たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

猿田彦 その4 結大明神 

2021-11-15 11:03:27 | 歴史
サタヒコが生まれ育った「方々津神社」付近からは、当時の海までいくらか距離があると思います。

長良川を船で下るには問題はありませんけど、遡ることはできません。

ですから、海に面したどこかの河口付近に、船を係留するための港があると思います。

そこから、徒歩で方々津神社方面に移動したと考えるのが適当かと思います。

そうすると、長良川を渡らない右岸にあるのでは。

当時の地形を探ってみましょうか。いつものように海面を上げてみます。

今回は、河口付近なので少し高めの設定、6m上昇の地図を見てみましょう。


「結神社(結大明神)」と書いたところが、その条件に合う場所かと思うのです。





こちらから引用させていただきます。

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「結神社」は明治37年までは現在の西方280メートルの位置に位置しており、「結大明神」と呼ばれる大きな神社でした。

元の境内は今の3倍の敷地があったと言われており、参道は美濃路(昔の鎌倉街道)に通じていました。江戸時代は参勤交代や歌人、商人や歴史人が通行した記録もたくさん残っています。
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右上の駐車場と書いてある所は、標高6.3m。

現在の結神社は、8.9m。

元の場所は、現在、川との境ぐらいなので少し低いですけど、少し東では9.4m。

幅が300mほどの半島のような地形と、想像できます。

そういえば、猿投神社から見つかったと言われる古地図がありましたね。

それにわかっている場所を書き込んでみましょうか


どうでしょう?


コメント
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