たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

春日井の高蔵神社に行く途中の祠  その4

2022-03-31 14:18:20 | レイライン
このブログで、過去に「伊勢津彦は誰?」と言うタイトルで記事を書いていますけど、今読むと

だいぶ間違えています・・・消そうかな・・・

あえてその中から参考になる事を書いてみます。

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「沙本毘古王」または、「狭穂彦王」(さほひこのみこ)=伊勢津彦 です。

岐阜の五社神社から伊勢に向かっています。

その時の年齢は、サホヒコ18歳。彦坐王は、38歳ぐらいです。

そして、サホヒコが伊勢から崇神天皇に追い出されたのが、サホヒコ31歳、彦坐王51歳ぐらい

サタヒコは、13歳ぐらい。まだ若いです。
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崇神天皇も彦坐王もほとんど年齢に違いはないようです。

当時の50歳は、そろそろ寿命と言ってもいいでしょう。

彦坐王が、亡くなった、もしくは、それに近い状態になったので、崇神天皇は伊勢を取に行ったと思います。

伊勢津彦は、追い出され、船で伊勢を出ます。

そして、愛知県豊川市の御津神社付近に上陸しています。

最初は、風に流されてそちらまで行ってしまったのかと思っていましたけど、

もしかすると、あえてそちらに向かったかもしれない。

何故かと言うと、彦坐王の居る場所を崇神天皇にわからないようにするためではないかと思うのです。

春日井の、高座神社付近の位置を探られないようにするために、あえて遠くに上陸した。

もし、春日井に行くならば、たとえ風に流されても知多半島付近に上陸して徒歩で向かうことを考えるでしょう。

彦坐王は、そのことを理解して、すぐにサタヒコを伊勢津彦と合流させるように派遣したと推測します。

猿田彦その 16 大宮諏訪神社  参考にしてください


ですから、天竜川沿いにある大宮諏訪神社まで意外と早い時間で移動したのかもしれません。


そこからの行動はこちら参考にしてください。猿田彦その 17 大宮諏訪神社はなぜその場所なのか

サタヒコ達は、その後春日井に行ったと思います。でも、彦坐王はすでに亡くなっていた。

その時に埋葬した場所が、春日井の高蔵神社に行く途中の祠 の場所と思うのです。


その場所のレイラインの意味することは

白山神社付近に居た技術者たちがその場所を決めた。そう推測します。








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春日井の高蔵神社に行く途中の祠  その3

2022-03-30 14:23:00 | レイライン
もう一度地図を見てみましょうか



尾張戸神社の祭神は、天火明命(あめのほあかり)と、天香語山命(あまのかぐやまのみこと)

そして、建稲種命。

神話があります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天香語山命(高倉下命)は、庄内川対岸の高蔵山に降り立ち、のち東谷山に移ったという。

この際に白鹿に乗って渡ったといい、その地に架かる「鹿乗橋」に伝承の名残を残している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここでも、「白」が出てきます。

それと、こういう物語は、サタヒコ達が作ったものではないかなと思うのです。

桃太郎伝説とか、かぐや姫の話とか、天女の話などよく似ていると思うのですがどうでしょう?

天香語山命=高倉下命=手栗彦命(たぐりひこのみこと)まだまだいろいろと名前があるようです。

この人物、どう考えても彦坐王ではないでしょうか?

というより、彦坐王を、天香語山命にあてはめたように思うのです。

そして、高座山から東谷山に白鹿に乗って渡ったということは、亡骸をそちらに移したと解釈すると

すべてスッキリすると思うのです。

丹後半島のレイライン その 27 八咫鏡で表した系図の方が正しいと思います。

次のようです

天火明命
一御子・天香語山命
二御子・天村雲命
三御子・天忍人命
四御子・天戸目命
五御子・建斗米命
六御子・建田背命
七御子・建諸隅命
八御子・倭得玉彦命                              
九御子・若都保命

