夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

嵐山光三郎・著の『おはよう! ヨシ子さん』

2009-07-31 10:15:59 | 読書、小説・随筆
私は作家・嵐山光三郎氏の作品に関しては、『西行と清盛』、『文人悪食』、
『追悼の達人』、『悪党芭蕉』、『死ぬための教養』、『人妻魂』、『編集者諸君!』の順で読んできた記憶がある。

特に『追悼の達人』を読んでいた時は、深く感銘させら、
これ以降は店頭で見かけた時は、無条件で購入し、読むことにしている。

こういた意味合いから、このサイトに於いても、
嵐山光三郎氏に関しても数多く綴ったりしているが、
過日の『編集者諸君!』を読了した後は、
【嵐山光三郎・著の『編集者諸君!』を拝読して・・。】
と題して、2009年1月19日に投稿しているが、あえて再掲載をする。

【・・

(略)

今回の『編集者諸君!』についは、著作者の嵐山光三郎氏の『あとがき』で明記している通り、
『本の雑誌社』に連載した随筆を一冊の本に集約した本である。

私はこの中で、特に教示させられたのは、
【 西行は007である 】と題された随筆であり、
正月の三が日にしばしば読み返し、思索させられたひとりである。

無断であるが、引用させて頂く。

《・・
西行は天皇を守護する北面の武士であった。
皇居の北面を守る武士で、いまでいえば皇居警察にあたる。
天皇の権力が絶大な時代であったから、
警視庁公安幹部といったほうが正確だろう。


西行が出家したのは、保身である。
そのまま天皇親衛隊をつとめていれば、西行は必ず殺されていた。

天皇と上皇が争った保元の乱は到底乗り切れなかったはずである。
うまくわたり歩いて保元の乱を乗り切っても、
それにつづく清盛vs義朝の平治の乱は乗り切れるものではない。

西行の元同僚は、平治の乱までに、
ほぼ半数が戦死あるいは戦犯として斬首されている。逃亡した者もいる。

勝ち残った清盛(西行と同年齢の旧友)にしたところで、いずれ負けるのだから、
西行は、知人友人同僚のほぼ全員の死を見届けるのである。
西行はそれを予見していた。


西行は逃げたのである。
『山家集』の成果によって日本の名だたる歌人となったものの、
戦乱のさなかに死んでいった武士輩の仲間からみれば、
卑怯者であり、逃亡僧であり、一番ずるくたちまわった。

そのことを書いている人は一人もいない。
みな、西行に心酔しきっているためである。


西行は軍人であった。
軍人が戦争を前にして突如ぅ詩人にくらがえしたようなものである。
軍人でなければかっこうはつくが、軍人であるがゆえにぶざまである。
そのいらだちが西行を果てしない放浪へとさそった。


西行の研究家のみならず、古典文学研究家や愛好者がおちいる罠は、
時代の現実生活を見ない点である。
いちおうの知識はあっても、文学の世界を、
現実の世からかけはなれた秘密の花園としてしまう。

それは書かれた作品によって構築された作家の内面にすぎず、
まんまと書き手の手口にはまってしまう。
「時代は戦乱のさなかであり、京の都は血で血を洗う戦いの連続であった」
ぐらいで、
「その乱れた時代に背をむけ孤独の旅をつづけた」
というくらいの認識である。


たとえば、保元の乱のとき西行はなにをしていたか。
それについては「ひそかに見物していた」という記録があるくらいで、
鎌倉時代に書かれた『西行物語』にしたところで、そこのところはとんでいる。

西行は、葬儀にはよく出た人で、
上皇、天皇、皇后の葬儀には必ずかけつけている。
仕えていた徳大寺大臣家の葬儀、歌友の葬儀にもかけつけているから、
山の中に住んでいるとはいえ、世間の動きには敏感であった。
・・

西行は出家してからも、政治の枝葉末節にかかわっていたはずである。
仕える家が大臣家であり、鳥羽法皇や崇徳院との知己を得ていたことでも、
ただの歌人でないことがわかる。
清盛ももとの同僚である。
そういった血なまぐささから逃れようとしても、逃れられるはずがない。
放浪僧に化けた宮廷歌人であり、その底に軍人の意地が流れている。
世間をケムに巻く007のようなものだ。

