夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

昨今、75歳の老ボーイの私は、圧倒的に魅了されたテレビのCMのひとつは・・。

2020-05-16 13:37:49 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40数年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、ささやか過ごしている。

こうした中、私は年金生活の当初から、我が家の平素の買物は、

私は自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、

季節の移ろいを享受している。

          

午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。


こうした中、高齢者はテレビを何かと視聴している、
と私は知人から教えられて微苦笑する時もある。

私はNHKの総合ニュース、天気情報は、そしてドキュメンタリーの番組は好きで、
民間テレビが放送している場合でも良く視聴しているが、
お笑い番組、クイズ番組などに興味がなく、今日に至っている。

          

確か一カ月前の頃、家内から誘われて民放のドラマを共に視聴していた時、
まもなくCMの時間となり、ぼんやりと視聴していたが、
まもなく私は、圧倒的に魅了されて、感銘さえ感じ深めたりした・・。

恥ずかしながら発露すれば、下記のとおりである。
https://www.choya.co.jp/cm/shigokunoume_shiawase_30/

ホテルのバーらしき室で、カウンター内にいるバテンダーの若き男性に、
『 最高に倖せって・・どんな時ですか?・・』
と向かっている御客の若き女性が、
バテンダーの若き男性に問いかける・・。

そして梅酒のカクテルを呑みながら、
『 私は今です・・』
と微笑みながら、やがて
バテンダーの若き男性に、この梅を手に取りながら、
バテンダーの若き男性の口元に押し寄せる・・。

この若き女性が想いを寄せる男性に、しぐさ、表情が、
女性のあふれる情感が発露されて、最近の女性にしては稀な御方だ、
私は圧倒的に魅了された・・。


          

たまたま昨夜、ネットで検索したら、
梅酒、梅関連を製造販売しているチョーヤ梅酒株式会社の広告と知り、
驚きながら微笑んでしまった・・。

そして私が若く独身であったならば、この若き女性に、
ラブレターのような手紙を書くだろう・・と夢想を重ねて微笑んだりしている。

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『アベノマスク』、都心の郊外の我が家に昨夕に配達され、高齢者の私は微苦笑をして・・。

2020-05-15 15:38:38 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住んでいるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

今朝、私が7時に起床した後、
『今日も皐月(さつき)晴れで・・穏やかな日を迎えて・・』
と私は家内に朝の挨拶代わりに、微笑みながら言ったりした。

『あなたのお待ちかねの安倍総理がされているマスク・・
先程、郵便受け入れ箱を見たら、配達されていましたので、机の上に置きましたから・・』
と家内は私に言ったりした。

まもなく私は、新型コロナウィルスに伴い、2月の頃から日本国内でマスク不足に伴い、
安倍首相は憂慮して、全世帯にガーゼ製の布マスクを2枚ずつ配布する決意をされた結果、
年金生活の我が家でも昨夕配達されてので、各関係者にお手数をお掛けして申し訳ありません、
と感謝を重ねたりした。

そして私は、神棚や仏壇がない我が家は、
居間にあるビデオケースの上に置いて、両手を合わせた後、
記念写真として撮ったりした。

           

やがて、私は開けて、マスクを見たりし、文庫本より一回り小さい平型ガーゼマスクであり、
私がすると、油断すると口や鼻が出ることもあり、
少し小さいかしら、と微苦笑をしたりした・・。


過ぎし2月の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられている。

我が家の平素の買物専任者の私は、成るべく人出の少ない処を選定しているが、
家内が指定された処は、ときおり駅前の商店街にあるスーパー、ドラッグ・ストアであり、
家内よりマスクをして買い物するように厳命されたりした。

私はマスクが苦手で、これまでの75年に及びマスクをしたことはなかったが、
生まれて初めて極く一般の白いマスクを着けて、15分ばかり歩いて、
商店街に着いたりした。     

しかしながら、この後の3月になると、ドラッグストア、スーパー、コンビニなどで、
私たち夫婦のマスクを買い求めようとしたが、母を訪ねて三千里のように探し求めてきたが、
わずか6つばかり何とか入手できたが、マスク迷子の悲惨な時を過ごしたりした・・。

          

やがて4月23日、あるドラックストアーに寄った時、
たまたまマスクの入荷にめぐり逢えて、まもなく1箱(50枚入り)で5980円(税抜き)で、
久々に買い求めることが出来たりした。

こうしたマスク迷子になった苦い体験のある私は、今回のマスク・・
もう少し早く配達して欲しかったのが本音である。

          

何かしら風の噂であるが、このマスクを発案された御方は、
佐伯耕三(さえき・こうぞう)内閣総理大臣の秘書官であり、
首相に向かい「全国民に布マスクを配れば、不安はパッと消えますよ」と進言したとされる。

佐伯耕三(さえき・こうぞう)さんは、東京大学の法学部を卒業された後、
1998
年に経産省に入省した後、2013年に内閣副参事官として官邸の一員となると、
倍首相のスピーチライターとして活躍。

そして2017年7月に史上最年少の42歳で、首相秘書官(事務)に抜擢された、
優れた栄進されているエリートの御方である。

私は『アベノマスク』と称されている今回のマスクを手に取っているが、
私は民間会社に35年近き勤め、色々と鍛えられてきた体験から、
佐伯耕三秘書官の発案されたこと、そして時期は素晴らしいが、
経費が466億円要したのを少し抑えて、もう少し大きめ、そして早く製造させて、
早めに各世帯に配達させる・・。

同じ業務をするならば、相手に喜ばれることをするのが民間会社の鉄則・・
このようなことを思い重ねながら、微苦笑をしている。

          

余談であるが、安倍総理の閣僚の一同のメンバーをテレビで視聴すると、
安倍総理だけは『アベノマスク』をされて、
これ以外のメンバーは、それぞれのお気に入りのマスクをされているが、
安倍総理は自身の秘書官を大切にして、義理堅い御方である、と微苦笑したりしている。

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『 忘却とは、忘れ去ることなり・・ 』の名言、75歳の私は、改めて実感させられて・・。

2020-05-14 16:43:43 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
こうした中、恥ずかしながら私は、70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、
物忘れが多くなった、 と改めて気付き、 独り微苦笑する時もある・・。

たとえば5歳年下の家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、
その地の情景などは、鮮やかに重ねることができても、 肝心の地域名が言葉に出来ないことが、
もどかしさを感じることがある。

          

かしながら、私の幼年期のことなどは、何故かしら鮮明に思いだせるのである。

たとえば祖父と父が健在だった頃、所有していた田畑、雑木林、竹林、田んぼの中で流れていた小川などの情景、
或いは初めて観た映画作品は、小学校に入学する前年の1950年(昭和25年)の夏、
『長崎の鐘』を母に連れられて鑑賞したこと、今でも心の片隅に残っている・・。
            
          

ここ数年、無念ながら物忘れが多くなり、溜息を重ねたりしているが、
確か私が小学3年生の頃、 亡き脚本家の菊田一夫(きくた・かずお)さんが
『・・忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ・・』と、
名作の『君の名は』で遺(のこ)された名言に、私は独り微苦笑したりしている。

そして昨今でも、新聞、ネットのニュースなどを読んだり、テレビでニュースを視聴したりすると、
やがて数日後には、忘れてしまうこともあり、つたない私の小さな悩は、 収容できずオバー・フローになり、
忘れてしまうことで、悩が適度な記憶量に調整を図っている、 と無念ながら思ったりしている・・。

しかしながら時折、家内より『今からボケたら、困るわょ・・』、
と私は叱咤激励をされる時もある。

          

こうした中、本日、家内が入院していた病院の定期検査日で、
私は家内のボディガート兼お供で、私たち夫婦は午前11時過ぎに我が家を出たりした。

そして駅前まで路線バスを乗り、そして私鉄に乗ったりしたが、
余りにも乗客が少ないので、驚嘆したりした。

やはり
新型コロナウイルスの影響で、乗客は激変していたので、
『こんなに乗客が少ないのは、初めての体験だょ・・』、
と私は家内にこっそりと言ったりした。

そして通いなれた病院の中でも、感染対策がされて、
スタッフも和(なご)やかに迎えて下さったが、通院されている諸兄諸姉の情景は、
従来より激少していた。

こうした関係で、家内の待ち時間も少なく、予定していた検査の時間も早く終えて、
まもなく病院を私たち夫婦は辞したりした。

          

やがて私鉄の我が家の最寄りに到着した時、
『久々に電車も路線バスも利用したが・・確か2月の初めの頃、以来だょ』
と私は家内に言ったりした。

そして私は帰宅後、メモ書きしている小さなカレンダーを見ると、
前回、家内の検診日で私たち夫婦が病院に行ったのは、2月20日と知り、
我ながら驚いてしまった。

今回の病院には、昨年の4月以来、少なくとも私は30数回通ったりしてきたが、
過ぎし2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてきた。

こうした中、私は
散策を日々実行しないと益々衰える関連もあり、
なるべく人出の少ない処を選定して歩いたりしてきた・・。

          

