夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

改めて週刊誌の見出しを見れば、『事実は小説より奇なり』、と76歳の私は感嘆して・・。

2021-04-28 11:57:06 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であり、
小学4年生の頃から独りで、たびたび映画館に通ったりしてきた映画少年の体験も加わり、
これが原因で、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の直前に、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した。

この間、映画専門誌の『キネマ旬報』などを精読し、古本屋まで行って買い求めたりし、
一年後には500冊ぐらいなったりした。

こうした中、脚本家として橋本 忍さんを神様のように信愛した。
映画監督の場合だと特にデビット・リーン、そしてフランソワ・トリュフォーなどに

夢中になったりしていた。

そしてアルバイトをしながら、養成所に通い映画青年の真似事をし、

シナリオの習作をしたりしていた。

その後、養成所の講師の知人の新劇の長老からアドバイスを頂き、
映画で生活をするは大変だし、まして脚本で飯(めし)を喰(た)べていくは困難だょ、
同じ創作するなら、小説を書きなさい、このような意味合いのアドバイスを頂いたりした。

                       

私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。

読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時の感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。

そして小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻を基盤として精読した上、
純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりしたりした。

こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。




この当時の私は、アルバイト、契約社員などをしながら、習作をしていた。
確かな根拠はなく自信ばかりで、純文学の新人コンクールに応募したりしたが、
当選作の直前の最終候補作の6作品の直前に敗退し、こうしたことを三回ばかり繰り返し、
もう一歩と明日の見えない生活をしていた。

こうした時、私の実家で、お彼岸の懇親の時、親戚の小父さんから、
『今は若いからよいとしても・・30過ぎから・・家族を養えるの・・』
と素朴に叱咤された。

結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗退して、やむなく安定したサラリーマンの身に転向したのは、
1970年(昭和45年)の春であった。



                                                                 

この間、何とか大手の企業に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
          
やがて1970年(昭和45年)の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。

まもなく音楽事業本部の大手レーベルのひとつが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤め、
この間に幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

そして最後の5年半は、リストラ烈風が加速される中、あえなく出向となったり、
何とか2004年(平成16年)の秋に定年を迎えることができたので、
敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。

こうした中、出向先は遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
           

この間、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活の中では、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、浅田次郎の
各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。




やがて2004年(平成16年)秋に定年退職後の年金生活の中で、
単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
定年後からは特に塩野七生、阿川弘之、佐野眞一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、櫻井よしこ、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。

雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は50年過ぎ購読し、
毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』(数年前に廃刊)は特集に魅せられた時は購読してきた。

或いは季刊誌としては、『文藝春秋SPECIAL』を購読してきて、
季節をめぐる毎の秘かな恋人のように愛読してきた。


こうした中、読書は殆ど小説を読まなくなり、社会、文化などに関しての随筆、
そして近現代史などとなり、
昔の文学青年時代の真似事をした自身に、さまがわりかしら、
と独り微苦笑するときもある。



今朝、ぼんやりと配達された読売新聞を読んでいた時、4面の政治面の最下段に、
『週刊文春』の最新号の広告が掲載されていた・・。

ぼんやりと見出し読むと、
《・・『甘いのょ! 』小室圭さんを叱った
     眞子さま暴走愛 全内幕 ・・

  ★小室さんの代理人 謝罪要求でチラつかせた眞子さま「ご意向」
  ★小室さんが初恋 眞子さま 「激しいご気性が前面に」
            (略)  ・・》
何かと気弱な私は動顛しながら、感嘆したりした。

私は週刊誌は見出しで、読者を誘惑させて購読させる手法は、
知っていたつもりであるが、今回ばかりは・・驚いたりした・・。



もとより、古来より『事実は小説より奇なり』と格言はある。
 
現実の世界で実際に起こる出来事は、
創造によって書かれた小説よりも、かえって不思議な世界、
と私は解釈している。

何かしらイギリスの詩人バイロンの作品「ドン・ジュアン」中の一節から創作され、
後年にアメリカ人作家マーク・トウェインが、
「Truth is stranger than fiction《事実は小説より奇なり》 」、
という言葉に活用された、と私は学んだりしてきた。

このような栓なきことを私は朝のひととき、独り微苦笑をしたりした・・。
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2 コメント

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夢逢人さん、こんばんわ (たか(たかたかのトレッキング))
2021-04-28 18:43:17
私にとりまして読書は欠かせません。
夢逢人さんの小説を読んでみたい。
是非、お書きになって下さい。
無念ながら感性も衰え・・。 (夢逢人)
2021-04-28 22:44:41
たか(たかたかのトレッキング)様。

初めまして・・。
あなたさまのブログ、確か1年半前の頃、偶然に拝見して、
瞬時に魅了されて、愛読しているひとりです。

>私にとりまして読書は欠かせません。
>夢逢人さんの小説を読んでみたい。
>是非、お書きになって下さい。

サラリーマンを定年退職した2004年の秋、
多々の理由で年金生活を始め、
無念ながら感性も衰え、持続力も衰え、創作する力量もなく、
やむなくブロクで、散文を綴っている次第です。

コメントありがとうございました。
今後ともよろしくお願い致します。

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