手力男命(たぢからをのみこと)=曙立王と考えると、手力雄神社は倭姫と関係が深い場所と言うことになります。
でも、鎮座したと伝えられるのは、貞観2年(860年)との説があります。
その他にも
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
創建不詳 社伝には5世紀末期ごろ中里(今の岐阜県各務原市那加地区)を支配していた豪族により、山の中腹に磐座(いわくら)祭祀として神様を祭ったのが始まりとされます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このように、手力雄神社の創建は倭姫の時より後になります。
地図を見てみましょう
手力雄神社のすぐ西に、村神神社(村上神社)があります。
ここも気になります。
ひょっとしたらと思い、本宮山からのレイランを見てみると
本宮山の頂上からです。 ピンは村神神社です
手力雄神社は、村神神社から150mほど東にあります。
気になったので、現地に出かけました。
手力雄神社から歩いてすぐです。神社の東側から行くのが良さそう。
鳥居を過ぎると
秋葉神社
そして
山神様
本殿です。
本来の入り口は、南側のようです。
そちらから見ると
今これを書いているときに気が付いたのですけど、これって、古墳?
その上に神社があるのかな?
もう一度現地に行って確かめたいなぁ。
位置を調べます。上の正面からの画像を撮った場所です。
携帯の地図の画像です
もう一度
撮影場所付近がレイラインの上です。おどろきましたね。。。
と言うことは、倭姫の時代にこの神社は創建されたと言うことになります。
でも、曙立王(手力男命)と関係があるかどうかはわかりません。
位置関係を調べましょう
もう一度、村神神社付近の地図を見ると、川の合流する所がすぐ西にありますけど、左側が岩地川、右が境川です。
倭姫の時代にはこれらの川は何処を流れていたのでしょうか?
ちなみに、境川は、500年ほど前にはもっと南を流れていたようです。
さらに南に行き、現在の木曽川を渡ると浅井古墳群があります。これは時代がもっと後で
古墳時代後期の築造。今回は関係がありませんけど、ここより大江川を下り伊勢に至ったようです。
岩地川を1kmほど北に行くと、琴塚古墳があります。被葬者は景行天皇の后、五十琴姫命と伝えられます。
伊奈波神社 (旧跡)から境川(現木曽川と考えられます)に行くのには、この岩地川を通ったと考えられます。
その境川をさかのぼると犬山に至ります。
犬山の東之宮古墳から、村神神社まで約10km。
村神神社から、方々津神社、五社神社までも、約10kmです。
ですから、この村神神社は中継の場所だったと考えていいと思います。
当時の非常に重要な場所ですね。。。
ここからは、遊びです・・・
古い地図が無いものかと探したら、岐阜県図書館にいろいろありました
と言っても古墳時代のものはもちろんありませんけど、参考までに「元禄十一年美濃国絵図」
と言うものを見てみました。うん?何年だろう? 1698年 (元禄11年)です。
赤い線は古道でしょう。東山道や古東山道、などを調べるには参考になりそうですね。
でも、鎮座したと伝えられるのは、貞観2年(860年)との説があります。
その他にも
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
創建不詳 社伝には5世紀末期ごろ中里(今の岐阜県各務原市那加地区)を支配していた豪族により、山の中腹に磐座(いわくら)祭祀として神様を祭ったのが始まりとされます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このように、手力雄神社の創建は倭姫の時より後になります。
地図を見てみましょう
手力雄神社のすぐ西に、村神神社(村上神社)があります。
ここも気になります。
ひょっとしたらと思い、本宮山からのレイランを見てみると
本宮山の頂上からです。 ピンは村神神社です
手力雄神社は、村神神社から150mほど東にあります。
気になったので、現地に出かけました。
手力雄神社から歩いてすぐです。神社の東側から行くのが良さそう。
鳥居を過ぎると
秋葉神社
そして
山神様
本殿です。
本来の入り口は、南側のようです。
そちらから見ると
今これを書いているときに気が付いたのですけど、これって、古墳?
その上に神社があるのかな?
もう一度現地に行って確かめたいなぁ。
位置を調べます。上の正面からの画像を撮った場所です。
携帯の地図の画像です
もう一度
撮影場所付近がレイラインの上です。おどろきましたね。。。
と言うことは、倭姫の時代にこの神社は創建されたと言うことになります。
でも、曙立王(手力男命)と関係があるかどうかはわかりません。
位置関係を調べましょう
もう一度、村神神社付近の地図を見ると、川の合流する所がすぐ西にありますけど、左側が岩地川、右が境川です。
倭姫の時代にはこれらの川は何処を流れていたのでしょうか?
ちなみに、境川は、500年ほど前にはもっと南を流れていたようです。
さらに南に行き、現在の木曽川を渡ると浅井古墳群があります。これは時代がもっと後で
古墳時代後期の築造。今回は関係がありませんけど、ここより大江川を下り伊勢に至ったようです。
岩地川を1kmほど北に行くと、琴塚古墳があります。被葬者は景行天皇の后、五十琴姫命と伝えられます。
伊奈波神社 (旧跡)から境川(現木曽川と考えられます)に行くのには、この岩地川を通ったと考えられます。
その境川をさかのぼると犬山に至ります。
犬山の東之宮古墳から、村神神社まで約10km。
村神神社から、方々津神社、五社神社までも、約10kmです。
ですから、この村神神社は中継の場所だったと考えていいと思います。
当時の非常に重要な場所ですね。。。
ここからは、遊びです・・・
古い地図が無いものかと探したら、岐阜県図書館にいろいろありました
と言っても古墳時代のものはもちろんありませんけど、参考までに「元禄十一年美濃国絵図」
と言うものを見てみました。うん?何年だろう? 1698年 (元禄11年)です。
赤い線は古道でしょう。東山道や古東山道、などを調べるには参考になりそうですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます