夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

「GWずっと家にいろ」が到底不可能な3つの理由、コロナ疲れの私は学び、多々教示させられて・・。

2021-05-01 12:05:16 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読している公式サイトの【東洋経済オンライン】を見ている中で、
『 
「GWずっと家にいろ」が到底不可能な3つの理由 』、
副題として『「お願い」ばかりでは人々はもう付いてこない』、
と題された見出しを見たりした・・。


私は東京の調布市の住んでいる年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。

過ぎし昨年の新春の頃より、
世界の誰しもが予期できなかった新型コロナウイルスに伴い、
世界の多くの人が、生死の関わる難題に遭遇して、今日に至っている。





こうした中で、2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、これ以来何かと重苦しい風潮の中、
私は戸惑いながら過ごしてる。

こうした中、幾たびの緊急事態の中、何かと制約が多く、無力な私でも、
苦手なマスクをしながら、「三密(密集、密接、密閉)」を避け、
人出の少ない時間、場所を選定した歩いたりしてきた・・。

しかしながら本音として、私なりに長らく自粛してきた為か、
新型コロナ疲れとなっているが、やがて感染が激少するまでは、
自粛の延長戦だ、と自身を叱咤激励をしたりしている。




こうした中、テレビのニュースを視聴したりすると、
都心の繁華街、商業施設などで、老若男女でにぎわい、
或いは海辺、行楽地など人出の多さに仰天して、
どうして
三密(密集、密接、密閉)は、守れないの・・、

と感嘆して、溜息ばかり重ねてきた・・。

しかしながら、政府は幾たびも自粛させる中、
やがて国民の多くは、いつまでも終息できない状況に、
自粛疲れで、だらけてしまい、政府、自治体の知事の協力依頼も徹底できずに、
今日に至っている、と私は思ったりしている。


こうした深情を重ねてきた私は、
今回の《・・「GWずっと家にいろ」が到底不可能な3つの理由・・》、
真摯に学びたく、記事を精読した・・。

この記事は、コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者の木村 隆志さんの寄稿文であり、
【東洋経済オンライン】に於いて、2021年5月1日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。



《・・4都府県に緊急事態宣言が発令され、
7県にまん延防止等重点措置が適用される中、
ゴールデンウィークに突入しました。

今年のゴールデンウィークは、主に4月29日から5月9日までの11日間ですが、
緊急事態宣言、まん延防止等重点措置、
ともに対象期間は5月11日までが設定されています。

主な要請内容として、「不要不急の外出や都道府県間の移動を自粛」、
「酒類やカラオケの提供店舗、大型商業施設に休業」、
「大型イベントは原則無観客」、
「部活動などの制限や自粛」などが挙げられています。

また、東京都の小池百合子知事は、
「今年のゴールデンウィークもステイホームをお願いしたい」、
「旅行・帰省も中止、または延期でお願いをし、
『東京から出ないでください』、『東京にもいらっしゃらないでください』と申し上げています」、

「“路上飲み”は絶対にやめていただきたい」、
「バーベキュー、キャンプなどの屋外レジャー、ホームパーティー、
 レンタルスペースでの飲み会なども、ぜひともお控えいただきたい」、
「(連休中の平日にあたる)4月30日、5月6日、7日も(企業は)
連続休暇にするような対応でお願いいたします」
などと外出自粛を強く訴えています。



しかし、政府や自治体がどんなにステイホームを呼びかけても、
人々の間に漂っているのは「すべては守らないと思う」、
「そんなのできるわけがない」という否定的なムード。

引いては、「ステイホームなんてやっていられるか」
と思ってしまう3つの理由があるのです。



★テレビとネットが発する外出への誘い

政府や自治体などから発せられるのは、相変わらずの「お願い」ばかりで、
しかも自粛要請に基づくデータは、ほとんど世間の人々に伝わってきません。

根拠も進歩も感じられない対策に、不信感を抱いている人は多いものの、
それでも「真面目に従おうとする」のが日本人の長所。

これまでそうだったように、不満があってもステイホームを心がける人が多いのですが、
そんな真面目さを吹き飛ばしてしまう3つのものがあります。

その最たるものは、ステイホーム中に目から入る多くの情報。
テレビをつければ、芸能人やアナウンサーがスタジオに集う番組ばかりで、
彼らはステイホームをしていません。



番組内容も、お出かけ情報、おいしそうなグルメ、登場人物が普通の生活をしているドラマなど、
ステイホームの気持ちを揺るがしかねないものが目白押し。

さらに情報番組では、渋谷のスクランブル交差点や東京駅、高速道路や新幹線の混雑状況、
観光客やアウトドアを楽しむ人へのインタビューなど、
「自分ばかり我慢するのは嫌だ」と思ってしまう映像が次々に映されています。

