夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

南 沙織、山口百恵、キャンディーズ、ささやかな私なりの思いを馳せて・・。

2012-07-27 16:43:26 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨夜、いつものように7時過ぎに入浴した後、
居間でエアコンの冷気で涼んでいた時、家内はテレビを視聴していた。

そしてテレビの画面に、山口百恵ちゃんが健気に唄っている姿があり、
百恵ちゃんかょ、と私は心の中で呟いたりした。

この後、私も視聴したりしていると、
TBSテレビの『甦る昭和の歌姫伝説 2』と解り、山口百恵ちゃん、この後に南 沙織ちゃん、
そしてキャンディーズの歌の数々を視聴したりした。

こうした中で、南 沙織ちゃんに関しては、沖縄返還40周年の今、
故郷の沖縄に対する複雑な思いが発露されたりしていたのが、私は心に残ったりした。

この番組の南 沙織、山口百恵、キャンディーズを視聴した後、
家内は入浴したので、私はテレビのスイッチを切り、
そうだったよねぇ・・あの当時は・・あのようなスターがいて、あのような名曲が・・
と私は思い馳せたりした・・。

たまたま私は音楽業界のあるレコード会社に勤めた身なので、
他社のCBS/ソニーの所属した南 沙織、山口百恵、キャンディーズであったが、
懐かしげに思いを馳せてしまったのである。

この当時の私の状況は、このサイトに於いて、
《 尾崎紀世彦さんの死去を知り、私なりのささやかな思いは・・。》
と題して、投稿している。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/d/20120602
☆【 夢逢人たわむれ記 ~かりそめ草紙~】
<==6月2日《 尾崎紀世彦さんの死去を知り、私なりのささやかな思いは・・。》

このように私は、レコード会社の本社の片隅みで、コンピュータ専任者として勤務していたが、
自社はもとより、他社の音楽状況下の歌に気になっていたのである。

私が勤め始めた1970〈昭和45〉年の4月の当時は、
ビクター系のRCAレコードから藤 圭子の前曲の『新宿の女』に続いて、
『女のブルース』が音楽情報誌のオリコンのランキング首位であり、次作の『圭子の夢は夜ひらく』と、
破竹の勢い旋風であった。

こうした中で、東芝レコードから由紀さおりの『手紙』が前作の『夜明けのスキャット』に続いて、
首位を獲得して善戦したりしたが、
この後、東芝レコードから渚 ゆう子の『京都の恋』、次作の『京都慕情』も大ヒットを重ねたりしていた。

翌年の1971〈昭和46〉年の3月になると、
ポリドールからは加藤登紀子の『知床旅情』が前年発売された曲であったが、次第に売れ始めて、
首位を獲得して、7週間独走したりした。
そして7月にワーナー・バイオニアから小柳ルミ子の『わたしの城下町』、
CBS/ソニーからは、南 沙織の『17才』、
共に大ヒットを重ねて、鮮烈にデビュー作となった。

私は渚 ゆう子の『京都の恋』、『京都慕情』、加藤登紀子の『知床旅情』、小柳ルミ子の『わたしの城下町』を
聴いたりしていたが、
この当時としては国鉄(現在・JR)が、盛んに『ディスカバー・ジャパン』の宣伝広告をしていたので、
こうした背景の中で、稀なヒット作となった、と私なりに理解をした。

そして南 沙織の『17才』に関しては、沖縄返還で日本の数多くの人が注視していた時代の時、
CBS/ソニーのマーケット・リサーチの結果、
沖縄県のスターを誕生させた、と私は理解していた。

1972〈昭和47〉年になると、CBS/ソニーからは、天地真理の『水色の恋』が発売され、
やがて次作の『ちいさな恋』より5曲連続の首位を獲得して、
ひとつの時代を築いた。
この間、ワーナー・バイオニアから小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』、次作の『京のにわか雨』も大ヒットを、
重ねたりしていた。

その後、翌年の1973〈昭和48〉年になると、
ビクターレコードから麻丘めぐみ『わたしの彼は左きき』、
ワーナー・バイオニアからアグネス・チャンの『草原の輝き』、
大ヒットとなったりした。

そして1974〈昭和49〉年7月になると、
CBS/ソニーからは、山口百恵の『ひと夏の経験』が大ヒットとなり、
社会にも衝撃をもたらし、その後の曲も何かと話題に乗り、ヒットを重ねたりした。

その後、ビクターレコードのピンクレディの旋風の中、
CBS/ソニーのキャンディーズの歌の数々が発売されて、ヒットを重ねて、
やがて1977〈昭和52〉年の7月に引退宣言し、
そして山口百恵も1980〈昭和55〉年10月に、ファイナルコンサートで引退された。

私は南 沙織の引退は、潔(いさぎ)良しと好感したりしたが、
特に山口百恵は人気絶好調で、突然の引退に戸惑ったりした。

この以前に関係者は、山口百恵自身が引退の決意が固いと知った時、
関係者はどのような動きをしたのかしら、と私は想像した・・。

そして伝説の神話にさせるために、かって東宝映画の専属スターの原 節子さんは、
やはり人気のある大女優でありながらも引退され、
永遠の伝説の女優となったりしている。

この事例を倣い、関係者は、引退後に大衆の前で二度と披露しない絶対条件に基づいて、
引退前後のあのような百恵フィバーを演出した、と私は妄想してしまったのである。

そして関係者の想像を遥かに超えて、山口百恵は永遠の伝説の歌い手となった、と思ったりした。

この後は、1980〈昭和55〉年4月に、CBS/ソニーから松田聖子の『裸足の季節』でデビューされ、
やがてワーナー・バイオニアから発売される中森明菜と共に、
アイドルとしての女性のトップスターの時代となる。


このようなことをあるレコード会社の片隅みにいた私は、
上記に列記したスターは、すべて他社のアイドルスターであるが、
ぼんやりと女性の主軸のアイドルスターを思い馳せたりしたのであった。


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