夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

いつかある日、私の葬儀は家族葬、と思い深めて・・。

2014-05-22 14:43:19 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の69歳の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。

こうした中で、ご近所の方の奥様たちから、私たち夫婦の年金生活を見かけると、
仲良しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。

しかしこの世は、いずれは片割れとなり『おひとりさま』となる。
          

私が2010年〈平成22年〉の秋の健康診断で糖尿病と明示されて以来、
食事の内容はもとより、ひたすら歩き廻ったりして大幅に改善されている。

こうした原因の根底には、長き45年ぐらい日本酒の純米酒、ビールを夜のひととき愛飲してきたが、
糖尿病と宣告されて以来、 冠婚葬祭、懇親会、国内旅行など以外は、
原則として自宅で呑むのは、5日に一度ぐらいとなっている。

この間、最寄の内科専門医院に4週間毎に定期健診を受けているが、
ここ3年ぐらいは悪玉コレステロールは基準値の90%、これ以外はほぼ優等生となって、
改善努力の成果となっている。

こうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。
                               

しかしながら私の現役サラリーマン時代の58歳の時に、同僚が難病で死去されたり、
定年後の2年過ぎた頃、健康溌剌で過ごしてきた私より2歳先輩の方が、突然に病死されたりし、
昨今、長寿社会といわれても、60代でもこの世とお別れする方もいるのである。

このような心情を秘めてきた私は、せめて60代は五体満足で生かしてくれ、
この後の70代は余生と思ったりしてきた・・。
そして認知症などあわず、心が明確な時にポックリと死去できれば良い、
と秘かに念願しているが、こればかりは天上の神々の采配に寄るものである。

こうした中で、何よりも私が恐れているのは認知症であり、
ひたすら自宅の周辺3キロ範囲をほぼ毎日歩き廻ったりしている。
          

私は家内と日頃から、子供がいない一代限りの為か、葬儀、お墓のことも何度も話し合ったりしている。
葬儀は親族関係だけの家族葬とした後、お墓は樹木園に埋葬し、
それぞれ好きな落葉樹の下で土に還る、
そして四十九日が過ぎたら、その時の心情でお墓参りをすればよい、とお互いに確認し合っている。

          
こうした中で、私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ10数年言ったりしている。

これまでの私は父親、祖父、次兄、母親、そして親戚の叔父、叔母、
或いは知人などの数多くの葬儀に参列してきた。
こうした中で、自宅で通夜、告別式、或いは寺院の斎場で通夜、告別式が執り行われ、
多くの会葬者を観たりしてきた・・。

私はサラリーマンを定年退職した引退の年金生活の身であり、
官公庁、民間会社で栄達された人とは遥かに遠い平凡な人生を歩んできたので、
遠い親戚、知人、友人も高齢者の方が多く、わざわざ通夜、葬儀に参列して頂くより、
これまでの私の人生の歩みで、欠かすことのできない血は水よりも濃いと称せられる親族で、
ささやかに葬儀をしてもらいたい、と願っている。
          

こうした中で、家内はもとより、兄妹のそれぞれの夫妻、末妹、兄の子供である甥のふたり、
そして家内の妹夫妻、そして家内の母が存命であったら加わって欲しい・・
このくらいの親族の一部の最小限のメンバーで通夜、告別式を執り行って、家族葬の形式と念願している。

昨今、式場の内部が、自宅の居間のような形で、片側に御棺を置き、
広いテーブルで食事やお酒を飲食できる会場もあると知り、私は待ち焦がれた会場形式だ、
と思ったりした。


そして通夜の日、御棺の周りは私の幼年期は農家の児として育ったので、
日本風土の土に還るので和花を中核として、欧米の書物、映画、音楽も少し愛してきたので、
洋花も添えて欲しい。
しかしながら和花は何かと高価なので、洋花が大半でもよい、と思ったりしている。

大きなテープルの各席に於いて、近くの食事処から取り寄せた和食、洋食を食べて頂き、
煎茶、コーヒー、紅茶などを飲んだり、ウィスキー、ワイン、日本酒、ビールなど呑んで頂いたり、
私の生前のこぼれ話し、失敗談をして、談笑して頂く・・。

人は誰しも故人の心の奥に秘めた心は解らないが、とりとめなく話して、
あの時は・・と笑って下されば充分である。

こうした中で、音楽が静かに流れれば、と念願したりしている。
選定する曲としては、今、瞬時に思い浮ぶ曲としては、
唱歌の『ふるさと』、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ 第8番 『悲愴』、交響曲第9番の第三楽章、
アルビノーニのアダージョ、ショパンの練習曲作品10-3 『別れの曲』・・
この5曲ぐらいは・・と思ったりしている。
          