なかには、家でも楽しめる「ステイホーム企画」や、
出演者たちが家での過ごし方を提案する番組もありますが、
あくまで申し訳程度のレベル。

むしろ「そんなもので、連休中ずっと家にいられるか!」
という怒りを買ってしまっているケースが散見されます。

また、スマホ、タブレット、パソコンを見ると、
政府や自治体に不満を表す記事やコメントが目に入り、
「ステイホームなんてやってられるか」という心境になりやすいもの。



もともと人間は、不満の声で誰かと共感し合うと、気が大きくなりやすく、
それまで守っていたルールを破ってしまうところがあります。

その点、強制力の低い今回の「お願い」を守る可能性が低いのは当然でしょう。

コンサルタントをしている私のもとにも、
「夫婦で旅行の予定があったのですが、罪悪感からキャンセルしました。

でもテレビを見ていると旅行している人が多くて、
妻は『何でキャンセルしたの?』と不機嫌になるし、
険悪なムードになっています。

今からでも近場の旅行先を手配するか迷っていますが、
どうすべきでしょうか」
という相談がありました。


このようにゴールデンウィーク前半は我慢したけど、
後半は「やっぱり出かけたい」
という人が増えるのではないでしょうか。



★買い出しで家を出たときに見る現実

食料を入手しようと外に出たときも、
「ステイホームなんてやっていられるか」
と思わせる理由に遭遇します。

遠出を避けて近くの飲食店で、食事を楽しむ人々の姿を見かけるほか、
なかには「お酒持ち込みOK」と書かれた店に入っていく人も。

コンビニの前を通れば、これから外飲みや家飲みをするであろうグループが
大量にお酒やつまみを買い込み、外食チェーンの駐車場を見ると満車に近い状態。

駅前、公園、路上、電車など、多くの場所で、
お酒を飲む人々の姿を見かけます。



私自身も一部パチンコ店に、
行列を作る人々の姿を見て首を傾げてしまいました。

「入念な感染対策が取られた飲食店よりも、危険ではないか」
と思わせるようなものが多く、
やはり「自分だけステイホームなんてやっていられるか」
という気持ちになってしまうのも仕方がないでしょう。

「みんなやっているし、これくらいならいいかな」
という気持ちは日を追うごとに大きくなりやすいだけに、
連休後半では近場だけでなく、足を伸ばす人が増えることが予想されます。



1つ気になったのは、一部の政治家や情報番組のコメンテーターが、
 「外飲みを防ぐために、コンビニでお酒を売るのをやめたほうがいい」
と話していたこと。

しかし、家に持ち帰って1人で飲む人も多く、
このコメントには、行きすぎの感がありました。

人間は、他人からの締め付けが強くなるほど、
本来の目的よりも怒りの感情が先立ち、
大きな反発につながる危険性があるのです。

また、あるコンビニの店主から、
「『これは外飲みをする人たちだな』というのはわかるので罪悪感はありますが、
でも家で飲むかもしれないし、もちろん商売もあるし、売らないわけにはいきません。

でも、そういうお客さんが店に来ることを、アルバイトの人たちが怖がっていますし、
私も高齢なので戸惑っています」という話を聞きました。

「ステイホームなんてやっていられるか」と外飲みをする人と、
そういう人を嫌悪している人の両方がいて、
「ともにストレスを抱えている」
という厳しい状況にあるのは間違いないでしょう。



★子どもに連休のステイホームは難しい

「ステイホームをしよう」という気持ちを削ぐもう1つの理由は、
子どもたちの影響。

ゴールデンウィークは学校が休みであり、
子どもたちにとっても時間がたっぷりある時期です。

インドアな趣味に夢中の子ども以外は、
「外に出て遊びたい」、「連休の旅行が楽しみ」、「友だちや恋人に会いたい」
と思うのは当然でしょう。

しかし、子どもたちに対する政府や自治体のフォローは少なく、
「大人と同じように我慢をしてください」
というのが基本スタンス。

なかには、公園、広場、河川敷などを立ち入り禁止にし、
バリケードを設置するところもあるなど、
子どもたちの遊び場を奪うような動きも目立ちます。

本来ゴールデンウィークは、学校が休みで、喜んでいる子どもが多い時期。
思うように遊べずストレスをためている我が子を見た親が
「どこかに連れて行ってあげたい」
と考えるのは当然でしょう。

また、親自身もステイホームによるストレスを感じているため、
子どもたちのガス抜きを免罪符にして、
外出しようと考える心理も理解できます。



私のもとにも、「子どもは家にいるとずっとゲームをしてしまいます。
さすがに毎日ゲームばかりやらせていたらよくないと思うのですが、
 どうしたらいいでしょうか?」
という問い合わせがありました。

