たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

鏡作坐天照御魂神社

2023-04-30 06:51:11 | 神社


一の鳥居の画像を撮ること忘れました・・・

少し歩いていくと


そこには








三角縁神獣鏡の画像でしょうか?


拝殿


裏に廻ると本殿


祭神は、天火明命

手前が、石凝姥命

向かって左が、天糠戸命


祭神については、水石の美を求めてを参考にさせて頂きました。

丹後半島のレイライン その 27 八咫鏡でも少し取り上げています。参考にしてください。



三角縁神獣鏡はここで作られたのでしょうか?そう思って訪問したのですけど、

いろいろ調べていくと、訳が分からなくなりました・・・

八咫鏡のコピーがここで作られたとのこと。

そうすると、時代はサタヒコ達の頃の後になります。













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白山神社の目的地 8 大神神社

2023-04-24 05:13:02 | 白山神社
歯定神社に居る時、白人男女の二人連れが歩いてきたので、話をすると、

この場所が何処か分からないようでした。

地図と携帯のナビでいろいろと説明しておきました。

何処から来たのかと尋ねると、フランスとのこと。もう少しいろいろ話をしたかったのですけど

急いでいるようなので、短い時間でしか話が出来ませんでしたけど(避けられていたのかもしれませんが・・・)、大神神社は有名ですよと伝えておきました。


と言うことで、大神神社についても少し書きましょうか。

ホントのことを言うと、ここに行くまではあまり興味がなかったんです。

なぜならば、あまりに崇神天皇の話が出て来るので、てっきりこの大神神社に居たのは

崇神天皇と思っていたのです。

ですから、彦坐王はここから追い出されたのかと思っていました。ですが、大違い。

お恥ずかしい話ですけど、祭神を確かめていませんでした。

本殿に行き、祭神を見て驚き・・・

主祭神は、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)

配祀(はいし)神
      大己貴神 (おおなむちのかみ)
      少彦名神 (すくなひこなのかみ)

これから想像すると、

大物主大神=彦坐王
大己貴神=大国主=伊勢津彦=サホヒコ
少彦名神=帝別命=猿田彦=サタヒコ

こうなります。

彦坐王が住んでいた場所であり、サホヒコにとってはおそらくここが生まれ故郷になると思います。

彦坐王は、すでに亡くなっていますので、サホヒコとサタヒコが、この地に彼を祀ったと解釈します。

すると時代は、ホムチワケが出雲に行った294年頃よりも後でしょう。






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白山神社の目的地 7 歯定神社

2023-04-17 10:46:40 | 白山神社

祭神 大己貴神(おおなむちのかみ)・少彦名神(すくなひこなのかみ)

大己貴神は、サホヒコです。 少彦名神はもちろんサタヒコです。


 拝殿前に、注連縄(しめなわ)をまいた歯の形をした石が3個据えられている。
両脇にある石がそうです。

拝殿、

本殿を写すのを忘れました・・・


御旅所坐神社

祭神は、日本大国魂大神、八千戈大神、御年大神

御年大神は、サタヒコの事です。

日本大国魂大神、八千戈大神は、同じ人物でサホヒコのことと思います。

サホヒコもこの地に来たのでしょうか?

もしそうなら、わりと早い時期の訪問になります。

294年に近い年代ならば、サタヒコの母親は若く見積もっても40代後半です。

ということは、亡くなってそれほど時間が経過していないかもしれません。

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白山神社の目的地 6 中山大塚古墳

2023-04-17 08:25:52 | 白山神社
ようやく訪問することが出来ました。






ですけど、やはり道が狭くて車を止める場所がなかなかありません。

なんとか、駐車できる場所を探して徒歩で行きました。


周りを少し歩きます


到着です



「中山大塚古墳」は古墳時代初期の前方後円墳で、墳丘長130m。


いろいろと調べていましたが、このような、pdfがありました。以下よりダウンロードできます

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「大和における前期古墳の竪穴式石室」 奈良教育大学学術リポジトリNEAR
伊達 宗泰 発行年 1994-10-01
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

少し引用させてもらいます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最近全国的に資料を網羅して出版された「前方後円墳集成」は、全国的に統一化を図り共通した視点のマニュアルを作成し十期の編年基準を設けている。

