夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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90代の3名の人生の達人、「おカネの心配? するだけ無駄だったね」、何かと気弱な私は学び、多々教示させられて・・。

2018-06-26 14:12:39 | ささやかな古稀からの思い
先程、愛読しているネットの【現代ビジネス 】を見ている中で、
【 90歳、人生の先輩が断言「おカネの心配? するだけ無駄だったね」
                              ~ 老後マネー逆転の発想 ~  】と見出しを見たりした・・。

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であり、
無念ながら裕福層には遥か遠い身であり、どのようなことですか、と思いながら、
こっそりと読んでしまった・・。

やがて90代の3名の男性の御方が、金銭などにとらわれず、おおらかに晩年期を過ごされ、
何かと小心者の私は、老後資金の難題に憂いたりする時もあるが、この3名の90代の男性に、
人生の達人ですねぇ・・と思いながら、叱咤激励されるように教示させられたりした。
                 

この記事の原文は、『週刊現代』の2018年4月7日号に掲載された記事のひとつで、
関連のネットの【現代ビジネス 】に6月10日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

              

《・・90歳、人生の先輩が断言「おカネの心配?するだけ無駄だったね」

☆すべてプラスに考える

今年90歳を迎える田中俊郎さん(仮名)は、60代後半の頃、将来が不安で仕方なかった。

「若い頃から進駐軍相手のバンドを組み、30代前半までフラフラしていたから
サラリーマンになったのが遅かった。

そのため、学校卒業と同時に勤めた同世代に比べて、年金が少なくて、どうしたものかなと。

夜中に『もうカネが尽きた』とうなりながら、飛び起きたこともあった。
でも、女房が楽天家で、『なんとかなるわよ』というタイプの人間だったから、
私にもそれが伝染した。

なんでもプラスに捉えれば、気がラクになるもんだ。

たとえば、うちは女房に実家があったから、修繕してそこに住んだので、家賃が要らない。
年金は同世代に比べれば、マイナスかもしれないが、家賃がないのはプラス。

70歳すぎまで、タバコを吸っていたが止めた。
タバコを吸うカネさえなくなったと否定的に考えるのではなく、
カネが、かからなくなったと思えば、これもプラス。

酒量も半分以下になって、これもカネがかからないからプラス。
なんでもプラスに考えていくと、
『なんだ、生きるのに大してカネは、かからないじゃないか』という境地に達したんだよ」

田中さんは、マイナスをプラスに変える「発想の転換」で、老後の危機を乗り切った。

最近はJRが提供している『ジパング倶楽部』を愛用して、京都などに出かけているという。
65歳(女性は60歳)以上は、最大3割引きで新幹線を利用することができる。

「これだと、東海道新幹線の『のぞみ』には乗れない。
昔は3割分ケチっていると思われるのがイヤだったから『のぞみ』にしていたけど、
今はそんな気はまったく起こらない。『ひかり』で十分だよ。

乗っているとわからないけれど、『のぞみ』の通過待ちを見ていると、
新幹線って、本当に速いって実感する。

狭い日本、そんなに急いでどこへ行く、じゃないけど、
この年になって、ゆったりする旅が好きになったね」

そう言って、田中さんは遠い目をして若かりし頃を振り返るのだった。

「高校の頃まで、そこそこの進学校に通っていたんだ。
仲のいい同級生2人と試験の1点2点を争って、目の色を変えて勉強をしていた時期もある。

私は、音楽にハマって受験勉強から脱落したけど、
一人は、東大に行って官僚になり、
もう一人は、千葉大の医学部に行って医者になった。

でも医者と言っても、勤務医で働き詰め。
60歳を過ぎてすぐ、ゴルフをした後のサウナで突然亡くなった。

官僚になったヤツは、早くに外郭団体に飛ばされて、
愚痴ばっかり言っていたが、そいつも、がんで死んだ。

受験、受験で競い合ったのは、結局、何の意味があったんだろうね。
出世争いだって、仕事に没頭することだって、死んでしまえば、元も子もない。

この年まで生きた私だから思うことかもしれないけど、
途中で挫折した私のほうが、幸せだったんじゃないか。
そんな気にもなるんだよ」


               

中国の古典に、「入るを量りて、出ずるを為す」とある。
収入を計算してから、それに見合った支出を考えるという意味だ。

老後の生活資金は、年金収入で計算ができるから、贅沢さえしなければ十分に生きていける。

91歳の川上裕二さん(仮名)は、県営住宅に暮らす。 

「現役時代は、商売をやってきたので、収入は国民年金だけだけど、
神奈川県にある県営住宅の家賃は3万円。
自炊していれば、十分暮らしていける。

 妻は1年前に亡くなったので、
趣味として月1回は、カメラ愛好家たちと観光バスで行く撮影ツアーにも参加している。
私が一番高齢だから、一緒に行った人があれこれ気遣ってくれるのが、ありがたい。

葬式代に50万円は残してあるし、娘も1週間に1回は様子を見に来てくれるし、何の心配もないね」

                  

