たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

風越山(かざこしやま)までのルート

2022-05-31 08:06:05 | 大宮諏訪神社
サタヒコ達は、この地から犬山経由で美濃、もしくは春日井に行っていると推測していますけど、

何かその手掛かりが分からないかなと思って出かけたのです。

風越山(かざこしやま)  標高1,535m を見たときに、

ここから美濃や春日井の狼煙を確認したかもしれないと思い、すぐ東を流れている野底川を上流に向かいました。

野底山森林公園 キャンプ場というところまで行きましたけど、なんか方向が違うように思えて

引き返してしまいました。

風越山の存在を知らなかったので、予備知識無しでの行動ですので行き当たりばったりです。

今パソコンを相手に、地図を見ています


すぐ近くに、白山社奥宮がありますね。「白山」と言う名前は後からつけられたと思いますけど

サタヒコに関係する場所の可能性が高いです。


尾根伝いに虚空蔵山まで行けるようです。

そこからは、川の流れがあります。下っていくと、白山社 里宮がありました。

このルートが正しいようですね。

図に書いてみました


天竜川までの川の流れです








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大宮諏訪神社

2022-05-30 14:38:40 | 大宮諏訪神社

大宮諏訪神社  長野県飯田市宮の前4164−1

今回は、猿投神社とは関係ありませんけど、休息を兼ねて出かけてきました。

二度目の訪問です。おいらの推測では、サホヒコ(=伊勢津彦)と、サタヒコ(朝廷別王)は、

以前に書いたように、砥鹿神社から天竜川に出て、そこを遡りこの地に着いたとしています。

標高は、約542.8m  かなり高いので見晴らしの良い所を選んだのかもしれません。

とにかく行ってみましょう。



車が見える左側が、駐車場です。




階段を登ります


平日だったので、人影はまばら、というか、誰も居ません。


本殿の左側には

金山大神



すぐ横からは、近くの山が見えます。

このあたりでは一番高そうです。

風越山(かざこしやま)  標高1,535m


西にも神社があります。そこには



さらに



サタヒコに関する場所が見当たらないなぁ。そう思い、駐車場に帰ってきたその時、


ありました!  

庚申信仰は、神道の猿田彦神とも結びついているとのこと。

どうも「猿」つながりが原因らしいです。

この場所の「庚申」は「猿田彦」の事だと思います。

とにかく、鳥居のすぐ近くにありました。





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猿投神社の場所 その1 氷上姉子神社奥宮

2022-05-24 07:44:44 | レイライン

以前、なぜ猿投神社にサタヒコは移り住んだのか謎だと書きました。

今回はその答えを探ろうかと思います。

まずは地図です。


レイラインは、氷上姉子神社奥宮(グーグルの地図には、熱田神宮末社 元宮とあります)からの
夏至の日の出のライン上に、猿投神社はあります。





しかし、以前書いていますけど、広沢天神からの春分の日の日の出のラインは、本殿からやく100m

ほど南になります。


そしてそこから見た夏至の日の入りのライン上に伊久良河宮があります。




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高御堂古墳

2022-05-23 08:10:22 | レイライン

春日井氏のHPによると

春日井市内唯一の前方後方墳で、墳長は約63メートル   4世紀前葉と推定



ほとんど何の予備知識もない状態で訪問したので、前方後円墳かと思っていました。



違いましたね。前方後方墳でした。




高座山の磐座からの冬至の日の入りのライン上にはたくさんの古墳があります。

一部ですけど、描いてみました。

高御堂古墳のラインです




4世紀前葉の時期と、前方後方墳と言うことから考えると、

犬山の東之宮古墳の被葬者の子の可能性が一番高いです。

つまり、尾張でのサタヒコの妻(おそらく、マシキトベ)の兄弟と思われます。

春日井の高蔵神社に行く途中の祠  その15 赤郷遺跡で紹介した人物の兄弟と考えていいでしょう。

中社古墳の被葬者であるサタヒコの息子と時代が重なります。










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大御霊神社 その5 氷上姉子神社の場所

2022-05-19 13:25:15 | レイライン

地図を見ていて、なぜ、氷上姉子神社はあの場所にあるのかと思い、考えてみました。

氷上姉子神社は、熱田神宮の前身です。

サタヒコの娘である、ミヤズ姫の住んでいた所です。

おそらくサタヒコも、そこに住んでいた時期があると思います。

奥宮とされているところでしょう。そこからの夏至の日の出のライン上に現在の猿投神社があります。

氷上姉子神社から、三重県側の移田神社までの距離は、約26km

当時の船での移動は、一日に20kmぐらいが適当と言われます。

ですから、白山藪古墳のある湊から対岸の宇賀神社に行くには、途中で津島の中継基地が設けられたのだと思います。

ちなみに、白山藪古墳から、津島神社までの距離は19.7kmです。

氷上姉子神社から、移田神社までの26kmと言う距離は、少し無理があるのかもしれないなと思って

地図を見ていたら、伊勢から北上する時は冬ならば西風、夏は南風で、追い風じゃん!

