たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

口神路白山神社の六本ヒノキ

2014-06-29 09:08:50 | 巨樹、巨木

今まで、何度か近くには来ましたけどわからなかった場所です


岐阜県郡上市大和町神路口神路(くちかんじ)





幹周650cm 樹高35m     樹齢600年



六本ヒノキといわれますが、実際は9本に分かれています

なかなかの迫力です



銀杏も、なかなかのもの

何本かまとめて大きく見せてある銀杏が時々ありますが、これはまさしく1本です


白山神社なんで泰澄大師と関係があるようです

こちらです


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泰澄大師について、ウィキペディアより引用します

大宝2年(702年)文武天皇から鎮護国家の法師に任じられ、その後養老元年(717年)越前国の白山にのぼり妙理大菩薩を感得した[1]。養老3年からは越前国を離れ、各地にて仏教の布教活動を行う[1]。養老6年元正天皇の病気平癒を祈願し、その功により神融禅師(じんゆうぜんじ)の号を賜った

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よくわかりませんが、養老6年元正天皇の病気平癒を祈願の帰りに神社を建てたのでしょうか?

その地は、ここではなく「あがたもり」に建てられたとあります

さて、そこはどこなんでしょうかね?

いろいろ調べましたけど、わかりませんでした。









コメント (2)
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岩村城

2014-06-22 09:34:27 | 
岩村城は、岐阜県恵那市にあります







石垣しかありませんけど、本丸周辺の石垣は“東洋のマチュピチュ”と呼んでも差し支えないなどといわれます



なるほど、非常にきれいです



本丸です




標高717mとかなり高いところにあります>

そして、さらに歴史が永いんですね

1185年創築されてから、鎌倉・室町の300年間、戦国の100年間、江戸期の300年間

なんと、700年間に及びます



歴代の城主には森蘭丸も名前があります

しかし、蘭丸は在城しなかったようです

駐車場の脇にある建物には、地元中学生が語る「岩村城跡」観光ガイドというQRコード

がありました。

こちらです


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白山中居神社

2014-06-15 20:54:59 | 神社

白山中居神社

最近、パワースポットとかで紹介されているそうですが、

あなどれないすごい場所です。

最初、訪問したときはあまりのすごさに驚いたことを思い出します

昨日も、訪問しましたが、何度来ても感動です。。。

古いんですね


あまり、画像が良くありませんね



ウィキペディアより
>景行天皇の十二年壬午年(八三年)の事であります。゛同年六月十五日にして、吉備武彦命国家鎮護の為伊邪那岐の大神をこの地に祀られるに始まります。壬申の乱(六七二年)

6月15日...
今日じゃん。。。



まあ、そのころの歴史はどうなっているのやら良くわかりません

天皇の寿命があまりにも永いことやら

ヤマトタケルの話など神話の世界です



おそらく、白山信仰より古いのでしょうね

そんなことより、巨木のすばらしいこと



これなどは、本殿の左にありますけど、軽く1,000年を越すと思います

この地よりさらに奥へと進むと、石徹白の大杉へと行くことが出来ますが、今回は時間の都合と体力の都合でパス。

おいら、このブログで両方とも紹介してませんね

いけね。。。

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阿弥陀ヶ滝

2014-06-15 09:43:32 | Weblog

暑くなると、滝に行ってみたくなります

白山中居神社に行く途中にあるんで

両方訪問してみようと、出かけました

地図です
岐阜県郡上市白鳥町前谷




駐車場から、5分も歩けば到着です

奥に行くと、滝の裏側にも行けます



そこには、空間があり石像などがあります

「阿弥陀如来の石仏」だそうです



非常に気持ちの良い場所です

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竹中半兵衛

2014-06-07 19:01:51 | Weblog
大河ドラマで出てきますね


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>黒田官兵衛が有岡城で捕縛されたため、信長は、官兵衛が村重に加担したと思い込み、官兵衛の嫡男・松寿丸(後の黒田長政)の殺害を秀吉に命じた

竹中半兵衛は「自分にお任せください」と言い、松寿丸を殺したと偽って、密かに自分の居城から近い五明で匿っていました。

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その場所、我が家からそれほど遠くないんで、出かけました

五明神社


地図です

伊富岐神社のすぐ近くです




このイチョウの樹は、松寿丸お手植えのイチョウと言われています。

竹中半兵衛については、わからないことが多いようです

作り話も多いとの指摘もあります

でも、この松寿丸を匿ったというのは真実のようです

黒田官兵衛と、竹中半兵衛は、ほんの1年ぐらいしか付き合いは無いとの話もあります

調べましょう

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永禄10年(1567年)秀吉は「三顧の礼」を持って半兵衛を誘い、半兵衛はこれを受け入れます。

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まあ、この話の信憑性もいろいろありますけど、年代は正しいとします

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永禄十三年(1570年)孝高は、時勢を読み、織田信長への臣従を主君 政職に進言する。岐阜城にて織田信長に拝謁した官兵衛孝高は、忠誠を誓い、そして信長の信任を受けた証として愛刀「圧切」を拝領する。

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死没 天正7年6月13日(1579年7月6日)

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半兵衛は、秀吉の中国地方攻めの折、黒田官兵衛と知り合うそうです

中国攻めはウィキペディアより

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天正5年(1577年)以降、織田信長(織田政権)が主として羽柴秀吉に命じておこなった、毛利輝元の勢力圏である日本の中国地方に対する進攻戦である。中国征伐(ちゅうごくせいばつ)とも称する。戦争は6年におよび、天正10年6月(1582年7月)までつづいた

********************

あたりですね

1577年より後で知り合い、1579年でお亡くなりになっています

それほど、長い間付き合っていません

なのに、信長の命に背き松寿丸を匿っています

今回、おいらはそのあたりが気になったんで訪問したくなったんですけどね

竹中半兵衛の父が築いた菩提山城は、ここからわりと遠くて、4~5キロくらいあるようです

途中までいきましたけど、さらに1キロの看板にあきらめました・・・





半兵衛の息子で、関ケ原の戦いにも参戦した竹中重門が築いた陣屋跡です





関が原は、たしか竹中の領地じゃなかったかな?

竹中重門は、関が原の戦いの後の戦後処理をいろいろとやったそうです













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