たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

猿田彦その8 美濃から尾張の高蔵神社までの道

2021-11-19 13:59:08 | 歴史
当時の道は、ほとんど川沿いに進みます。

なので、川の流れが、今と同じ流れならばわりと容易く見つけることが出来るのですけど

流れが変わっているところは、頭を悩ませますね。

とりあえず、地図に主な場所を落とし込んでみました。



琴塚古墳は、景行天皇の妻なので時代が少し新しいですけど、そのすぐ近くを川が流れていますので

参考のため載せました。村神神社に近いです。


石亀神社も時代が違いますけど、東山道がその前を通っています。

すぐ近くに、一輪山古墳があります。そちらを載せればよかったですね。


村上神社から、石亀神社までは、境川がありますけど、現在は「新境川」になっていますので

少し流れが今と違うと思います。船山北古墳群と言う所があるので、その近くを通ったのでしょう。

木曽川を渡って、犬山に行きますけど、現在の犬山城付近は、昔は、「渡し」ではなく「渡り」と言って、川の水位が低い時には岩が出ていて、歩いて渡れたそうです。

現在の、ライン大橋のある所です。今でも水位が低いと岩が見えますよ。

大縣神社までは、川がありません。新郷瀬川と言う川は、1934年に造られた人工河川です。

こちら参考にどうぞ。

旧妙見宮奥之院とは、内津神社の奥宮と思います。

入鹿池から東に向け川沿いに行けるようですけど、まだ行ったことがありません・・・

内津神社からは、春日井市 都市緑化植物園まで、川沿いに道があります。

この道は何度か通りました。

以上が、おいらの想像する当時の道です。






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