夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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下重暁子さんと萩原博子さん語る、夫婦で不安のない老後にするための対処法、私は学び、やがて微笑み・・。

2018-06-28 14:13:25 | ささやかな古稀からの思い

先程、ネットの【YAHOO! JAPAN】の中にある『雑誌』部門の『ライフ』のニュースを見ている中、
【 下重暁子さんと萩原博子さん語る 「老後に3千万円必要はウソ」 】と見出しがあった。

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
『極上の孤独』などを上梓された作家の下重暁子さん(82歳)に関しては
私が確か中学生の頃、NHKのテレビを視聴していた時、綺麗な知的美人だ、
と見惚(みと)れたりし、私にとってはこれ以来、高嶺の華(はな)のような存在の御方である。

『老前破産』などを上梓された経済ジャーナリストの荻原博子さん(64歳)に関しては、
私が現役サラリーマン時代、定年退職時の最後の5年半前にリストラ烈風が加速され、
あえなく出向となり、遠い勤務先に勤めていた時代、書物で学んできた御方である。

経済にも疎(うと)い私が、荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読んだりした。

こうした中で、
デフレ経済の蔓延している中、定年時に持家(マンションか戸建て)のローンは返済完了となり、
預貯金が3000万円あれば、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をして、
少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができる、と学んだりした。

そして私はサラリーマン生活を卒業した後の年金生活の資金の指針として、
これ以来、荻原博子さんの経済ジャーナリストとしての書物に信愛を重ねてきた御方となっている。



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このような私に取っては、深情がある二人の御方であり、何かしら異色の対談形式の記事であり、
精読してしまった・・。

記事を読み終わった後、夫婦で不安のない老後にするための対処法、遅ればせながら学び、
そして私は、そうしたお考えでしたか、微笑んだりした。

この記事は、恥ずかしながら女性専用誌の『女性自身』の記事であり、
関連のネットに於いて2018年6月28日に配信されていた。

記事の主題は、夫婦で不安のない老後にするための対処法であり、
男女は超越する課題であり、あえて無断であるが記事の殆どを転載させて頂く。

                

下重暁子さん
「私は小3のころから、『一生自分で自分を養っていく』という覚悟で生活してきました。
自分自身は、いまもその思いで働き続けていますが、
昨今、老後のお金についての会話となると、誰もが介護の不安を口にします」



荻原博子さん
「現在、老後を迎えようとしているみなさんは、介護保険のなかった親世代を判断材料にしているんですね。
ですから生命保険文化センターというところのアンケートでは、
介護にどのくらいかかると思うかという問いに、『夫婦2人で約6000万円』という回答になっている。
でも、現実はずいぶん違うんです」


(略)

荻原博子さん
「実際に介護をしている方にかかった費用を調査すると、老後で『1人平均550万円』です。
介護保険では、普通の年金生活者の場合は1割負担ですから。

2人では1100万円で、そこに医療費その他を入れて、だいたい1500万円あれば、
老後はなんとかやっていけるでしょう。

現実に即した対処をするためにも、ふだんから夫婦で話しておくことが肝心と思いますが、
最近わかったのは、お金の話ができていない夫婦が多いこと」



下重暁子さん
「お金は夫が会社で猛烈に働いて、家庭は妻が守るという役割分担になっているんですね。
それでは、お金の話に限らず、夫婦の会話は成り立ちません」



荻原博子さん
「たしかに老後になると夫婦2人の生活ですから、
お金のことも、どちらかの役割ではなく、2人で考えなくてはいけません」



下重暁子さん
「うちの夫婦は、マンションを購入した際も折半にして、
自由業でまとまった収入のある私が、頭金を半分出して、
残り半分の支払いは、勤め人でローンも組めるつれあいが、毎月やっていました。

だいたい、老後に借金を残しちゃダメですよ。
それこそ不安の種です。
定年まで、つまりは定収入がなくなるまでに、借金も返しておくべき」



荻原博子さん
「そのためにも、まずは夫婦で資産を見直して、貯金やローンなどを書き出してみる。
すると借金の総額が明確になり、将来プランも見えてきます」



夫婦の形はそれぞれだが、一般には、
妻が夫に先立たれ、1人での生活をスタートさせる場合がほとんどだ。

               