風を味方につけるならば、距離があっても移動が可能かもしれないと思うのです。

それが水色で書いた矢印です。

ならば、もう少し南にある鬼田神社とか、酒井神社からでも直接氷上姉子神社まで移動することが出来るかもしれない。

あくまでも、素人の想像ですけど・・・


伊勢からの船は、最初に氷上姉子神社に到着するわけです。

そして伊勢で採れた、辰砂をそこで降ろす。

そのための湊かもしれませんね。

サタヒコは、晩年、氷上姉子神社から猿投神社に移動するのですけど、その理由が分からない。

さらに、三種の神器である、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は、最初から氷上姉子神社に

あったと思いますけど。なぜ、猿投にもっていかなかったのか?

それも分かりません。

今後の課題にしましょうか。



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一才山ぶどう。アニバーサリー(anniversary)です

2022-05-18 15:13:39 | 植物


挿し木がうまく出来るようになったので、増殖しています。

そのうちの早くに出来た苗を、家の角に植えました。

そういえば、明日でこの家は築20年になるんだ。

記念になりますね。
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大御霊神社 その4 なぜ中社古墳

2022-05-16 10:52:48 | レイライン
中社古墳には、もう何度か足を運んでいます。



正面からは





ここに古墳があるということは、大御霊神社の祭神であるサタヒコの子は、

この付近も治めていたということになります。

地形的にはどうなんだろうか?

例によって、海面を少し上げた地図を見てみましょうか。


4mですと、まだ足りないかな?

7mにしてみます。すると、中社古墳まで行くのに船で庄内川まで行くことが出来ます。

そうなると、河口付近に港が必要ですね。それらしきところが無いかな?

確か古墳があったよね。


味美二子山古墳がありました。でも、築造時期は6世紀初頭です。

他にどこかないかな?

白山藪古墳と言うのがあったようです。現在は無いそうですけど、築造は4世紀末(5世紀とも)

とのことです。

すぐ近くには、味鋺神社(あじまじんじゃ)があります。


創建年代は不明。祭神の宇麻志麻治命は物部氏の祖神。

神社のすぐ東に「あじま保育園」と言う所がありますけど、そこに「白山藪古墳」があったとのことです。

場所も、庄内川に近いです。この付近が港だった可能性が高いですね。




海面を5m上げた状態の地図に当時の関係のありそうな場所を書き込みます。


中社古墳のある、春日井の東谷山付近でとれた砂鉄を使い、製鉄をして、それをこの港から

船であちこちに運んでいたかもしれません。

それを仕切っていた人物が、この中社古墳の被葬者と思います。




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大御霊神社 その3  中社古墳

2022-05-15 15:51:13 | レイライン
タイトルが、「大御霊神社をもう一度考える」ではなんか長すぎるので、

「大御霊神社」に変更します。

春分の日のレイラインを考えることはややこしいです。

天文学的なことはとりあえずパスしましょうか。

気を取り直して、もう一度レイラインを見てみましょう


このラインから考えられることは、田縣神社と大御霊神社は兄弟かもしれないということ。

田縣神社の祭神である、御歳神(ミトシノカミ)は、

サタヒコの子である と、春日井の高蔵神社に行く途中の祠  その11 天目一箇神に書いています。

そうすると、大御霊神社の祭神もサタヒコの子になります。

祭神はどういう名前なのか調べると・・・うかつでした・・・・

御祭神:大歳神之御子(おおとしがみのみこ)・・・そのものずばりでした。。。

先に調べればよかった。へへ。

大御霊神社からの、春分の日の出が尾張部神社古墳と中社古墳を通るということは、



おそらく、最初に大御霊神社の場所を決める時には、尾張部神社古墳のレイラインと、本宮山山頂の

奥の宮からのラインの交差する場所で決めたのだろうと思います。



その後、大御霊神社の祭神になっているサタヒコの子が亡くなったときに、そのライン上に

中社古墳の場所を特定したと考えます。

名古屋市のHPより、引用させていただきます
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

墳丘 前方後円墳(墳長63.5m)
葺石 あり(円礫)
出土遺物 円筒埴輪・朝顔形埴輪・楕円筒埴輪・家形埴輪・盾形埴輪
築造時期 4世紀中頃
後円部北側に、東谷山山頂からのびる尾根を切断した掘割がめぐっています。東谷山麓から運んできた円礫を用いた葺石の上には石英が撒かれ、後円部頂部には石英が敷かれていたと推定されます。後円部の北側では、4条の突帯がめぐり、各段に3個ずつ三角形の透孔があけられた円筒埴輪が極めて良好な状態で残存していました。中社古墳の埴輪は、同時期の大王墓が営まれた大和盆地東南部からの影響が色濃く、東海地方では最古段階のものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

