DNA解析は進んでいるようです


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親戚の結婚式に行ってきました

2016-09-17 17:28:26 | Weblog

いやぁ、楽しかったデス。。。

いたるところに、いろんな趣向がこらしてあり、感激することたくさん。



なんでも、親戚の方に、プロの邦楽集団のメンバーの方がいらして、演奏を披露していただきました



良かったですよ


少し前には、いとこの結婚式で仏前結婚式を経験しました。

これはこれで、貴重な体験でした。

指輪の交換もありましたけど、そのあと、数珠の交換もあり、なるほどと。

我々も、数珠を持参して出かけました


その前は、息子の結婚式で、沖縄に行ってきました

あちらは、人数が多いんですよ。

300人ほどでしたけど、こちらの人数が少ないので、この数字。

もっと、大勢の場合も普通とか。


めでたいことは、うれしいですね。

娘二人いるけど、まだ独身。プレッシャーかけときました。。。へへ;





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守屋神社

2016-09-04 10:52:16 | 東山道





地図です

諏訪湖の南、守屋山を隔てて諏訪大社の裏側にあります

神仏戦争で蘇我氏に敗れた物部守屋の一族がたどり着いたこの地で

開山したと言う伝説が伝わっているそうです



この神社の前を通る国道152号が古東山道(古道)そのものか、それに沿った道と思われます

そしてさらに、中央構造線にも沿っているようです




階段を登り到着です

しかし、建物の奥を覗くとさらに、裏側に階段が見えるんです




裏に回りましょう



なんと、まあいい雰囲気の本殿~♪




この雰囲気いいなぁ。。。



この、守屋という呼び方、諏訪神社上社の神官の守矢家と同じ読みですね、でも、別のものだそうです。

諏訪神社上社の近くに「神長官守矢史料館」というところがあるのですが、今回は時間の都合で

行けませんでした。

このあと、杖突峠(つえつきとうげ)で、蕎麦食べて諏訪大社前宮に寄ります。



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