この間の
2月20日は、家内が入院していた病院の定期検査日で、
私は家内のボディガート兼お供で、私たち夫婦は路線バス、そして電車も利用していたが、
忘れてしまった・・。

この後、『忘却とは、忘れ去ることなり・・』の名言を思い重ねて、
75歳の私は、改めて実感させられて、独り微苦笑をしたりしている。

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今年の熱い夏こそ、難敵だよなぁ、と何かとマスク苦手な私は、苦笑して・・。

2020-05-13 17:15:29 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。

過ぎし2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてる。  
 
こうした中、人出の多い駅前のスーパーで買い物をする時はもとより、
人出の少ない処を散策する時でも、やむえなくマスクをしているが、
いつになったら感染が終息化するのかょ・・と戸惑ったして、過ごしている・・。

          

そして新型コロナウイルスの感染拡大を受け、
やがて政府より「 不要不急の集まり」を避けるよう公言されているが、
私は体力の衰えた高齢者の身であるので、散策を日々実行しないと益々衰えるので、
なるべく人出の少ない処を選定して歩いたりしている。

本日も初夏のような暑さの中で私は散策して、
いまからこのような暑さになって夏本番は、果たして・・と思ったりした・・。

          

私は年金生活の中で、夏も原則として散策している。

こうした中で、
私の夏模様として、容姿は制服のようになった半袖のスポーツシャツ、或いはアロハシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、サングラスを掛け、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしている。

しかしながら陽射しが燦燦と照らす青空の中、歩いたりすると汗ばみ、
ハンドタオルで顔をふいたりし、ときおり扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落り、微苦笑したりしている。

やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をしたり、
或いは冬の寒さを思い浮かべて、 足早に歩いているのが実情である。

                 

こうした時、ときおり  ♪しあわせは 歩いてこない  だから歩いて ゆくんだね・・ 
と何かと単細胞の私は、1968年(昭和43年)の頃に流行(はや)った
【『三百六十五歩のマーチ』の歌を心の中で唄い、
歩く時もある。

 このように私は、水前寺清子さんが唄った『三百六十五歩のマーチ』の歌に、
ときおり叱咤激励されて、 何とか健康寿命の範囲にいられるので、
作詞された星野哲郎さんに感謝をしながら、 私にとっては心身のビタミン剤だ、と思いを深める時もある。

やがて休憩ねぇ、と思いながら、小公園に寄り、幾重か大きな樹の下にあるベンチに座り、
コンビニで買い求めたペットボドルの煎茶を飲み、水分補給をしたりしている。

             

こうした根底には、高齢者は、脱水を起こしやすい要素をいくつも持っていて、
放置すると、寝たきりや認知症を招く結果になりかねない、と学んだりしてきた。

そして脱水にならないことは、やはり喉の渇きを感じる前に、
こまめに水分補給は大切だ、 と思いながら実施してきた

そして私は、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、

32度前後を超えた熱い時の場合は、やむなく利便性の良い路線バスに乗り、
バスの車内の冷気に甘えて、帰宅することもある。

もとより高齢者の私が、熱中症で倒れて救急車で搬送されて、
気が付いたら病院のベットの上だったことは、 私も困苦するし、
世の中の多く御方にご迷惑するので、私なりに自己防衛策としている。

              

こうした中で、猛暑が続く中は、私は自宅の近くを15分前後を歩くことが多くなっている。
そして帰宅後は、熱い季節の習性として、洗面所で水で顔を洗った後は、
エアコンの冷気に身も心もゆだねて、過ごすことが多くなっている。

このような猛暑に対して熱中症の対策をしてきたが、
今年に限り、新型コロナウイルスの感染拡大の防止に伴い、
マイク着用が国民のエチケットとなっている。

本日の初夏のような暑さの中を散策した私は、口元はもとより、顔全体暑苦しいし、
たとえ涼しいと評判の良い夏マスクを買い求めて付けても、
果たして・・と思い、苦笑ばかりしている。

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新型コロナショツクで「葬儀崩壊」が加速、75歳の私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2020-05-12 14:21:39 | ささやかな古稀からの思い
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私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。

過ぎし2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてる。

こうした中、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、
やがて政府より「 不要不急の集まり」を避けるよう公言されているが、
私は体力の衰えた高齢者の身であるので、散策を日々実行しないと益々衰えるので、
なるべく人出の少ない処を選定して歩いたりしている。

          
       
そして4月中旬の頃から私たち夫婦は、
何かと『家族葬』に関して、話し合うことが多くなっている。
       

私たち夫婦は、無念ながら私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、一代限りの身となっている。

そして私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ20年ぐらい言ったりしている。

私は父親、祖父、次兄、母親、そして親戚の叔父、叔母、或いは知人などの数多くの葬儀に参列してきた。
こうした中で、自宅で通夜、告別式、或いは寺院の斎場で通夜、告別式が執り行われ、
多くの会葬者を観たりしてきた・・。

私はサラリーマンを定年退職し、早や16年半が過ぎた年金生活の身であり、
官公庁、民間会社で栄達された人とは、遥かに遠い平凡な人生を歩んできたりした。

こうしたことで、遠い親戚、知人、友人も高齢者の方が多く、わざわざ通夜、葬儀に参列して頂くより、
これまでの私の人生の歩みで、欠かすことのできない血は水よりも濃いと称せられる親族で、
ささやかに葬儀をしてもらいたい、と願っている。

                     

こうした深情のある私は、先程、ネットのニュースに於いて、
コロナショツクで「葬儀崩壊」が加速されている、このような記事を
どのようなことですか、と思いながら精読してしまった・・。

《・・「この10年で葬式を巡る環境は大きく変わり、お墓は納骨堂、樹木葬、散骨が増え、
ネット利用の『見える化』で、お布施、戒名、葬儀料がオープンになりました。

価格破壊ですが、それが緊急事態宣言による簡素化で、葬儀崩壊といっていい状況です」(葬儀業者)

          

葬式もまた「3密」は免れず、しかも参列者に高齢者が多く感染はあってはならない。
 
仏教界各宗派や有力寺院は、ホームページなどで、
一般葬の場合の換気と会葬者の距離に触れ、会葬者には着座させず、
焼香後、すみやかな退出を誘導。

通夜振る舞いなどの食事を禁止、火葬場への入場人数も制限するなど、
「コロナ対策」を詳しく記している。

 感染者の葬儀は、さらに厳しい制限が付き、
遺体搬送作業の従事者は、マスクとフェースシールド、防護服を着用し、
遺体は、非透過性納体袋に収容して密閉。

遺体に直接、触れることは禁止され、24時間以内の火葬を認められる。
家族は、濃厚接触者として隔離されることが多く、
結果的に通夜や告別式を行わず火葬する「直葬」が主流だ。  

結果、これまでのような葬儀を行うことが、はばかられるようになった。

          

葬儀の種類は、葬儀場などで行う一般葬が約半分、約4割が家族など少人数で行う家族葬、
残りが通夜を行わない一日葬と直葬だったが、
今、業者への相談・依頼で一番多いのが、直葬で、次が一日葬である。

会葬者への感染リスクを考えれば当然の措置だろう。
寺院や葬儀業界にとって問題なのは、一過性のものではないことだ。

「緊急事態宣言は5月末で解かれるかも知れませんが、
『3密』への警戒はワクチンができて、安心できる段階まで続くでしょう。
それまで半年、1年とかかるのですが、
故人に縁のあった人を集め、通夜、葬儀を行い、初七日、四十九日、
一周忌と法要を行うスタイルに戻るのは、かなり難しくなるでしょう」(宗教専門誌の編集者)

           

その予兆が、葬儀、お墓、戒名などの価格破壊だったが、
檀家制度を否定すると物議を醸したのが、法事に僧侶を手配する「お坊さん便」だった。

2015年12月、アマゾンでサービスを開始。
日時と宗派を選んで僧侶を注文すると、基本価格3万5000円で派遣される。
仏教界の反発は、あったものの次第に定着。

運営する「よりそう」は、登録僧侶300人からスタートし、現在1300人を抱えている。
 
国民はコロナ対策で「行動変容」を求められ、
不自由さは感じたものの「不要不急」の意味に気付かされた。

平均200万円弱の葬儀費用は、果たして必要なのか――。
コロナショックで安価な葬式を国民が経験していった結果、
葬儀崩壊は最終章を迎えたのである。

『 日刊ゲンダイ 』伊藤博敏/ジャーナリスト・・》

          

このような記事を読み、多々教示されたりした。

たとえばコロナに感染しまった御方の葬儀は、余りにも痛々しく震撼させられたりした。

或いは《・・葬儀の種類は、葬儀場などで行う一般葬が約半分、
約4割が家族など少人数で行う家族葬、
残りが通夜を行わない一日葬と直葬だったが、
今、業者への相談・依頼で一番多いのが、直葬で、次が一日葬である。・》