西行の歌はめちゃくちゃうまい。

絶品である。死に方までもドラマティックである。
時代がたてばたつほど、その虚構の純粋さが光を放つ。
だからぼくは、
「まてよ」
と思うのである。

・・

注)作者の原文より、あえて改行を多くした。



私は短歌を詠む素養はないが、やはり西行の遺された歌の数々に魅せられ、
安田章生・著の『西行』、白州正子・著の『西行』、
上田三四二・著の『この世 この生 ~西行・良寛・明恵・道元~』など10冊前後を読んだりしていた。

今回、この本を拝読していたのであるが、
西行の生きた時代の現実生活の背景を怜悧に考慮しなければ、
西行自身の実像はもとより遺された歌の数々が視(み)えてこない、
という嵐山光三郎氏の明晰な評価を学んだのである。

嵐山光三郎氏はもとより國學院大學文学部国文科で中世文学を専攻され、
平凡社で『太陽』の編集長を歴任した後、
数々の温泉紀行、料理に関しても随筆を書かれる多彩なお方でもある。

今回の『西行は007である』の中で、
《・・
机の前には百冊近くの西行関係資料があり、
まずそれをざ-っと読むのに1年かかった。
それから枝葉末節を半年ほじくって・・》

注)作者の原文より、あえて改行を多くした。

このような真摯で凄冽なほどに題材に向われ、書き上げるお方であり、
何より平凡社に勤めた編集時代に、
多くの創作に携わる作家の表と裏を身近に観続けてきた側面が加わって折、
こうした西行に関し、現世に於き稀(ま)れな提示した渾身の随筆を書き上げる才気の人である。

この作家にあえて苦言を書けば、
タイトルは安易に付けられこともあり、綴られる文章に、ときおり遊びがある。
そして、かって作者は、『西行と清盛』を書かれていたが、
壮大な大河小説でも出来る題材を流したように書き急ぎ、
と惜しまれる小説だった、と私なりに感じていたのである。


このよう感じたりしていたが、
現世の作家の随筆などで、中味が濃い名文を書き上げ、私が感銘を受ける人は、
嵐山光三郎、角川春樹の両氏しか私は知らないのである。
・・】



このように投稿していたが、今回の『おはよう! ヨシ子さん』も、
本屋で何かしらと思い、偶然に見かけた作品であった。

http://www.shinkosha-jp.com/details.jsp?goods_id=2374

この解説文に明示されている通り、
今回は著作者の母上で「ヨシ子さん」と称した91歳のご高齢(作品発表時)、
著作者自身も66歳(作品発表時)で、
同じ敷地の別棟で暮らし、過ごされている。

母上はご高齢の日常生活に於いて、
《・・
記憶力はまあ半分ぐらいはちゃんとしているほうだが、耳は遠く、体力がついていかない。
頭はしっかりしているのに、体が言うことを聞かない。

箸1本が重く、リンゴひとつ持つのがやっとである。
ヨシ子さんが俳句を詠もうとする念力が、生きる力を呼びおこす。
なにか題材を見つけるために、夕方は、杖をついて散歩に出る。

フーラフラとした蚊トンボみたいな散歩で、見ちゃいられない気もすするけれど、
散歩を休むと、かえって体調が崩れる。

ヨシ子さんは、俳句で生きている。

(略)
・・》
注)原文(ページ64)より引用したが、あえて改行を多くした。

このようにご子息の著者の視線から、母上のヨシ子さんを見守り、
そして、 せっかちだったという著者の父、ヨシ子さんの夫はすでになく、
ヨシ子さんは小さな仏壇に毎朝花と御飯を供え、毎日俳句を詠み、
それを毎日見ていた著者は、ヨシ子さんの詠む俳句を毎日「相談にのっている」情景が主軸で、
さりげない日常が描かれている。

そして著者はご高齢のさりげない日常を優しいまなざしで描かれ、
父上の思いで、そして弟ふたりとの交流と過去の出来事を綴られ、
ヨシ子さんの家族の軌跡として重ねている。


淡々と日常生活の母上と著者自身の周辺の出来事を加味され、
私なりに多々教示を受けたのである。
私は64歳の身であるが、改めてご高齢のご婦人の日常の思い、願いはこうであったのかしら、
そして著者自身の日常の思索、ふるまい等である。



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