若都保命の姉か妹が「丹波能阿治佐波毘売」=アメノウズメです。

その夫がサタヒコです。

春日井の高蔵神社に行く途中の祠は、彦坐王の最初の墓ではないかと思うのです。

次回は、時間的にはどうなるのか考えてみたいと思います。






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春日井の高蔵神社に行く途中の祠  その2

2022-03-29 13:55:27 | レイライン


早速レイラインを見てみましょうか。


夏至の日の入りは


なんと、白山神社です。

誤差なのかどうかわかりませんけど、この位置を考えると、神社入り口の鳥居付近です。

このあたりですね。

偶然ならもうこれで終わりになりますけど、この場所の少し北、つまり坂を登ったところが

砂鉄の産出場所ですし、この地名が「白山」ということ。

サタヒコが、出雲を出てから関係ある地名に、「白」と言う言葉が見当たります。

白髭神社、天白川(天白とは、出雲から連想した言葉でしょうか?) 

白山はこの地の他に、犬山の東之宮の地名でもあります。

白龍も時代がだいぶ後と思いますけど、関係があるかもしれません。

地形的にも、内津川と「高蔵神社に行く途中の祠」のあいだに白山神社はあります。

当時の道は、内津川沿いにあったと推測できますので、

彦坐王、サタヒコは白山神社付近を通っていたと思います。

次回は、違う方向からこの祠の場所を考えていきたいと思います。


ps こんな情報が入ってきましたけど、本当だろうか?
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春日井の高蔵神社に行く途中の祠

2022-03-28 13:57:46 | レイライン

場所を特定したいので、出かけて行きました。以前行ったら、まつたけの関係で入山禁止で

行けませんでしたので、今回はどうかと思いつつ出かけたら、大丈夫でした。


携帯で場所を調べます。

三角の場所がそうですけど、範囲が割と広いので、正確には場所を特定できません。
およその場所です。



山の中を登っていくと


割と広い場所に出ます。石垣の上にあります。

その一番奥に、祠があります


振り向くと、東谷山が見えます。


少し右を向くと、名古屋方面


鈴鹿山脈も見えます。左端あたりが、熱田神宮になるのかな?

狼煙を上げたら、完全に見えます。頂上からなら、伊勢の狼煙も見えるかもしれない。

おっと、話がそれました。今回は、この場所が何なのか?

いろいろと調べています。

レイラインに関しては、次回に書いてみたいと思います。



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下原古窯跡群

2022-03-27 13:07:04 | 遺跡

愛知県春日井市東山町 字 2336


以前からここに来たかったんですよ!  中には入れません。

この中の画像が見られますよ。https://r70548295.theta360.biz/t/48b45974-4d13-11ec-b3cd-0a45e0bc344d-1
図の赤い丸をクリックすると、そこのカメラからの画像が見られます。


時代は、サタヒコの時より後になります。

ここで作られた須恵器や埴輪が味美二子山古墳(あじよしふたごやまこふん)まで運ばれていたとのこと。

味美二子山古墳の築造時期は6世紀初頭ですので、サタヒコの時代より、200年後になります。

おそらく、サタヒコとは繫がりは無いでしょう。

ところがです。

砂鉄が採れるところは、この地方では、標高80m付近にあるということなのです。

以前、引用しました、「郷土誌かすがい 」というところの 小木曾正明さんと言う方が

書いておられます。こちらです


前回ご紹介しました、「瀬戸層群矢田川累層」の砂鉄が積もった層が現れる場所なのでしょう。



以前おいらが描いた画像をもう一度見てみましょうか



紫色が、その80mラインに沿っていると思います。

左端にある高根砂鉄産地は、おそらく高根神社の付近と思います。



標高 73.8m

西には、高根遺跡(58m)があり、南には、西山製鉄遺跡(47.4m)があります。

場所はわかりましたけど、現在は私有地のようで訪問できないようです。

製鉄をしていた場所は、砂鉄が採れる所より低い所のようです。

まあ、労力的に考えても当然ですよね。

ちなみに、下原古窯跡群の標高は、62mぐらいです。

そこの、東にある桃花園団地のどこかが砂鉄が採れたところのようですけど、現在では分かりません。

団地の中をうろうろしましたけど、不審者に見られそうなので早々と退散しました・・・

真ん中の上には、塩見坂と言う所があります。最初この場所が何処だかよくわからなかったので

出かけてみました。すると、何のことは無い、以前ここに書いていた「御嶽神社」(74.4m)付近の場所でした。
巨大な鬼板が置かれているとのことですけど、いまだ何処にあるのかわからない・・・

最後に、五社大明神社ですけど、製鉄に関する話はありません。でも標高が、76.3mなんです。

もしかすると、ここでも製鉄が行われていたかもしれないと妄想します・・・











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鉄はどうやってできたの?

