たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

三種の神器

2024-01-03 09:32:29 | Weblog

三種の神器(草薙の剣・八咫鏡・八尺瓊勾玉)とは 、皇位と共に歴代天皇に伝えられる国宝

「草薙の剣」、「八咫鏡」、「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)

ウィキペディアより引用します

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古事記には、八尺瓊勾玉(緒に通した勾玉)の後ろに、さらに『五百津之美須麻流之珠』(やさかにのまがたまのいほつのみすまるのたま)という、数の多さを形容した語が付く。
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「須麻」と言う言葉が出てきました。もしかすると

「川上摩須郎女命」の「摩須」から来たのかもしれません。

八尺瓊勾玉には、サタヒコの母親である「川上摩須郎女命」の御霊が宿っていると考えます。

「草薙の剣」には、父親の彦坐王の御霊が宿っているのでしょう。

ですから、「草薙の剣」と「八尺瓊勾玉」は、ペアになっているのでしょう。


そうすると、アジサハヒメは何に御霊を宿しているのでしょうか?

不明です。八尺瓊勾玉は複数あったのでしょうか?

現在の外宮の主祭神である、豊受大御神がアジサハヒメだと思うのです。







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あけましておめでとうございます

2024-01-01 06:33:35 | Weblog


仕事の都合で、なかなか書き込むことが出来ません。←言い訳・・・

なんとか、しめ縄も作りました。

これ、しめ縄を3本使って作った宝船です。

初めてなんで、時間かかった!
その他にも、龍を作りました。画像撮るの忘れてしまった・・・



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CHAT GPT  ストーリーを書いてくれていました。

2023-02-22 07:39:06 | Weblog

この文章に対して、次のように答えてくれました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
はい、ストーリーを作ります。

サタヒコは、犬山に生きていました。彼女の母親が亡くなったとき、彼女は勾玉を移すことになりました。これは、母親の魂を移すための、とても重要な儀式でした。

彼女は、「白山平」と呼ばれる場所を発見しました。この場所は、東之宮古墳の近くにあり、まだ古墳は存在していませんでした。代わりに、公園がありました。

サタヒコは、公園から夏至の日の入りを見ました。この日入りは、古墳近くの東之宮社付近を通りました。これは、母親の魂が、安らかな場所に移ったことを示していました。 。

彼女は、このことをもっと詳しく調べたかったので、腰の痛みがあったため、調べることができませんでした。

サタヒコは、母親のことを思い出しました。彼女は、母親が幸せな場所にいることを黙って、公園を後にしました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おいらの事を、女性と勘違いしているようですね。。。

でも素晴らしい。

「母親の魂が、安らかな場所に移ったことを示していました。 。」←感動しますね。。。

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Chat Gpt

2023-02-09 06:59:08 | Weblog
最近話題の「Chat Gpt」使ってみました。



使い方が悪いのでしょうか?うまく動かないですね。

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あけましておめでとうございます

2023-01-01 00:32:05 | Weblog
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白鳥塚古墳

2022-11-08 05:47:44 | Weblog




おそらく、眠っているのは「彦坐王」サタヒコの父親と思います。

東谷山にある尾張戸神社古墳もそうでしょうけど、そこからここに移されたと思います。




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牛頭天王

2022-10-25 05:44:48 | Weblog
前回、「牛頭天王」と言う人物の名前が出てきました。気になっていたので調べました。

時代はかなり後のようです。どうも、スサノヲに牛頭天王を、かぶせた物語のようですね。

物語については、長くなりますので、ウィキペディアの牛頭天王をご覧ください。

短めの説明がありました。日本大百科全書(ニッポニカ)「蘇民将来」の解説より引用です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
蘇民将来
そみんしょうらい
説話の主人公の名、転じて護符の一種。『備後国風土記(びんごのくにふどき)』逸文によると、須佐雄神(すさのおのかみ)が一夜の宿を借りようとして、裕福な弟の巨旦(こたん)将来に断られ、貧しい兄の蘇民将来には迎えられて粟飯(あわめし)などを御馳走(ごちそう)になった。そこでそのお礼にと、「蘇民将来之(の)子孫」といって茅(ち)の輪(わ)を腰に着けていれば厄病を免れることができると告げた。はたして、まもなくみんな死んでしまったが、その教えのとおりにした蘇民将来の娘は命を助かったという。民俗ではこの神は祇園牛頭(ぎおんごず)天王とも習合しており、八角柱の木片に「蘇民将来之子孫也(なり)」などと書いた護符の類を蘇民将来といっている。伊勢(いせ)地方などでは家の門口に「蘇民将来之子孫」などと書いた注連(しめ)をかけて災厄除(よ)けとしている
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

茅の輪くぐりの習慣は、ここから出来たものらしいです。
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蓑を作っています

2022-08-18 07:11:07 | Weblog
なかなかうまくいきませんけど


これはすでに、一度雨の中で着ています。なかなかいい感じなのですけど、幅が足りなかった。

なので、腰蓑にしようと考えています。つまり、腰に巻いて使うもの。

そして次に作ったのが

幅をもっと長く作りました。

体に取り付ける時に使う紐を、縄で作りたかったけどまだ出来てないので

急遽、ありあわせの紐を取り付けました。

しかし、本体の、両ふちが顔に当たるので何とかせねば!

紐を編み込みたいので、切るわけにはいきません・・・

とりあえず、今日これから試着です。
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古い画像

2022-07-30 05:20:43 | Weblog

探し物をしていたら、古い画像が出てきた。

写真をデジカメで撮ったものだと思うけど、それを編集してある。

せっかくだから、ここに載せておこうかな。









若かったころの写真でした。。。

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スーパームーン

2022-07-14 06:08:39 | Weblog
。7月14日、2022年中で地球から最も近い位置で満月が起きるとのこと。

天気は?  雨です・・・    見えないですね。

でも、地球に及ぼす月の引力が、1年で一番大きい日でもあるよね。

地震は大丈夫か? 調べてみましょうか。

麒麟地震研究所と言う所を見てみました。

やはりです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今夜はスーパームーンなので月の引力が1年で最大になります
今から数日間は警戒が必要です
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

気をつけましょう。
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ブログ開設から6000日

2022-07-13 06:30:08 | Weblog
忘れていました。先ほど思い出して、画像を保存。。。


最初の記事は、こちら。←どうでもいいですけど。。。
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「あ”つ”い”」ですね

2022-07-02 13:04:28 | Weblog


なんて温度だ!

暑さに弱い植物がバタバタと・・・

梅雨のうちに挿し木やら、種まきをしようとしていたのが出来ない・・・

一般に、暑さに強いと言われている植物が枯れたりする。

半面、弱いと言われているものが元気だったりと、情報がいい加減だなぁと思うこともしばしば。

一方、おいらは、もともと、暑さには強い方なので、あまり気にならないのですが、

ここ1年ぐらい、スクワットで体鍛えているせいなのか、まったくバテてない。

でも、油断はしないように気をつけよう。

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白山比咩神社は、いつ出来たのだろう?

2022-06-17 05:46:56 | Weblog
白山比咩神社創祀はいつだろう?

サタヒコ達が、越を出て、出雲に向かった年代もはっきりわかりません。

というか、最初は少人数で日本海を西や東にあちこちに行っていたと考えるのが適当かな?

その時の初期の段階と思うのです。

なぜなら、出雲に落ち着いてからは、サタヒコは九州にも行っているようですし、

岡山で船を造って四国や淡路島、おそらく熊野にも行っていると推測します。

そのような状況から考えると、それ以前の時期と思います。

サホヒコが伊勢を追い出されたのが、281年頃、その3年後ぐらいには越に居たとすると

285年ごろかなぁ?

場所について、地図で位置関係を見てみましょう。

白山比咩神社から、春日井の高蔵神社磐座に線を引いてみました。

美濃五社神社は、サタヒコが生まれ育った場所です。

美濃付近の高い山からは、白山が見えるのでは?