荻原博子さん
「夫の死後は、家のローンが終わっていれば、家賃もなく住み続けられるわけですし、
妻には遺族年金と貯金などがあれば、生活はひとまず成り立つと思います。

そこで始まるのが、夫の残した蔵書やCDなどの処分。
自分にとっては不要なものですけれど、燃やしたり捨てるのは、しのびないという人が本当に多いですね」



下重暁子さん
「私は、断捨離という風潮もありますが、なんでも捨てる必要はないという考えです。
亡くなった父や母が使っていた道具一式は、
軽井沢に執筆のために買った山荘に、そのまま持って行きました。

ボロボロのソファも修繕して運びました。
好きなものだけを選んで、長く使うのがいいですね」



荻原博子さん
「下重さん自身の蔵書も、相当な量になるのでは」



下重暁子さん
「北海道の図書館に寄贈することも考えました。
しかし、どうしても必要だったり大切な本は、手元に置いておきたくて、このプランは断念しました。

いただく本も多いのですが、私は物書きですから、それを書いた人の苦労を思うと、
簡単には、捨てられないんですねえ。

父の絵などもいまは飾っていますが、私が死んだあとは、これはもう悩んでもしょうがない。
まあ、つれあいは、私の父への思いを知っているので、簡単には処分しないでしょうけれど。

つまりは“思い”。
思いが込められているものは、簡単には捨ててはいけないんです」



荻原博子さん
「私なら、夫の趣味の遺品は、バザーに出します。
好きな人に引き継いでもらえるだろうし、少額でもお金にもなります」

               

夫が亡くなった後、もっとも家族間トラブルの原因となるのが遺産相続だ。


下重暁子さん
「両親が亡くなったときに、うちがきょうだい間でもめなかったのは、
公正証書として遺言を残しておいてくれたからです。

両親の死後、当初、実家は地方から出てきた知人のご子息に、
光熱費など最低限の必要経費だけで貸していました。

家も傷まない、空き家問題も解決、若い人の支援にもなるから“一石三鳥”。
その後、実家が売れて、執筆のための軽井沢の山荘を購入することができました」


荻原博子さん
「下重さんのように相続でもめないというのは、まさにレアケース。
もめるのは金額の多い少ないじゃないんですね。
現に家庭裁判所で、遺産で争っているケースの3割が1000万円以下です」


下重暁子さん
「私の知人も母親が亡くなったとき、実家の土地家屋を4人きょうだいで、4等分して終わるはずが、
いちばん下の妹の夫が『貯金もあったはず』と言い出した。
裁判はもめて不愉快な2年の歳月を過ごした揚げ句、いまは仲のよかったきょうだいが、絶縁状態だそうです」


荻原博子さん
「うちは去年、父親が亡くなりましたが、ずっと弟が両親のそばにいて、
いまも母親の面倒を見てくれていますから、私はすぐに相続放棄しました。

親としては財産を残さないか、もし残すなら、何を、誰に、どのくらい託すかまで、
きっちり遺言を書くかのどちらかですね」


下重暁子さん
「私は常々、『親は子どもに財産は残さず、使い切ってしまうのがいい』と言っています。
子どもにも小さなころから、『自分の生活は、自分でおやりなさい』と、はっきり伝えておくべきです」


荻原博子さん
「私もわが子には、お金より、生きる力を残すほうが、大切だと思います。
そもそも子どもは別人格で、親とは違う人生があるのですから。

生きる力をつけさせる方法は、とてもシンプルで、いろいろ言わないこと。
割り切れば、さっぱりしますよ。
うちなんて子どもが朝帰りしても、何も言わない(笑)」

               

財産を残さないことが、結局は子どものためにもなるのだと、2人は口をそろえた。
下重さんは1人になった老後も安心できる「生前整理5カ条」として、次を挙げる。


【1】借金は定年後まで残さない
【2】財産は自分たちで使い切ると、子どもたちに伝える
【3】なんでも捨てないで、大事なものは修繕して長く使う
【4】自分の資産を託せる信頼できる人を見つけておく
【5】空き家はタダで貸しても人に住んでもらう

