夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ささやかな私のトマトの想いでは・・。

2010-07-17 11:03:56 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
買物の担当の私は、ここ2ヶ月、スーパーの果物売り場、
八百屋でトマトを見たりしている。

ここ10数年は殆ど一年中、都心の果物専門店、デパートの果物売り場で見られるが、
私は幼年期は農家の児として育ったので、何かしら抵抗感があり、
5月の下旬が過ぎたならば、農家のたぬまぬ労苦の果てに、と思いもあり、
スーパーの果物売り場、八百屋で微笑みながら見つめ、買い求めたりしている。

はじめの頃は、熊本県産が多かったが、日増しに静岡、群馬、千葉県産などがあり、
ここ数週間は、我が家から程遠い10キロぐらいの東京の郊外産を少しばかり見かけるが、
圧倒的に地方産が多いのである・・。

そして私は国内旅行で各地で見かけた女性のしぐさ、
微笑みを思いだしたりしたりすることもある。


先程、家内と冷蔵庫で冷やしたトマトを食べていたら、
私は小学生の頃を想いだした・・。

1951(昭和26)年の春に私は小学校に入学したが、
この当時は実家は、祖父と父が中心となって農業をし、田畑を耕していた。

初夏の頃になると、茄子(ナス)、胡瓜(キュウリ)、トマト等を収穫し、
夏になると西瓜(スイカ)、瓜(ウリ)等を青果市場に出荷していた。

茄子、胡瓜、トマト等は早朝から畑で選定し、収穫した後、
7時過ぎに父は青果市場にリヤカーに乗せて行っていた。

家では形の悪いもの、大き過ぎたもの、少し熟れ過ぎた品を食べたりしたが、
胡瓜とトマトは井戸水につけて置いて、
午後の3時過ぎに空腹になった私はトマトを噛(かじ)ったりしていた・・。

朝の登校する8時過ぎに、遠い親戚の小父さんの畑の細道を歩いていたが、
トマト畑の支柱にたわわになっているトマトを眺めながら、
ひとつ採ったりした・・。

消毒の白さと朝露を服で拭いながら、噛り付いたりし、学校に向かい歩いたりした・・。
適時に熟れたトマトは、早朝に収穫済みだったので、
明日頃に熟れる最適なトマトを選んだりしていたが、青味が少し残っていた。


後年、私の結婚披露宴の時、この小父さんに来て頂いた時、
何気なしに私は小父さんにこのトマトを話題にした。

『小父さんの畑で・・
小学校の頃、よくトマトを盗んで頂きました・・』
と私は言った。

『あの頃の子供・・皆そうだったょ・・』
と笑いながら小父さんは言った。


私が昨日スーパーで買い求めたトマトは、ひとつ百円であったが、
家内用は熟れたつややかな色合いの品を選び、
何故かしら私が食べる品は、少し青味がかった熟れる寸前の色合いを選んでいる。

私の実家は、私が小学2年に父が病死され、
まもなく祖父も死去されたので、大黒柱を失った我が家は、やがて農家を廃業を余儀なくさせられ、
やがて没落し、貧乏のみじめさも母をはじめ、兄、妹も体験させられた。

私が小学校を卒業する1957(昭和32)年の頃から、
急速に住宅街に変貌し、田畑、雑木林も激減した。


このようなことを思い馳せたりし、トマトを頂きながら、
あの頃は・・と私は想い出している・・。



☆===========================☆
*恥ずかしながらブログランキングに参加しています。
 下段のマークを押し、次画面の『投票』を押して下さいますと、
 つたない私の無上の喜びとなりますので、お願い致します♪

日記<br>
 <br>
<!--
<rdf:RDF xmlns:rdf= -->

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 菅首相の資産公開に、好感し... | トップ | 東京の郊外も、『梅雨明け』... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

定年後の思い」カテゴリの最新記事