夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私達夫婦の年末年始の休日、ささやかな歩みの35年は・・。 ④自宅でのんびりと過ごし、翌年からふたたび 

2010-12-28 17:38:44 | 定年後の思い
          第6章  自宅でのんびりと

2001(平成13)年は、我が家は築後26年近くになっているせいか、
家のところどころが老化なっているので、修理の時であった。

外壁のモルタル修理は2回目となり、戸袋、雨戸廻りなどを修理をして頂き、門扉も新調したり、
歳末近くに宅地の植木を大幅に入れ替えて、道路際は赤芽モチなどに変更したりした。

この間、私の勤続30年の特別休暇を頂き、4泊5日で北海道の冬の旅で、
流氷、札幌の雪祭りなどを観たりし、
或いは親戚、知人の方たちが亡くなったりすることが多かったのである。

こうした中で私は定年退職時の2004(平成16)年に備え、
パソコン、机、脇机、椅子などを新調して、年金生活の準備をしたりした。

こうした中で12月を迎え、年末年始の旅行などを家内と話し合ったのである。
我が家としては、年末年始を配慮しても程ほど高価な旅行費であり、
結果としては前回の『能登・輪島温泉』は惨敗、前々回の『湯野浜温泉』は成功であったが、
今回は何かと費用を要した年だったので、のんびりと自宅で過ごそうと決定したのである。



          第7章  北海道てっぺん周遊記【2002.12.31..~2003.1.2.】

2002(平成14)年は、妹の次男が結婚し、ディズニー・シーの周辺で、
結婚式・披露宴をすることとなり、
恥ずかしながら家内はディズニーのファンであり、
この際、デイズニー・シーをゆっくり観たいわ、と懇願され、
私はやむえず祭日、代休を重ねて『シュラトン・ホテル』に3泊4日で宿泊したのであった。
何より私が悦んだのは、長兄の長男、次男、そして妹の長男、今回の次男・・
私にとっては甥っ子の4人が、私の定年退職前に結婚してくれればと秘かに願っていたので、
心の中では小躍(こおど)りしていたのである。

そして12月になると、家内と年末年始の旅行のことで話し合ったりした。
私は能登の輪島温泉滞在で、程ほど高価な費用を払ったのに、と苦い思いでがあり、
ためらったりしていたのである。

こうした時、旅行会社から送付されてくる小冊誌に於いて、
『ゆく年くる年 日本のてっぺんでお正月3日間』と題した、団体観光ツアーがあった。

大晦日の31日の早朝、羽田空港に集合して、午前10時過ぎに釧路空港に着陸した後、
バスで釧路湿原を通り過ぎ、屈斜路湖、摩周湖の雪の情景を鑑賞した後、紋別に宿泊する。

翌日、2003(平成15)年の元旦の朝、稚内を目指して、オーホック海沿いの道をバスは長らく北上し、
そして宗谷岬に午後の3時過ぎ到着した後、日本の最北端の駅である稚内駅を観たりし、
高台にある神社に初詣し、市内のホテルに宿泊。

そして翌日の2日、札幌を目指して、日本海を眺めながらバスは南下し、千歳空港から帰京するプランであった。

こうした風変わりな周遊観光コースであり、格安なプランであるので、
二度と企画されないかもしれない、と私は家内に云ったりし、参加したのであった。


大晦日の31日、羽田空港に早朝に集合時間であったので、
タクシーを予約して、暗い中、自宅から羽田空港までタクシーを利用した。
そして、厳冬の屈斜路湖、摩周湖の雪の情景を鑑賞したが、私達は冬の北海道はたびたび体験し、
それなりの防寒服を着たりしているので、マイナス10度ぐらいは心身順応出来るのである。

少し驚いたのは、紋別に宿泊する前、蟹(カニ)食べ放題の夕食となり、
私は地酒を呑みながら、それなりに奮闘して頂いたが、
やはり蟹は毛蟹を一杯だけ頂き、ゆっくりと熱燗の地酒を呑むのが良い、
と感じたりしたのである。