こうした葬儀の変貌を改めて驚いたりした。

こうした傾向は、檀家制度を否定すると物議を醸したのが、
法事に僧侶を手配する「お坊さん便」で、葬儀、お墓、戒名などの価格破壊であり、
やがて故人に縁のあった人を集め、通夜、葬儀を行い、初七日、四十九日、
一周忌と法要を行うスタイルに戻るのは、かなり難しくなる、と学んだりした。

          

私が希望している葬儀は、
家内はもとより、私の兄である夫妻、妹の夫妻、一番下の妹、兄の子供である甥のふたり、
そして家内の妹夫妻、そして家内の母が存命であったら加わって欲しい・・
このくらいの親族の一部の最小限のメンバーで通夜、告別式を執り行って、家族葬の形式と念願している。

ここ10年、式場の内部が、自宅の居間のような形で、片側に御棺を置き、
広いテーブルで食事やお酒を飲食できる会場もあると知り、私は微笑んだりした。

通夜の日、御棺の周りは私は幼年期は農家の児として育ち、
日本風土の土に還るので和花を中核として、欧米の書物、映画、音楽も少し愛してきたので、洋花も添える。
この時、和花が高価だったならば、洋花を中心としても差し支えない。
            
大きめのテープルには、食事処から取り寄せた和食、洋食を食べて頂き、
煎茶、コーヒー、紅茶などを飲んだり、ウィスキー、ワイン、日本酒、ビールなど吞んで頂いたり、
私の生前のこぼれ話しをテーマに、談笑して頂く・・。

人は誰しも故人の心の奥に秘めた心は解らないが、とりとめなく話して、
あの時は・・と笑って下されば充分である。

こうした中で、アルビノーニのアダージョなどの曲が
静かに流れれば、と念願したりしている。

翌日の告別式は、このメンバーで自宅の居間のような形の式場に集合し、お線香一本を上げてもらい、
この後は火葬場に行き、ふたたびこの式場で、
お好みの飲み物を吞みながら、食事をして談笑して頂いた後、散会する・・。

                      

そして私の生家(実家)は曹洞宗なので、やはり生家(実家)の墓地のある寺院の方に読経して頂くが、
通夜、告別式の5分ぐらいの簡略なお経でよい、と思ったりしていたが、
これらを省略しても差し支えない。

このような葬儀は、私の生家にしても、親戚にしても、前例がなく、
もとより兄妹は大いに戸惑いを重ねる、と想像をする。

なぜ生家の墓地のある寺院の斎場で、通夜、告別式を行わないの、と予測されるが、
水戸黄門の印籠のように、故人の遺志である、と家内が明言し、了解を願いたいのである。

このようなことを私たち夫婦は、私か家内の場合のふたつの葬儀について、
話し合ってきた・・。

          

こうした中で、家族葬を執り行ってくれる葬儀専門会社の5社の中、
基本的な運営スタッフ、移動距離を含めた回数の寝台車・霊柩車、ドライアイス、
記帳受付セットなどを調べたりした。

そしてスタッフが病院のお迎え、枕飾りの設置、ご遺体の処置、市役所等の手続き、
やがて通夜・葬儀の内容、そして火葬場の事項、この後の精進落し、自宅にご遺骨の安置まで、
配慮したりした。

更に多彩な花壇、遺影の飾り、棺、後飾り、そして通夜、告別式の料理、返礼品、会葬礼状など
私たち夫婦の希望する内容を料金を配慮した上で、葬儀専門会社を選定した後、
所定した会葬場所と火葬場の希望なども選定したりした。

          

こうした中、難題は『通夜』、『告別式』、『火葬場』に於いて、
読経を上げて頂く『お坊さん』の件となったりした。

私の生家(実家)は曹洞宗なので、
やはり生家(実家)の墓地のある寺院の方に読経して頂くが本来であるが、
私たち夫婦の葬儀は、質素な『家族葬』となる。

こうした中、お坊さんにお渡しする費用としては、
どのくらい包んでよいかの悩ましい『お布施』と『心づけ』の金額であり、
そして『お車代』、『御膳料』などもある。

このようなことを話し合ったりして、家内は『お坊さん便』について、
最近知ったらしく、私に教えてくれた。

          

何かしら『お坊さん便』は、
家族葬・一般葬など僧侶手配などをして下さり、
そしてお通夜・告別式・火葬場での読経をして下さるが、時間と金額が明確であった。

宗派の浄土真宗(本願寺派・大谷派)、浄土宗、曹洞宗、臨済宗、真言宗、日蓮宗、天台宗など対応でき、
総額
140,000円であった。

通夜、告別式、火葬の際の読経に加え、初七日法要を繰り上げて行う告別式後の計4回読経を行い、
また、通夜は告別式の前日に行われますので、僧侶さまは2日間に渡ってお勤めされます、
と明記されたいた。

そしてお勤め内容としては、
通夜の読経としては、お通夜で祭壇の前に座り読経をします。
その間に参列者が焼香をしていきます(目安:20〜30分)

告別式の読経としては、祭壇の前に座り読経をします。
その間に参列者が焼香をしていきます。(目安:40〜60分)

そして初七日の読経としては、本来は7日後に行う法要でしたが、
現在は一般的に告別式終了後に続けて行います(目安:10〜20分)

やがて炉前での読経としては、
火葬場にて、お棺を炉の前に安置した後に読経します(目安:5〜10分)

 
          


このような『お坊さん便』について私は学び、
『通夜』と『告別式』の二日間、読経をして下さり、総額140,000円で、
これ以外に戒名授与した場合、2
0,000円を追加するだけとなっている。

葬儀の費用としては、葬儀全般を依頼する葬儀専門会社への支払い、
そして会場の利用料、火葬場の利用料金などを含めると多額を要するので、
『お坊さん便』の『通夜』と『告別式』の二日間、読経などのお支払いが、
驚くほどに廉(やす)くて助かるよなぁ・・と私は微笑みを重ねたりした。

          

しかしながらせめて通夜と精進落し場のお料理は、少しだけ背伸びしたいし、
或いは家内の場合は、会場の花などは家内の好みのお花を多彩に飾りたいし、
或いは私は場合は、告別式の会場で、ひとときをヴァイオリンの生演奏を願っている。

そして結果的には、病院などで死去後~納骨まで、お互いにそれぞれ
300万円の予算となり、やはり人生の最後の告別は程々にかかるよなぁ・・、
とお互いに微苦笑したりしてきた。

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蒸し暑さ解消の『夏マスク』登場、マスク迷子だった私は学び、やがて微苦笑して・・。

2020-05-11 12:39:27 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。  

こうした中、平素の我が家の買物は私の担当で、
家内から依頼されて品を求めて、殆ど毎日のように行っている買物メール老ボーイの身であり、
この後は、帰宅後に自宅の3キロ範囲にある遊歩道、公園を歩くことが多い。

そして過ぎし2月の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられている。

何かと気弱な私は、成るべく人出の少ない処を選定して歩いたりしているが、
家内が指定された処は、駅前の商店街にあるスーパー、ドラッグ・ストアであり、
家内よりマスクをして買い物するように厳命されたりした。

          

私はマスクが苦手で、これまでの75年に及びマスクをしたことはなかったが、
生まれて初めて極く一般の白いマスクを着けて、15分ばかり歩いて、
商店街に着いたりした。

付近には女子大学、音楽専門短大、大学がある為か、
色付きや花柄といった多彩のデザインマスクを着けた女学生が多く見られて、
買物メール老ボーイの私は、驚きながら微笑んでしまった・・。

やはり若い女性としたら、白い同じ型のマスクを使い続けるよりも、
ファッションの一部として、或いはインスタ映えで、
色付きや花柄といった多彩のデザインマスクをしているのかしら、
と私は好感しながら微笑んだりした。

          

この後、数多くのベンチが置かれている広場で、
3歳前後の女の子を引率した若きご婦人を私は見かけて、
若きご婦人は薄いピンクのマスク、女の子はピンクの花柄マスクをしていたので、
私は微笑んだりしてしまった・・。

世の中は新型コロナウイルスに伴い、明るいニュースが少なくなっている今日、
たかがマスクされどマスク・・多彩なマスクで早春を彩(いろど)る情景・・
老ボーイの私でも、微笑みを頂いたりした。

          

しかしながら、この後の3月になると、ドラッグストア、スーパー、コンビニなどで、
私たち夫婦のマスクを買い求めようとしたが、母を訪ねて三千里のように探し求めてきたが、

わずか6つばかり何とか入手できたが、マスク迷子の悲惨な時を過ごしたりした・・。

やがて4月23日、あるドラックストアーに寄った時、
たまたまマスクの入荷にめぐり逢えて、まもなく1箱(50枚入り)で5980円(税抜き)で、
久々に買い求めることが出来たりした。

先程、ネットでニュースを見ている中で、
蒸し暑さ解消の『夏マスク』登場のニュースがあり、
何かと暑さに苦手で、まして熱い中にマスクを付けるのは困苦するので、
どのようなマスクなの・・と思いながら精読してしまった・・。

          

