夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときには無学な私でも、夢幻のような歴然とした『白雲洞』の美の前には・・。

2012-12-11 15:58:55 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活68歳の身であるが、
今朝、家内と朝食を頂いている時に、冬の旅行の思いで話をしたりした。
私たち夫婦は、共通趣味のひとつは国内旅行なので、何かと旅先のこぼれ話、
これから訪ねてみたい地域のことなどが、話題になることが多い。

今朝は過ぎし2008(平成20)年2月中旬に於いて、
独り住まいの家内の母を誘い、箱根の姥子温泉の観光ホテルに7泊8日で滞在し、周辺を遊覧したことであった。

旅先の魅力の中で、予測もつかない不意な出来事があったり、
思いがけない情景や光景に観られたりする。
或いは地元の方と立ち話をしたり、私と同じような観光客の人たちと話し合ったりすることである。

そしてほんのささやかなことであっても、のちの想い、となり心の片隅に残っている。

こうした箱根の姥子温泉滞在のこぼれ話を家内と話したりした後、
ぼんやりと私は、独りで強羅公園の中にある『白雲洞茶苑』を訪ねたことが想いだされた・・。


家内たちは芦ノ湖の遊覧船に乗った後、行楽地を行く予定であったので、
私は確か20年ぶりぐらいであったと思われる『白雲洞茶苑』を訪れよう、
とホテルを独りで9時半過ぎに出た。

快晴の中、桃源台からロープウェイで大涌谷、早雲山で乗り継いで、
この後は鉄道ケーブルで強羅公園下駅で下車した。

久しぶりに訪ねたので、公園の正門入り口に戸惑い、苦笑したりした。

この時節、観光客も少なく、高台にある喫茶店『Cafe Pic』で、
コーヒーを飲みながら、遠望にある大文字焼で知られる頂上に近い『大』の縁取りを眺めたりしていた。

この喫茶店も客は私独りで、暖かな陽射しの射しこむ中、
モーツァルトの名曲が店内から聴こえ、贅沢なひとときを過ごした。

この後、『白雲洞茶苑』に向かったのであるが、
20年前頃、家内と共に訪れて感銘した茶室であったので、私の心は緊張していた・・。

http://www.hakone-tozan.co.jp/gorapark/tea/index.html
☆ 白雲洞茶苑 ☆

公園の外れにある少し切り立った場所に巨石、樹木で茶庭とし、
そして形式美にとらわれない茶室などがある。
私は30分ぐらい茶室の庭を廻りめぐり、茶室を眺めたりした・・。
                 
           

私は1964〈昭和39〉年の秋に東京オリンピックが開催された頃、大学を中退し、
映画、文学青年の真似事をしたので和事に関心を持ちはじめた・・。

家内と結婚した当初、家内は中学生から茶事に関して学んでいたので、
私は何らかの影響を受けていた。

結婚して3年の初め、実家の付近に一戸建てを建てる際、
家屋の中に茶室を設けたが、もとより家内の嗜(たしな)み室であり、私には本格的な茶事は無知である。

ただ掛軸、花入、そして茶道具などの形式美があるすぎるので、
花は野にあるように、と明言された利休の精神は・・と私なりに思いを重ねた。

私は数多いサラリーマンの身であったが、このような心を抱いていた時に、
20年前頃に、偶然に『白雲洞』を家内と観て、感銘をしたのであった。


私が最も関心があるのは、どのような経過で、
明治時代の三井財閥の総督のような益田 孝が造営されたかであった。

明治39年に小田原市の板橋で、茶人と深められた別名・鈍爺が『白雲洞』、『不染庵』、『対字庵』を造られ、
総称として『掃雲台』として造営された。

その後、箱根登山鉄道に寄る強羅地区の開発に伴い、
多大な援助をしたので、この箱根登山鉄道の社長より、強羅公園の一角を贈呈された。

そして切り立った地に大胆な茶庭を造営した後、
『掃雲台』の茶室などを移築し、今日の基盤である『白雲洞茶苑』となった、
と私なりに思ったしたのである。

このような思いを新たにし、
抹茶を500円で頂けるので、小鐘が置いてあったので、小さく鳴らす前に、
無断であったが2葉を撮ったりした・・。
                         

30代前半と感じられる女性が現れ、
『抹茶を頂くのは・・作法に無知ですが・・』
と私は言いながら、茶席に座った。

そしてこの女性がお点前と館内の案内も兼ねていると判り、
私の前に抹茶と和菓子を置かれた。

『床柱は・・千年前の奈良にあった・・』
とこの女性は言った。

『床柱、掛軸、花入・・などの説明は結構です・・確固たる美のお判りになった
三大(鈍翁・益田孝、三渓・原富太郎、耳庵松永安左衛門の3氏)のお方が伝承され・・
お陰さまでこうして・・
まぎれない美を見せて頂くだけで・・充分です・・』
と私は緊張した表情で言った。

この後、私は素朴な茶室に関して、丁重に感じたことを述べたり、
この三大の伝承した人の美を残された功績をたたえた・・。

そして、こうした美の結晶である茶室を造営するには、
財力は当然とした上、茶の深い思い、何より縁(えにし)を含めた実行力のあるお方のみが、最低限必要である、
と私は言ったりした。

私は背後から客人の気配を感じ、席を辞する旨を伝えた。

私は和菓子を頂かなかったので、
このお方は和紙に包み、
『貴方様のように・・繊細に美を語(かた)ることの出来る人に・・お逢いできまして・・』
とこのお方は言った。

私は照れながら、
『私は一介のサラリーマンを定年退職し、茶事に関しても無学な者で・・お恥ずかしい限りです・・』
と私は和菓子を受け取りながら言った。

私は偶然に若い女性と茶事の美について語り合えたので、
心は充たされ、一期一会、という言葉が実感できた・・。

                  
そして強羅駅に向かいながら、
あの人、綺麗な顔立ちで、しぐさも素敵だった、と余計なことを思ったりした。


このような事を思いだし、もとより私は茶事も建築、そして作庭にも無学であるが、
あのように瞬時に圧倒的な美を感じると、心が高揚してしまい、
恥ずかしくもあのようなことを言えた、と自身の悪い癖が出た、と無力な私は微苦笑したりした。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
散文 ブログランキングへ




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする