前頁で次のように書いています
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『古事記』の岩戸隠れで鍛冶をしていると見られる天津麻羅と同神
大己貴神を祀るための「作金物」(鍛冶職)に任ぜられた
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天津麻羅(あまつまら)を調べてみます。
コトバンクより引用します。
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「古事記」に見える鍛冶の神。天の岩屋戸に隠れた天照大神を導き出すため、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)とともに、祭祀用の鏡を作った。天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と同じ神ともいわれる。
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すでにこのことはこのブログで書いていますよね。
天照大神(大国主=サホヒコ)が、亡くなった後、鏡に御霊を移し伊勢に彼を連れて行った。
おいらはそのように、解釈しています。
こちらで書いています。
鏡を出雲まで持って行ったかは不明ですが、
サタヒコと倭姫は大国主の御霊をもらい受けに(このような表現しかできません。ご容赦)
出雲に行っていることは確実と思います。
その時に見つけたことを、以下のようにおいらは書いています。
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素戔鳴尊(すさのおのみこと)=彦坐王 とすると
大国主=サホヒコ=伊勢津彦
大歳神=サタヒコ=朝廷別王
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愛知県犬山市にある、
田縣神社の祭神は、御年神様と玉姫命様の二柱です。レイラインもあります。
HPには、次のように書かれています
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「御歳神(ミトシノカミ)は素戔嗚尊(スサノオノミコオ)の孫で、大歳神(オオトシノカミ)の子」
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これで、素戔鳴尊=彦坐王 、 大国主=サホヒコ=伊勢津彦 、 大歳神=サタヒコ=朝廷別王
となります。この関係、決定していいんじゃないかな・・・
なんなら、もうひとつ。
伊勢の、飯野高宮神山神社のすぐそばを流れる川の名を「櫛田川」と言います。
倭姫が、櫛を落としたのでそういう名前がついていると言われます。
でも、なんで?櫛落としたらその名前が付くの?と言うより、不自然でしょう。
素戔鳴尊の妻が、「クシナダヒメ」です。
素戔鳴尊=彦坐王とすると、クシナダヒメは、サタヒコの母親です。
おっと、話がそれてしまった!
鏡の話ですよね。出雲に、天目一箇神の足跡が見られないので、まだこの時点では「鏡」は、
出来ていないかもしれない。何か他のものに御霊を移したかもしれませんね。
まあ、そこのところは、倭姫におまかせしましょう。彼女は、霊能のある巫女ですから。。。
もしかすると、サホヒコの生前には、彼とサタヒコとの間で、
彼「サホヒコ」が亡くなったら伊勢に祀ってくれるように話が出来ていたかもしれない。
だから、丹波に居たサタヒコは、倭姫を連れて急いで出雲に向かったのかもしれない。
おっと、また話がそれました・・・
鏡を作ったのは、天目一箇神でしょう。倭姫は、その鏡に、大国主の御霊を宿らせて(この表現でいいのかな?)
伊勢まで運びます。その時「鏡」の運送も、天目一箇神の役割ではないでしょうか。
そして、船を建造した犬山にいる時に滞在した場所が、木曽川対岸の各務ヶ原にある
石亀神社。
どうでしょう?