《・・蒸れる、暑い・・。
今やマスクは必携品となりましたが、息苦しく感じる日も増えてきました。

すぐにやってくる梅雨や真夏を思うと憂鬱(ゆううつ)ですが、
少しでも快適なマスク・ライフを模索する動きが加速しています。

アベノマスクはいまだほとんど配布されず、街では少し買えるようになってきましたが、
庶民の気持ちはすでにナツノマスクへ!?夏用のマスク


ネット通販の各サイトには今、「冷感」、「ひんやり」などをうたった
夏向けマスクやフェースカバーなどがずらり並び、売れ始めている。

合成繊維織物大手の丸井織物(石川県)の場合は、
感染拡大抑制への思いから今年初めてマスクの生産を開始。

さらに「今年は、夏でも必要になるだろう」と判断し、
自社技術を生かした「夏マスク」(防菌フィルター30日分付き1980円)を
2月後半ごろから発売したところ、2~3週前から伸び始め、
売り上げが当初予想の5倍までに上っているという。


このマスクは、特殊な加工と織りのポリエステル製で、接触冷感などの機能をうたっている。
同社は生産態勢増強も検討する一方、さらに冷感度の高いマスクも開発中だ。


          

「冷やしシャンプー」などで知られる山形県では、「冷やしマスク」が登場し大人気になっている。
普通の飲料自動販売機に缶ジュースなどと一緒に、上質な布製立体マスクが並んでいる。

690円を入れるとマスク1枚が入った冷たい瓶が出てくる。
冷えたマスクをしばし楽しみ、瓶は回収ボックスに返す仕組み。

自販機は山形市と山辺町に2台。
3月に販売を始め、「冷やしマスク はじめました」ののぼり旗を立てたり、報道もあって、
今や1日数100個も売れる日もあるそうだ。


コロナ禍で仕事が激減したため、山辺町のニット製造会社ニットワイズ後藤克幸常務が
地元の同業者とマスクを作り始め、売り方を考案。

「マスクはしっかりした商品ですが、こんな状況なので、笑いも大切。
自販機では、たくあんなども売っています。
ヘンなものを売っているなあと喜んでいただければ」と話している。
近く新商品も加えるそうだ。


ネットでも、夏に向けた工夫やアイデアを紹介する動画などの投稿が増えている。
手作りでは、冷却(冷感)タオルや、放熱機能などがあるTシャツ生地を使ったり、
メッシュ生地とガーゼを組み合わせたものなどさまざま。(略)

                            日刊スポーツ・・》

          

この記事の大半を転載させて頂き、私は読みながら夏対策の創意工夫のある多彩なマスクに、
高齢者の私だって、こっそりと付けてみたいなぁ・・と微笑んだりした。

しかしながらやはり女性向けのようであり、我が家の家内用に、
買い求めてみよう、と微苦笑したりした。

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『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』の歌、高齢者の私なりの余情は・・。

2020-05-10 07:44:15 | ささやかな古稀からの思い

75歳の私が、遅ればせながら私は、『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』を知ったのは、
確か2年前の頃で、73歳の時であった・・。

たまたまパソコンで【 YouTube 】で視聴して、瞬時に圧倒的に魅了されて、
朝、夕に熱愛して、一週間の中で、少なくとも百回以上視聴し、
この後もそれぞれの公演を視聴したり、平熱になっても、月に10回ぐらいは、
視聴して今日に至っている。

もとよりこの名曲は、『Time To Say Goodbye』は、別れの曲と誤解されるが、
よく詞を聴けば、愛し合う二人が共に「一緒に生きて行こう」とする二人の門出の歌であり、
昨今も日本に於いても、結婚式の披露宴に於いて、演奏されている、と私は知り微笑んだりしている。

          

この曲が世界に知られるようになったことは、今や伝説のように、
私は学んできた・・。

《・・「君と旅立とう」(: Con Te Partiròコン・テ・パルティロ [kon ˈte ppartiˈrɔ])は、
イタリア人歌手アンドレア・ボチェッリの代表的オペラティック・ポップ楽曲で、
クラシカル・クロスオーバーの先鞭を付けた曲でもある。

オリジナルの歌詞は全編イタリア語
1995年2月にサンレモ音楽祭で初めて歌われ、
同年春に発売のセカンド・アルバム『ボチェッリ英語版』に初収録された。

作詞ルーチョ・クアラントット作曲フランチェスコ・サルトーリで、
その後「生きる英語版」をカップリング曲としてシングル発売されている。

この時の音楽チャートで1位を記録した国のうち、
フランスでは歴代最多販売枚数の100位圏内に入り、ベルギーでは歴代最多販売枚数1位を記録した。

そしてこの曲の知名度を広く上げたのが、
1996イギリス人ソプラノ歌手サラ・ブライトマンが、ボチェッリにデュエットを申し出て、
曲名及び歌詞の一部をイタリア語から英語の「タイム・トゥ・セイ・グッバイ(: Time To Say Goodbye)」に変更し、
共演したことである。

これがヨーロッパ全土で爆発的にヒットし、ドイツでは歴代最多販売枚数を記録したほか
全世界で1200万枚以上を販売し、世界歴代最多販売作品の一枚となった

              フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)・・》

          

このように私は学び、初めて知ったソプラノ歌手のサラ・ブライトマンの熱意により、
ボチェッリにデュエットを申し出た上、
曲名及び歌詞の一部をイタリア語から英語の「タイム・トゥ・セイ・グッバイ(: Time To Say Goodbye)」に変更し、
共演したことを知り、圧倒的に魅了されたりした・・。

私は、この歌を視聴するたびに、ときおり、いつの日にか、家内が私を残して、
あの世に旅立たれて、私は独りぼっちの『おひとりさま』の生活が余儀なくされることも、
思い浮かべる・・。

こうした時、不意に寂しさを感じた時、家内のしぐさ、言葉を思い馳せたりして、
自身を叱咤激励しょうと思いながら、この曲を聴くだろう・・
このようなことを漠然としながら思い深めたりしている。

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ここ数年、圧倒的に魅了された曲のひとつは、『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』・・。

2020-05-09 12:46:13 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、ささやか過ごしている。

こうした中、私は年金生活の当初から、我が家の平素の買物は、

私は自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、

季節の移ろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。  

このような午前中の過ごし方を殆ど定例事項のように過ごしてきた・・。

                                         

やがて、午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

たまたま昨日の夕暮れ、パソコンで【 YouTube 】を開いて、
ここ2年間で熱愛している曲のひとつの『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』を
それぞれ公演で披露された6種類ばかり聴き比べをしながら視聴した・・。

遅ればせながら私は、『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』を知ったのは、
確か2年前の頃であった・・。

          

この直後より、一週間で朝、夕に百回以上熱中して、視聴したりして、
異例であるが、公開すれば、この名曲である。

https://www.youtube.com/watch?v=KPrf-svWUAQ
【YouTube】:Andrea Bocelli & Sarah Brightman ・・『 Time to say goobye』

私は音楽に関しては、楽譜も読めなく、楽器も弾けなく、つたない感性で聴ているが、

周知の通り、この原曲は『君と旅立とう』(イタリア語・Con Te Partiròコン・テ・パルティロ)で、
イタリア出身で、世界からも賞賛されている盲目のアンドレア・ボチェッリの代表的オペラティック・ポップ楽曲である。

何よりも圧倒的に感銘をさせられたことは、
過ぎし年の1996年に、イギリス人のソプラノ代表歌手のサラ・ブライトマンは、
アンドレア・ボチェッリにデュエットを申し出て、
曲名及び歌詞の一部をイタリア語から英語の『タイム・トゥ・セイ・グッバイ(英語: Time To Say Goodbye)』に変更し、
共演したことであった。

まもなくヨーロッパ全土で爆発的にヒットし、やがて全世界に大ヒットし、
名曲のひとつとなり、今日に至っている。

           

恥ずかしながら私は、アンドレア・ボチェッリの曲は少しばかり聴いてきたが、

ソプラノ歌手のサラ・ブライトマンに関しては、まったくの無知であった。

そしてこの御方サラ・ブライトマンの略歴には、驚いたりしたが、
何よりも《・・アンドレア・ボチェッリにデュエットを申し出て、
曲名及び歌詞の一部をイタリア語から英語の「タイム・トゥ・セイ・グッバイ(英語: Time To Say Goodbye)」に変更し、
共演したことである。・・》

私は偶然にこのデュエット曲を聴いたが、もとよりアンドレア・ボチェッリの唄声は素晴らしく、
初めて知ったソプラノ歌手のサラ・ブライトマンの唄声、しぐさには、

震えるほどに圧倒的に魅せられてしまった。

          


やがてこの曲の背景を知り、このサラ・ブライトマンの略歴を学び、
恐れ入りました・・と私は思い深めて、この直後から百回以上視聴し、
ここ2年間で熱中している3曲のひとつとなっている。

尚、昨日の夕暮れ、パソコンで【 YouTube 】を開いて、
『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』をそれぞれの公演に於いて、
6種類ばかり聴き比べをしたが、やはり上記に添付した初期の公演が、
突出し、感銘している。

