たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

燈籠山古墳から見た秋分の日の日の入りの一日前のライン

2024-07-16 13:24:01 | レイライン
前の記事で、中山大塚古墳、燈籠山古墳、西殿塚古墳は、きれいに並ぶと書きましたけれど

よく調べると、違います・・・

googleの地図では、西殿塚古墳の位置が後円部の中心に無いです。

中山大塚古墳と西殿塚古墳の中心部に線を引くと今度は、

燈籠山古墳の後円部の中心がずれてしまいます。

しかも、燈籠山古墳は、向きが東西です。

年代も少し遅いようです。

このことから考えると、中山大塚古墳、そして西殿塚古墳とは、少し離れた関係にあるのかもしれません。

気になるのは、中山大塚古墳から見た西殿塚古墳の方向に何か意味があるのかということ?

もしかして・・・五社神社は?





中山大塚古墳と、五社神社を結ぶと、西殿塚古墳の後円部の中心を通ります。

後円部の中心は、多くの場合被葬者の棺のある場所です。

その、五社神社とは、ヒバスヒメ、サタヒコが、生まれ育った場所と思います。

現在、神社自体は小さいですけど、周りは公園になっています。

このラインはおそらくその解釈でいいと思います。

ですけど、前頁に書いた、松岳山古墳 と、仲津山古墳のラインですけど、やはり難儀しています・・・

春分の日、秋分の日のラインは一日前のラインを使っているということがあるようなのです。

そうすると、ラインがぴたりと合うことがいくつかで見られます。

今回もその可能性を調べたら、燈籠山古墳から見た秋分の日の日の入りの一日前のラインが

ピタリとくるのです。

悩ましい・・・

今後の課題です
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松岳山古墳

2024-07-15 04:42:06 | レイライン
松岳山古墳
大阪府柏原市国分市場1丁目6−21




国分神社(柏原市)を通り抜けた山の上にあります。

夏祭りのようで、何人かの人が準備中のようです。

古墳を見るには、許可が必要とのことなので、氏子さんと思われる方にお聞きすると

入口まで案内していただきました。



頂上まで、登ると



ありました。



立石ですね





穴をアップ


蚊が多いので、早々に退散です。

案内してもらった方にお礼を言うと、「子供のころは、あそこでよく遊んだもんです」とのこと。


レイラインです


なんと、中山大塚古墳の近くの西殿塚古墳からの春分の日のライン上に

松岳山古墳 と、仲津山古墳の二つの古墳が浮かび上がります。

どういう関係なのでしょう?

仲津山古墳(仲津姫命 仲津山陵)は、大和川の下流にあります。




春分の日のラインは特定しにくいので、難儀しました。

おそらく、このレイラインでいいかと思います。

西殿塚古墳は、今までノーマークでしたのであらためて考えてみましょう。

西殿塚古墳(継体天皇皇后 手白香皇女 衾田陵)


中山大塚古墳の北東350mのところにあります。

資料を見ると、時代が 「3世紀後半に築造された古墳時代前期前半の古墳と考えられます。」

と書いてあります。そうすると、手白香皇女衾田陵とは考えにくいです。

そして、時代ももう少し後かと思われます。300~350年ぐらいでしょうか。

こちらこちらを参考にしてください。

中山大塚古墳の被葬者は、サタヒコの母親 (河上摩須郎女命)と思います。

いろいろと調べていると、なんと、中山大塚古墳、燈籠山古墳、西殿塚古墳は、きれいに並ぶのです。青色の線です。

左上に伸びているレイラインは、夏至の日の入りのライン。大和神社を通ります。



右上に伸びている黄色いレイラインは夏至の日の出のライン。

何処へ向かうのかというと


広沢神社(広沢天神)です。ここは、サタヒコの最初の妻である、アジサハヒメ(アメノウズメ)

が、祀ってあるところです。

レイラインの測量者も、アジサハヒメも、サタヒコの母親 (河上摩須郎女命)もみな同じ

丹波から来ていることを考えると、納得がいきますね。

さて、中山大塚古墳、燈籠山古墳、西殿塚古墳が並ぶ青色の線は、何処を通るのか?

色々調べましたけど、わかりません。


さて、順を追って考えましょう。

まず、燈籠山古墳、西殿塚古墳の被葬者は、中山大塚古墳の被葬者の子じゃないのかな?

というより、西殿塚古墳の被葬者はヒバスヒメでは?

燈籠山古墳は、ヒバスヒメの兄弟かも?

そして、松岳山古墳 は、ヒバスヒメの子。

仲津山古墳は、そのまた子。つまり、中山大塚古墳のひ孫になると思う。

佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)とされていますけど、地理的に無理があると思う。



なぜなら、この付近は、古い土地で、崇神天皇や垂仁天皇が住んでいたところです。

ヒバスヒメは、岐阜からここに連れてこられたのでは?

倭姫、景行天皇はここで育っていると思います。

その場所を、岡山から船団を率いて、サホヒコと、サタヒコが攻めていった場所と思います。

ですから、その場所にヒバスヒメの古墳があるということは考えにくいのです。

西殿塚古墳の墳頂には吉備(岡山) で制作されたとされる特殊器台が確認されているとのこと。

いかがでしょう?


































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富雄丸山古墳その3 武内宿禰

2024-04-05 05:39:13 | レイライン

武内宿禰、いろいろ読み方があるようですけど、おいらは(たけのうちすくね)と呼びます。

以前このブログで書きましたけど、武内宿禰の祖先がサタヒコが率いる製鉄およびレイラインの測量集団かもしれないと

思っています。見つけました。こちらこちらです。参考になさってください。

景行天皇14年~ 没年不詳

317年ごろの生まれと推測します。

時代的には、富雄丸山古墳の被葬者といっても違和感がありません。

レイラインが、彦座王や、その息子のサタヒコ(猿田彦=ミカドワケノミコト)と関係してもおかしくはありません。

武内宿禰は、景行天皇の時代から仕えているので古墳の大きさからも適当と思います。

製鉄の技術を持っていたので、蛇行剣が見つかってもおかしくありません。

どうでしょうか?まだ調査が続いているのかな?ニュースが楽しみです。。。
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富雄丸山古墳その2

2024-03-31 15:58:28 | レイライン
こちらのニュースを見ました。

銅製の鏡が、出土したそうです。直径20cmほどで、3枚。三角縁神獣鏡ではないようです。

長さ14cmの漆塗りの櫛など、櫛9点も見つかりましたとのこと。

国内最大2.3メートルの長さの「蛇行剣」というものがすでに出てきているようです。

4世紀後半に作られた直径100メートルほどの円墳とのこと。

380年ごろの制作とすると埋葬されている方が亡くなったのは350年ごろでしょうか?

もう少し遅いかな?

サタヒコが、伊勢に行ったのは、300~303年ごろ。

そうすると、彼らと同伴していたとすることは不可能ですね。

鉄製の武器・武具といったようなものは見つかっていないそうです。女性かもしれないとか?

人物が特定できなくなってきました・・・





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富雄丸山古墳

2024-03-31 13:51:28 | レイライン
富雄丸山古墳  ( 奈良県奈良市丸山1丁目) ニュースはこちら

気になったので、レイラインを調べてみました

富雄丸山古墳からです



何か見つかるでしょうか?



右上、夏至の日の出の方向ですね。


高蔵神社の磐座に行く途中にある祠の場所です。

こちらで場所を特定しています

画像はこちらにあります

こちら参考までに

富雄丸山古墳は、円墳なので、サタヒコと一緒に行動していた技術者でしょう。

まだニュースの内容を詳しく見ていないので今日はここまで。。。


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三輪神社 ( 岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪)に行ってきました

2024-03-31 08:34:18 | レイライン


久しぶりの探索ですね。。。



三輪神社 ( 岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪)のHPです

少し右には、厳島神社があり、そこには銭洗い弁財天があります



これはやらない理由はありませんね。 しまった!最近、財布の中はあまりお金が入ってないのです。

しようがないので、50円玉を・・・でも、これでお金持ちになれます。。。





少し見づらいですね。右端に現在地があります。目指すは揖斐城跡です。一番上にあります。

でも、今日は体力があまりない。体を休めようと考えていたのですが、途中で地元の人にお会いして

元気をもらい、一緒に揖斐城跡まで行きました。


本丸跡です。


三輪神社の元の場所を尋ねましたが、それは分からないけども、お寺があった場所は分かるとのこと。

その場所は、この本丸跡の少し下です。


すでに通り過ぎたところでした。この右斜面の上が本丸跡です。

別の角度から



前回のアップの後でわかったことですけど、レイラインを見ると城跡から少しずれているのです。


今日の目的は、このずれを探ることです。



これで見ると、そのずれの距離は10mほど。

ちょうど、このお寺があった場所ではないでしょうか?

