たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

美女なでしこ(ダイアンサス)・ジョルト ピンクマジック満開です

2021-11-12 04:59:12 | 植物

初めての栽培。

どの植物でも、最初に栽培するものはワクワクします。。。

いろんな種類初めています。中にはおいらの手に合わないものもありますし、

予想と違ったものも多いですね。

現在の姿は


かなりボリュームがあります。もう少し花立ちを多くすると良くなりますね。

この品種、四季咲きで、暑さにも強いので年中栽培できそうです。

ただ、ダイアンサス(なでしこ)は、茎が柔らかくなる種類が多いのでそれを克服するのが

ポイントです。

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猿田彦 その2 

2021-11-09 07:26:14 | 歴史
もう一度地図を見てみましょう


上の方に、諏訪神社がありますね。最初この意味が分からなかった。

神話から考えると、敵同士じゃないですか。

でも、ご安心下さい。。。この諏訪神社はもしかすると、サホヒコ(後の伊勢津彦=大国主)が

住んでいたところじゃないのでしょうか。

もちろん、諏訪神社になったのは後の時代と思いますけど、サホヒコはここから伊勢に向かって出発したのではないでしょうか。

266年頃と思います。サホヒコの年は16歳ぐらい、父親の彦坐王は、36歳ぐらいと推測します。

ちょうどそのころ、サタヒコが生まれます。

それから、彦坐王とサホヒコは伊勢に向かったのでしょう。

目的は、伊勢で採れる辰砂でしょう。
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猿田彦 その1  生まれた場所

2021-11-08 10:54:13 | 歴史
これまでで、猿投神社のことがかなりわかって来たので、もう一度、猿田彦のことを最初から

調べてみようと思います。

何か新しい気づきがあるかもしれません。

猿田彦=サタヒコ=スクナヒコナ と言うことは一般的に言われていることと思います。

そして、おそらく誰も言ってないことは、猿田彦=朝廷別王 と思います。

検索しても、おいらの記事しか見当たりません。

このブログに書いてあることを読んでいただければ、かなりの確率でそうでしょう。

その前提で話を始めます。

まず生まれた場所は

五社神社付近。現在、公園になっています。そこが、住居跡なのでしょうか?

父親は、崇神天皇の腹違いの弟と言われる「彦坐王」

母親は、丹波から来た「川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)」

母親の名前がこれ以上分からないのですよ。不思議です。

これも、隠そうとしているような気がします。

以前書きましたけど、彦坐王=スサノオとすると、母親は、クシナダヒメになってしまいます。

案外、そうかもしれない。。。

最近、仕事が忙しくなってきたので長くは書けません。今日の所は、これまでにしておきます。

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大縣神社奥宮

2021-11-07 13:30:21 | 神社


昨日、行ってきました。奥宮については、すでに、このブログに書いてありますけど、もう一度。。。

本殿から約400mほどで鳥居です。

そこから、結構きつい坂を登ります。

サタヒコもここを登っていたんだな~と思いながら歩くとなかなか楽しいです。


ちょうど、この写真を撮った所に座るのにちょうどいい岩があります。

サタヒコもここに座っていたのだろうか?それとも、何か宗教的な岩?

その岩と、ご神体の磐座とを結ぶ線より左に少しずれて祠があります。



この祠の場所は、後から決まったのでしょうか?


ご神体です。





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レタスのポット栽培

2021-11-06 14:27:55 | 植物


まだ少し小さいですけど、出来たては、シャキシャキしておいしいですよ。

レタスは、あまり虫がつかないので殺虫剤はほとんどいりません。

ただ、病気が出やすいので大きくなった時の水管理に注意します。

あとちょっとで食べごろ。あまり大きくしすぎない方がおいしいですよ。。。
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倭姫命伊勢に行く その 16

2021-11-04 13:36:19 | レイライン
まだまだ、倭姫について書きたいことはたくさんあります。

でも、それ以上にわからないこともあるので、まとめられません・・・

例えば、八尺瓊勾玉はサタヒコといっしょに動いているようですけど、外宮の御食殿にもあるのでしょうか?

倭姫が、祀っていたのですから当然そこにもあったはずです。

そうすると、複数あるのでしょうか?

天叢雲剣は、倭姫がヤマトタケルに与えてその後、熱田神宮に収められますけど

どのようにして、伊勢に行ったのでしょうか?

出雲にある剣は?

久具都比賣神社に行った時の状況は?

伊雜宮近くにある、「倭姫命の旧跡地」とは?

倭姫は、奈良へは帰ったことがあるのでしょうか?