続いて、子どものいない下重さんならではの、遺言状の作り方が語られた。

下重暁子さん
「子どもがいなくて、遺言もなく、夫婦どちらも亡くなった場合、
つまり相続人のいない遺産は、国庫に収められると知りました。

それは嫌ですし、残った親族間のトラブルの種を作るのも申し訳ない。
ですからうちは、どちらかが先に逝った場合、互いに全権譲渡するという内容の公正証書を作りました。

私たち夫婦は一緒の旅行も多く、飛行機事故で同時に亡くなることもありえるわけです。
そんなわけで、お互い自分たちの財産を預ける人を想定していました。

つれあいと話してみたら、同じ方だったんです。
血縁もなく、弁護士など専門家でもない信頼できる社会人の女性です。
彼女には了解を取ったうえで、どのような寄付をしてほしいかまで、すべてを託しています」・・》

注)記事の原文をあえて改行を多くした。
                          


私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住んでいる。

我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。

そして耐久品の購入、冠婚葬祭、そして私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、ここ13年半ばかり過ごしてきた・・。

こうした中で私たち夫婦は、原則として月初めには家計簿をお互いに確認しながら実施している理由は、
40数年前、私たち夫婦が婚約する前、
お互いに隠し立ては・・やめましょうねぇ、と私は妻となる人から言われたりしてきた。

そして私たち夫婦は、結婚以来、毎月家計簿を原則として翌月の初めにしているが、
もとより生活費をお互いに確認した上で、私、家内が趣味に使える費用を捻出する為に、
毎月確認し、家計簿の月次決算をしている。

                  
       
こうした中、私は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖に小学5年生の頃から、おしゃべりが好きで、
年金生活の今でも、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人さまと話し合ったりすることが多い。


私は2004年(平成16年)の秋に定年退職し、多々
の理由で年金生活を始め、
私は、いつの日にか私は、家内より先にあの世に旅立つことを思い、
残された家内が生活に困苦しないように、私は公正証書の遺言書を作成したのは、
定年後の年金生活を始めて、まもない時であった。

こうした理由には、亡き母が生前に遺産などで困苦した時代もあり、
或いは親戚に当たる兄弟間で、相続で長らくもめて、やがて裁判までなった、
と私は聞いたりしていたからである。

このような私が亡くなった後、このようなことを避けたく、
水戸黄門様の紋章のような公正証書の遺言書を作成した次第である。



私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれなかったので、一代限りの身であり、

私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ15年ぐらい言ったりしてきている。

そしてお墓は要らず、死者は土に還る、という強い思いがあるので、
樹木葬のある墓地の里山に埋めて頂きたい、と私は独断と偏見である。

その後、四十九日の納骨が終われば、何らかの雑木の下で永久に安らかに眠る、という考えの持ち主である。

そして残された家内は、旅行か何かの機会に時、気が向いたとき、お墓参りをしてくれれば良い。
数年に一回でも良いし、或いはそのままお墓参りなどしなくて、
ご自分の余生を楽しんだ方が良い、と私たちは話し合ったりしてきた。

 

こうした中で、家内には老朽化した我が家を処分して、マンションの小さな部屋を買い求めて、
生きがいとして趣味を強くして、老後を過ごして欲しい、と私は幾たびも言ったりしてきた。

                  

私たち夫婦は年金生活を過ごして、早や14年目になり、経済的に贅沢な生活は出来ないが、
『働らなくても、何とか生活ができるので助かるわ・・』、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりする。

『そうだよねぇ・・』
私は苦笑しながら応じたりしている。

年金生活は十人十色のように、それぞれの第二の人生の願いに基(もとづ)き、過ごされている。

そして、不安もあるが、ご夫婦で話し合えば、殆ど大半は解決される、
と拙(つたな)い人生航路を歩んできた私でも、微苦笑する時もある。
 


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