2022-03-22 11:29:35 | Weblog
砂鉄の事を調べていて、ふと、鉄はどうやってできたのだろうという疑問が出てきた。

少し調べてみました。

鉄は金属元素のひとつで、原子記号Fe、原子番号26

鉄の起源を調べようとすると、宇宙の誕生まで遡らなければいけないようです・・・

なんかえらいことになってきました。

おいらの手には負えないので、こちら参考にさせて頂きました。


以下、引用させていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
水素、ヘリウムが核融合を起こして、いろいろな元素が出来た。

核融合が起こると、陽子や中性子の数が増えるため原子の総重量は増す。

そして結合による熱エネルギーが放出され、陽子や中性子1つひとつの重さが徐々に軽くなる。

鉄の原子核を構成する陽子や中性子は、数ある元素の中では最も軽い。

このことからも、恒星の中で起きている核融合が鉄で終わったことがうかがえる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これで終わりではなくて、まだその先があるようです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
鉄まで核融合が進んだ恒星は、そこで変化が止まるわけではない。

さらに外からさまざまな原子が引き寄せられ、恒星の中心部では、これまで安定的に存在してい
た鉄の原子核が崩壊してしまう。

さらに温度・圧力が高まると、陽子は電子と衝突して中性子に変化し、このときに「ニュートリノ」を放出する。

大量に放出されたニュートリノの一部が、外側に存在する原子にぶつかり、大爆発を起こす。

これが「超新星爆発」だ。

その巨大な超新星爆発により、鉄をはじめとする核融合の産物は、星屑の塵となって宇宙に飛び散り、漂うことになる。

超新星爆発では、もう一つの核反応が起こっている。

現在私たちが目にすることができる原子番号の順番で鉄以降の元素、すなわちニッケルからウランまでは、この超新星爆発で誕生した(第2世代)。

爆発のエネルギーをもらって生まれたこれらの原子の陽子や中性子は鉄よりも重くなる(図3)。

この第2世代の元素も、爆発のエネルギーで飛ばされ、宇宙に漂う。

このようにしてさまざまな元素が誕生した。

その生い立ちから、宇宙での存在量は、ビッグバンで生まれた基本的元素である水素とヘリウムが最も多い。

しかし、第1世代の元素は放っておくと核融合が進み、最終的に鉄に収斂されるため、宇宙での鉄の存在量は特異的に多い。

また、第2世代の元素は、超新星爆発が起こらないと生成しないため、存在量も少なく、さらに核分裂や、恒星の中での核反応により鉄に収斂する方向にある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どうでしょう?ついてこられますか?(笑)

おいらが知らなかったことは、

「鉄の原子核を構成する陽子や中性子は、数ある元素の中では最も軽い。」ということ。

そのことが、「鉄」が一番安定しているということです。

陽子や中性子の重さは、一定ではないのですね。知らなかった。

何故なんだろうと疑問が出ますけど、今日の所は先に進みたいと思います。

とりあえず、地球で、最も量が多いのが鉄で、総重量の34.6%を占めるとのことです。


調べていると、もうひとつ面白いことに出会いました。

こちら参考にさせてもらいます。

引用すると
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これまで鉄より重い元素は、超新星爆発で生まれると考えられてきたのが、中性子星の合体で生まれる可能性が出てきた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

