たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

伊勢津彦 伊勢に向かうその8飯野高宮神山神社(いいのたかみやこうやまじんじゃ)

2020-11-04 06:06:37 | 神社
彦座王、伊勢津彦とその部隊は櫛田川を上った飯野高宮神山神社付近に陣を築いたと思います




三重県松阪市山添町4






標高30m



倭姫命世記によると、垂仁天皇22年に倭姫命が「飯野ノ高宮」で4年間天照大神をお祀りしたそうです


踏切があるのです!


御祭神
猿田彦命,天鈿女命



この記事を書いたのが、2年前。現在、それを訂正しています。

そして、ここの祭神が、猿田彦命,天鈿女命になっていることに、あらためて感動します。

少し脱線しましょうか。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

猿田彦命は、朝廷別王であり、彦座王の子供です。

母である、川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)と彦座王との最後の子供です。

彼が、まだ母親のおなかにいるか生まれたばかりかの時に、伊勢津彦と彦座王は、岐阜から

伊勢に出発したのでしょう。

その後、どれだけの期間、彦座王は、伊勢にいたのかは分かりません。

ですけど、10数年後に伊勢津彦は天日別命に伊勢を追い出され、砥鹿神社にたどり着きます。

そこに、まだ若い朝廷別王が合流します。

その後、伊勢津彦と朝廷別王は行動を共にします。

砥鹿神社から、諏訪に行きさらに、糸魚川の翡翠の産地にも行きます。

その後の行動は、現在調べているところなのでここには書きません。



朝廷別王が34歳ごろ、倭姫(朝廷別王の姉の娘)が、岐阜そして尾張にやってきました。

そこで、彼は倭姫と共に、木曽川、大江川を下り、多度の宇賀神社経由で伊勢まで行き、

この、神山神社に滞在したのでしょう。

その時に彼の持っているレイラインの技術を用いて、内宮と、斎宮、外宮の場所を決めた

と推測します。

これって、どこかで聞いた物語と同じですよね。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・








帰るときに気が付いたのですけど、ここにも山神様がいらっしゃいます



しかも、10柱




なぜこの場所に陣を築いたのか?

櫛田川をさかのぼっていくと




グーグル地図張れないので画像を貼り付けます



丹生水銀鉱に行くには櫛田川をさかのぼったと思われます。



途中、紀師神社があります。





中継地点でしょうか?





こうして、彦座王、伊勢津彦は、丹生水銀鉱にたどりついたと思われます。








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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
どうも勘違いをしていたようです (雑草)
2019-05-17 06:35:34
天日別命とその部隊を、彦坐王の部隊と考えて
今まで書いてきましたけど、違うようです。
ここまでの、足跡は彦坐王の足跡で間違いないと思うのですけど、天日別命は別の人物です。

この事については、後ほど考えていきたいと思います
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