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外交評論家の岡本行夫さん御逝去に伴い、無力な75歳の私でも、心より深く御冥福して・・。

2020-05-08 15:57:57 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
今朝、いつものようにNHKのテレビのニュースを視聴していたら、
《・外交評論家で、小泉内閣や橋本内閣で内閣総理大臣補佐官を務めた岡本行夫氏が、
新型コロナウイルスに感染し、亡くなっていたことが、外務省関係者への取材でわかりました。
74歳でした・・》と報じていた。

                   

私は民間会社に35年近く勤めて2004年の秋に定年退職を迎えて、
多々の理由で、年金生活を始めて、早や17年目となっている
が、
私は二十歳以来、政治、外交、軍事なども殆ど無知であるが、
近代現代史には関心があるひとりとなっている。

          

こうした中で、私は岡本行夫さんにお逢いしたこともないが、
新聞、雑誌、テレビに出演された時などの言動で、
確かな日本の国益をふまえて発言される御方である、と受け止めてきた上、
知的センス、しぐさなどに好感してきた。

たとえばアメリカとの関係は、日米安保条約を根底に、
どうしたら現状より良き日本に導けるか、現実改善の進歩型と私は思い深めてきた。

こうした私が初めて気づいた時は、橋本内閣の時代に、
沖縄問題担当の総理大臣補佐官を務めた時、多々私は学び、
これ以来、敬愛を深めてきた。

          

本日、岡本行夫さん御逝去に伴い、報じられたニュースの中で、
アメリカで知日派として知られ、岡本行夫氏と親交のあったアーミテージ元国務副長官は、
《・・岡本行夫氏は、日米関係の巨人だった。
彼は国のために最善と思ったことを常に行った。

それゆえ、私の目から見れば、彼は真の愛国者だった。
お祈り申し上げます・・》というコメントが報じられていた。

私も瞬時に共感した。

          

先程、岡本行夫さんを補佐官に起用した小泉元首相が、
《・・訃報を聞き、驚いている。
わたしより若いのに。ブッシュアメリカ大統領をはじめ、各国首脳との会談に際して、
常に的確な助言を与えてくれた。
貴重な人材を失って残念だ。
心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメントされていた・・。

無力な私は、確かな日本の貴重な御方の御逝去に、
日本は大切な御方を失った・・
心より深くご冥福をお祈り申し上げます・・と心の中で呟(つぶや)いたりしている。

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元自衛官教える感染防止のノウハウ、高齢者の私でも学び、やがて多々教示させられて・・。

2020-05-07 15:34:49 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。

過ぎし2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてる。  
 
こうした中、人出の多い駅前のスーパーで買い物をする時はもとより、
人出の少ない処を散策する時でも、やむえなくマスクをしているが、
いつになったら感染が終息化するのかょ・・と戸惑ったして、過ごしている・・。

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こうした深情を秘めている私は、たまたまネットで、
元自衛官教えるコロナ対策、外出は10~15時にせよなど、
注意事項が記載された記事で、どのようなことですか、と思いながら、記事を精読してしまった。

多くの御方と学びたく、あえて記事を転載させて頂く。

          
</aside>

《・・「ぜひ、感染防止のノウハウを教えてほしい」--。
日増しに増える各自治体からの要望に応えて、4月14日に自衛隊が公式サイト上で、
39ページにわたる資料「新型コロナウイルスから皆さんの安全を守るために」を公表した。

日々の生活のなかで、実践できる手軽な感染防止法が、ここでは紹介されている。


☆新型コロナの弱点は紫外線と湿度

「実は、この資料は氷山の一角。
載っていない“自衛隊式マル秘感染予防策”があるんです」

こう話すのは、元陸上自衛隊衛生官で、有事医療ジャーナリストの照井資規さんだ。
照井さんはダイヤモンド・プリンセス号で、自衛隊から感染者が1人も出なかった理由を次のように分析する。

「自衛隊には、情報収集と分析のノウハウがあります。
今回の新型コロナウイルスは、紫外線に弱いことが判明しています。

彼らが対応にあたった2月は、直射日光が強い時間は、12~14時までの2時間程度しかない。
船外での活動は、この間に集中的に行うなど、
動くべき最適な時間帯を見極めて行動する癖がついているのです」

          

そもそも、自衛官は免疫力が高いことも大きな要因だという。

「自衛官には、指定場所に居住する義務があって、
隊員の約80%は、原則として駐屯地や基地の中で生活しているため、
夜11時消灯、朝6時起床という非常に規則正しい生活を送っています。

また、栄養士が考えたバランスのよい食事を3食摂っているうえ、
1日30km走るなど常に体を鍛えているので、
免疫力が一般の人よりも高いといえます」(照井さん・以下同)

“体調管理も任務の1つ”として、日頃から自己管理を徹底している自衛官たち。
彼らが当たり前のようにやっている習慣の中には、
われわれ一般人でも活用できる、コロナ感染を防ぐヒントがあるという。

          

☆髪の毛、スリッパにも注意を

その1つが、髪をまとめることだ。

「私の妻は、元自衛隊看護師で、自衛隊中央病院の感染症病棟に勤務していました。
髪は汚れをためこみやすいので、清潔に保つためには、まとめることが必須です。
彼女は、家庭に感染症を持ち込まないために帰宅したら即、シャワーで洗い流していました」

家の中にウイルスを持ち込むリスクを最小限にするには、
どんなに疲れていても、玄関からリビングに直行はNGだという。
帰宅時には次の手順を守りたい。

「玄関で、上着と靴下を脱ぎ、使い捨てスリッパに履き替えます。
もし、使い捨てではないスリッパを履くなら、
次亜塩素酸ナトリウムで毎日消毒するように努めましょう。

そして、お風呂場に直行し、シャワーもしくは入浴。
同時に、水道水でうがいもします」

          

かばんなどの持ち物にも、気を配りたい。
表面が滑らかなものは、次亜塩素酸ナトリウム水で拭いてから、
リビングに持ち込むのがベストだ。

次亜塩素酸ナトリウムについて、自衛隊の公式サイトでは、具体的な希釈の方法も紹介されている。
その方法は、きれいに洗った500mlのペットボトル容器に、
「5%次亜塩素酸(市販品のもの)」を5ml入れてから水で500mlに薄める、と紹介されている。
これにより、0.05%の次亜塩素酸ナトリウム水ができあがる、

使用の際は、必ず手袋をはめ、換気をすること。
水以外のものと混ぜないこと。
拭いた後に水拭きをすることが重要だそうだ。

          

「公共交通機関を利用して通勤しているなら、行き帰りともに、綿手袋を着用。
勤務先についたときに手袋を外し、帰りは別の手袋を使います。

帰宅後に外したら、裏側を表に返してゴミ袋へ。
手袋着用前と外した後には、手洗いが必須。
外出先で、首から上を絶対触らないことも大切です」

外出時にマスクをつけることは、もはや常識だが、マスクでおおわれていない目にも注意が必要だ。

「涙には、強い殺菌力があり、ほとんどのウイルスや細菌は、涙で破壊されますが、
新型コロナウイルスは、涙では死なないとわかっています。

つまり目から、感染するリスクは高いのです。
眉毛や目の横をおおうように、作ってある花粉症予防のめがねをしましょう。
普通のめがねでは、ウイルスを防御できません」

          

買い物に行く時間帯にも、気をつけたい。
前述のように、新型コロナウイルスは紫外線に弱い。

「そのため、いまの時期なら直射日光が強い10~15時に外出するのがおすすめです。

家庭内では、湿度の管理に気を配りましょう。
気温が20℃以上、湿度が50%以上になると、
ウイルスは空気中に漂うことができなくなるという研究もあります。
そのため、室内に洗濯物や濡らしたタオルなどを干して湿度を保ちましょう」

自衛隊が長年蓄積してきた知識と経験をフル活用して、自分と家族を感染から守りたい。

                  ※女性セブン2020年5月7・14日号・・》

          

このような記事を読み、多々教示させられながら、
さすがに国民の命を守って下さる自衛官だ、と改めて感心させられたりした。
          
       
私は我が家の平素の買物専任者で、家内から依頼された品を求めて、
最近は4日に1回に集約になってしまった買物メール老ボーイの私は、
最寄りのスーバーは
朝の10時が開店時まで行く。

そして開店と同時に、店内の売り場を殆ど記憶しているので素早く選定して、
30分以内に済ませて、スーバーより自宅に向かう。

こうした中、人出の多い駅前のスーパーで買い物をする時はもとより、
人出の少ない処を散策する時でも、やむえなく苦手なマスクをしているが、
いつになったら感染が沈静化になるのょ・・と戸惑ったして、過ごしてきた・・。

          

まもなく帰宅後は、いつものように、自宅の3キロ範囲にある遊歩道、
公園のはずれの小道など歩き廻ったりした・・。
        
ここ一週間は、何かと皐月晴れの快晴に恵まれて、真夏日のような陽射しの中、夏用の帽子を深くかぶり、
マスクをして、眩しいのでサングラスをかけ、
やがて熱く感じる時は、長袖のスポーツシャツを腕まくりして、歩いたりしている。