ただし、高蔵神社磐座の起点が違うかもしれません。

磐座の一番奥ならば、本丸の位置になるかもしれません。

どちらにせよ、三輪神社の元の位置はこの付近と考えていいでしょう。



途中から見える景色です



金生山が見えます

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三輪神社 ( 岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪)

2024-03-23 17:03:04 | レイライン
三輪神社 (みわじんじゃ) 岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪1322番地




近くに、野古墳群、養基神社朝鳥明神があります。

「御祭神神武天皇の御代長野県の諏訪大社の御祭神健御名方富命が当地に三輪神社に造営され三輪明神を祀られました」

主祭神 は、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)つまり、タケミナカタが、父親を祭ったということでしょう。

この説明から、時代は300~350年ごろと推定します。

レイラインは高蔵神社磐座からです。かなり詳しい場所にセットしてあります。




揖斐城跡を通ります。三輪神社が元あった場所はそこかもしれません。



残念ながら、まだ三輪神社には、訪問していません。なにせ、つい先ほど分かったことですので・・・

なかなか書き込みが出来ません。仕事が忙しいので時間がない!   ← 言い訳。。。

この他にもいくつかレイラインを発見しています。機会があればここに載せたいですね。

そして、だんだんとこの時代のことが詳しくわかってきています。まあ、焦らずにのんびりと書いていきます。
 


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丹生水銀鉱跡

2024-01-03 09:10:19 | レイライン
丹生水銀鉱跡
は、何度か訪問しています。

気になったので、レイラインを調べると


月讀宮を通ります。内宮の近くの月讀宮ですよ。


なんだかの理由、おそらくは、製鉄の場所を知られないようにするためでしょうか?

それとも、辰砂の保存の場所を隠すためでしょうか?

とにかく、外宮より奥にその場所を求めたのでしょう。

レイラインの通る場所に、月讀宮を作りさらにその奥の飯野高宮神山神社からのレイライン上に内宮を建てたことになります。

飯野高宮神山神社の主祭神は、猿田彦命、そして天鈿女命(あめのうずめ=あじさはひめ)

ちゃんと、あじさはひめの御霊も連れて来ていますね。

籠神社には、眞名井神社(籠神社奥宮)として

大縣神社には、姫之宮 奥宮として

猿投神社には、広沢神社として、サタヒコの住んだところにはアジサハヒメが祀ってあります。








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初詣

2024-01-03 08:04:31 | レイライン
初詣は、まず地元の神社にお参りします。白山神社です。

その後、尾張戸神社に行きその足で、白鳥塚古墳を訪問。








守山から東名高速に乗り、一宮インターで降りて岐阜に向かいます。

そうです。方県津神社に向かいます。

彦坐王(尾張戸神社)と、妻の川上摩須郎女命(方県津神社)がそれぞれ祀ってある神社です。

白鳥塚古墳は、おそらく彦坐王と、息子のサタヒコ(猿田彦)が眠っていることでしょう。

川上摩須郎女命は、おそらく奈良にある中山大塚古墳に眠っていると思います。

それからは、方県津神社の近くの諏訪神社に行きます。

始め、なんでここに諏訪神社があるのか分かりませんでした。

おそらくは、ここにはサホヒコ(後の伊勢津彦)が、伊勢に行くまで住んでいた所かもしれません。

とにかく、彼が祀ってある可能性が高いです。


最後に、洲原神社(岐阜県美濃市須原468−1−1)に行き、娘の安産を願ってきました。








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三輪山のレイライン

2023-05-07 14:09:36 | レイライン
三輪山からのレイラインです



大神神社の拝殿にピタリです。


気になるのは、斎宮のレイラインの交差する場所ですね。

かなり以前に書いてると思いますけど、サタヒコ達が係わっているとは思ってなかったので

気にかけていませんでした・・・ピタリとこのラインもその場所を通ります。


これは、砥鹿神社遙拝所からのラインです。この先は飯野高宮神山神社の本殿です



倭姫命宇治山田陵墓からのライン。赤い〇が、交差する場所です



箸墓古墳も関係しているかもしれません。






橋から見た所


斎宮より川に向かったところ。この先の場所です。


これだけたくさんのレイラインが交差する場所ですけど、何もわかりません・・・



斎宮歴史博物館に行ってきましたこちら参考にしてください。
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猿投神社の起点

2022-11-07 05:18:58 | レイライン
昨日の続きです

最近の春分日は以下です

2020年(令和2年) 3月20日
2021年(令和3年) 3月20日
2022年(令和4年) 3月21日
2023年(令和5年) 3月21日
2024年(令和6年) 3月20日
2025年(令和7年) 3月20日
2026年(令和8年) 3月20日
2027年(令和9年) 3月21日
2028年(令和10年) 3月20日

これらの日の、昨日設定した猿投神社の起点から見た広沢神社付近の春分の日のラインを見てみます

ここからですね



20

21

22

23

24

25

26

27

28

26年がおかしいですね
3月21日を見てみましょう

こちらの方が適当かと思います


2021年もおかしいですね・・・

これはもしかすると、春分点は正午を基準にしている。しかしこのラインは日没です。

その影響で日にちが一日ズレているのではないかなぁ?

