倭姫の御陵
地図です
倭姫宮の近くにあります。
直接行くことが出来る道があるようですけど、関係者以外は立ち入り禁止です。
少し遠回りをして到着
坂を登ります
ここから先は立ち入り禁止です。
参考までに、海面を5m上げてみます
少し乱暴ですけど、当時の海岸線はこのような状態に近いと思われます。
海面の高さが変わったのではなく、(現在とほとんど変わらないそうです)
川から流れてきた土砂が堆積して陸地が出来たと解釈します。
これで気が付くことは、外宮から東に御陵があるのです。
いろいろ調べてみると、外宮にある御食殿から見た春分の日の出の位置に御陵があるのです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/f0/d72995b5a828115dbbb58433e2d4ee07.jpg)
矢印が御食殿です
春分、秋分の日は4年周期で日にちが移動するそうです。
詳しくは
こちらを参考にしてください
そして、日の出の位置も少し移動するので、探ってみると2021年の3月20日が一番近いです
これで、御食殿から見た春分の日の(秋分かもしれません)日の出の位置に倭姫の御陵があると
解釈してもいいのではないでしょうか。
御食殿が出来た時代は、倭姫の時代より200年ほど後になるようですので、直接関係はないですけど
その御食殿のある場所に、倭姫に関係する何かがあったのではないでしょうか。
一般には、外宮は約1500年の歴史と言われますけど、
倭姫の時代にはすでに何かの形で存在していたことになります。
内宮と外宮の原型は、ほぼ同時代に出来たと言うことでしょう。
西暦300年~330年のころでしょうか。
御食殿には近づくことが出来ません。
この先立ち入り禁止です
御食殿については、
こちら参考になります
神宮徴古館に御食殿の実物大の模型が展示してあります。
ざんねんながら、撮影禁止なので画像はないですけど、
一本の木を削って作った階段が印象的でした