たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

崇神天皇と彦坐王

2019-07-20 07:08:24 | 美濃、尾張、三河の神社とレイライン
どちらも、父親は開化天皇です。


崇神天皇は、開化天皇の第2皇子。

開化10年、皇后である、伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)との間に

御間城入彦五十瓊殖命(みまきいりひこいにえのみこと、崇神天皇)が誕生。

開化28年1月5日、齢19歳の御間城入彦五十瓊殖命(崇神天皇)を立てて皇太子とされる。



彦坐王は、 開化天皇の第3皇子。

妃・姥津媛(ははつひめ)との間に第三皇子として彦坐王(ひこいますおう)が誕生。



この二人、年齢はそれほど差がないようです。詳しい資料がないので、

断定はできませんけど。

開化天皇の第1王子はというと、

妃・丹波竹野媛(たにわのたかのひめ、竹野比売) - 丹波大県主由碁理の娘。

との間にできた、第一皇子:彦湯産隅命(ひこゆむすみのみこと、比古由牟須美命)



いろいろと説があるのですけど、この第一皇子:彦湯産隅命の子が

「彦坐王」とも言われます。


でも、そうすると彦坐王の子供たちの年代がおかしくなるので、これは違うと思うのです。


さらには、彦湯産隅命 = 彦坐王  という説もあるようです。

こうなってくると、わけわからん・・・


この兄弟、生まれは九州で、崇神天応と彦坐王が大和まで移動したとする説が

有力のように思います。


    



コメント
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