などなど、いっぱいあります。

これまで書いた倭姫の足跡は、古事記、日本書紀に書いてあることとは全く違うので

驚いていらっしゃる人が多いのではないでしょうか。

自分でも驚いたのは、天照大神が、サホヒコ つまり「伊勢津彦」だったことですね。

まさかと思いましたよ。でも、そう考えると、なぜサタヒコが鏡を伊勢に持って行ったのか、

伊勢のレイラインの意味はどうしてか。外宮の意味と倭姫の御陵のレイラインなどなど

すべて、結びつきます。

古事記、日本書紀の書かれる前に、何かがあって、彦坐王から後の歴史を改ざんする必要があったのでしょう。

仁徳天皇陵にレイラインがあることから、それ以降と推測します。

さらに、神功皇后の子である応神天皇は、 仲哀天皇との子ではないらしいのですが、

そのことが、分かっていないとも考えられます。



レイラインを調べることにより、歴史の改ざんが明らかになるとは思いもかけませんでしたけど

そのラインの測量者には敬意を表します。

「日の出日の入りマップ」を作成してくださいました方にも、お礼申し上げます。

このアプリが無ければ、こんなに簡単にラインを見つけることは不可能だったと思います。

さて、なんか中途半端ですけど、倭姫命伊勢に行くシリーズはこれで終了します。

まだまだ、サタヒコについては調べてないことがあります。

もう一度、生まれ故郷の美濃から調べ直したいと思います。

その都度レイラインもご紹介します。




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16時間断食

2021-11-03 07:47:27 | Weblog
もう4か月ぐらい、週2回やってます。

この本の影響ですけど・・・


最初はきつかった!

でも、徐々に慣れてきて、5回目ぐらいには普通になってしまいました。

最初は、終わった後ドカ食いもしましたけどそれもなくなります。

途中、1か月ほどやらなかった時期がありましたけど、再開して2回ぐらいは

少しきつかったけど、すぐにそれが普通になりました。

驚いたことは、ウエストが細くなったこと。。。

履けなくなったズボンが復活!

とっておいてよかった(笑)
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奥宮

2021-11-02 14:07:48 | レイライン

前回で、猿投神社にサタヒコが晩年住んでいたことが分かりました。

しかも、美濃の居久良河宮が、レイライン上にあることも発見できて驚きです。

これで、居久良河宮が、サタヒコと、アジサハヒメ(あめのうずめ)の子である、迦邇米雷王(かにめいかずち)が住んでいた可能性が高くなりました。

もう一つ、大事なことが分かりました。サタヒコの住むところには、少し離れた場所にアジサハヒメが

祀ってあるのではないかと言うこと。

籠神社には、眞名井神社(籠神社奥宮)ここは、レイラインがありません

猿投神社には、広沢神社。 レイラインの上ですね。

白髭神社には、千代神社。ここもレイラインの上です。

そうすると、愛知県犬山市の大縣神社は?

摂社「姫之宮」かなと思ったのですけど、そこは娘の玉姫だったと思います。

大縣神社 奥宮は、頂上にあるので意味が違うような気がします。

田縣神社は?これはあり得ないわな!


田縣神社の祭神を調べてみたら、御歳神(ミトシノカミ)です。

田縣神社のHPには、次のように書かれています

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
御歳神(ミトシノカミ)は素戔嗚尊(スサノオノミコオ)の孫で、大歳神(オオトシノカミ)の子
・・・・・・・・・・・・・・・・・・


以前書いていますけど、素戔嗚尊=彦坐王  大歳神=サタヒコ  と思います。

そうすると、御歳神は、サタヒコの息子になるわけですよね。

サタヒコと、マシキトベの間には、玉姫しかいないと思っていましたけど、そうではないようです。

そうすると、愛知県稲沢市にある、「大御霊神社」にも彼の息子が派遣されたと思うのが正しいかもしれません。



話がそれました。

最後にふと思い出しました。「姫の宮 奥宮」

レイラインは見つかりませんけど、ここのご神体はすばらしい岩です。

アジサハヒメを祀るにはふさわしい場所と思います。



















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広沢神社(広沢天神)

2021-11-01 11:11:56 | レイライン


ここまで、道が細いのですよ。なので、平日の夕方に行きました。


駐車場は、鳥居の前にあります

祭神は、少彦名命(スクナヒコナ)なんですね。サタヒコの別名です。
社名から泣澤女命とする説もあるそうです。(玄松子の記録より引用させてもらいます。ここすごく参考になります。)
おそらくこちらが本当の祭神と思います。

以前、猿投山を歩いたときにこの前を通りましたけど、あまりに疲れていたので素通りしています。



ご神木が出迎えてくれます





山奥ですけど、丁寧に祀られています




鳥居の前には、広沢川が流れています



泣沢女神についてですけど、ウィキペディアより引用します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
神名は「泣くように響き渡る沢」から来ているという説がある。また、「ナキ」は「泣き」で、「サワ」は沢山泣くという意味がある。「メ」とあるので女神である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コトバンクより引用します
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
啼沢女命 なきさわめのみこと
記・紀にみえる神。
伊奘諾尊(いざなぎのみこと)が伊奘冉尊(いざなみのみこと)の死をなげきかなしんで流した涙から生まれたとされる。奈良県橿原市(かしはらし)畝尾都多本(うねおつたもと)神社の祭神。「古事記」では泣沢女神。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


猿投神社と広沢神社の関係は、籠神社と眞名井神社の関係と同じのように感じます。

つまり、サタヒコ(=山代之大筒木真若王)がアメノウズメ(=丹波能阿治佐波毘売)を祀った所では?

レイラインがあるということは、その確率が高いでしょう。

しかも、伊久良河宮.のラインも関係しています。

このような事をするのは、サタヒコ以外にはいないでしょう。

と言うことは、猿投神社のレイラインのもとになる場所付近に

サタヒコは住んでいたと考えていいのじゃないでしょうか。

その後、氷上姉子神社本宮から見た夏至の日の出のライン上に今の猿投神社が出来たと

考えるとすべてがピタリとくるように思います。






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