先程、ヤフージャパンなどの配信された記事の中で彷徨った中で、
『 「生きていけるのだろうか」亭主関白で何もしない夫。
私がいなくなったときのことを考えた結果 』、
と題された見出しを見たりした。
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建て住んでいる。
こうしたことは、私にとっては切実な課題であるので、
記事を読んでしまった・・。
物覚えの悪い78歳の私は、学んだことを忘れないために、
記事を転載させて頂く。
《・・私と夫は、結婚して40年たとうとしている熟年夫婦です。
夫は、まさに昭和の男という感じで、結婚してからはもちろん亭主関白。
家事はもちろんのこと、4人の子どもの育児すらも、まったくしてきませんでした。
私たちも、もう若くはありません。
「もし私が先に・・・」と考えると、不安で仕方がないのでした。
☆夫は亭主関白
私の夫は、絵に描いたような亭主関白です。
「男は外で稼ぐことを頑張り、女は家を守るべき」という考え方。
ごはんを作っても最初に箸をつけるのは夫で、お風呂に一番に入るのも夫。
妻は夫の3歩後ろを歩くなど。
私たちの世代だと珍しいことではありませんでした。
夫は、年老いていくにつれて口数が少なくなり、頑固じいさんのようになっていきます。
結婚したころは、亭主関白な姿に男らしさを感じて、夫にぞっこんな私でしたが、
最近は頑固さに拍車がかかり、ちょっとしたことで、文句を言ってくるように。
夫のことは愛していますが、自分は何もしないのに、
私の行動に文句を言ってくることには、ストレスを感じていました。
しかし、結婚生活は40年がたとうとしており、
夫を立てることが体に染みこんでいた私は
「頑固じいさんみたいで、なんだか嫌だな」と思いつつも、これまで通りの生活を送っていました。
☆もしも私が先に・・・
頑固な夫の言動に、モヤモヤする日々を送っていましたが、
私たちは、もう70歳手前。
体の不調も増えてきました。
私が先に旅立ってしまったら、
果たして夫は、ひとりで生きていけるのでしょうか・・・。
私たちは4人の娘に恵まれましたが、全員遠方に嫁いでしまい、
今は夫と2人きりの生活。
亭主関白の夫は、若いころから家事も育児も家のことは、
何もしてきませんでした。
自炊はもちろんのこと、自分のシャツや靴下がどこにあるのかすら、わかっていません。
「もし私が病気にでもなったりしたら」と考えると、心配でたまらなくなりました。
まだ病気にもなっていないし、ただの考え過ぎなのかもしれませんが、
いつかは直面することなので、娘たちに相談することに。
娘たちにも嫁いで行った先の家族があります。
できるだけ迷惑はかけたくありませんし、私たち夫婦も健康でいたいとは考えています。
ただ、もしものことがあった場合に備えて、
「月に何回かだけでも、帰ってこられる状況なのか」、
「介護が必要になった場合は、施設に入れてほしい」などの話を娘たちとそれぞれ話をしました。
娘たちは、口をそろえて
「お父さんとお母さん、どっちかだけでも、何かあったらすぐ駆けつけるよ」
と言ってくれました。
この言葉を聞けただけでも安心しましたが、
やはり夫に少しでも、自分の身の回りのことをできるようになってほしい・・・。
そう思った私は、夫にも相談してみることに。
☆何を言っても夫は黙ったまま
夫に「もし私がいなくなったときのことを考えると心配で・・・」
と、思っていることを伝えました。
私が一生懸命伝えている間、夫は黙っていました。
そして「少しずつでいいから、自分のことをしてみない?」
と私は言いました。
しかし、夫からは返事がありません。
何か考えてくれているのか、それともただ気に入らないのか・・・。
ずっと黙っているので、夫が何を考えているのかわかりません。
しかし、ここで折れてはいけないと思った私は
「じゃあ早速だけど、一緒に洗濯物を取り込みませんか?
あなたの分だけでいいので」
とわざと明るく提案しました。
私は洗濯物が干してある庭に出ました。
それでも夫は動きません。
「あぁ、やっぱりだめだったか・・・」と思っていたら、
少しして仏頂面で、庭にノソノソと出てきたのです!