似たようなことが、高蔵神社の磐座から見た白髭神社でも起きています。

話を戻して、2025年のラインが一番南を通ります。起点を調整して広沢神社を通るようにします


さらに、伊久良河宮も通るように調整します


猿投神社の起点は


塀の内側の参道付近になります。

まあ、あくまで今の参道が当時のままだということが前提ですけどね。

でも、現在の神社の配置から考えても参道の中にあると考えることが適当かと思います。

とりあえず、この起点が一番西になります。

広沢神社も伊久良河宮も、どの位置を対象にしたのかわからないのですけど、

全部を考えてみての誤差は、やはり10mぐらいかと思います。



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猿投神社のレイラインの交差する所

2022-11-06 07:07:12 | レイライン
前回、広沢神社への春分の日の日の入り、伊久良河宮への夏至の日の入り、大和神社への冬至の日の入り

この起点となる場所を確認しようと思いましたけど、時間の都合で充分ではないと思っています。

広沢神社への春分の日の日の入りの位置をもう一度考えてみたいと思います。

「春分の日」と 「春分日」とは違うそうです。天文学的な方は「春分日」だそうです

春分日         
2021年(令和3年) 3月20日
2022年(令和4年) 3月21日
2023年(令和5年) 3月21日
2024年(令和6年) 3月20日
2025年(令和7年) 3月20日

天文学はまったくわからないので、オロオロしています・・・

春分点が元の位置に来るのは、365.24219日とのこと。

ですから、4年ごとにほぼ同じ場所に戻るのでしょうけど、端数の時間があるよね

これどうするのだろう?  1700年前と今とはどう違うのだろうか?

これ以上はおいらの手には負えません。

とりあえず、画像載せようかと思ったのですけど時間が無くなったので次回に続きます。
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大和神社のレイライン

2022-11-05 07:22:04 | レイライン
大和神社のレイラインが、ピタリと神社に合わないことがどうも腑に落ちません。

距離が長すぎて、レイラインを示す線が届かないので、その先端からもう一度測定したのですけど

それがいけないかもしれません。

水色の線の先に赤いポイントがあります。これを利用して調べてみます。

まずその前に、猿投神社の起点となる場所をもう一度確認してみたいと思います。

広沢神社の春分の日の日の入りにラインが来るように合わせます。


4年ごとに代わる場所の違いがありますけど、とりあえず来年の春分の日にしておきます。

そして、伊久良河宮に夏至の日の入りが来るように場所をセットします。


そうすると

今回は、参道と道路の間の塀のあたりにその場所が来ました。

広沢神社も伊久良河宮もそのどこを起点に測量したのかが分かっていませんし、地図上で

その場所を特定することも出来ません。春分の日ももう一度再考する必要があるかもしれません。

ですから、誤差は10mぐらいあると考えます。


とりあえず、そこから、距離の足りない分を水色の線で伸ばしていくと


アップします

驚きです。ほぼ、直撃!

この間、直線距離で139.4km

どうやって測量しているのだろう?彼らの技術には脱帽です。。。
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箸墓古墳

2022-10-27 06:03:34 | レイライン


とにかく大きい!遠くから見たら、普通の山と思いました。

車で、2回ほど周りました。


左下にある鳥居が正面です




後円部


よくこんなに大きいもの作ったなぁ・・・

こちら参考にしてください。

箸墓古墳その2
 斎宮歴史博物館に行ってきました
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佐紀陵山古墳(さきみささぎやまこふん)のレイライン

2022-10-22 05:16:21 | レイライン
すでに、一度調べていますけど、もう一度検証してみましょうか。

以前は、愛知県春日井市にある高蔵神社からの冬至の日の入りのラインを調べましたけど

少しずれていました。今回は、その少し南にある「途中の祠」から見てみます。

上にある赤い地点が高蔵神社です。




佐紀石塚山古墳の真ん中を通っていますね。佐紀陵山古墳が、削られているそうなので

そちらの方が、数十年早いそうです。

まだ、この古墳が誰のものかは、はっきりしないようです。

おいらも、なんで途中の祠からのラインがここを通るのか、分かりません・・・



それにしても、すごい精度です。

高蔵神社の「途中の祠」から、佐紀陵山古墳まで、直線距離で約 131km。

大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)までは、162km。


青塚古墳が4世紀中ごろの築造なので、佐紀陵山古墳は、サタヒコより1~2世代後のように思います。

つまり、サタヒコの姉のヒバスヒメの古墳と言う可能性は低いです。


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