夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
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《北海道、秋の旅路・1》 初めての北海道の秋の旅路は、道東地方周遊 【1.11.3.~11.5】 

2012-10-23 08:30:44 | 旅のあれこれ
私たち夫婦は共通趣味のひとつとしては国内旅行であり、
若き新婚時代から、日本の各地を四季折々に旅を重ねてきた。

北海道に関しては、春、夏、秋そして冬に各地を廻ってきたが、
個人旅行のような形式もあったり、住宅ローンなどの返済で団体観光ツアーの格安旅行もしたりしてきたが、
夏と秋に訪れるのが少なかった、と先ほどから思い浮かべたりした。

今回、たまたま道内の洞爺湖を初めて訪れる機会に、
私たち夫婦がこの季節に北海道の旅路をしてきたことを思い馳せながら、特集のような形で連載する。

先ほど私の旅のメモ書きを取りだして、北海道の秋の旅路をめくったりしていたが、
初めて秋の季節に訊ねたのは、1989〈平成元〉年11月3日~5日、2泊3日 道東地方、
と記載されていた。
そしてウトロ、川湯温泉、宿泊と書かれていたので、確かあるる旅行会社の団体観光ツアーに参加し、
私は代休を取得して、私たち夫婦は周遊したことを思いだした・・。

私たち夫婦は、晩秋の道東地方は寒いと予測して、防寒着のフィールド・ジャケットを着て、
羽田空港に集合し、添乗員の方は新卒出のうら若き女性であり、
参加者は私たち夫婦と同様な40代のグループが3組、そして60代と思われるグループが10組ぐらいで、
若き女性のグループが2組、総勢35名前後であった、と記憶している。

女満別空港に着陸した後、待機してくれた観光バスに乗り、
網走の海岸ちかくの食事処で、昼食を自在に食べ自分で支払う自由食であったので、
私はビールを吞みながら、確かどんぶり食を頂き、
晩秋のオホーツク海だねぇ、と意気揚々と家内に話しかけたりした。

その後、知床半島のウトロをめざして、私たち一行の観光バスは走行し、
オシンコシンの滝を下車して観たりした後、知床五湖を散策して、ウトロの観光ホテル名は忘れたが宿泊した。


翌日、知床峠を越えて羅臼(ラウス)に出た後、南下して野付半島を観光バスは走行し、
車窓から国後島が観え、当時はソ連の領土であったので、まじかに感じられた。

その後、海老のシッポのように曲がった野付半島のトドワラ海岸で下車して、
2時間半ばかり散策し、周辺は平坦な牧草地帯と彼方まで観えそうな海を眺めたりし、
立枯れたトドマツの中を歩いたりした。

快晴で風もない中の歩道を歩くと、防寒着を脱ぎ、
『あなたが晩秋の北海道は寒いから・・着込んできたのに・・思ったより爽やかで・・』
と家内も防寒着を脱ぎ、
私は家内に、予測は外れた、と謝ったりした。

この後、売店で熊(クマ)、アザラシ、トドの肉のそれぞれの缶詰を買い求めたりし、
観光バスに乗り、
明所のひとつの根室中標津空港の近くの展望台で下車した。
そして私たちは展望台より東を観ても西を見て、少し起伏ある草原が四方の彼方まで拡がる状景に見惚れたりしていた。
近くにいる私たちの一行の60代の男性が、
『このように広大な草原・・何万坪あるのかしら・・
東京だったら、少なくとも一坪は何十万にするのに・・』
とバブルの余韻が残るこの当時の風潮の意味合いを発露され、私は微苦笑させられたりである。

この後は淡き陽射しの中の摩周湖の美景を観たりし、宿泊所の川湯温泉の観光ホテル名は忘れたが、
部屋で頂いた夕食の中で、それぞれ蟹(カニ)一杯を頂き、
私は地酒を吞みながら、やはり蟹味噌が一番美味しい、
と家内に言ったりした。

翌日、私たち一行は硫黄山を散策している中で、私は硫黄の吹き出る近くで、
家内に記念写真を撮ってねぇ、と言いながら、胸をはって整然としていたが、
硫黄の吹き出る煙に蒸せかえるように感じ、思わずメガネを取り外した稀な写真となったりした。

その後、10時過ぎに阿寒湖で遊覧船に乗船し、湖岸の葦(アシ)の群生が晩秋のおだやかな陽射しを受け、
この時節を改めて教えてくれた。

そして阿寒湖の観光ホテルで昼食を頂いた後、観光バスは帯広空港をめざして走行した。
この間、足寄でこの地の出身のシンガーソングライターの松山千春さんの記念館がある、
と隣席の近くのグループから教えられ、私たちは入館した。

この後、池田ワイン館に入館する予定であったが、
添乗員さんはこの時点で休館と知り、私たち一行は苦笑したりした。
この当時は、携帯電話が普及していないこともあった上、
添乗員さんは眠れる森の美女のように車内で、ほっとしたのか眠ることの多い人で、
私たちの一行はもとより、ドライバー、ガイドさんも呆れ果て、稀な新卒出の添乗員さんであった。

私たち一行が帯広空港で指定された時間を待っていると、
着陸した乗客を観かけて、この中の家族の方が、
ディズニーランドの手提げ袋とキャラクター商品を子供が持っていたので、
私は微笑んだりした。

私たち一行は東京を出て、北海道の道東地方を訪れてきたが、
こちらの道東地方にお住いの方たちは、羽田空港から東京周辺に宿泊して、ディズニーランドか、
と思い、お互いに健全な経済交流になっている、と思ったりしたからである。

今回、初めて訪れた北海道の秋の旅路を思い馳せながら綴ってきたが、
20数年前のことであるが、この程度ぐらいしか思いだせないでいる。
やむなく、忘却とは忘れることなり、と劇作家の菊田一夫さんの遺された名言に、
そうですよねぇ、と甘えながら苦笑している。

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