洗濯物を自分の分だけ取り込んで、縁側で畳みだした夫の姿に、驚きを隠せなかった私。
そして夫に気持ちが通じた安堵からなのか、自分でもわからなかったのですが、
なぜか涙が止まりませんでした。
夫は終始無口でしたが、その日から時々自分の洗濯物を取り込んで、
畳んでくれるようになりました。
☆交通事故に遭い、足を骨折した私
夫が自分で洗濯をしてくれるようになってから1カ月後。
「この調子で、次は料理を手伝ってもらおうかな」
とルンルンしながら、買い物に出かけました。
しかしその帰り道、自転車とぶつかってしまい、私は右足首を骨折してしまったのです。
すぐに病院を受診し、幸いにも松葉杖を使えば、歩くことができました。
しかし、今まで通りの生活はできません。
ずっと松葉杖をつきながら、料理をすることは不可能で、
しゃがむこともできないので、生活に大きな支障が出ることが、予想されます。
病院での診察の合間に夫へ電話し、迎えに来てもらいました。
帰りの車の中で「少しの間、家事ができそうにないの。ごめんなさい。
娘たちに来てもらえるか、聞いてみるから」と話すと、
「いや、俺がやるよ」とひと言。
亭主関白で「家事は女の仕事」と言っていた夫が、
まさか自分が家事をするなんて言うとは、思わずびっくり。
洗濯は経験があるものの、夫に料理なんてできるはずない・・・と心配になり
「でも」と言い返しますが、
夫は遮って「俺がやるって。料理は自信がないが・・・」と宣言しました。
夫の気持ちの変わりようにびっくりして、頭が追いついていきませんでしたが、
「じゃあ頼りにしていますね」
と笑顔でお願いしました。
病院からの帰り道に買い物へ行き、夫がかごを持ち、
私が横を歩きながら、買う物を伝えました。
家に帰ってからも、キッチンに椅子を持ってきて、
私が座りながら、レシピを教えてゆっくりと調理。
夫が3時間かけて作ってくれたカレーライスの味は、一生忘れることはないでしょう。
☆まとめ
この日から、何をするにも、私と夫は一緒にいるように。
骨折したことで、今まで以上に一緒にいる時間が増え、
夫が新しいことに挑戦する姿を見られるようになりました。
今となっては、あのとき夫がすんなり洗濯物をし始めてくれて、
よかったと思うばかりです。
夫の中で、どんな気持ちの変化があったのかはわかりませんが、
私が骨折したタイミングで、家事を積極的にしてくれるようになり、うれしく思っています。
「この人には無理かも」と思い込んでいましたが、
思い切って声をかけてみてよかったです。
「この人はこうだから!」と勝手に決めつけず、
勇気を出して話してみることも、必要なのだと感じた出来事でした。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
取材・文/もちだひのっしー
イラスト/サトウユカ ・・》
注)記事の原文に、あえて改行など多くした。
私は学生時代は実家より、結婚してからも単身赴任をしたことがなく、
ある民間会社を35年近く勤め、やがて2004年の秋に定年退職となったりした。
この間、夫の私は家計の責務で奮闘して、家庭のことは、庭の手入れをする以外、
家事のすべてを家内に頼ったりした・・。
そして多々の理由で、私たち夫婦は年金生活を始めた・・。
定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言し、買物メール老ボーイとなったりした。
こうした中で、私の平素の朝食と夕食は、家内と共に談笑しながら頂いているが、
年金生活の当初より、昼食だけは、お互いに制約することなく、自由食としている。
残された方の生活のありかた、生活費など、考えられる範囲で話し合ったりした。
こうした中、家内は家内の妹に、茶道具、和洋服など、
贈与するために宅配便などを活用して、幾たびも送付したりしてきた。
今回、《・・亭主関白で何もしない夫・・》だった夫が、家事に変貌していく日々、
私は痛いほど判り、読みながら瞼(まぶた)が熱くなったりした・・。