☆カネはなんとでもなる

長生きすると、カネがなくなって、不幸になる。
そう考える高齢者は多いが、実際のところ、食も細るし、広い家も必要なくなる。
日々平穏に暮らしていく限りは、金銭的な心配をしなくとも生きていけるのだ。

千葉県の特別養護老人ホームで暮らす黒木良三さん(92歳・仮名)は
「今が一番幸せかもしれない」と話す。

「妻は5年前に亡くなり、2年前から施設にお世話になっている。
小さな雑貨店を営んでいたんだが、60代から70代の頃は、カネが心配で仕方なかった。

同世代のサラリーマンが引退して、年金生活を楽しんでいるのに、
オレは一生働き詰めかと悩んだものだよ。

でも、カネのことは、なんとでもなるもんだ。
施設は毎月15万円かかるが、家賃も食事代も光熱費も全部込みでこの金額。
これ以外には、一切かからない。
100歳まで十分に暮らして行けるよ。

もちろん、子供に入居を勧められたときは、怒った。
『ふざけるな、なんでオレが、老人ホームに入らないといけないんだ。
誰の世話にもならない』とね。

でもいざ入居してみると、『ここは別荘か』ってなもんでね。
みんな親切にしてくれるし、食事はうまいし、2時半のおやつも楽しみだ。

風呂も入れてくれて、身の回りの世話もやってくれる。
窓からの景色が素晴らしいし、車の音も聞こえないし、田んぼと畑が広がって見飽きない」


カネの心配なんかしなくても、老後は暮らしていける。
人生の先輩たちの言葉を胸に刻もう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
                  

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごして、年金生活は早や14年生になっている。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職した身であるが、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となり、遠い勤務先に勤めて、出向先で定年退職時となった。

この間、私が出向する時、私たち夫婦は遅ればせながら第二の人生について、話し合ったした。
具体的には、どのような生活をしたいか、幾たびか思案したりした。

やがて年金を受け取り、お互いの趣味を尊重してささやかに生活して、
ときたま国内旅行ができれば・・と漠然としながら私たち夫婦の結論であった。

こうした中で、経済にも疎(うと)い私が、
信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読んだりした。

そして
デフレ経済の蔓延している中、定年時に持家(マンションか戸建て)のローンは返済完了となり、
預貯金が3000万円あれば、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。

やがて遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまったので、
やむなくサラリーマン生活を卒業し、年金生活を始めた・・。

                 

我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。

そして耐久品の購入、冠婚葬祭、或いは私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、ここ丸13年半ばかり過ごしてきた・・。

私たち夫婦にとって難題は、やはり晩秋期の不安は、いつの日にか、介護・要となり、
介護施設にお世話になる時と思われる。

こうした中、私たち夫婦はどちらかが残こされた方が、やむなく断腸の思いで自宅の敷地を売却して、
介護施設に入居すると思われる。

男性の多くは、70代となれば体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には、介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

こうした中、要介護認定されている場合は、
特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)などの介護施設のほか、
有料老人ホーム、 介護型のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)やケアハウス、グループホームなどを学んだりしてきた。

              

そして私はいつの日にか要支援までであったら、何とか自宅で過ごせると思われるが、
やはり要介護になってしまったら、やはり介護施設に入居すると思案してきたりした。

やがてどちらかが、国の支援を受けている費用が程ほどに適度な特別養護老人ホームに、
入居が叶(かな)わなくなってしまった時、
やむなく高価と称されている有料老人ホームに、自宅を売却して、入居しなくてはならない場合もある。

私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の外れに住んでいるが、
程近くにある三つばかり参考例として記載する。

A:入居費(0万円~840万円)そして月額(21.1万円~35.5万円)
B:入居費(0万円~1580万円)そして月額(0万円~63.7万円)
C:入居費(0万円~3600万円)そして月額(27.4万円~115.6万円)

入居費が廉(やす)ければ、月額の負担が多い上、
やはり介護の難度、施設の優良度合により、大幅な差異がある、と思われる。

もとより介護
の難題は、いつまで介護を受ける必要な期間が判らず、
やがて永がられば本人の自己負担額が増し、
貯金は切り崩しても資金不足となり、
当然ながら、退所が余儀なくされて、行き場がなく迷子のような介護難民になることである。

私たち夫婦は、裕福層には遥か遠い年金生活の身であるので、
改めて有料老人ホームの入居費、そして毎月の負担額が余りにも高価に、溜息をしたりした。


やむなく、何かとブラス思考の私は、人それぞれ永(なが)らえるのは、自助努力も肝要であるが、
こればかりは神様か仏(ほとけ)さまの采配によるよなぁ・・と微苦笑したりしてきた。

                     

このように何かと気弱な私は、老後資金を模索してきたが、
今回の記事に於いて、この3名の90代の男性に、人生の達人ですねぇ・・と思いながら、
叱咤激励されるように教示させられたりした。

金銭などに、くよくよせずに、おおらかに晩年期を過ごしなさい、と私は深く感じて、
そうですよねぇ・・と微笑みを重ねたりした・・。


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