たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

倭姫命伊勢に行く その 5 伊勢に到着

2021-10-17 06:25:30 | レイライン
当時(300年頃)の伊勢の様子は今の海面を3~5m上げたときと似ていると思います。
4m上げてみました。


斎宮~外宮~内宮は、船で移動したと考えるのが適当でしょう。

砥鹿神社 奧宮からのレイラインです。

詳しくは、「砥鹿神社~斎宮~神山神社のレイライン」で書いていますのでそちらをご覧ください。


拡大します

さらに



斎宮を通ります


神山神社本殿


なぜ、砥鹿神社 奧宮からのレイラインなのかについて、少し説明しましょう。

265年頃、伊勢津彦は美濃から伊勢にやってきました。

そして、伊勢を発展させました。

ところが、281年頃「天日別命」(アメノヒワケノミコト)がやってきて、伊勢を追い出されます。
こちら参考にしてください。伊勢津彦は誰?

伊勢津彦が去った後の伊勢 その1
(曙立王、その他について、少し間違っています。)


伊勢津彦は、船に乗り、伊勢から見た夏至の日の出の見える場所を目指して進みます。

たどり着いたところが、「御津神社(みとじんじゃ)」

こちら参考にしてください御津神社

一方サタヒコは、愛知県春日井市にある「高蔵神社」付近にいましたが、

伊勢津彦に合流するために出かけます。

二人は合流して、サタヒコが落ち着いた場所が「御舳玉神社」

位置関係はこのようになります。


その後、伊勢から見た夏至の日の出の見える場所に移動した場所が、砥鹿神社奥宮。

その山の名前が「本宮山」。

愛知県犬山市にある「大縣神社」の山の名前も「本宮山」です。

どちらもサタヒコが名付けたのではないかな?













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