築造時期は、 4世紀中頃とのこと。サタヒコが、犬山に来たのが300年頃なので年代もピタリと合います。







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大御霊神社をもう一度考える  その2

2022-05-14 07:47:43 | レイライン
大御霊神社からの、春分の日の日の出をもう一度確かめてみました。


東谷山山頂を通るライン  2023年の春分の日


ところが、その翌年の2024年はと言うと


中社古墳を通ります。春分の日も一日違いますね。

ならば、その4年後はどうなるだろう?

違いが分かりますか?ほんの少し北にズレます。



さらに12年後はというと


山頂に戻ります。

おいらは専門外なので、あまり詳しくはわかりません。

いろいろ調べていたら、余計分からなくなってきた・・・

以下、春分の日と秋分の日です

   
西暦年 春分日    秋分日
2020年 3月20日(金) 9月22日(火)
2021年 3月20日(土) 9月23日(木)
2022年 3月21日(月) 9月23日(金)
2023年 3月21日(火) 9月23日(土)
2024年 3月20日(水) 9月22日(日)
2025年 3月20日(木) 9月23日(火)
2026年 3月20日(金) 9月23日(水)
2027年 3月21日(日) 9月23日(木)
2028年 3月20日(月) 9月22日(金)
2029年 3月20日(火) 9月23日(日)
2030年 3月20日(水) 9月23日(月)
2031年 3月21日(金) 9月23日(火)
2032年 3月20日(土) 9月22日(水)
2033年 3月20日(日) 9月23日(金)
2034年 3月20日(月) 9月23日(土)
2035年 3月21日(水) 9月23日(日)
2036年 3月20日(木) 9月22日(月)
2037年 3月20日(金) 9月23日(水)
2038年 3月20日(土) 9月23日(木)
2039年 3月21日(月) 9月23日(金)
2040年 3月20日(火) 9月22日(土)
2041年 3月20日(水) 9月23日(月)
2042年 3月20日(木) 9月23日(火)
2043年 3月21日(土) 9月23日(水)
2044年 3月20日(日) 9月22日(木)
2045年 3月20日(月) 9月22日(金)
2046年 3月20日(火) 9月23日(日)
2047年 3月21日(木) 9月23日(月)
2048年 3月20日(金) 9月22日(火)
2049年 3月20日(土) 9月22日(水)
2050年 3月20日(日) 9月23日(金)