おいら少しついていけなくなっています・・・








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愛知県春日井市の砂鉄 その2

2022-03-21 08:55:35 | 遺跡
急に暖かくなったら、仕事がすごく忙しくなりました。

だいぶ更新をさぼっています・・・

でも、いくら忙しいと言ってもオフの時間は大事です。

なんとか時間を作って、色々出かけてきました。

以前載せた地図をもう一度見てみましょうか

こちら地図です

ほとんど全部、行ってきました。

それと、なぜ砂鉄がこの付近に出るのかを調べてみました。

650万年に愛知県から三重県にかけての地域に、東海湖という大きな湖があったそうです。

こちら参考にさせて頂きました。

そこに、いろいろなものが堆積してその中のある層が砂鉄を含んでいるようなのです。

濃尾平野東部では瀬戸層群、知多半島では常滑層群、三重県では奄芸層群と言われているとのこと。

瀬戸層群は、下位から上位へ瀬戸陶土層、矢田川累層(水野砂礫層・尾張夾炭相、猪高相)に区分できるとのことです。

鉄を含む層は、矢田川累層で、その下にある瀬戸陶土層は、焼き物に使う土のようです。

地質の事は詳しくないので、このあたりで筆を置くことにします。

今日は、春分の日なんですね。。。でも、仕事・・・

参考にさせて頂きました





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白山神社

2022-03-07 14:00:00 | Weblog
愛知県春日井市白山町9丁目2





白山神社(しらやまじんじゃ)

祭神:伊弉冉尊(イザナミノミコト)、菊理姫命、大巳貴命

養老2年の創建  718年と言うことでしょうか。




石川県の白山本宮の別れとのこと
ですが、犬山の「東の宮古墳」近くにも、「白山」と言う地名があるのです。

それぞれ、何か関係があるのかもしれません。

PS  「東の宮古墳」の住所も「愛知県犬山市犬山北白山平6」 でした。




保食大神(うけもちのおおかみ)  アジサハヒメの事と思います。


庚申=猿田彦=サタヒコです



「旧社殿は現在地より一段後方の高所(30間程後方)にあったが、風害を受けることが多くそのため今の地に移った。」とのこと。

30間は、およそ55mです。

本殿より向かって右側にこの鳥居があり、その先のあたりが旧社殿の場所なのでしょうか?



鳥居を抜けると・・・ これはお稲荷さんです。

この左ぐらいの所が旧社殿と言うことでしょうか。

京都伏見稲荷大社には、サタヒコが祀られています。どういう関係なのだろう?

機会があれば調べてみたいですね。

前回、郷土誌かすがい 第46号「春日井の黄金伝説  小木曾正明」より、引用した中に

「白山神社の裏手丘陵にかつて「かねば」と呼ばれる豊富な砂鉄を含む場所があった」

とありました。このあたりなのでしょうか?


地図を見ていると、「かねば」ではなく、「かば公園」と言う所が目につきました。

「かねば」→「かば」と変わったのでしょうか?わかりません・・・

行ってみましたけど、何もわからず・・・当然ですわな・・・

白山神社の標高は、84m。砂鉄の出るところは、標高80mぐらいのところだそうです。

次回からは、そのあたりを含めて検証してみたいと思います。


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愛知県春日井市の砂鉄

2022-03-06 16:23:46 | 歴史
郷土誌かすがい 第46号「春日井の黄金伝説  小木曾正明」

に、愛知県春日井市の製鉄に関する場所や、砂鉄の産出する所が書いてあります。

そこに出て来る場所などをgoogle地図で調べてみました。


こちら地図です

分かりやすいように、そして、少し付け加えたい所もあるので、地図に書き込んでみます。


郷土誌かすがい 第46号「春日井の黄金伝説  小木曾正明」より、少し引用させていただきます

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高座山の麓の五社大明神社には、此の近隣では余り見られない天目一箇神が祭られているからです。この神は周知の如く金属・製鉄神として良く知られた神で、此の地に天目一箇神が祭られる以上何かの特殊な事情がなければならないからです。
この天目一箇神については前から心に引っ掛かっていたのですが、昨年夏旧高蔵寺町在住の日比野実氏からお手紙を頂き、白山神社の裏手丘陵にかつて「かねば」と呼ばれる豊富な砂鉄を含む場所があった事を教えられ、理解の糸口を掴んだ様な気がしました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

五社大明神社の創建は、サタヒコの時代よりかなり後のようです。

祭神が、大碓尊(おうすのみこと)と言う事もそれを表していると思います。

大碓尊=サタヒコですので。

白山神社には以前訪問したことがありますけど、かなり前なので画像がありません。

記憶も同じくあいまいなので、出かけてみました。

今日の所は時間がありませんので、次の機会に詳しく書いてみたいとます。


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