いずれも人出の少ない処を選定して歩き廻ったりした・・。

やがて帰宅後、玄関内で用意しているレジ袋に、マスクを外して捨てて、
洗面所に行き、顔と手に石鹸を付けた後、盛大に水で洗ったりする。

この後、着替えて室内着を着たりしている。

          

このようなことが高齢者の私に多く、今回、学んだ自衛官の諸兄諸姉とは、
相当手抜きなふるまいをしてきたなぁ・・と微苦笑している。

今回の新型コロナウイルスの戦いは、東京都の小池百合子知事が記者会見で、
「・・(略)・・感染拡大を防ぐことは、自分のことだと考えて下さい。
誰かがやるんじゃないんです。自分なんです」
と呼びかけ、外出自粛を改めて求めている。

もとより体力の衰えた高齢者の私でも、自身と大切な家族を守る為、
これ以上に感染拡大をしないように出来る限る自粛をして、終息化を願い、日々を過ごしてきた。

今回、元自衛官教える感染防止のノウハウを学び、私ができることは・・と思案したりしている。

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高齢者のスキンケア、75歳の男性の私は、こっそりと愛用している品は・・。

2020-05-06 15:06:39 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。

こうした中、私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、遠方の地に一戸建てに住んでいる。

そしてここ6年前の頃から、家内の母が『要介護2』となり、
長女の家内と家内の妹は交互に、 大半は家内の母宅に5泊6日前後で宿泊している。

こうした中、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしているので、
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となり、これも人生だよねぇ、
と私は独り微苦笑したりしてきた。

          
しかし新型コロナウィルスに伴い、家内の妹は家内の母宅の近くにいるので、
家内の母の介護をお願いしているが、
週の半分ぐらい家内の母は、ショート・スティを活用して宿泊している。

こうした中、家内が我が家にいる時は、家内の母の安否が心配で、

夕食前に電話連絡をしているが、ときには化粧品とかクリームは足りている・・?!、
と話し合っているのが、付近にいる私は聴こえて、私は微苦笑したりしている。

そして家内は、高齢者のスキンケアは 保湿剤は1種類をたっぷり使うのが大切なの、
と私に呟(つぶや)くように言ったりした・
・。

             

この後、たまたま私は家内がドラックストアで化粧品を買い求めた時に頂いたパンフレットを、
見たりした・・。

何かしら、
高齢者こそスキンケアを万全にする必要があり、
湿度が高くなる季節も、“保湿”が重要だ、と明記されていた。

・・ 
◆成分が必要最低限のシンプルな保湿剤を

市販の保湿剤を選ぶ時、知っておきたいのは、
“保湿成分”以外に、いろいろ余分な成分が入っていることだ。

一般的な化粧品には、たとえば“美白”や“香り”など、
さまざまな成分や香料が含まれていることが多く、
それが逆に刺激になって、皮膚の状態を悪くすることもある。

「乾燥してバリア機能が低下した皮膚は、外からの刺激に弱くなります。
保湿のために選んだのに、思いがけない余分な成分のために、かぶれることもあるのです。
化粧水、乳液、美容液、クリームなどと重ねれば重ねるほど、刺激を受けるリスクは高くなります。

乾燥が進んだ皮膚のケアには、できるだけ成分が必要最低限の保湿剤を選ぶこと。
成分を足すのではなく、刺激になる成分をそぎ落とすのです。

高齢者が健康な肌を保つために使うなら、保湿剤は1種類で充分。
ただしたっぷり使うことが大切です」・・(略)・・

          

皮膚の乾燥・老化の大敵・紫外線対策も万全に

これからの季節は、紫外線対策も気になるところ。
スキンケアが疎かになった高齢者は、日焼け止め化粧品などからも遠ざかっていることが多い。

「紫外線は、皮膚の老化を進めますので、年齢を問わずしっかりとした対策が必要。
高齢になっても、外出時には紫外線対策をぜひ行いましょう。

敏感肌・乾燥肌の人は、日焼け止めの成分の中で、紫外線吸収剤が刺激になることもあり、
吸収剤が入っていないもの、コーティングされたものを選ぶとよいでしょう」

また、帽子や日傘、服で肌を隠すことも効果的だ。

「白や淡色の服は、紫外線を通してしまうのでNG。
また黒は熱を吸収するので、熱中症が心配です。
選ぶなら明るい濃色。

赤、緑、青など、気分も明るくなるビビッドカラーがおすすめです。
UVカット加工生地のものもいいですね」

高齢になると、基本的に体のさまざまな機能が衰え、免疫力も低下し、がんのリスクが高まる。
紫外線の刺激は、さらに皮膚がんのリスクを上げるので、日常の中でできる対策をしっかり行いたい。
保湿をして“健康な皮膚”の状態を維持することも重要だ
・・》

                                                 

このような記事を読み終わった後、高齢者の男性の私でも、
クリーム、ローションの活用の大切さを学んだりした・・。

或いは紫外線などは老化の大敵であり、具体的な紫外線対策を学んだりした。

 

私は現役サラリーマンの頃は、髭剃(ひげそり)り後には、資生堂の男性化粧品のローション、
朝の洗面後は、資生堂の男性化粧品のクリームを長らく愛用してきた・・。

やがて年金生活の中で、70歳を過ぎた頃から、
ローションとクリーム兼用として、ユースキンのローション『ユースキンS』1種類を愛用している。

          

お値段も従来の3割ぐらいで、《・・さらっと しっとり ベタつかない・・》と明記されている通り、
髭剃(ひげそり)り後、そして朝の洗面後など愛用している。

或いは肌荒れの時は、こっそりと『ユースキンS』を塗るようにして、
10歳ぐらい若いねぇ・・と微笑む時もある。

私は4年前の晩秋に白内障の手術後、まもなく眼を保護して乾燥を防ぐ『ヒアレイン』点眼液を、
一日二回を点(つ)けてきた。

こうした中、3年前の三月、まばゆい春の陽射しを受けている中、
紫外線の実態を学び、やはり遅ればせながらサングラスが必要だ、と私は気付いたりした。

そしてUVカットのサングラスの中で、紫外線を1%しか通さない紫外線透過率1%を、
平素用は薄いサングラス、都心に外出する時は少し濃いめのサングラス、
ふたつ選定して、これ以来まばゆい陽射しの中を歩く時は愛用している。  

                 

いずれにしても眼は大切であり、特に熱い季節の紫外線対策しているが、
私は殆ど毎日歩いているので、 家内より日焼けしているわょ、と私は3月頃から言われたりした。

そして私は洗面所で顔を見ると、日焼けした顔立ちを見て、
クロちゃんだねぇ、と微笑んだりし、高齢者は元気が何よりょ・・と微笑む時もある。

尚、我が家の家内は、それぞれのクリーム、ローションの愛用しているが、
何かしら資生堂のXXよ・・と男性の私は教えられても、そぉ・・と聞く程度となっている。

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いつものように人出の少ない処を散策した後、やがて自宅で名作を鑑賞して・・。

2020-05-05 17:16:17 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。

過ぎし2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてる。

こうした中、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、
やがて政府より「 不要不急の集まり」を避けるよう公言されているが、
私は体力の衰えた高齢者の身であるので、散策を日々実行しないと益々衰えるので、
なるべく人出の少ない処を選定して歩いたりしている。

          
       
しかしながら我が家の平素の買物専任者の私は、家内から依頼された品を求めて、
最近は4日に1回に集約になってしまった買物メール老ボーイの私は、
買い求める品は、店内の売り場を殆ど記憶しているので素早く選定して、
買物専任者の17年生の実力を発揮している。

こうした中、人出の多い駅前のスーパーで買い物をする時はもとより、
人出の少ない処を散策する時でも、やむえなくマスクをしているが、
いつになったら感染が沈静化になるのょ・・と戸惑ったして、過ごしてきた・・。

本日は、私は買物中止日となっているので、自宅の3キロ範囲にある遊歩道、
公園のはずれの小道など歩き廻ったりした・・。

          

皐月晴れので25度近い真夏日のような陽射しの中、夏用の帽子を深くかぶり、
マスクをして、眩しいのでサングラスをかけ、
やがて熱く感じて、長袖のスポーツシャツを腕まくりして、歩いたりした。

いずれも人出の少ない処を選定して歩き廻ったりした・・。

やがて帰宅する寸前、コンビニに立ち寄り、私たち夫婦の昼食を買い求めたりした。
恥ずかしながら公開すれば、暑かったので、
私は『冷やし中華そば』、家内の要望は『とろろ蕎麦』を買い求めて帰宅した。

          

我が家の昼食は、原則として年金生活の当初より、
お互いにフリーとしているが、月に数度ぐらいは共に頂くことがあり、
今回は我が家の昼食は、今年初めての夏模様だよねぇ・・、
と私は微笑みながら家内に言ったりした。