そのl期としてあげている条件は「円筒埴輪はまだみられず、都月式すなわち特殊器台形埴輪や特殊壷形埴輪をともなう場合がある。

倣製鏡はなく、中国鏡のみが副葬されるバチ形の前方部をもつ」として、模式的な古墳に箸墓古墳・中山大塚古墳をあげている。

そして桜井茶臼山古墳を二期に、メスリ山古墳を三期に考えている。
これは墳形・埴輪・副葬品の組合せなどを総合して考え、最近急速に進んだ円筒埴輪の研究成果も多く勘案されて設定されている。


さらに中山大塚古墳、箸墓古墳においても特殊器台型の埴輪片出土が報告されている。
箸墓古墳出土のものは都月型に属するものであり、中山大塚古墳のは官山型に属するものと考えられている
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おいらには、埴輪についての知識が無いので、そのことについては今後の課題にします。

倣製鏡については、おそらく三角縁神獣鏡の事を言っているのだと思われます。

倣製鏡とは、中国の鏡を模倣して作られた鏡のことです。

まあ、三角縁神獣鏡は彦坐王が作らせて、地方で配布したものと解釈していますので、ここから出るわけがないでしょう。

時代については以下のように書かれています
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中山大塚古墳-箸墓古墳-茶臼山古墳-メスリ山古墳 -天神山古墳
といった順序で、これらの古墳は庄内式期の末葉から布留式古段階の築造と考えたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

おいらの考えでは、中山大塚古墳は彦坐王の妻の古墳で、

箸墓古墳は、倭姫(彼らの孫になります)の古墳と思いますので時代は合います。



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白山神社の目的地 5 お母さん(川上摩須郎女)の古墳

2023-04-16 09:07:01 | 白山神社
白山神社の目的地は、まるまる山付近ということでいいのではないでしょうか。

サタヒコ、サホヒコ、彼らを取り巻くレイラインの測量技術者、その他のお供の人々。

彼らが、日本海より白山を越えて長良川を下り、まるまる山付近に潜んで、美濃に居る

サタヒコの母親たちに連絡を取り、弥勒寺跡の塔のある付近で再会を果たした。

その、400年以上後に泰澄がそのルートを再現した。

そのことについて今までいろいろと書いてきました。間違いもあるとは思いますけど

本筋はあっていると思います。

さて、サタヒコの母親である、川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)の墓は、

最初は、美濃にある、方県津神社の古墳と思います。


ですが、その後、御霊(遺骨)は奈良に移動したと考えます。

サタヒコの姉である比婆須比売命(ヒバスヒメ)の住む近くの場所に移動しているようです

サタヒコがおこなった事に違いないでしょう。

中山大塚古墳がそうであろうと思います。


ヒバスヒメは、306年頃に亡くなっているとする説があります。

そうすると、294年頃にホムチワケが出雲に向かっていますので、その間に美濃から奈良に

移動しているのでしょう。









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白山神社の目的地 4  まるまる山

2023-04-06 08:01:39 | 白山神社
山王山から数分で到着します。

頂上です。


どの場所からレイラインを測量したのでしょうか?


矢印が弥勒寺跡の塔のある付近です。


この付近からの測量で、間違いはないでしょう。



岐阜方面です。中央に見えるのが長良川です。


東海北陸自動車道が、真下を通ります。


再び山王山に戻ります。

北の景色は? 白山は見えるのでしょうか?


残念ながら、見えませんでした。雲が無ければ見えるのかな?

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白山神社の目的地 3  山王山とまるまる山に行ってきました

2023-04-02 13:38:09 | 白山神社
まるまる山はこのあたりです


その東に位置するのが、山王山です。google地図の方が分かりやすいですね。


駐車場に案内がありました


早速登りましょう


なんと、かぐや姫が出迎えてくれます




このかぐや姫好きです


おじいさんとおばあさん



残念ながら、ここではありません。かぐや姫は、湧田山一号墳( 京都府京丹後市峰山町丹波2)
付近の生まれ?です

というより、丹波能阿治佐波毘売つまり、猿田彦(サタヒコ)の妻、天鈿女命(アメノウズメ)ですね。子を産んだ時に亡くなってしまいます。そのことを、月に帰ったとする物語にしているように思います。



山頂です



手前の山が、まるまる山です。


重竹神社が見えます。

時間が無いので、この続きはまた今度。。。・









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