翌日の告別式は、このメンバーで自宅の居間のような形の式場に集合し、お線香一本を上げてもらい、
この後は火葬場に行き、ふたたびこの式場で、
お好みの飲み物を呑みながら、食事をして談笑して頂いた後、散会する・・。

そして私の生家は曹洞宗なので、やはり生家の墓地のある寺院の方に読経して頂くが、
通夜、告別式の5分ぐらいの簡略なお経でよい、と思ったりしている。

このような葬儀は、私の生家にしても、親戚にしても、前例がなく、
もとより兄妹は大いに戸惑い、
なぜ生家の墓地のある寺院の斎場で、通夜、告別式を行わないの、と予測される・・。
          

しかしながら水戸黄門の印籠のように、故人の遺志である、と家内が明言し、了解を願いたいのである。

このような私の葬儀に関して、とりとめなく昼下がりのひととき、思ったりした。

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4 コメント

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Unknown (ぴよきゅう)
2014-05-22 15:14:28
今日のブログ考えさせられました。4年前の今頃家内に乳癌の疑いがあると診断され、私はパニックになったことがありました。結局何でもなくてもよかったのですが、検査結果の出るまで恐怖でした。私も子どもがいないので、いつかどちらかが一人になったらと思うと怖いです。それだからこそ、今を感謝しなくてはと思います。
返信する
おひとりさまは、何かと辛い、と思案したりする時も・・。 (夢逢人)
2014-05-22 16:10:34
ぴよきゅう様。

貴兄の真摯な思いのお便りを読ませて頂きました。

>今日のブログ考えさせられました。
>4年前の今頃家内に乳癌の疑いがあると診断され、私はパニックになったことがありました。
>結局何でもなくてもよかったのですが、検査結果の出るまで恐怖でした。
>私も子どもがいないので、いつかどちらかが一人になったらと思うと怖いです。
>それだからこそ、今を感謝しなくてはと思います。

私たち夫婦でも、命果てるまでの残された歳月は、もとより天上の神々の采配によりますが、
この先いつまでも慎(つつ)ましながらも、年金生活の楽しい生活が続くわけでなく、
やがて体力が衰えて介護の身になるか、或いはどちらがいずれ片割れになる
こうした思いをときおり思案したりする時もあります。

私は家内に先き立たれた時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われます。

そして私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしていたので、
恥ずかしながら初心者の若葉マークのような身であり、戸惑いながら行うと思われますが、
何より長年寝食を共にし、人生の大半の苦楽を分かち合い、
気楽に裏表のない安心して話す相手がいなくなったことが、何よりも困ると思ったりしている次第です。

返信する
家族葬 (ほうせん)
2014-05-22 21:15:33
こんばんは

自分の葬儀はできるだけ質素に、残された家族のためにそう願うわねと、最近の高齢者主婦同士の会話です。

OCNカフェ時代から、夢逢人さんファンです。お名前は変わりましたが・・・
今日の課題、年月を感じまし・・・。

偶然、葬儀屋に会員申込みのパンフレットを依頼していたのが今日届きました。

家族葬を希望しています。私も好きな音楽を流してくれたら嬉しいです。

また楽しみにお訪ねします。
有難うございました。




返信する
御懐かしい『ほうせん様』・・。 (夢逢人)
2014-05-23 10:13:22
ほうせん様。

御懐かしい『ほうせん様』のお便り、読ませて頂きました。

>OCNカフェ時代から、夢逢人さんファンです。お名前は変わりましたが・・・

確か2007年(平成19年)、この当時の私が本命としていた【簡単gooホームページ】が9月末で閉鎖と知り、
8月より半ばより、これまで投稿文が移動できるブログ形式に準じた【OCN Cafe】を知り、
加入して、まもなく『ほうせん様』にめぐり逢えた、と思いを馳せたりしている次第です。

>自分の葬儀はできるだけ質素に、残された家族のためにそう願うわねと、最近の高齢者主婦同士の会話です。
>今日の課題、年月を感じまし・・・。

私も65歳の高齢者入門の頃から、体力の衰えを実感させられ、
私は今年の9月の誕生日を迎えますと、古希と称される70歳となり、
過ぎ去る歳月が、余りにも早い、と思ったりしています。

こうした中で、ときおり私たち夫婦が、どちらかが亡くなり、
残された方の『おひとりさま』の生活について、私は家内と話し合うこともあります。

>偶然、葬儀屋に会員申込みのパンフレットを依頼していたのが今日届きました。
>家族葬を希望しています。私も好きな音楽を流してくれたら嬉しいです。

私も貴女様と同様に深く念願している次第です。

>また楽しみにお訪ねします。

こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します。

季節は初夏に向って暑い日もあり、ときには4月の気温に戻ったりする不安定な今日、
貴女様も程ほどにお身体をご自愛の程を・・。

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