この後、NHKのBSに於いて、映画の『ドクトル・ジバゴ』(1965年)が、
放送されるので、ブルー・ディスクに録画しながら、鑑賞してしまった・・。

この作品は、映画館で上映した時は見逃してしまい、
やがて20数年前の頃に、確か『WOWOW』を契約していた時に放送されたが、
この時はビデオテープの時代で録画したが、いずれはDVDでを録画した物を買い求めようとしてきたが、
何となく今日に至ってしまい、本日これ幸いと、ブルー・ディスクに録画できたりした。

          

私は映画の名作は、何度でも鑑賞するタイプである。
そして私が感じたことに欠落していたことに気付いたり、幾たびに教示させられたりしてきたので、
人生の縮図と同じだよねぇ・・と思い深めてきた。

今回、テレビで鑑賞し終わったのが、午後4時20分であり、
ブログの投稿は休止しようかしら、と思ったが、
やはり原則として、一日一通は投稿してきたので、あわてて15分ばかりで記載したので、
もとより乱雑な文体となっている。

コメント (4)
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政府と専門家会議の対策は「0点」で、日本を滅ぼす、私は学び、やがて震撼させられて・・。

2020-05-04 16:24:26 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。

過ぎし2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてる。  
 
こうした中、人出の多い駅前のスーパーで買い物をする時はもとより、
人出の少ない処を散策する時でも、やむえなくマスクをしているが、
いつになったら感染が終息化するのかょ・・と戸惑ったして、過ごしてきた・・。

          

先程、新型コロナウイルス拡大に伴い、政府に意見を述べる諮問委員会が5月4日、開催され、
西村康稔経済再生相は「全ての都道府県について5月31日まで、
緊急事態措置を延長することを諮問させていただきたい」とテレビのニュースで報じていた。

この後、ネットでニュースを見ていたら、東京大学の児玉龍彦名誉教授が、
政府と専門家会議の対策は「0点」で、
「全国一律のステイホーム要請は、ナンセンスの極みで日本を滅ぼす」と公言されていた。

私は新型コロナウィルスにも無知であるが、どのようなことですか、
と思いながら記事を精読し、やがて震撼させられたりした・・。

今の日本は誰しもが、予期せぬ新型コロナウィルスに寄り、社会経済活動、日常生活が制約されて、
社会は一変しているが、こうした対策は政府と専門家会議のメンバーの総合指揮の下で、
いち早く撲滅しょうと邁進し、我ら国民は従い、終息に一致団結しているが、今回の異論に対して、
お互いに認識を致したく、あえて記事の大半を転載させて頂く。

《・・(略)・・
政府と専門家会議は、人と人との接触を8割削減するとか、
外出の8割減を目指すなどと言っていますが、感染症対策としては0点です。

          

中国の武漢が経験したことを、まったく理解していません。
感染症対策の基本は、感染集積地と非集積地とに分けて、感染集積地に医療資源をまとめて投入することなのです。


中国の感染症研究の第一人者で鍾南山さんという医師がいます。
2003年に流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)の“火消し役”と言われた専門家のリーダーです。

鍾さんは新型コロナでも、1月18日に武漢を視察すると、
地元自治体が明らかにしていない三つの問題点を指摘しました。

第1に院内感染が多発していること、
第2に医師10数人が感染していること、
第3にPCR検査が、1度も行われていないことでした。

鍾さんは北京に戻ると、国家衛生健康委員会に、1千床の隔離病棟の建設と、
武漢のロックダウン、医療従事者5万4千人の武漢への派遣を提言しました。

日本に当てはめれば、比較的感染者の少ないところから、東京や大阪での感染拡大を制圧するために、
自衛隊の医官なども含めて、集中的に医療スタッフを送り込まなければならないということです。

ですから、全国一律のステイホームの要請はナンセンスの極みで、日本を滅ぼします。
米国のニューヨークも、イタリアのミラノもステイホームで失敗しています。

          

日本の感染症対策は、旧式のビッグデータ方式から抜け切れていませんが、
いまはプレシジョン・メディシン(精密医療)に、切り替える必要があります。
診断も陽性者の追跡も精密なものにしていくのです。

診断はPCR検査だけではなく、免疫の有無がわかる抗体検査も、どんどん普及させなければならない。
遺伝子工学の粋を集めた高性能な抗体検査機器が、世界各国で使われています。
1台で月に3千~6千件くらいの検査が可能で、日本でも少しずつ導入が始まっています。

PCRに抗体検査を合わせると、確定診断率は90%を超えます。
こうした取り組みは、すべて民間のお金で行われているのです。
有効な対策が、政府や専門家会議、厚生労働省の側から出てこないことが重大な問題です。

また、遺伝子工学と情報科学を駆使して、
感染者を個別ごとにGPSで追跡できるシステムの導入が必要です。
スマートフォンなどのGPS機能を通じた接触者追跡ですが、
プライバシー保護のためにも匿名化が条件です。(略)

感染情報は、カルテと同じです。
追跡データを取り扱う医師は、高度な情報モラル意識が求められ、
時限立法などで「責任医師」を決める手続きも重要になってきます。

コロナと戦うためには、ライフラインの維持が必須です。(略)

          

日本のコロナ感染対策は、最初に検査制限をしてしまったため、
感染がどのくらい広がっているのか、状況がまったくわからなくなってしまいました。
院内感染の比率も諸外国に比べて非常に高い。

日本の専門家会議は、政権に忖度(そんたく)してしまって、専門家としての助言がまったくできていません。
中国の鍾南山さんは、SARSの時に江沢民元国家主席に諫言して、国の政策を変えさせました。
そういう気骨のある人物でなければ、この難局は乗り切れません。

専門家の意見というものは、最初は必ず少数意見なのです。
ですから、多数を説得できる人でなければ、務まりません。

国民的合意のもとに正しい政策を取ることのできる専門家のリーダーを選ぶことが、
いま待ったなしの状況なのです。

一方、メディアは、厚労省や専門家会議、東京都の話を垂れ流すのではなく、
医療現場で現実に起きていることをきちんと取材し、
国民につぶさに現状と問題点を知らせるべきです。

『週刊朝日』オンライン限定記事 ・・本誌・亀井洋志 》

          

今回、東京大学の児玉龍彦名誉教授が、政府と専門家会議の対策は「0点」で、
「全国一律のステイホーム要請は、ナンセンスの極みで日本を滅ぼす」と公言され、
たまたま読んだりした無力な私は、多々教示させられ、やがて震撼させられたりした・・。

もとより新型コロナウイルスに関しての専門的な対処、終息は、
私と同様に殆ど無知であり、政府と専門家会議のメンバーの総合指揮の下で、
我ら国民は自身と家族の為に殆どの御方は羊のように従順で過ごし、早く終息してねぇ・・と念願している。

こうした旗振り役の政府と専門家会議のメンバーに、異議を申したてたのが、
今回の東京大学の児玉龍彦名誉教授の論説である。

こうした論説を、政府と専門家会議のメンバーの知力のある人が、
謙虚に分析して、修正することが必要な場合は訂正し、或いは加速することなど、
医療、社会全般を配慮して国民を導いて頂きたい、と無力な私は念願している。

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ときには私たち夫婦は、早朝より小庭の手入れをして、私は微苦笑を重ねて・・。

2020-05-03 12:33:37 | ささやかな古稀からの思い

私は民間会社に35年近く勤め、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
その後は多々の理由で年金生活を始めた75歳の身である。

そして東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭で、
雑木の多い小庭に囲まれて古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

昨日の夕食の時、私は家内に、
『明日(あす)、先日の続きの庭の手入れをするよ・・』と言ったりした。

常緑樹、落葉樹の雑木は、枝葉は伸び、剪定をしなければ、と思うばかり、
体力の衰えた私は、さぼったりしてきて、
この前の4月30日に少しばかり手入れをしたが、全般として30%ぐらいであったので、
続きと思った次第であった。

            

我が家の敷地は変形5角形で、家屋を建つと、玄関庭と主庭となり、
原則として小庭の手入れは私の責務の範疇であるが、蚊(か)の出る5月下旬頃から10月頃までを除き、
体力の衰えた私を見かねて、ときおり家内の支援を受けることもある。

ご近所のお宅の殆どは植木屋さんに年に数回依頼しているが、
我が家の小庭の樹の剪定は、私たち夫婦が自己流で樹木の剪定しているのが、
私が定年後、ここ17年目の実態となっている。
        
私が2004年(平成16年)の秋に定年退職した以前は、
5年ごとに植木屋さんに依頼するたびに、大きくなってしまった樹、
そして枝葉の処分料が多かった為か、5年ごとに50万円前後を要してきたが、
この間は、私がこっそりと植木屋さんの剪定した状況を物真似をして剪定してきた。

そして私が定年後まもなくして、ご近所より少し広い我が家は、少し樹高は低くしているが、
植木屋さんに年に数回依頼すれば、数10万円と教えられたりした。

こうした時、家内は私たちの旅行3泊4日が2回ぐらいできるわ、と言い、
小庭の手入れは私の責務の範疇であったが、年に数回は家内の手助けを借りている。

             
                                         
