たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

倭姫命(やまとひめのみこと)その2

2018-01-26 11:27:19 | 神社

倭姫命の系譜を作ってみました

一般に言われているものが、こちら。


ですけど、彦坐命と丹波道主命は同一人物とも言われます。

おいらがよく参考にさせていただいているブログ、「水石の美を求めて」の「尾張氏の謎を解く」

でも、おっしゃっておられます。


このなかで、丹波道主命の妻である川上摩須郎女命という人は、彦坐命が、丹波に行ったとき

そこの豪族・川上摩須の娘(川上摩須郎女命)を妻にしたとのこと。

ならば、彦坐命と丹波道主命は同一人物と考えるとスッキリします。

 岐阜にある方県津神社(かたがたつじんじゃ)の祭神です。


で、訂正すると


こちらの方が、年代的にもスッキリしますね。

それと、倭姫命の兄弟である景行天皇は、岐阜にある伊奈波神社主神である五十瓊敷入彦命と同一人物

の可能性があるようです。


このように、倭姫命は、美濃(岐阜)との関係が深いようです。

簡単に考えると、倭姫命は、母親の在所にやってきたということとおもうのですけど、どうでしょう?

美濃で船を作ってもらって、そこからは船で旅をしたという話もありますから。



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倭姫命(やまとひめのみこと)その1

2018-01-25 07:35:07 | 神社
倭姫命とは、一言でいうと、

伊勢神宮を今の場所に導いた人となりますね。

ウィキペディアより引用します

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第10代崇神天皇の皇女豊鍬入姫命の跡を継ぎ、天照大神の御杖代として大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



大和国から伊勢の地までの間に理想的な鎮座地を求めて一時的に天照大神を祀った所を、「元伊勢」

と呼ぶようです。

その元伊勢の数が、『日本書紀』では簡略に、(約 5か所)

『皇太神宮儀式帳』にやや詳しく、(約 13か所)

そして中世の『倭姫命世記』ではより詳しく(約 21か所)

書かれているとのこと。カッコ内はおいらが数えた数字ですけど、参考程度に考えてください。

一般的に、元伊勢と言われる場所は、『倭姫命世記』に書かれている所のようです。

おいらは、そのうちの何か所訪れたことがあります。

が、しかし!

こちらを見て、ぶっ飛びましたね。


何のことはない、日本書紀以外はどうも、作り話であるかのようですね。

そういわれれば、そんな気がする。

場所がわからないところが多いですしね。でも、ルートを探るには参考になると思います。



引用させてもらうと、日本書紀では

・・・・・・・・・・・・・・

「天照大神を豊鍬入姫命より離ちまちりて、倭姫命に託けたまふ。ここに倭姫命、大神を鎮め坐させむ処を求めて、菟田の筱幡に詣る。更に還りて近江国に入りて、東のかた美濃を廻りて、伊勢国に到る。(『日本古典文学大系 日本書紀・上』より)」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これだけ・・・

近江と美濃・・・


いろいろと調べたら、なかなか面白いことが出てきました。

まだまだ、調べている最中なんで少し時間がかかると思いますけど、

考えがまとまり次第ここに書いていこうと思います


画像が一つもないですね

ならば




内宮にある巨木

樹齢は?  おいらがみるには1,200年くらいかな?
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丹生水銀鉱跡

2018-01-18 10:23:50 | 神社
丹生水銀鉱跡(三重県多気郡多気町丹生)


前回載せた、中央構造線の地図に瀧原宮と伊勢神宮内宮を追加しました

以下です




丹とは、硫化水銀鉱、すなわち辰砂と呼ばれるものだそうです。

縄文時代からここの丹生鉱山とその近辺で辰砂の採掘が行われていたとのこと。



辰砂は、古来神聖な赤色顔料として好んで利用され、辰砂を産出する水銀鉱床は日本列島各地に分布するが、

多くは西南日本の中央構造線付近に集中しているとのこと。(ウィキペディアより)




駐車場があり、そこから徒歩ですぐです



すると


これは、昭和の時代の水銀製錬装置とのこと








左が古代水銀採掘坑道、右が昭和のものです


奈良東大寺の大仏の建造の際に、金メッキをするために、水銀が使われたようです。

この際に使用された水銀が全て伊勢産かは不明。

その後、戦乱によって損壊した大仏を再建するために用いられた水銀は、

全て伊勢産であったと考えられている。(ウィキペディアより)


東大寺の大仏ですけど、当時は金ぴかであったそうな。

光り輝いた大仏を作るためには,金を大量の水銀に溶かし、それを塗って、

火であぶって水銀を蒸発させ、金メッキにするとのこと。

これによって、水銀中毒が起きたと言われます

平城京から平安京への遷都はこの水銀汚染が、原因とも言われます

ですけど、当時の土壌汚染を調べた人がいらっしゃるようで、汚染は広範囲では見られないので

遷都の原因とは考えにくいとのことです。


話を、さらに昔に移すと、伊勢神宮を鎮座させる旅というのは、

この水銀鉱が目当てだったのでしょうか?

もしそうだとしても、当時のトップシークレットなので、資料は全くなく

推測だけの世界になってしまいますけど、すごく興味がわきますね。

外宮が中央構造線上にあるということも繋がりがあるかもしれないといろいろ推測します。










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あけましておめでとうございます

2018-01-01 10:42:13 | 
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