所在地
愛知県春日井市内津町上町24
鳥居を過ぎて、少し行くと、すべらずの松があります
松とさるすべりの共生木だそうで、受験や人生ですべることのないように願いを込めてあるそうです
少し、訪れるのが遅かったか・・・へへ;
社殿や、庭園もすばらしいですけど、今回は最初のころの信仰の場所である、奥の院に行こうと
やってきました。
本殿の裏に回ると
何でしょう?○○奥の宮七丁?○のところは「従提」?わかりません
岩があちこちにあり、注連縄が張ってあります
古代の祈祷した場所でしょうか?
奥の院は、ここより700mほど奥のようです
やってきました
登って行きましょうか
階段を登ります
岩の割れ目にあるようです
下を見ると・・・なんでこのような場所にあるのか?
階段を降りて、さらに奥に行くと
こちらにも祠があります
不思議な空間です
さて、この内々神社の主祭神は、 建稲種命、日本武尊、宮簀媛 とあります
ウィキペディアより引用します
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創建年代については不詳であるが、延喜式に記載された式内社である。
東国の平定を終えた日本武尊が内津峠に差し掛かった時、
早馬で駆けてきた従者の久米八腹(くめのやはら)から副将軍である建稲種命が駿河の海で水死した
との報告を受けた。
それを聞いた日本武尊は「ああ現哉々々(うつつかな)」と嘆き、
その霊を祀ったのが内々神社の始まりという。
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宮簀媛は、日本武尊の后です。
そして、建稲種命は、宮簀媛の兄です。
日本武尊の東征の際、副将軍で、帰路水軍を率いていたが、海に落ち水死
宮簀媛(ミヤズヒメ)が、お祀りしてあるのは、
氷上姉御神社
現在の氷上姉御神社の場所より南西の方向に数百メートル離れたところに、
以前の神社と住まいがあったようです
おそらく、日本武尊はそこに向かっていたのではないでしょうか。
それと、すでにこの時代に馬がいたのですね。
内々神社の場所は、東山道からは外れています
どのようなルートか調べたら、江戸時代に下街道(したかいどう)と呼ばれていた道のようです
大井(恵那市)から中山道をそれて、釜戸(瑞浪市)‐高山(土岐市)‐池田(多治見市)‐
勝川(春日井市)を経て名古屋へ至る街道です。国道19号がそれに沿っています
こちらが詳しいので参考にさせてもらいました
以前、
鬼板といって、古代の製鉄に使う材料(と思いますけど)がある、春日井市大泉寺町の
御嶽神社に、行った事があるのですけど、その前の道が下街道ですね。
でも、今画像を見るとあれって本当に鬼板なんだろうか?さざれ石かも?・・・
当時の道としては非常に重要だったと思います