もう一度、位置を確認しましょうか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/7d/6c2aa6a00f2ac45b037139abb3a2be3d.jpg)
まるまる山山頂からの測量です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/8e/f44d11903c563af2b40db9f9e31a7235.jpg)
冬至の日の入りのラインです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/5b/6138f49ec9f185e1166719689a37bb46.jpg)
拡大します
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/dc/e3a3bf1bce3f22f5e1e0f728d9043e9c.jpg)
現地に行ってきました。ワクワク~♪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/89/75d5cdc61fd82e6ae600476fda1076d7.jpg)
この奥に見えるところでしょうか?
中門跡とありますけど、「弥勒寺」と言う文字の「寺」の文字のあたりと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/0a/da47b850ad9a91516bbb31fc5c457201.jpg)
左にあるのが、金堂の跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/94/6da03e8c4671d4cd2dca34698be94c8f.jpg)
案内板がありますけど、画像が良くなくて見えにくいですね。ゴメンナサイ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/b6/d035ecf9a9add874cf443c375aecb49d.jpg)
右にあるのが、「塔」の跡地 です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/75/e66a5198e0505717727e99546c5c751b.jpg)
どうも、この「塔」の跡地をレイラインが通るようです。
もっとも、まるまる山のどこの場所からの測量なのかは、確定していないので推測でしかありません。
ですけど、今までのサタヒコ達のレイラインの測量方法から推測するとほぼ、間違いないと思います。
サタヒコ達は、この場所になにか「ひもろぎ」のようなものを建て、そこにみんなが集まって
久しぶりの再会を楽しんだ。。。そう想像すると嬉しくなります。
この白山越えのルートを使った交流はその後何回も行われたのでしょう。
対岸の、重竹神社近くの長良川の様子です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/e9/fe1be9e186326eb59d8330324413e34b.jpg)
川の中に、大きな岩がたくさんあります。川を横断するのにはもってこいですね。
金華山に居ると思われる、垂仁天皇の兵が来た時の逃げ道だったのでしょうか?
まるまる山は、監視する場所で、その北にある重竹神社にサタヒコ、サホヒコ、レイラインの測量をすることが出来る供の人達が潜んでいた。
そこは、山に隠れて金華山側からは、見つからない。
そのような意味があったのかもしれません。
泰澄は、この場所が白山越えのゴールと言うことを知っていたのかもしれませんね。
さらに、この場所から春日井の白山神社、つまりサタヒコの父親の墓のある場所であり
砂鉄の産出する場所に行ったことも知っているはずです。
そして、円空もそのことを知っていたのではないでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/7d/6c2aa6a00f2ac45b037139abb3a2be3d.jpg)
まるまる山山頂からの測量です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/8e/f44d11903c563af2b40db9f9e31a7235.jpg)
冬至の日の入りのラインです
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拡大します
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現地に行ってきました。ワクワク~♪
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この奥に見えるところでしょうか?
中門跡とありますけど、「弥勒寺」と言う文字の「寺」の文字のあたりと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/0a/da47b850ad9a91516bbb31fc5c457201.jpg)
左にあるのが、金堂の跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/94/6da03e8c4671d4cd2dca34698be94c8f.jpg)
案内板がありますけど、画像が良くなくて見えにくいですね。ゴメンナサイ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/b6/d035ecf9a9add874cf443c375aecb49d.jpg)
右にあるのが、「塔」の跡地 です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/75/e66a5198e0505717727e99546c5c751b.jpg)
どうも、この「塔」の跡地をレイラインが通るようです。
もっとも、まるまる山のどこの場所からの測量なのかは、確定していないので推測でしかありません。
ですけど、今までのサタヒコ達のレイラインの測量方法から推測するとほぼ、間違いないと思います。
サタヒコ達は、この場所になにか「ひもろぎ」のようなものを建て、そこにみんなが集まって
久しぶりの再会を楽しんだ。。。そう想像すると嬉しくなります。
この白山越えのルートを使った交流はその後何回も行われたのでしょう。
対岸の、重竹神社近くの長良川の様子です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/e9/fe1be9e186326eb59d8330324413e34b.jpg)
川の中に、大きな岩がたくさんあります。川を横断するのにはもってこいですね。
金華山に居ると思われる、垂仁天皇の兵が来た時の逃げ道だったのでしょうか?
まるまる山は、監視する場所で、その北にある重竹神社にサタヒコ、サホヒコ、レイラインの測量をすることが出来る供の人達が潜んでいた。
そこは、山に隠れて金華山側からは、見つからない。
そのような意味があったのかもしれません。
泰澄は、この場所が白山越えのゴールと言うことを知っていたのかもしれませんね。
さらに、この場所から春日井の白山神社、つまりサタヒコの父親の墓のある場所であり
砂鉄の産出する場所に行ったことも知っているはずです。
そして、円空もそのことを知っていたのではないでしょうか?