夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

若葉の色合いは新緑色に染められる中、散策すれば夢幻のようなひとときを過ごし・・。

2013-04-16 15:40:38 | 定年後の思い
私は過ぎし3月22日の頃から桜花の染井吉野(ソメイヨシノ)、そして山桜(ヤマザクラ)、
終幕として八重桜(ヤエザクラ)を愛でながら過ごしてきたが、
いずれにしても平年より2週間は早く咲き、やがて散ってしまったと愛惜を秘めて過ごしてきた。

こうした中で私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域は、
落葉樹は芽吹き、そして若葉の色合いは、萌黄色から黄緑色にうつろい、
昨今は新緑色に染められいる。

或いは常緑樹は、新芽を伸ばしながら葉色は光沢を増し、眩(まばゆ)い色合いとなっている。

私は本日の午前中のひととき、いつものように散策に出かけ、
我が家の近くに流れる野川の遊歩道を下流に向かい歩き始めた・・。

               
4月下旬のような18度前後の晴時々曇り空の中、ときおり吹く風は薫風かしらと感じたり、
               
風光る時節だよねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

そして私は新緑の若葉の色合いに魅せられて、長らく見惚(みと)れたりした・・。
          

その後、再び遊歩道を歩いていると、八重桜(ヤエザクラ)が私を待っていたかのように、
残り花の咲いていたので、私は微笑みながら眺めたりしていた。
          

やがて私は歩きだして、対岸に向かう橋の上から、野川の流れを見つめたりした。
          
この川端に近い小路は、この時節は黄色い花の菜の花、そして淡き紫色のハマダイコンの花が、長く帯のように咲くので、
私は遊歩道から見下ろして、ここ10数年眺めてきた情景である。


その後、私は小公園に立ち寄り、足を止めたりしたり、この時節の情景を享受した。
         

この後、遊歩道に下り、帰宅に向かう途中で、
淡き紫色の藤(フジ)が首飾りのように咲いていたので、足を止めたりした。
          
平年ならばこの地域は、4月月末に近い大型連休の頃から咲き始めているので、
少し早いじゃないの、と思いながらも微笑んだりした。

やがて私は、遊歩道から川辺に下り、先ほど橋の上から眺めていた菜の花、ハマダイコンにお見合いする為、
川端の小道をわずかながら歩いた。
          
そして菜の花、ハマダイコンを長らく見つめたりした。
      
私は幼年期は農家の児として育てられたので、このような野花に今でも魅せられている。

このように平日の午前中のひととき、富や名声に無縁な拙(つたな)い私でも、
私にとっては夢幻のようなひとときを過ごしたりしている。

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2 コメント

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はじめまして (ナミ)
2013-04-16 19:09:29
私のつたないブログを見に来て下さって、有難うございました。
私は約20年前まで、狛江市に住んでいました。
調布市のグリーンホールにも何回も行き良く知っています。

35年継続勤務~定年退職、本当にご苦労様でした。
年金だけの生活が出来て、羨ましいくらいです。

ブログにも書いたように、夫の脳出血になり医療費がかさみ、一番ためらっていた「生活保護」で暮らしています。
人生何が起こるか分かりません、定年後は何としても体を動かし太陽の日を一杯浴びる事が一番の健康管理だと思います。

奥さんと二人三脚で、楽しい日々をお過ごし下さい。

また、コメントします。

ご主人さまは、ナミさまに感謝を重ねながら・・。 (夢逢人)
2013-04-16 22:38:39
ナミさま、こちらこそ初めまして。

>私は約20年前まで、狛江市に住んでいました。
>調布市のグリーンホールにも何回も行き良く知っています。

私は結婚前後の5年間を除き、調布市の片隅に63年ばかり住んでいますので、
小田急線の『喜多見』、『狛江』駅などは、散策のひとつのコースです。

>35年継続勤務~定年退職、本当にご苦労様でした。
>年金だけの生活が出来て、羨ましいくらいです。

年金生活をしていますと、やはり何かと出費がありまして、
赤字となり、程ほどの貯金から取り崩しているのが実態です。

>ブログにも書いたように、夫の脳出血になり医療費がかさみ、一番ためらっていた「生活保護」で暮らしています。
>人生何が起こるか分かりません、定年後は何としても体を動かし太陽の日を一杯浴びる事が一番の健康管理だと思います。

私は小学2年の時に、父が42歳の若さで病死され、
その後、私は何とか父の齢を乗り越えようと思ってきた次第です。

私が52歳の時に、同僚の方が病死されたり、
或いは定年2年前の58歳で、私も面識ある家内の友人の主人が病死されました。

その後、定年後の2年で、友人が61歳で病死されたり、
先輩の64歳の方も病死されたりしてきました。

或いは知人の方も60前半で病死された方も3名いまして、
こうした中で、私は何とか70歳までは生かしてくれ、と願っているのが本音です。

しかしながら、こればかりは天上の神々の采配に寄るものであり、
せめて日常生活は散策、買い物などで、路線バスに頼らず、
ひたすら歩くことに努めている次第です。

ご主人さまは、不幸にして70歳を過ぎ、大病され、
ナミさまは、孤軍奮闘されながら看病をなされ、ご足労は大変な日々と、
お察しいたします。

そしてご主人さまは、ナミさまに感謝を重ねながら、
確かなご夫婦の絆、と思い深めている、と私はお察しています。

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