そして、宿泊のホテルの部屋に戻ると、
テレビで紅白歌合戦の番組の中で、中島みゆき女史が『地上の星』を唄っていた・・。
後年、伝説となった黒部の極寒の坑道の中で、唄いあげたシーンであった。

私はファンのひとりであったので、この夜の夢は何故かしら、
みゆき様が私の方を見ながら微笑んでいたのである。


尚、紋別で宿泊した観光ホテルは無念ながら思い出せないが、
稚内は全日空ホテルであった。

http://www.ana-hotel-wakkanai.co.jp/
☆ 稚内 全日空ホテル ホームページ ☆



          第8章  秋保温泉滞在記【2003.12.31.~2004.1.2.】

この年の2003(平成15)年の2月、雪の奥入瀬渓流、十和田湖の情景を観たく、
『古牧温泉』に2泊3日で旅行した後、
翌年の定年退職時2004(平成16)年の秋に備え、
私達は4年前に定年後の概要設計をしたのを詳細設計をした年であった。

もとより定年退職後は、私は年金生活をする為に、
特に私の場合は1944(昭和19)年生まれであるので、年金の満額支給時は満62歳となる。
そして満60から年金を申請すると、この間の2年の支給は報酬比例部分だけであり、
ほぼ満額の半分程度であるので、片翼で飛行を続けるような状況であった。

こうした未知の年金生活であるので、退職金、退職時の貯金残額を念頭に、
定年後の生活設計の詳細を家内と調整をしていた。


12月に入ると、年末年始の旅行を検討したのであるが、
旅行会社から送付されてくる中から、それほど思案することなく、選定したのである。

仙台市の奥座敷として知られている秋保温泉に連泊して、帰路は松島湾を周遊する観光船、
瑞巌寺に参拝できる団体観光ツアーであった。

私達夫婦は31日の大晦日、朝の9時過ぎに新宿より観光バスで発ち、
東北自動車の高速道路、そして秋保温泉の宿泊する『ホテルクレセント』に到着したのは、
午後の3時過ぎであった。

http://www.h-crescent.co.jp/
☆ 秋保温泉 『ホテルクレセント』 ホームページ ☆

私達夫婦は、付近の小高い丘にある森林スポーツ公園に行き、私達が宿泊する観光ホテルは、
秋保温泉の中心の街から離れていたことが判ったりした。

私達は夕食の時、食事処は浴衣はご遠慮下さい、
と云われ、都市のホテルなら理解できるが、たかがリソート地にある観光ホテルなのに、
と嫌な感情を持ったのである。
そして、このようなことを私達の団体グループの人たちに、
夕食を頂く時、隣席方に私は話したりした。

多くの方が同意していたせいか、翌日の夕食は、私たちのグループの大半は浴衣姿であった。

尚、当日は和食料理、2日目はフランス料理で、程ほどの味であった。


2004(平成16)年の元旦、朝から風もなく快晴であった。
私達夫婦は、暖かな陽射しの中、秋保温泉の中心の街を散策した。
数多くの観光ホテルの横を通ったりし、小学校の前にある商店街の中にある素朴な店に入った。

ひと昔前は文房具屋さんであったが、今はコンビニなどで文房具用品を買い求める学童が多く、
駄菓子、おもちゃ、日常品などがあり、私が昭和30年の少し前に見かけた品が数多く置かれていて、
私達夫婦は懐かしく、店の主人と30分ばかり立ち話しをした。
そして家内は、五品ばかりの菓子を買い求めたのであった。

その後、数々の観光ホテルの横をはずれを歩いたり、住宅街のはずれも歩き、
やがて田畑の中のあぜ道を歩いたり、五時間ばかり散策すると、
ぼんやりと秋保温泉の全貌が判ったのである。

そして、帰路、観光ホテルの『佐勘』に立ち寄り、
この地の古きから伝統のある和菓子と地酒を買い求めて、帰還したのである。


翌日の2日は曇り空の一日であったが、予定通り松島湾を周遊する観光船に乗ったりした後、
瑞巌寺を参拝、五大堂を観たりした後、帰京したのである


                        《つづく》

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