ps  こちら見ると参考になります



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ラセンイの花

2022-05-13 07:38:27 | 植物

予想していませんでしたね。

種をとってみようか。その後枯れるというようなことは無いと思いますけど。

実が付くとその後枯れてしまう植物もありますもんね。

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大御霊神社をもう一度考える

2022-05-12 07:53:48 | レイライン


大御霊神社  愛知県稲沢市国府宮2丁目13−24

それほど大きい神社ではありません




レイラインがどうなっていたのか?もう一度調べてみました。

まず、はじめは本宮山山頂からのラインです


途中に、田縣神社があります


ピタリです!  距離は18km いつも驚きます。

さらに、大御霊神社からのレイラインは


大縣神社があります


これもピタリです!本殿の真ん中ですよね。

春分の日の日の出が、東谷山でしたけれど、春分の日のラインはややこしいのです。

およそ4年周期で変わりますけど、それが少しづつずれていくのです。

次回はそれを見て行こうと思います。







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春日井の高蔵神社に行く途中の祠  その16 まとめ

2022-05-10 13:26:48 | レイライン
なんか、だらだらとその16まで来てしまいました。

高蔵神社に行く途中の祠が、彦坐王の墓だったことは、かなりの確率で正しいと思います。

しかし、その年代が特定できなくて、挫折しています。

候補は、3つ。

一つ目は、伊勢津彦(サホヒコ)が、伊勢を追い出された時。

彦坐王が、病に倒れたか、亡くなったかの情報を得て崇神天皇が、伊勢を伊勢津彦から奪った時です。

おいらは、まだこの時、彦坐王は亡くなってはいないと思うのです。

なぜなら、サタヒコがすぐに三河に行きサホヒコと合流しているからです。

このような判断が出来るのは、彦坐王だからではないかと思うのです。

ですから、この説はやや確率が低いと思いますけど、とりあえず候補の一つに挙げておきます。


二つ目は、サホヒコとサタヒコが合流してその後、砥鹿神社から 長野県飯田市の大宮諏訪神社に

移動します。

そこからかなり急いで恵那山越えをして木曽川を下り、犬山に行っています。

狼煙で連絡を取っていて、それにより彦坐王の死を知ったのではないかと推測します。

この時に、彦坐王が亡くなったのならば、犬山から春日井に向かったと思います。

そしてその時に、途中の祠の場所に亡骸を安置したと考えます。


三つめは、サタヒコが伊勢に鏡を運ぶときに、犬山で船を作っています。

その時に春日井まで出かけて、作ったかもしれない。

しかしそうすると、それまでにどこかほかの場所に墓があったことになります。

そしてその場所を知っている人の情報も必要です。

そう考えると、二つ目の説が一番可能性が高いかなぁ。


伊勢から帰った後に、途中の祠の場所から東谷山山頂の尾張部神社古墳に移動したと考えると

「天香山命が、高蔵山に降り立ち、白鹿に乗って庄内川を渡り東谷山に移った」

そのような、白鹿の伝説もしっくりくるように思います。

このような話を作るのは、サタヒコ達でしょう。

しかも、サタヒコがよく使う「白」と言う言葉が入っています。


今回、天目一箇神=天之御影神(あめのみかげのかみ)と言うことが分かったことは大きな収穫でした。

天之御影神は、「御上神社」(滋賀県野洲市)に祀られています。
「天之御影神」=「天目一箇神」=「日本 得 魂 命」と考えていいと思います。

彼は、サタヒコの母親の兄弟です。

そのことを考えると、サタヒコと一緒に伊勢まで行ったのは、彼ではなく息子のうちの誰かではないかと思います。

全くの推測ですけど、「意 富 那 比」もしくは、「若津保命」でしょう。

二人とも行ったかもしれない。

それと、古事記には、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彦坐王は、天之御影神の娘・息長水依比売を娶って、

丹波比古多々須美知能宇斯王、水穂之真若王、神大根王(八瓜入日子王)、

水穂五百依比売、御井津比売の五柱を生んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とあります。彦坐王をサタヒコに置き換えると、すんなり来るところがあります。

アジサハヒメは、天之御影神の娘です。

神大根王(八瓜入日子王)は、サタヒコとアジサハヒメの子です。

いかがでしょうか?














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養基神社(やぎじんじゃ)

2022-05-09 08:01:07 | レイライン

岐阜県揖斐郡池田町田中字野中80番地

すでに、養基神社については、石亀神社その2で書いています。

ゴールデンウイークは、ほとんど仕事していたので、息抜きに半日ほど時間を作って訪問してきました




周りは水田です。西を見た所ですけど、伊吹山と思います。


鳥居を過ぎるとすぐに「山神」様です


そして拝殿



拝殿の後ろに行きます


本殿です


西に廻ると









南には、金生山が見えます。かなり削られていますね。


最初この山を見たときには「なんてことするんだ」と思いましたよ。


もう一度、レイラインを見てみましょうか

養基神社から朝鳥明神までは、約4.2kmほど。

時間の流れを推測すると、レイラインの測量者たちは、サタヒコ(猿田彦)の死後、

猿投神社近くにある「大碓命墓」とされている場所にサタヒコの墓を作り、

その後、彼とアメノウズメ(アジサハヒメ)の子である神大根王(カムオホネノミコ)

の住む伊久良河宮に来ます。

そこからの、レイライン上にこの養基神社を建て(この時点ではまだ神社ではないかもしれません)

サタヒコの墓(大碓命墓)からのレイラインを測量して、そこに朝鳥明神を建てた。

そのような流れでどうでしょうか。

猿投神社からのレイラインを見てみましょうか



そして、猿田彦の最初の墓(大碓命墓)からのラインです












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ファセリア タナケティフォリア Phacelia tanacetifolia

2022-05-07 05:58:17 | 植物
昨日咲きました。

朝の画像です


こちらは夕方


初めての栽培なので、あれこれ試作してます。

この株は、早く花が見たかったので、ピンチなしですけど、

他は数回ピンチして、花数を増やし、背を低くします。

さてどのように出来るのかな?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アメリカのカリフォルニア州、モハーベ砂漠に分布

丈夫なようです。生育も早いです。低温にも強いです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
モハーヴェ砂漠は、アメリカ南西部のカリフォルニア州、ユタ州、ネバダ州、アリゾナ州にまたがる砂漠


緑の所が、モハーヴェ砂漠ですね。広い!

ちなみに、地名を書き込んだところは、おいらが若いころ一人でバスに乗り旅行した場所です。。。
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ダイアンサス(なでしこ)ケンジントン

2022-05-06 07:50:24 | 植物


あまり期待していなかったのですけど、咲くと意外ときれい。。。

丈夫です。たぶん、四季咲き。
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