昨夜、天気情報を視聴したりしたが、明日の3日は晴ときどき曇り、と報じていた。
近くにいた家内は、『あたしも手伝うから・・』と微笑んだりした。

家内は快晴の陽射しが眩(まぶ)しすぎて敬遠し、サングラスも苦手であり、
曇り空ときおり淡き陽射しが差すのが最適という風変わりなタイプであるので、
明日のときどき曇りに微笑みながら、私は支援を受けることとなった。

今朝、私は5時半過ぎに目覚めて、ぼんやりと小庭を眺めたりした。

こうした中、家内はトレーナー姿の容姿でタオルを姉さん被(かぶ)り、
ウォーキング・シューズの万全な容姿で、滑り止めの軍手をして、
鋸(のこぎり)右手に持ちながら、伸びた枝葉を切り落としていた・・。

『少し早いじゃないの・・あと45分過ぎたら、駆け付けるょ』
と私は家内に言ったりした。

そして私は洗面して、朝食を食べた後、トイレに寄って、
ストレッチパンズの長ズボン、着古したスポーツシャツ、
ウォーキング・シューズ、帽子、滑り止めの軍手をし、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにして、
庭先に降り立った・・。

そして剪定された枝葉が散乱している小庭の中にいる家内に、
『何時から・・試合開始にしたの・・』
と遅れてしまった私は、家内に微苦笑しながら言ったりした。

『5時少し前からょ・・陽射しが燦燦と照らす前にしたいのょ・・』
と家内は私に言ったりした。

この後、私は切れ味抜群の鋸(のこぎり)右手に持ちながら、
適度な台に乗り、枝葉を切り落としはじめた。

家内も鋸(のこぎり)右手に持ちながら、伸びた枝葉を切り落としたり、
或いは剪定鋏(バサミ)を器用に使ったりしていた。

私は75歳となり、家内は誕生日を迎えると70歳となり、高齢者夫婦に該当するが、
それぞれ奮戦すれば2馬力だよなぁ、と私は微苦笑したりした。

                   

やがて小庭にあるアカネモチ、ツバキ、モミジ、キンモクセイなどを剪定したりした。
            
しかしながら私は無念ながら体力の衰え、30分毎に簡易椅子に座り、用意した煎茶を飲み、
5分ぐらい休息としたりした。

こうした時、一昨年まではタバコを喫ったりしたが、
昨年の新年早々、断腸の思いで、タバコにさよならをしてきたが、
何かしら手持ち無沙汰で、やむなくガムをかんだりした。

そして40代の頃は、55分ぐらい剪定したり、草むしりをして、
5分ぐらい休憩で奮戦していたよなぁ、と思い浮かべて、
あの当時は体力があったなぁ・・と私は微苦笑をしたりした。

やがて私たちは3時間ぐらい樹木の剪定をした後、剪定は中断して、
散乱している枝葉を大きなビニール袋に入れ、
袋に破れないように入れる為、私たちは枝葉を適度に剪定鋏(バサミ)で切ったりした。

確か昨年の4月頃までは、市から指定されている『燃えるゴミ袋』のLLサイズ
(45リットル入り、有料・10袋入り、840円)に入れる条例であったが、
ごく普通のビニール袋に改定され、無料で回収されることとなったりしている。

この後、家内は剪定が終わっていない樹に、枝葉を切り落とし始めたが、
『XXちゃんさぁ・・疲れたから・・やめない?・・』
と私の方から家内に提案したりしたのは、午前10時過ぎであった。

           
       

そして風呂を沸いた頃、家内に先に入ってもらい、
私は玄関庭に移動して、片隅にあるテラスに簡易椅子に座り、煎茶を飲んだりした。

私は若き40代の頃は、こうした時はお寿司屋さんから頂いた大きな湯呑茶碗で、
冷酒を二杯ぐらいは呑んで待機していたが、
その後の50代の時は、殆どビールを呑んだりしていたが、
今や煎茶を飲む身となり、やはり齢かしらと苦笑したりした・・。

まもなく家内が居間から、小声で
『お風呂を上がったわ・・選手交代ょ・・』と私に言ったりした。

『了解致しました!!・・』
と私は若き自衛官に負けないように大声で応(こ)えた。

私は体力の衰えてきた中で、ハァ~ィ、と応(こた)えるのは、ボケてきたと誤解されるので、
たとえ夫婦間であっても、せめて返事ぐらいは清く正しくしている。

          

やがて私は小庭からお風呂場に向かう途中、市が指定された我が家の門扉の内側に、
大きなビニール袋が8袋あり、私はお互いに健闘したよなぁ、と私は微苦笑したりした。

そして家内は朝5時より、私は家内の奮闘に鼓舞されて、6時半より奮戦したが、
今こうして投稿文を綴っているが、けだるさを感じて、やはり齢だよなぁ・・
と心の中で呟(つぶや)いたりしている。

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新型コロナウィルスの『楽観』、或いは『悲観』の収束の事態、無力な高齢者の私は学び、やがて涙を浮かべて・・。

2020-05-02 15:08:37 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。

過ぎし2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてる。  
 
こうした中、人出の多い駅前のスーパーで買い物をする時はもとより、
人出の少ない処を散策する時でも、やむえなくマスクをしているが、
いつになったら感染が終息化するのかょ・・と戸惑ったして、過ごしてきた・・。

          

昨夜、ネットでニュースを見ていたら、京都大大学院の藤井 聡(ふじい・さとし)教授を中心とする研究グループが、
新型コロナウィルスによる経済活動の縮小に伴い、
失業者が増加し、自殺者は史上最悪になるとのリポートを、5月1日発表されていた。

私は何かと無学なことが多いが、漠然としながらも、
ホテル・旅館、レジャー施設、飲食関連の企業、そして数多くの小売業に波及し、
倒産や自主廃業をする企業が出ている、テレビのニュースで学んだりし、
動顛してきた。

そして年金生活の無力な私でも、こうした悲惨な事態が続くと、社会経済が破綻して、
たとえ経済復興が出来たとしても、失われた人材、文化は二度と復活できない、
危惧したりしてきた。

このような事態を秘めてきた私は、今回の社会工学の第一人者である藤井 聡(ふじい・さとし)教授の論説を学びたく、
記事を精読し、多々教示させられたりした。

そして新型コロナウィルスのこれからの経済活動に関することに関心のある御方と共有致したく、
たまたま【 日刊スボーツ 】に配信されていた記事を、あえて転載させて頂く。

          

《・・
リポートは、事態が1年後に収束する「楽観シナリオ」と、
収束まで2年かかる「悲観シナリオ」の2つを検討。

「楽観」は2020年度の実質GDP成長率マイナス14・2%、
2021年4~6月期にプラス0・8%に転じると仮定した。

「悲観」は2020年度マイナス14・2%、
2021年度マイナス5・2%と試算した。

失業率は「楽観」でも2020年度末に6・1%となり、
デフレに突入した2002年の5・4%を上回る高い水準になる。

「悲観」の場合、ピークの2021年度末に8%を超えるとしている。


失業と自殺は相関関係があり、失業率が1%上昇すると、自殺者は2400人増加する。

「楽観」でも、年間自殺者は3万4449人、「悲観」では3万9870人と予測した。

日本の自殺者は、1998年に初めて3万人を突破。
2003年に3万4427人で過去最高となった。

「楽観」でも「悲観」でも最悪の事態となる。
直近の失業率は2・5%(3月)、自殺者は1万9959人(2019年)。・・》

          

こうしたことを学び、震撼させられたりした。

もとより予期せぬ新型コロナウィルスが、昨年の11月の頃から中国で発生し、
やがて日本でも今年の1月頃から感染が拡大して、経済活動はもとより、社会状況が一変し、
亡くなわれた多くの御方、感染された多数の人々、医療崩壊まで危惧されている。

こうした中、新型コロナウィルスの影響で、今後の悪化、倒産などの主因で、
自ら命をたたれたさまざまな御方に思いを馳せると、涙を浮かべてきた・・。

こうした根底のひとつには、時代こそ差異があるが、私が30代のなかば、
私の次兄が自営業で、運転資金に失敗されて、自室で服毒で命をたたれ、
少なくとも次兄の妻、私の母、私の兄妹など、暗澹たる日々を過ごした体験がある。

新型コロナウィルスの収束は、いつの日にかあるが、
抜本的な新薬が開発されて、多くの御方が安心して服用できる日まで、
多くの御方が共有して、感染を縮小して、やがて終焉させなければならない。

          

このような思いを強くしていた時、たまたま私は、東京都の小池百合子知事が記者会見で、
「・・(略)・・感染拡大を防ぐことは、自分のことだと考えて下さい。
誰かがやるんじゃないんです。自分なんです」
と呼びかけ、外出自粛を改めて求めた。

こうしたことが無力な私が、実行できるのが、せめての武器でもある。

しかながら心の片隅では、終息まで一年は長いよなぁ・・溜息をしたりしている。

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