自主的な感染対策をしたうえで、
人の少ないところへの外出は、責められるものではないのかもしれません。

たとえば、「自家用車でドライブし、食事は持参したものかテイクアウトで済ませる」
という形なら罪悪感を抱く必要はない気がします。

ただ、それらで子どものストレスを軽減できるかはわかりませんし、
 できなければ親のストレスは、ますます増えてしまうでしょう。

ふだんより親子で過ごす時間の多い連休は、
必然的にコミュニケーションの頻度も増えるだけに、
互いにストレスを抱えた状態が続くと、
ケンカにつながってしまっても不思議ではないのです。



★家族層と独身層が批判し合う分断

また、ストレス解消のために家族で、外出する人々が増えはじめると、
そんな姿を見た独身層の人々が
「ステイホームなんてやっていられるか」という気持ちになりやすく、
「友人や恋人と外出しよう」と考えるのも当然でしょう。

重苦しいムードが続き、ストレスを抱えた人の多い現在は、
立場の異なる人を尊重し、「ともにステイホームしましょう」
という気持ちになるのは難しく、
「あいつらばかりずるい」と互いに批判しがちなのです。

ここまで、「テレビやネットで見る情報が外出したくなるものばかり」、
「食料などの買い出しで外出したとき気持ちが揺らぎやすい」、
「子どもを家にとどめておくのは難しい」
というステイホームが難しい3つの理由を挙げてきました。(略)


本当に人々をステイホームさせたいのなら、
「政治家やメディアの出演者たちが、
ゴールデンウィーク中の外出を避けて、家から発信する」、
「ステイホームできた人に、何らかのインセンティブをつける」、
 「子どもたちが喜ぶコンテンツを年齢別で放送・配信する」
などの誰もが思いつくようなわかりやすい対策を、
実践するべきではないでしょうか。

長期連休だからこそ、同じような「お願い」ばかりでは、
もう人々の感情をコントロールできない段階に来ているのです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 



今回、コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者の木村 隆志さんの寄稿文寄稿文に導かれて、
「GWずっと家にいろ」が到底不可能な3つの理由、
多々教示されたりした・・。

新コロナウィルスの烈風の前には、
我が家の平素の買い物は、年金生活を始めた当初より私が担当してきた中、
3週間に一度ぐらい駅前などで、家内のボディガード兼お供そして荷物持ち買い物をしたり、ときおり外食をしてきた・・。

或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物をしたり、
国内旅行や、都心などで会社時代の懇親会、冠婚葬祭などをしてきた・・。




しかしながら、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、
おひとりおひとりが、「相手と身体的距離を確保すること」、
「マスクの着用」、「 手洗いや咳エチケット」、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった、
国民のひとりとして、私たち夫婦は確かな責務、と実施したりしてきた。

こうした中で、私たち夫婦が駅前とかデパートに買い物、食事処の外食などは、
『コロナが終わったら・・』、互いに自制しながら、
微苦笑したりしてきた・・。

或いは都心などで会社時代の懇親会の中止は、
『コロナが終わったら・・』と幹事長からメールを頂き、
私は微苦笑をしたりしてきた・・。

今や私たち夫婦が共に外出する時は、家内の病院の指定検査日に、
私はボディガート兼お供で同行し、
やがて帰路に最寄駅の駅ビルで素早く買い物をして帰宅する程度となっている。

まして幾たびも成功体験をしてきた沖縄の旅路も、
ときおり『コロナが終わったら・・』と行きたいよねぇ・・、

互いに言ったりして、微苦笑している。



今回、特に教示させられたことは、私たち夫婦は子供に恵まれなかった為か、
《・・子どもに連休のステイホームは難しい‥》ことであったりした。

コロナ烈風前、公園とか遊歩道、或いは行楽地で、
小学低学年、幼児を引率した父親、母親を見たりして、
いいよなぁ・・と好感したりしてきた。

ここ一年、コロナの烈風の中、平日、休日の時に、
私は遠望から、保育士に引率されて、幼児たちが、
住宅街の歩道、遊歩道など、或いは川遊びをしたりし、
歓声を上げながらのびのびとした動き回るしぐさに、
微笑ましく感じたりしてきた。

しかしながら大人たちの制約の中、少年、少女たちは、
私としては何かしら、萎縮した後ろめたさを言動、しぐさを感じ、
憂いたりしてきたことあったりした。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 脳出血から復活された「加山... | トップ | 緊急事態宣言の効果は、ほと... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ささやかな古稀からの思い」カテゴリの最新記事