当時(300年頃)の伊勢の様子は今の海面を3~5m上げたときと似ていると思います。
4m上げてみました。
斎宮~外宮~内宮は、船で移動したと考えるのが適当でしょう。
砥鹿神社 奧宮からのレイラインです。
詳しくは、「砥鹿神社~斎宮~神山神社のレイライン」で書いていますのでそちらをご覧ください。
拡大します
さらに
斎宮を通ります
神山神社本殿
なぜ、砥鹿神社 奧宮からのレイラインなのかについて、少し説明しましょう。
265年頃、伊勢津彦は美濃から伊勢にやってきました。
そして、伊勢を発展させました。
ところが、281年頃「天日別命」(アメノヒワケノミコト)がやってきて、伊勢を追い出されます。
こちら参考にしてください。伊勢津彦は誰?
伊勢津彦が去った後の伊勢 その1
(曙立王、その他について、少し間違っています。)
伊勢津彦は、船に乗り、伊勢から見た夏至の日の出の見える場所を目指して進みます。
たどり着いたところが、「御津神社(みとじんじゃ)」
こちら参考にしてください御津神社
一方サタヒコは、愛知県春日井市にある「高蔵神社」付近にいましたが、
伊勢津彦に合流するために出かけます。
二人は合流して、サタヒコが落ち着いた場所が「御舳玉神社」
位置関係はこのようになります。
その後、伊勢から見た夏至の日の出の見える場所に移動した場所が、砥鹿神社奥宮。
その山の名前が「本宮山」。
愛知県犬山市にある「大縣神社」の山の名前も「本宮山」です。
どちらもサタヒコが名付けたのではないかな?
4m上げてみました。
斎宮~外宮~内宮は、船で移動したと考えるのが適当でしょう。
砥鹿神社 奧宮からのレイラインです。
詳しくは、「砥鹿神社~斎宮~神山神社のレイライン」で書いていますのでそちらをご覧ください。
拡大します
さらに
斎宮を通ります
神山神社本殿
なぜ、砥鹿神社 奧宮からのレイラインなのかについて、少し説明しましょう。
265年頃、伊勢津彦は美濃から伊勢にやってきました。
そして、伊勢を発展させました。
ところが、281年頃「天日別命」(アメノヒワケノミコト)がやってきて、伊勢を追い出されます。
こちら参考にしてください。伊勢津彦は誰?
伊勢津彦が去った後の伊勢 その1
(曙立王、その他について、少し間違っています。)
伊勢津彦は、船に乗り、伊勢から見た夏至の日の出の見える場所を目指して進みます。
たどり着いたところが、「御津神社(みとじんじゃ)」
こちら参考にしてください御津神社
一方サタヒコは、愛知県春日井市にある「高蔵神社」付近にいましたが、
伊勢津彦に合流するために出かけます。
二人は合流して、サタヒコが落ち着いた場所が「御舳玉神社」
位置関係はこのようになります。
その後、伊勢から見た夏至の日の出の見える場所に移動した場所が、砥鹿神社奥宮。
その山の名前が「本宮山」。
愛知県犬山市にある「大縣神社」の山の名前も「本宮山」です。
どちらもサタヒコが名付けたのではないかな?
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