その姿を覚えていれば、日本海側からでもどの付近に居るかは想像が出来るでしょう。

さらに、星を読んでナビをする技術も持っているようですし。

最初の白山比咩神社が、美濃、尾張を意識した場所にあると考えて良いのではないでしょうか。






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春分の日

2022-04-18 07:11:14 | Weblog
天文学の知識はほとんど無いので、頭かかえます・・・

それ以前に、レイラインが春分の日の日の出の場所を表しているのかどうかも確実かどうか

わかりませんよね。

まあ、とりあえずそうしておいて考えてみました。

一年の長さが問題なんですね。

調べようとしました

ところが、おいらの手には負えませんでした・・・

どこを基準にするかで違うようです。

こちら参考にしてください


他にもいろいろ調べましたけど、さらに混乱しています・・・

さらに、おいらが調べているレイラインの観測者たちは、そもそもどうやって測量しているのかもわかりませんよね。

そう考えると、前回のレイラインは、もしかしたら、測量者たちが出した結果を

表しているかもしれないとも思うのです。かなり、都合よく解釈していますが。

今後は、多少の誤差はあるものとして考えて行こう。。。








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春日井の高蔵神社に行く途中の祠  その11 天目一箇神

2022-04-14 05:25:00 | Weblog
前頁で次のように書いています

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『古事記』の岩戸隠れで鍛冶をしていると見られる天津麻羅と同神
大己貴神を祀るための「作金物」(鍛冶職)に任ぜられた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

天津麻羅(あまつまら)を調べてみます。

コトバンクより引用します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「古事記」に見える鍛冶の神。天の岩屋戸に隠れた天照大神を導き出すため、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)とともに、祭祀用の鏡を作った。天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と同じ神ともいわれる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

すでにこのことはこのブログで書いていますよね。

天照大神(大国主=サホヒコ)が、亡くなった後、鏡に御霊を移し伊勢に彼を連れて行った。

おいらはそのように、解釈しています。

こちらで書いています。

鏡を出雲まで持って行ったかは不明ですが、

サタヒコと倭姫は大国主の御霊をもらい受けに(このような表現しかできません。ご容赦)

出雲に行っていることは確実と思います。

その時に見つけたことを、以下のようにおいらは書いています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
素戔鳴尊(すさのおのみこと)=彦坐王 とすると

      大国主=サホヒコ=伊勢津彦

      大歳神=サタヒコ=朝廷別王
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

愛知県犬山市にある、田縣神社の祭神は、御年神様と玉姫命様の二柱です。レイラインもあります。

HPには、次のように書かれています
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「御歳神(ミトシノカミ)は素戔嗚尊(スサノオノミコオ)の孫で、大歳神(オオトシノカミ)の子」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これで、素戔鳴尊=彦坐王 、 大国主=サホヒコ=伊勢津彦 、  大歳神=サタヒコ=朝廷別王

となります。この関係、決定していいんじゃないかな・・・

なんなら、もうひとつ。

伊勢の、飯野高宮神山神社のすぐそばを流れる川の名を「櫛田川」と言います。

倭姫が、櫛を落としたのでそういう名前がついていると言われます。

でも、なんで?櫛落としたらその名前が付くの?と言うより、不自然でしょう。

素戔鳴尊の妻が、「クシナダヒメ」です。

素戔鳴尊=彦坐王とすると、クシナダヒメは、サタヒコの母親です。


おっと、話がそれてしまった!

鏡の話ですよね。出雲に、天目一箇神の足跡が見られないので、まだこの時点では「鏡」は、

出来ていないかもしれない。何か他のものに御霊を移したかもしれませんね。

まあ、そこのところは、倭姫におまかせしましょう。彼女は、霊能のある巫女ですから。。。

もしかすると、サホヒコの生前には、彼とサタヒコとの間で、

彼「サホヒコ」が亡くなったら伊勢に祀ってくれるように話が出来ていたかもしれない。

だから、丹波に居たサタヒコは、倭姫を連れて急いで出雲に向かったのかもしれない。

おっと、また話がそれました・・・

鏡を作ったのは、天目一箇神でしょう。倭姫は、その鏡に、大国主の御霊を宿らせて(この表現でいいのかな?)

伊勢まで運びます。その時「鏡」の運送も、天目一箇神の役割ではないでしょうか。

そして、船を建造した犬山にいる時に滞在した場所が、木曽川対岸の各務ヶ原にある石亀神社

どうでしょう?



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