夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私の住む近くの『実篤公園』、この新緑の時節に訪ね、私の少年期の情景に思い重ねて・・。

2013-04-17 15:57:55 | 定年後の思い
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の68歳の身であるが、
いつものような家内から平素の買物専任者の私は、
本日は駅前のドラックストアーで購入する品を指定され、
私は花曇りの20度近い陽気の中、京王線の『仙川』駅の商店街をめざして歩いた。

ときおり風が強く吹いたりしていたが、10分ばかり歩くと、
いつものように音楽系の専門学校として名高いの桐朋学園の隣接した処に出た。
          
そして商店街にあるドラックストアーで家内の要望品を買い求め、
責務を果たしたので帰宅しょうと、先ほどの桐朋学園の隣接した四つ角で、
信号待ちをしていた時、
                    
近くの『実篤公園』を訪ねよう、と思った・・。

私は20数年前に一度だけ訪れたことがあるが、この後は付近を通っても、立ち寄ることはなかった。
たまたま昨年の秋に訪ねたが、新緑のこの時節には訪れたことがなかったので、
不意に思い立ったのである・・。

そして私は桐朋学園の隣接した歩道を歩き、『実篤公園』に向った。
               

やがて10分足らずで、『実篤公園』に入園した。
          

そして園内に入った後、下り路を歩くと、もとより秋の情景とは違い、
新緑の色あいに染められていた。
               

私は園内の雑木が黄緑色の抹茶を撒いたりするような新緑に見惚れたりした。
      

そして孟宗竹の竹林を眺めると、やがて私の少年期の頃に思い馳せられた・・。
          


私は1944(昭和19)年に北多摩郡神代村(現・調布市の一部)の農家の三男坊として生を受けた。
この当時、祖父、父が中心となって、小作人の人たちの手助けを借りて、
程ほど広い田畑、そして小さな川が田んぼの片隅に流れ、湧き水もあり、
竹林、雑木林が母屋の周辺にあった。
そして母屋の宅地のはずれに蔵、物置小屋と称した納戸小屋が二つばかりあり、
この地域の旧家は、このような情景が、多かった・・。

そして、この頃の我が家は、周辺は平坦な田畑、雑木林、
少し離れた周辺はゆるやかな丘陵であり、国分寺崖、と学校の先生たちは称していた。

その後、私が1953(昭和28)年の小学2年の三学期に父が病死し、
翌年の1954(昭和29)年の5月に祖父も他界され、
生家は大黒柱の2人が亡くなり、没落しはじめた・・。

そして1955〈昭和30〉年の頃から、都会に住んでいた人たち達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957〈昭和32〉年であるが、
この頃になるとベットタウンとなり、新興の住宅街に大きく変貌した。

こうした中で、私が小学5年生の頃、付近の国分寺崖に面した傾斜地に、
日本では有名人らしい人が引っ越してきた、と大人たちの間で話題のひとつとなっていた。

この当時の私は、『金子』駅(現・つつじが丘駅)の付近ある小学校から旧街道で登下校したり、
下校時の時は、ときおり遠回りして隣接駅の『仙川』の商店街を歩いたり、
或いはこの中間の田んぼの多い畦道を歩いたりして帰宅したりしていた。


このようなある日、私は下校時に独りで田んぼの多い畦道を歩いたりしていたが、
国分寺崖の林の傾斜に寄り道をした。
そしては樹木の多い中で、孟宗竹の竹林が手入れされていなく密集ばかりし、下方に池があり、
池の近くで、独りの老人が難しいそうな顔して、池を見詰めていた。
              
『あの人が大人たちが噂している有名人かょ・・何か難しい顔しているが・・
だけど孟宗竹は生え放題・・孟宗竹のこと・・ぜんぜん解っていないなぁ』
と私は子供心に心の中で呟(つぶや)いた・・。

後年、高校生になった私は突然に読書に目覚めて、下校時に『仙川』駅の本屋に寄った時、
新潮文庫、岩波文庫などで魅了される本は・・と探していた時、
店内の壁面に色紙とひとりの老人の写真が掲げられていた。
そして、さりげなく《武者小路実篤》と明示されていたので、
私はあのお爺さんが・・武者小路実篤(むしゃのこうじ・さねあつ)かょ、と気づかされたのである。


私の生家から徒歩で10分ばかりに、武者小路実篤さんが、
《 水のあるところに住みたいという子供の頃からの願いどおり、1955〈昭和30)年、
70歳の時に仙川の地へ居をかまえ、90歳で亡くなるまでの20年間を過ごした 》
と伝えられている。

そして氏の亡くなわれた後、数々の遺品とともに、ご遺族より調布市に寄贈され、
できる限り実篤が暮らした当時のまま保存され、
晩年の20年間を過ごした邸宅(現:実篤公園)の隣接地に、調布市が設立と整備して、
1985〈昭和60)年10月に『武者小路実篤記念館』が開館した、
と私は市報などで知ったりしていた。

 
あの当時も孟宗竹は鬱蒼とあり、このように整備されておらず、もとより野趣の中、
私は子供心にひとりの老人を見つめていた。

そして池の中にいる鯉も確かあの当時いたが・・私に興味がなく、あまた雑木の情景に見惚れ、
あの当時の情景に思いを馳せ、重ねたりした。           
                      
過ぎ去った60年近い歳月を思い浮かべても、整備された公園の雑木だけは歳月を超越して、
四季折々のうつろいを私に見せてくれる・・。
           
このようなことをぼんやりと思ったりした後、やがて私はこの公園を辞して、自宅に向った。

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